【幕間8】女王の憂鬱
『……今年の選手層は華がないこと』
それが、参加選手のリストを見た〈女王〉の感想だった。
黒いヴェールの向こう側から響く機械音声は、常に平坦な口調だが、それでも今は憂いの色が濃いようにも聞こえる。
グリフォンは「容赦ねぇなぁ」と苦笑しつつ、親指で自身を示して言った。
「まぁ、仕方ないだろ、今の大会にはオレが出てないからな」
『そう言えば、お前は元騎士だったわね。影が薄くて忘れていたわ』
「おいっ、これでも、そこそこ良い成績だったんだぞ!?」
グリフォンは数年前までは「キツツキ」という名前で、騎士として参加していた。近接格闘技全般に長けていて、シングルバトルでもパートナーバトルでも、そこそこの成績を残している。
だが、〈女王〉は容赦なくバッサリとグリフォンを切り捨てた。
『そこそこ程度の選手なんて、掃いて捨てるほどいてよ』
グリフォンは胸を押さえて部屋の隅でうずくまる。おっさんのハートは割と繊細なのである。
すると、タブレットで作業をしていた海亀が仮面の奥で口を開いた。
「ですが、今回の大会では人気選手のクロウ、ウミネコ、燕の参加が確定しています。彼らは実力も充分ですし、経験もある優秀な選手です」
それに口を挟んだのが、ジャバウォックである。
「まぁ、確かにその辺は優勝候補の実力者だけど、花形選手とは言い難いだろうねぇ。燕は、あの武士道精神とやらは立派だけど、絶対に姫殺しをしないから盛り上がりにかける。クロウは前回のシングルの成績が悪すぎた」
「……あれは、相手が悪かった気もしますが。それに、ウミネコは今でもファンが多いでしょう?」
海亀の指摘に、〈女王〉が首を横に振る。
『ウミネコの力も全盛期ほどではないわ。おまけに、アレはパートナーバトルが苦手だから、大した成績は期待できない。いいとこ準々決勝。下手したら初戦敗退が関の山ね』
辛口な〈女王〉の評価に、海亀が首を少し傾けた。仮面のせいで表情は見えないが、仮面の下では不思議そうな顔をしているのだろう。
「私は全盛期のウミネコを見たことがないのですが……昔の彼は、そんなに強かったのですか?」
海亀の言葉にジャバウォックが苦笑し、グリフォンはフンと鼻を鳴らす。
海亀は今年幹部になったばかりの新人だ。ここは先輩であるグリフォンが少しばかり教育をしてやらなくては。
「あぁ、やべーんなんてモンじゃなかった。当時はウミネコと、そのライバルのハヤブサって奴がいてな。そいつもまた、えらく強かった」
ウミネコとハヤブサの対戦の時は、チケット代が二十倍に跳ね上がるほどだったのだ。
ところが、ハヤブサは十年前に突然の引退。ウミネコは最近じゃすっかり日和ってしまい、当時の悪魔じみた強さなんて見る影もない。
ジャバウォックも、少し寂しそうな声で呟いた。
「確かに華に欠けるねぇ、今のフリークス・パーティは」
「そんな君達に朗報さ」
ノックも無しに扉を開けて入ってきたのは、笛吹だった。委員会の一員ではあるが、幹部待遇には程遠く、どちらかというと派遣社員に近い。
笛吹の仕事は主にフリークス・パーティ参加者の勧誘や、出場選手の管理なのだが、笛吹の勧誘の手口はどこか胡散臭い。
いつもどこか人を見下したような口ぶりだし、あまり話していて気分の良い男でないのは確かだ。それは〈女王〉も同じだったらしい。
『お前が持ってきた朗報に、無作法を許すほどの価値はあって?』
棘のある口調の女王に、笛吹は怖気付く様子もなく、人差し指を一本立ててみせる。
「まずは一つ目、アルマン社がついに秘蔵っ子を表舞台に出すことにしたようだよ。選手名はオウル。パートナーはドロシーだ」
これに「へぇ」と声をあげたのはジャバウォックだ。最年長の彼は会社の事情に詳しい。
「へぇ、あのアルマン社が……キメラ研究に強い会社だし、まぁ、悪くないんじゃないですかい?」
笛吹は気を良くしたように頷くと、二本目の指を立てた。
「そしてもう一つのビックニュース……あのイーグルが、パートナーバトルの参加表明をした」
これにはグリフォン、ジャバウォック、海亀のみならず、〈女王〉までも動揺した。
イーグルというのは、前回シングルバトルに初出場し、圧倒的な強さで優勝をかっさらっていった騎士である。
当然、運営委員会はペアバトルへの参加も打診していたのだが、イーグルは当初からペアバトルへの不参加を表明しており、委員会側がどんなに声をかけても断り続けていた。それが、どういう風の吹き回しなのだろう?
