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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第3章 「ネバーランドに逝った少女に捧ぐ」
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【3ー4】掃除の鬼は気づいてた

 フリークス・パーティ運営委員会本部の医務室は、一見すると田舎の診療所のような朴訥とした雰囲気だが、そこに用意された器具や設備はどれも最新の物ばかりで、下手な病院よりもよほど充実している。

 診察室は手術室や保管庫など複数の部屋と繋がっており、そこには世界中から集められた貴重な医療器具や薬品が揃えられているという。

 こんな馬鹿げた催し事のためにここまでするなんて、無駄なこと極まりないと思わずにはいられないが、その無駄のおかげでクロウ達は最新医療技術の恩恵を受けているのだから文句は言えない。

 機材や設備が一流なら揃えられたスタッフも一流で、モズの毒を受けた優花と、銃撃を受けたクロウはすぐに適切な治療を施された。

 優花は今は静かに眠っているし、クロウも殆ど血は止まっている。元より回復力の高い体だ。銃弾が貫通しているから三日もすれば問題なく動けるようになるだろう。フリークス・パーティ運営委員会の医療スタッフ達は超一流なのだ。


 ……超一流……なのだが……


「はぁい、これで手当ては終了よ。それにしても、相変わらず良い体ねぇ、クロウ。この大腿筋が私好みでイイわぁ……うふ、うふふふふ」

 妙齢の女医は、赤いネイルを施した指先でクロウの太ももをツツーッと撫でて、舌なめずりをした。

 ドイツ出身だというその女医は、長い金髪を緩いアップスタイルにし、白衣の下に下着のようなワンピースを着た、大変目のやり場に困る美女である。

 そんな美女を、シルクハットを被った老人と、ボサボサの髪の青年が交互に嗜める。

「ヘイヤ、患者にセクハラをするでない」

「やぁね、ハッター。これは大事な触診なのよ。やっぱり、大腿四頭筋は良いわねぇ。特にこの大腿直筋ったら、もう涎が出そう……はぁはぁ」

「ヘイヤさん。彼の怪我は腹部だけです」

「分かってないわねぇ、ビル坊や。他の怪我が無いか確かめるのも医者の大事な勤めなのよぉ。……ぁあん、これだから医者ってやめられないわぁ」

 不気味な薄ら笑いを浮かべながら足を撫でまわすな……と文句を言う気力は、今のクロウにはなかった。

 金髪美人女医のヘイヤはフリークス・パーティの医療スタッフ歴が長い。

 当然クロウとも顔見知りなので、治療の度にこうして足だの腕だのを撫でまわされるのもいい加減慣れっこだった。

 もう何年も前から二十三歳を自称しているわ、筋肉フェチで必要以上に患者の体を撫でまわすわで、月島とは別の意味で治療を受けたくない人間である。

 ヘイヤを窘めている二人の男性スタッフは、クロウも初めて見る顔だ。フリークス・パーティ参加歴七年のクロウは医務室の世話になることも少なくなかったから、大抵の面子の顔は覚えている。

 フリークス・パーティのスタッフは口の堅さが重要視されるため、入れ代わりが比較的少ない。

 二年前に大きな人事異動があったが、その時に新しく入ったメンバーだろうか?

 クロウがそんなことを考えていると、クロウの胸にしなだれかかり「大胸筋はぁはぁ」と荒い息を吐いていたヘイヤが、顔を上げた。

「あっ、そう言えばクロウはこっちの二人とは顔を合わせるのは初めてよね? こっちはハッター。うちの新しい主任よ」

「うむ、よろしく頼む」

 ハッターと呼ばれたのは、顎髭を生やした初老の男性だった。医務室のスタッフらしく白衣を着ているのだが、何故かシルクハットを被っていて、それだけがやけに目立つ。ハッターというと不思議の国のアリスで言うところの「帽子屋」だ。そういう意味では正しい衣装なのだろう。

