【epilogue・1】不思議の国の夢から覚めて
『突然のお手紙を申し訳ありません。
私は、貴方がドイツ留学した際に交流のあった、シャーロットの甥、エディ・レヴェリッジと申します。
先日、叔母のシャーロットが亡くなりました。
その際に遺品を整理したところ、叔母があなたからいただいたオルゴールを見つけました。
生前、叔母がとても大事にしていたそのオルゴールの由来が気になり、当時を知る使用人に訊ねたところ、貴方様のことを知った次第です。
叔母はいつか、あなたのいる日本に行きたいと願っていたようですが、とても病弱で、生涯家を出ることができませんでした。
叔母の想いの籠もったオルゴールを見た私は、せめて叔母の気持ちの籠もったこのオルゴールだけでも、叔母が行きたいと願い続けた日本に連れて行くことはできないかと思い、こうして筆を取りました。
ご迷惑かとは思いますが、どうか、叔母の遺したこのオルゴールを、貴方の手元に置いてもらえないでしょうか。
それが、私が叔母にしてやれる一番の弔いだと思うのです。
もし、あなたが叔母のことを忘れているようでしたら、このオルゴールは着払いで送り返していただいて構いません。
ですが、もしも貴方が叔母のことを一欠片でも覚えているようでしたら、どうか、叔母を貴方のそばで眠らせてやってください。
心より、お願い申し上げます。
レヴェリッジ家当主 エディ・レヴェリッジ』
灰色の髪の少年は書き終えた手紙を読み直すと、そばに控えるメイドに差し出した。
「これで良いかい、ヤマネ」
「はい、ありがとうございますなのです、アリス様」
ヤマネは手紙の中身を確認すると丁寧に封をして、梱包したオルゴールに添えた。
その作業を眺めながら、灰色の髪の少年は「ヤマネ」と悲しそうな顔で告げる。
「ボクはアリスじゃないよ。エディ・レヴェリッジだ」
シャーロット・レヴェリッジ、エディ・レヴェリッジ亡き後、アリスはクラーク譲りの美しい金髪を灰色に染めた。更に青い目を覆うようにアンバーのカラーコンタクトを入れ、白く美しい肌にそばかすの刺青を施し、そうして彼は、エディ・レヴェリッジを名乗った。
フリークス・パーティの会場で起こった「事故」で死んだのは、シャーロットとアリスだと周囲に偽り、彼はレヴェリッジ家の当主に就任したのだ。
まだ十歳の少年が十七歳の兄の名を騙るのは、容易なことではない。それでも彼は、ヤマネと有能な後見人に支えられ、今もフリークス・パーティの後処理に追われていた。
一ヶ月前に起こったフリークス・パーティの騒動は、表向きは別荘地の建物崩壊事故として処理されている。
フリークス・パーティの責任者シャーロット・レヴェリッジが死亡した以上、被害者や遺族達も、慰謝料や見舞金という名目でレヴェリッジ家が金をばらまけば、殆どが納得して引き下がった。
フリークス・パーティは、その存在自体が隠匿されており、関わりを表沙汰にされると、参加者側も都合が悪い。下手に騒ぎ立てることは、自身が違法行為に関わっていると大声で吹聴するも同然だと、有権者達は理解していた。
今のアリスは、そんな彼らへの謝罪と賠償の書類を粛々と用意する日々である。レヴェリッジ家の当主エディ・レヴェリッジとして。
「ボクは、エディ・レヴェリッジだ。誰が聞いているか分からないから、徹底してほしい」
少年が固い声で告げると、ヤマネは悲しそうに眉を下げて、新しい主人をじっと見つめる。
「……誰かが呼ばないと、アリス様の存在をみんなが忘れてしまうのです。それは……とてもとても悲しいことなのです」
「大丈夫だよ、ヤマネ……幼いアリスを、忘れずに覚えていてくれる人がいることを、ボクはちゃんと知っているんだ」
目を閉じれば、瞼の裏に思い浮かぶのは、一緒に洞窟を探検してくれた二人の姿。
水切りや笹船を教えてくれたサンドリヨン。
坊主と呼んで、頭を撫でてくれたグリフォン。
きっと彼らは忘れない。幼いアリスという少年がいたことも。非業の死を遂げた本物のエディ・レヴェリッジのことも。
「不思議の国の夢は終わったんだ。ボクは、大人にならなくちゃ」
少年がどこか晴れやかな顔で呟くと、勢い良く部屋の扉が開いて、有能な「後見人」が涙目で駆け込んで来た。
「大変大変大変ですよぅぅぅぅぅ、あぁ、もう、この一ヶ月大変じゃないことってあったっけ? いやもう、何から何まで大変なんですけどね!? 聞いてくださいよ、美花さんがボクに『私達、一緒に危機を乗り越えた友達だよねー? 友達なら、一緒にご飯しよ!』とか言うんで、わーいご飯だーってホイホイ言ってみれば、なんか立派なお店に怖いおじいさん達がズラリ! 〈修羅〉の岩槻源治氏とか、深海財閥の会長とかがですね、ボクを取り囲んで、今後のことを相談しようやとか言ってくるんですけど、あれ相談って空気じゃなくて脅迫! ジャパニーズヤクザ怖い!」
「お帰り、ハルト。大変だったね」
少年がおっとりと労えば、彼の後見人のハルト・マルシュナー青年はさめざめとその場に泣き崩れた。
「折角、後見人として一生遊んで暮らせるだけのお金を貰ったのに、一生遊んで暮らせる気がしない量の仕事が山積みなんて酷すぎるあんまりだ、使いっ走りに戻りたいぃぃ……いやいっそ、何も考えなくていい丸太になりたい。丸太っていいなぁ、怖い思いをしなくていいんだもの」
「うん、それで交渉の結果は?」
少年が促せば、ハルトはめそめそべそべそしながら、胸に抱えた書類を差し出した。
そこには、フリークス・パーティの終了と、裏闘技会〈修羅〉の復興に関することがまとめられている。
内容は概ねアリスの望んだ通りだ。フリークス・パーティは幕を閉じ、これからは裏社会の闘技会として〈修羅〉が台頭する。
〈修羅〉は当然違法の裏闘技会であるが、殺人や武器の使用は御法度の格闘戦だ。フリークス・パーティをあぶれ、血に飢えた連中は、今後はこちらに流れていくことだろう。
フリークス・パーティの出資者も、その半数以上が〈修羅〉側についた。かつて〈修羅〉を裏切った企業は肩身が狭い思いをするだろうが、鷹羽コーポレーションが橋渡しと調整をする算段になっている。
レヴェリッジ家の権力は地に落ちたも同然だが、少年はそれで構わなかった。
彼が望んだのはフリークス・パーティの幕引きと、フリークス・パーティが無くては生きていけない者達の救済だ。そして、ハルトの交渉は彼の望みを全て満たしている。ハルトは泣き言が多いが、実に有能な後見人であった。
一度流出した技術は回収のしようがないが、キメラ研究に関しては間違いなく下火になるだろう。
現存するキメラ達の受け入れ先も、ある程度の目処が立っている。
その受け入れ先に滞在中のグリフォンのことを思い出し、少年はポツリとつぶやいた。
「……そういえば、オジサンも〈修羅〉の闘技者になるって、言ってたっけ」
元気にしてるかなぁ、と呟き、少年は窓の外に目を向ける。
フリークス・パーティの後始末が終わったら、一度顔を出しに行きたい。
「えぇと、どこだっけ……日本の……」
少年は額に指をトントンと当てて考えこみ、そしてようやく思い出した地名を口にした。
「そうだ、ホッカイドー!」