【幕間6】続・アンパン大使始めました
草太はダンボール箱を抱えてワゴン車から下りると、店長の穂香に声をかけた。
「店長、これはどこ置くの?」
「カウンター横。あと、店長じゃなくて師匠と呼べ」
「へいへい」
「それと、黒板に今日の一押し商品を書いておいてくれ。今日の一押しは栗アンパン。アンパンの表記はカタカナだ。間違えるなよ」
「了解」
自称アンパン大使の穂香は「アンパン」の表記にやたらとこだわる。
草太にしてみれば「あんぱん」も「あんパン」も「餡パン」も「アンパン」も、全部同じ物だと思うのだが、穂香曰く。
「統計を取ってみたら、あんぱんが一番多かったんだが、ここはあえて某アンパンヒーローをリスペクトし、表記はアンパンで統一することにした!」
……ということらしい。
たかが、アンパンの表記にここまで熱くなれる人もそうそういないだろう。
草太がアンパン大使に弟子入りして、十日。
平日は朝と夕方、今日みたいな土日はほぼ一日、パンの販売の手伝いをしている。
最初は慣れないこともばかりで、戸惑うことも多かったが、だいぶ仕事にも慣れてきたように思う。
おまけに売れ残りのパンを貰えるから、食べる物に困らないし、ささやかだけどお駄賃も貰えるしで、良いことづくめだ。
アンパン大使な店長は独特なテンションの変わり者だが、草太の学業を優先させてくれるし、帰りが遅い時は車で家まで送ってくれる良い人だ。変人だけど。
若葉は草太から話を聞いて、すっかり穂香を気に入ったらしく「紫のバラの人」ならぬ「アンパンの人」と呼んで慕っていた(如月家では、食べ物をくれる人=良い人という方程式が、根強く浸透している。たまに、弟が飴一つで誘拐されないか心配になる)
今度、若葉も連れてきてやろうかなぁ、なんてことを考えていると、客がやってきたので、草太は慌ててカウンターから顔を上げた。
「いらっしゃいませー」
「あれ? ……如月君?」
名前を呼ばれて草太は凍りついた。目の前にいるのは、黒髪をボブカットにした小柄な女子……草太の同級生でサッカー部のマネージャーの一之瀬ほたるだ。
まずいぞ、と草太は頰をひきつらせる。
今は部活動停止期間中とは言え、アルバイトをしていたことが顧問の耳に入ったら大目玉だ。下手をしたら、レギュラーから外されるかもしれない。
この公園は高校からだいぶ離れているし、サッカー部の部員でこの近辺に住んでる者はいないから、すっかり油断してた。
「如月君、ここでバイトしてるの?」
青ざめる草太に、ほたるはパチパチと瞬きをしながら訊ねる。草太はしどろもどろになりながら、なんとか言い訳をしようとした。
「いや、その、バイトっつーか、お手伝いっつーか……」
そんな草太の肩をポンと叩いた人物がいた。他でもないアンパン大使な店長その人である。
「バイトじゃないぞ。こいつは、アンパン大使の修行中なんだ」
「ギャアアア! 店長っ、あんた、どこから沸いて出た!」
「店長じゃない! 師匠と呼べ!」
心底どうでもいい。寧ろ、それより今はいかにほたるを説得するかだ。
ほたるは戸惑ったような顔で、草太と穂香の顔を交互に見ている。
「あの、アンパン大使って……」
「おぉう、よくぞ聞いてくれた! アンパン大使とは(以下略)」
穂香がアンパン大使のなんたるかを長々と語るのを聞きながら、草太は頭を抱えていた。
顧問に隠れてバイトしていたというのと、アンパン大使の修行していたというのと……どちらがマシだろうか。
(どっちにせよ、オレの高校生活終わった……優花姉、ごめん。オレ、サッカー部追放されるかも)
今ここにいない姉に謝り倒していると、ほたるが草太を見上げて小首を傾げた。
「如月君はパン屋さんになりたいの?」
「いや、そうじゃなくて……」
「アンパン大使になりたいんだよな!」
「なんでだよ!」
横から口を挟んだ穂香に草太は全力で突っ込んだ。だが、ほたるはアンパン大使という言葉に興味を惹かれたらしい。
「アンパン大使の修行って、どんなことをするんですか?」
「うむ。まずはアンパンに触れ、アンパンを学び、アンパンを愛でることから始まる」
やったことねぇよ、と草太は小声で突っ込んだが、ほたるは穂香の説明に目をキラキラとさせている。
「わぁ、面白そう!」