「で、こっちがビル坊や。主にマシンメンテ担当だからクロウとはあまり縁がないかもね」

「……よろしくお願いします」

 ボサボサの前髪で目元が隠れているビルは、見るからに陰気そうな若い男だった。こちらも白衣姿なのだが、ウエストポーチをつけていて、そこから工具をのぞかせている。

 筋肉フェチの変態女医、シルクハットを被った老人、ボサボサ髪の工具男。

 ……優秀なのは間違いないのだろうけれど、なんとも嫌な医療チームである。できればあまり世話にはなりたくない。



 * * *



 治療が終わったところで、クロウは寝ている優花を背中に背負って、医務室を後にした。マンションまではヤマネが車で送ってくれるらしい。

 フリークス・パーティの本部の正体は、都内のホテルである。所有者は勿論レヴェリッジ家だ。普段は一流ホテルとして営業をしているが、年に二回、フリークスパーティの時期だけ、設備を入れ替えて「パーティ仕様」にしている。

 あの医務室も普段はホテルの多目的ルームだ。今はフリークスパーティが近づいているから、資材を運び込んで、医務室にしているのだろう。

 優花を背負ったままホテルの正面玄関から出るのは目立ちすぎるので、フリークス・パーティを知る人間だけが使う、裏出口をクロウは歩く。

 出口まであと少し、というところで、クロウは非常灯の下に不愉快な人物を見つけた。

 できれば見なかった振りをしてしまいたいが、クロウの存在に気づいたそいつ──笛吹は、ニヤニヤ笑いを浮かべながら近づいてくる。

「モズ、死んじゃったんだって? しかも、お腹で真っ二つとか。ぐろーい、こわーい」

 頭の悪い女みたいに語尾を伸ばす喋り方がなんともイラッとくる。

 笛吹はクロウの横に周りこみ、クロウに背負われた優花の寝顔を覗き込んだ。

「普通の女の子がさぁ、そんなの見たら発狂したっておかしくないよねぇ。大会中や大会終わった後で発狂しちゃった子が何人いるか知ってる?」

「何が言いたい」

「いくら君のお姫様が鈍くたって、そろそろ気づく頃だよねぇ……フリークスの本当の意味に」

 笛吹は優花に「フリークス・パーティとはバケモノの宴」と宣言している。だが、笛吹の言う「フリークス」や「化け物」の意味を優花は何も知らない。クロウが教えなかった。

「ねぇ、もう一回訊くよ? 君が隠していることに彼女が気づいた時……君は彼女をどうするの?」

 クロウは唇を噛み締め、足元を睨む。何も答えられなかったのだ。

 笛吹は耳障りな笑い声をこぼしながら、黙って立ち尽くすクロウの横を通り過ぎる。

「楽しみだねぇ。グロリアス・スター・カンパニーが誇る最強最悪のフリークス《死肉喰らいの凶鳥》さん」



 * * *



 ヤマネが運転する馬鹿みたいに長い高級車で、クロウがマンションに戻ったのは日付が変わるか変わらないかという時間だった。

「送らせて悪かったな。感謝する」

 ここまで送ってくれたヤマネに礼を言うと、ヤマネは細い眉を下げてクロウをじっと見た。

「クロウ様。サンドリヨン様に隠しごとをしたままフリークス・パーティに参加させるのはフェアではないのです」

「お前まで、笛吹と同じようなことを言うのか」

 苛立ちを隠そうともせず、鼻の頭に皺を寄せて呻くと、ヤマネは悲しそうな顔で眠る優花を見る。

「フリークス・パーティが始まってからでは遅いのです。サンドリヨン様がフリークスの意味を知らないのなら、それを教えるのがパートナーの役目なのです」