グリフォン達の疑問を察したのか、笛吹が肩を竦めて笑う。
「お気に入りのお姫様を見つけたらしいよ。それはもう大はしゃぎしてる。自分の姫に優勝を捧げて、プロポーズするんだって」
本来なら、ペアバトルへの参加申し込みをするにあたり、騎士と姫は二週間以上の同居生活が規定で定められているのだが、優秀な選手に多少のお目こぼしがされるのは、よくあることだ。無論、大きな声では言えないが。
「どう? ビッグニュースだったでしょう?」
得意げに笑う笛吹を揶揄する者は誰もいなかった。
前回のシングルバトルの覇者イーグルが参加するともなれば、フリークス・パーティは間違いなく盛り上がる。
笛吹はもう、鼻高々という態度で細い顎をツンと持ち上げ得意げな笑みを浮かべていた……が。
「大変っ、大変っ、大変ですよーーーーーっ!!」
笛吹の背後で勢い良く扉が開き、笛吹の後頭部に扉が直撃した。
扉を開けて中に駆け込んできたのは白兎だ。いつもビクビクオドオドしている青年が、今は顔を真っ赤にして「大変大変!」を繰り返している。
後頭部を強かに打ち付けた笛吹は、ぶつけた場所を手で押さえながら立ち上がり、美しい顔に怒りの形相を浮かべて白兎に詰め寄った。
「……どうせ大したニュースじゃないんでしょう。やめてくれる? そうやって、いちいち大袈裟に騒ぐの」
いつもなら誰かに詰め寄られただけで半泣きになる白兎が、両手をバタバタと振り回しながら叫んだ。
「ハヤブサさんがっ! あの伝説の男の、ハヤブサさんが参加するって!」
その時の動揺は、イーグルの時の比ではなかった。グリフォンもジャバウォックも限界まで目を見開いて硬直し、あの〈女王〉ですら腰を浮かせている。
一番最初に冷静さを取り戻したのは、年長者のジャバウォックだった。
「白兎、それは、本物のハヤブサなのかい?」
「本当に本当なんですよぉ! ほらっ、これっ、この書類っ!!」
白兎は両手で胸に抱きしめていた書類を、ジャバウォックに勢いよく差し出す。書類の中身を確認したジャバウォックは「本物だ」と小さく呟いた。
グリフォンは「マジかよ」と呟き、意味もなく額に手を当てる。度重なる興奮で、額は汗でしっとり濡れていた。
「ただですね、えっと、今回の参加にあたって、ハヤブサさんから二つほど条件を提示されました」
〈女王〉が機械音声で『言いなさい』と命じると、白兎はおずおずと書類を読み上げる。
「今回のフリークス・パーティではハヤブサという選手名を使わないこと、自分の正体は明かさないこと、それが参加の条件だそうです」
何故、そんなことをする必要がある? とグリフォンは眉をひそめる。
(あの目立ちたがりの派手好きが、正体を隠してフリークス・パーティに参加する理由って何だ? いや、そもそも何故十年以上経った今になって戻ってきたんだ? ウミネコはこのことを知っていたのか?)
室内にいる運営員会の者は〈女王〉も含めて、各々考え込んでいるようだった。それほどまでに、ハヤブサの帰還は衝撃的な出来事なのだ。
ただ一人、ジャバウォックだけが、煙草を取り出しながら、のんびりとした口調で言った。
「何にせよ、あの男が帰ってくるなら、騒がしいことになりそうだねぃ。なぁ、グリフォン」
「あぁ、違いねぇや」
ハヤブサが巻き起こす騒動を思い、グリフォンは困ったような顔をしながら、不謹慎にも少しだけワクワクしていた。