「よく言った! それなら、今日からお前もアンパン大使だ!」
「えっ、良いんですか? 私もアンパン大使になって」
「うむ。アンパンを愛する心があれば、今日からお前も立派なアンパン大使だ!」
待て待て待て待て、それで良いのか一之瀬。と草太が心の中で叫んでいると、ほたるはサラサラの黒髪を揺らして、草太にニコリと笑いかけた。
「如月君、私もアンパン大使仲間になったみたい」
「あ、あぁ、うん……つか、いいのか、一之瀬?」
「うん、でも、学校のみんなには内緒にしてね」
そう言って、ほたるは人差し指を唇にぴとりと当てる。
「私も、みんなには内緒にするから」
草太は今まで、あまりほたると話したことが無かったのだが、サッカー部の男子が(それこそ、同級生から先輩達まで全員が)「一之瀬ほたるはオレ達の癒し!」と力説していたのを思い出し、納得した。
「あっ、そうだ。今日はパンを買いに来たの。お姉ちゃんがここのパンが好きで……何かお勧めはありますか?」
お勧めを訊ねられた穂香は、鼻息荒く拳を握りしめた。彼女が何をお勧めするかなんて、言わずもがな。
「断然、一押しはアンパンだ! つぶあん、こしあん両方揃ってるぞ! それと、日替わりの栗あんぱんもオススメだ!」
「なら、それを一個ずつと……ベリーデニッシュと、バゲット一本と、ベーグル三つ下さい」
一人で食べるには多い量だ。もしかしなくても家族の分なのだろう。
そんなことを考えながら草太がパンを袋に詰めていると、公園の横に車が停まった。
草太はあまり車に詳しくないのだが、左ハンドルのお洒落な外国車だ。更に言うと乗っている男もお洒落だった。年齢は二十代半ばぐらいだろうか。丁寧に手入れされている茶髪に、甘いマスク。お洒落なスーツをお洒落に着崩しているお洒落上級者だ。
そんなお洒落オーラを全身から漂わせている男は、車の窓を開けてほたるに片手を振った。
「ほたるちゃん」
「あっ、藤咲さん」
「帰りが遅いから、迎えにきたよ。一緒に帰ろう」
藤咲と呼ばれた男は、外国車とブランド物の服がよく似合う男だった。芸能人みたいにスマートで洗練されている。
贅沢嫌いな優花が見たら顔をしかめて、ミーハーな美花が見たら大はしゃぎしそうな、そんなタイプだ。
(誰だろう、あいつ。一之瀬の兄弟……ではないよな)
知り合いなのだろうか。それにしては、やけに親しげだけど……まさか、恋人? いやいやいや、だいぶ年齢が離れているし、まさかまさか、そんなことあるわけ……
「それじゃあ、私、行くね。如月君、また明日!」
「あ、あぁ……」
ほたるは草太に手を振ると、イケメンの車の助手席に乗りこんだ。そうして、走り去る外国車を眺めつつ、穂香がポツリと呟く。
「あれ、モデルだな」
「あ、うん、モデルみたいなイケメンだったな」
「みたい、じゃなくて本物のモデルだぞ。どっかでかいところの専属だ。名前は知らないけど」
穂香の言葉に、草太は驚き目を見開いた。アンパン以外に興味のなさそうなこの人でも、そういう分野に興味を持ったりするらしい。
草太が正直にその感想を口にすると、穂香は「いや雑誌は読まないけど」と首を横に振る。
「駅前でパン屋のポスターの後にあの男のポスターが貼られてて、悔しかったから覚えてる」
「どういう覚え方だよ」
「あの兄ちゃんもうちの常連だぞ。いつもベリーデニッシュとベーグル買っていく兄ちゃんだ」
つまり穂香にとって、あのイケメンは「ベリーデニッシュとベーグル買ってくモデルの兄ちゃん」という認識らしい。
あぁ、これでこそ師匠……と草太は呆れつつも安心した。
(あれ、待てよ……たしか一之瀬が買っていったのもベリーデニッシュとベーグルだったよな)
更に、あの男はほたるに対して「迎えに来た」とか「一緒に帰ろう」とも言っていたが…まさか一緒に暮らしている?
(いやいやまさか。まだ高校生なんだぞ!)
同棲は流石にないだろ。でも、ちょっと軽そうな男だったし……いやでも真面目な一之瀬に限ってそんな……とぐるぐる考え込んでいると、穂香が草太の手にそっとアンパンを握らせる。
「あの女の子にアプローチしたいなら、アンパン持ってけ。きっと喜んで貰えるぞ」
穂香の的外れなアドバイスは、当然聞き流すことにした。