 ヤマネが言っていることは正しいし、笛吹のような悪意は無い。このメイドは純粋に善意で忠告をしてくれている。それでも、クロウは頷くことができなかった。

「……こいつは、何も知らなくていいんだ」

「騎士が姫を蔑ろにしているのは、いつ見ても気分の良いものではないのです。どうか、あなたの姫を大事になさいませ」

「口出しするな」

 クロウは優花を抱きかかえ、無言で車を降りる。

 ヤマネは瞼を伏せて、頭を下げた。

「……差し出がましいことを申しましたこと、お許しください……それでは、お休みなさいませなのです」



 * * *



 自室に戻ったクロウは、優花を寝室のベッドに横たえた。ここに来るまでに優花が包まっていた毛布を、ぎゅっと握りしめて手放そうとしなかったので、毛布に包んだままベッドに寝かせ、その上から布団をかける。少し暑そうだが、優花は寒がりだから丁度いいだろう。

(大丈夫。大丈夫だ)

 まるで暗示をかけるみたいに、クロウは自分に言い聞かせる。

 こいつは逃げたりしない。絶対にばらしたりなんかしない。隠し通してみせる。絶対に美花の時のようなヘマはしない。

 何も知らないまま、ただ傍に居てくれるだけで良い。それだけでクロウは救われる。

 だからどうか、知ろうなんて思わないでくれ。

「……お前は何も知らないままでいい」

 祈るような思いで声に出す。優花は身じろぎ一つしない。疲れきって、深く眠っているのだろう。

 今なら大丈夫だろうと、クロウはクローゼットから着替えを取り出し、身につけていた服を脱ぎ捨てた。

 受けた傷が脇腹だったのは幸いだった。場所によっては、かなり面倒なことになっていたからだ。

 念のため、今日はシャワーは控えて、着替えをするだけにとどめたい。

 クロウは血の付いたシャツを放り捨て、用意しておいた新しいシャツに手を伸ばす。

 その時、背後で布団がずり落ちる音がした。


「……クロウ」


 暗い寝室にその呟きはやけに大きく聞こえた。

 嘘だ。嘘だと言ってくれ。

 クロウはゆっくりと首だけを動かして後ろを振り向く。

 優花はベッドから下りて、毛布を肩にひっかけたままクロウを見つめていた。

 その目は真っ直ぐに、クロウの上半身に向けられている。

「……その、体」

 鎖骨から二の腕までを覆う、カラスのような黒い羽。

 肘から先は羽毛がないかわりに骨格が異様に細くなり、黒い鱗で覆われている。手の指は辛うじて五本あるが、鳥の足のような形に歪み、湾曲した太い爪の先まで黒く染まっていた。

 不意に思い出したのは、クロウをこんな体にした月島の声。


 ──お前は、我がグロリアス・スター・カンパニーが誇る合成獣として生まれ変わったんだよ!


 違う、違う! こんな気味の悪い手、オレの手じゃない! 肩を覆う羽もオレのものじゃない! だって、人間に羽なんてない!!

 そう叫ぶクロウを見下ろし、月島は聖母のような笑みを浮かべ、こう言った。

 何を言っているんだい、坊や? お前はもうとっくに……


 ──人間じゃ、ないんだよ


 人間には無い黒い羽、歪な形の手、気味の悪い体。

 この体を偶然見てしまった美花は「こっちに来ないで!!」と悲鳴をあげて逃げ出し、もう戻ってこなかった。


(ばれた。ばれたばれたばれたばれたばれたばれたばれたばれた。怯えられるのも拒絶されるのももう嫌だ嫌なんだどうすればいいどうすればどうすればどうすれば。そうだ悲鳴をあげられる前に喉を潰してしまわなくては。それから逃げないように手足を潰して鎖で繋いで……)


 恐怖と絶望がクロウの心を歪める。悲鳴をあげる喉は潰してしまえ、逃げる足は折ってしまえ。そうすれば、きっと自分は安心できる。

 衝動のままに、クロウは優花に手を伸ばす。黒くていびつな気持ち悪い手。その手を優花はじっと見つめ、言った。

「やっぱり鳥だったのね」

 言われた言葉の意味が分からず、クロウは硬直した。

 優花は怯えるでもなく、何やら納得したような顔でうんうんと一人頷いている。

「クロウならきっと、蛇よりは鳥だなぁと思ってたのよね。あ、でも手はちょっと鱗生えてる……指の骨格も違うのね。だから、お箸が持ちづらかったんだ」

 あろうことか、優花はクロウの手を取ると真っ黒な爪を指で撫でて「わっ、硬い」などと感心したように呟いている。

 クロウは呆然としながら、優花に問いかけた。

「お前、知ってたのか? オレが人間じゃないって」

「人間じゃないの?」

「だって、こんな、おかしいだろ、どう考えても」

「人間に見えるけど。あえて言うなら羽の生えた人間?」

「なんで、そんな、落ち着いてんだよっ!!」

 おかしい、絶対におかしい。だって、こんな気持ち悪い化け物を見たら普通は気味が悪いって思うものだ。

(きっと、こいつは強がってるんだ。わざと怯えてないふりをしてるけど、内心はオレのことを気持ち悪いって思ってるに決まってる!)

 だが、クロウの心の叫びをぶった切るように、優花は溜息を吐いた。それも、心なしか呆れたような顔で。

「……あんた、私のことを相当なアホだと思ってたでしょ。悪いけど、薄々、何かあるんだろうなぁぐらいは感じてたわよ」

「……は? そんな……いつ、から……」

「掃除や洗濯をしてて、あちこちで羽を見かけるから不思議に思ってたのよ。あと、笛吹さんがやたら意味深な発言してたし。そこに今回の事件でしょ。私を誘拐したあの人の、蛇みたいな鱗、最初はビックリしたけど、もしかして、笛吹さんが言ってたのはこのことだったのかな、って」

 優花は鈍感だが、馬鹿ではなかった。与えられたヒントを元に彼女なりに考えていた。

「……そう考えればクロウが隠してることなんてだいたい想像つくわ。あなた、不自然なぐらい服や手袋を着込んでるし。寧ろ、これで気づかない方がアホでしょ」

 気づくわけがないと、高を括っていたクロウは絶句した。

 ポカンと目と口を開いて立ち尽くしていると、優花が一歩クロウに近づく。

「その羽、触ってみてもいい?」

 顎を引くみたいに小さく頷くと、優花はクロウの肩の羽を指先でそっと撫でる。墨色の鱗と黒い爪のはえたクロウの指とは違う、温かくて柔らかな指だ。

「わっ、思ったよりすべすべしてる……あ、でも根元の羽はふわふわなのね」

 フカフカー、気持ち良いー、と優花はやけに機嫌良さげに羽を撫でている。

 クロウは頭がいっぱいになってしまって、何を言えば良いのか分からず、されるがままになっていた。

 今までこんな風にクロウに触れてきた女なんていなかった。

 クロウの体のことを知っていて姫になった女でも、抱かれる時は服を脱がないでくれと懇願した。知らずに目にした女は悲鳴をあげて泣きわめいた。美花だって「近づかないで!」と叫んで逃げた。

「お前はオレが怖くないのか?」

 掠れた声で呟くと、優花は顔を持ち上げてクロウを見上げる。

「怖いわよ。でも、私があんたを怖いのは、あんたに羽や鱗があるからじゃない」

 優花の眼は怖いぐらいに真っ直ぐだった。真っ直ぐに異形の化け物であるクロウを見ていた。

「私があんたを怖いと思うのは、あんたがあんまり簡単に誰かを殺すとか言うからよ。あんたはあの蛇みたいな男の姫を殺したんでしょう? だから、あの男はあんたを恨んで復讐しようとしたんでしょう?」

「……あぁ、そうだよ。殺したのはあいつの姫だけじゃない。騎士だろうが姫だろうが……試合に勝つためなら何人だって殺したさ」

 答える声の語気がだんだんと強くなる。

 クロウを責めるような口調の優花に、クロウは段々と腹が立ってきたのだ。

「敵の姫を殺したことを、お前は責めるのか? 殺さなければ自分が殺されるような場所で、それでもお前はオレを責めるつもりか? 自分の命と他人の命、天秤にかけたら、どちらに傾くかなんて考えるまでもない!」

「あんた馬鹿? そもそも、命を天秤にかけること自体が間違ってるわよ」

 クロウの言い分をバッサリと切り捨てた優花は、けれど、苦しげな顔をしていた。

 笛吹みたいに馬鹿にするでもなく、憐れむでもなく、ただ苦しんでいた。

「……とは言え、実際に大会に参加していない私があれこれ綺麗事並べたって、意味がないことぐらいは分かってる。だから、そのことであんたを責める気はないわ」

 優花は言葉を切ると、腹の前で両手を組み、問いかける。

「ただ、教えてほしい。なんで、あんたはフリークス・パーティに参加するの?」

 それだけは教えてほしいと、優花は一言一言区切るように言う。

「見たところ、お金に困っているわけではなさそうだし……かと言って、殺しを楽しんでいるようにも見えなかった。私は、あの男から私を助けてくれたあんたを信じたい。自分の命と引き換えに私を解放しろと言ってくれた、あんたの言葉を信じたい」

 信じているからこそ教えてほしいのだと、優花は言う。

 クロウが何のためにフリークス・パーティに参加するのかを。

 優花は妙なところで勘の鋭い女だ。きっと、適当な嘘や言い逃れは通用しない。

 クロウは諦め顔で細く長いため息を吐いた。

「お前と同じだ。逃げられないんだよ、オレは」

「……え?」

「オレはグロリアス・スター・カンパニーに売られて、人体実験を施された生物兵器だ。この気味悪ぃ手を見れば分かるだろう? 遺伝子を操作されて、体のあちこちをいじられてる」

 いじられたのは外側だけじゃない。体の内部も、だいぶ普通の人間と違う。そうなると、どうしたって歪みは出てくるのだ。

「……だからこそ、生命維持のためには薬がいる」

 薬が欲しいならフリークス・パーティに出ろ──それが、月島達グロリアス・スター・カンパニーの意向だ。

 クロウの言葉に、優花は驚き目を見開いていたが、顎に手を当てて何やら思案しだした。どうやら、情報を整理しているらしい。

「グロリアス・スター・カンパニーって、確か製薬会社よね? なんで、そんな会社がそんなことを……」

「フリークス・パーティは表向きは金持ち達の道楽だが、本当の目的は生物兵器のお披露目会だ。どいつもこいつも、自分とこの生物兵器を売り出すのに必死なんだよ」

 クロウはグロリアス・スター・カンパニーが秘密裏に開発する人型キメラの貴重な成功体であり、看板商品だ。だからこそ、月島は絶対にクロウを逃がさない。

 クロウの説明を聞いていた優花は、控えめに訊ねた。

「逃げようと思ったことはないの?」

「一度、薬を盗んで、その成分を調べようとしたことがある。結局ばれたがな……その時、どんな目に遭わされたか知りたいか?」

 優花は真っ青な顔で俯く。それが正解だ、とクロウは声に出さずに呟いた。クロウだって、わざわざ思い出したくはない。

 フリークス・パーティで得た賞金の何割かはクロウの懐に入るので、金はある。その気になれば、月島をはじめとしたグロリアス・スター・カンパニーの研究員を皆殺しにするだけの力もある

 それでも、クロウは逃げられない。月島が作る薬が無いと生きていられないから。

 月島に歯向かわず従順にして、月島が望む結果さえ出せば、クロウは薬を貰えるし、条件付きではあるが、こうやって研究所の外で暮らす僅かな自由が貰える。

「……オレにこれ以上どうしろって言うんだよ」

 二年前、初めてフリークス・パーティで優勝した時、ようやく研究所の外で暮らすことを許された。

 それでも条件は多かった。定期的に身体検査を受けること、会社からの任務は全て受けること、フリークス・パーティで一定以上の成績を維持すること。

 面倒な条件は多かったが、それでも息が詰まるような研究所での暮らしに比べれば、ずっとましだった。もう二度とあんな所に戻りたくない。

 こんな話を聞いて、優花はどう思うだろう? 

 ずるいクロウは、お人好しのこいつなら同情ぐらいはしてくれるんじゃないかと、頭のどこかで考えていた。

 同情をひくために事情を話した訳じゃない。それでもどこかで、優花の優しさと甘さに付け込もうという気持ちはあった。

 だが、クロウの姫はクロウが思っているよりも遥かに手厳しく、そして、想像の斜め上を豪快にぶっ飛んでいく。

「あんたの事情は分かった。でも、私は自分の考えを曲げるつもりはないわ。自分の命のために誰かを殺すなんて認めない」

 そのまま、続く言葉でオレを拒絶するのか。

(嫌だ、そんなの聞きたくない!)

 耳を塞ごうとしたクロウに、優花は強い口調で断言する。

「だから、私は宣言するわよ。クロウ、この大会で私はあんたに誰も殺させない」

「……お前、何を、言って」

「言葉の通りよ。私はあんたのパートナーとしてフリークス・パーティに参加する。そこで、あんたが誰かを殺そうとしたら、全力で邪魔をするわ。あんたには誰も殺させない。そんなの私が許さない」

 そうして優花はふんすと鼻を鳴らして、クロウを見据える。

「私は逃げも隠れもしないわ。あんたに『うざい消えろ』って言われても、離れてなんかやらない。徹底的にまとわりついて、邪魔してやる」

 この時、胸に浮かんだ感情を何と言えばいいのか分からない。

 ただ、胸の奥がカッと熱くなるような感覚が、クロウの余裕を根こそぎ奪い取った。


 こいつに負けたくない。

 こいつを従わせたい。

 こいつが欲しい。


 そんな感情の奔流に頭の神経が焼き切れそうだ。それと同時に、最近少しだけ引っ込んでいた自尊心が嗜虐心を引きつれて蘇る。

 そうだ、優しくして懐柔しようだなんて、あまりにも自分らしくないやり方だった!

 気がつけばクロウは、喉を鳴らして笑っていた。

「このオレにそこまで言ったからには……何があっても、逃げるなよ」

「だから、逃げないって言ってんでしょーが」

 クロウは優花の腕を掴んで引き寄せ、細い背中をかき抱くように強く抱きしめる。

 優花は驚いたような顔をしたが、それでも逃げようとはしない。

「逃げないお前が悪いんだ」

 そう意地悪く言うと、優花はクロウの背中に手を伸ばした。

 肩甲骨、人類が進化した際の羽の名残と言われているそこは、クロウの場合、少しだけ普通の人よりも骨が盛り上がっている。肩甲骨周辺に生えている羽も一番大きい。

 サンドリヨンの指が背中のひときわ大きい羽を撫でた。毛づくろいをされているみたいで、少し気持ち良い。

 甘えるみたいに少しだけ喉を鳴らすと、優花はフハッと息を吐いて笑った。

「昔ね、鳥の雛を拾ったことがあったの。裏山でこっそり飼って餌をあげてたら懐いてね。羽がぽわぽわしてて可愛いのよ。あんた、ちょっとその子に似てるわ」

「……それは、オレは怒っていいところだよな」

「可愛いなって言ってるんだから怒らないでよ」

「…………」

 本当に変な女だ。

 クロウの言うことを全然聞かない癖に拒絶もしない。

 ただ、羽を撫でる指が思いのほか気持ち良かったので、鎖骨の羽をぐりぐりと頭に押し付けたら、そこも指でくすぐるように撫でられた。

 どうやら彼女の頭の中では、生物兵器もカラスの雛も大した違いはないらしい。

 腹立たしいような、くすぐったいような、むず痒いような、妙にふわふわして温かい気持ちで、クロウは大人しくサンドリヨンに撫でられていることにした。


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