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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第17章「十二番目の娘の願い」
156/164

【17-15】そうして二人は、いつまでも、いつまでも幸せに……

 フリークス・パーティの運営に携わり、〈女王〉を名乗ると決めた時に、シャーロット・レヴェリッジは決意していた。もし、クラークが永遠の命を手にしたら、その時はクラークの目の前で自害しようと。

 だからこそ、彼女は今まで静かに窺っていた。クラークに絶望を与える最適な瞬間を。


「……シャー……ロット?」


 機械人形の唇が、掠れた声で最愛の妹の名を呼ぶ。

「あぁ、あああ、シャーロット、シャーロット、やめなさい。そんなことをしたら本当に死んでしまう。あぁ、でも、安心しておくれ。お前の体は、それはそれは丈夫に作ってあるんだ。私が必ず生かしてあげるから……」

 そうだ、この男はきっとありとあらゆる無理と無茶を通して、己の欲望を成就させようとするだろう。

 もしかしたら、心臓が潰れても愛しい妹を生かそうとするかもしれない。

 だからこそ、彼女はクラークの希望の種を完全に摘む必要があった。

「あたくしを愛していると言うのなら……ここで共に死になさい、クラーク・レヴェリッジ」

 〈女王〉は、その青い目をギラつかせて、クロウの足元に転がる槍に視線を走らせた。

 クロウが何かを察して、ハッと目を見開く。

 血に汚れた〈女王〉の唇が、美しくも壮絶な笑みを浮かべる。

「あたくしの……」

 フリークス・パーティの〈女王〉は、死を告げる鳥に命じる。

 〈女王〉に相応しい高慢さで、高らかに。



「首をお刎ね!」



 クロウは左手でサンドリヨンを抱いたまま、足で槍を蹴り上げる。そうして浮き上がった槍を右手で掴み、彼は飛んだ。不吉の象徴の黒い羽を撒き散らして。

 横薙ぎに振るわれた彼の槍が、〈女王〉の首を切断する。

 血飛沫が花のようにパッと飛び散り、艶やかな蜜色の髪がくるくるとその中を舞った。

 瞬きを一つ二つするだけの短い時間、室内は血生臭くも美しい赤と金に彩られ、そしてボトリと首の落ちる音が現実に引き戻す。

 血に濡れた首はまるで意思を持っているかのように、コロコロとクラークの足元に転がった。そうして少女人形の爪先にぶつかって、兄を見上げるように上を向いたまま動きを止める。

 七十年以上の壮絶な人生を生きた女の死に顔は、瑞々しい少女の面影を残したまま、〈女王〉の肩書きに相応しい高貴な笑みを浮かべていた。

 笑みの形のまま二度と瞬くことの無い青い目が、少女人形に宿る兄を鏡のように写す。だが、紅に彩られた美しい唇は、もう言葉を紡ぐことはないのだ。

「あ、あぁ……シャーロット、シャーロット、あぁ……あああ……」

 クラークは震える手で〈女王〉の首を、己の顔の高さまで持ち上げる。まるで見つめ合おうとするかのように。

 少女人形の顔は、目から額にかけて大穴が空き、目が潰れている。涙など流れるはずもない。それでも、穴からぼたぼたと流れ出る脳漿が、まるで涙のように少女人形の頬を濡らした。

 少女人形の顔が潰れていても、クラーク・レヴェリッジの絶望が全身から伝わってくる。

 この絶望こそ、シャーロット・レヴェリッジが己の命を代償にしてでも、クラークに与えたかったものなのだ。

 クラークはしばし絶望に打ちひしがれているようだったが、やがて〈女王〉の首を胸に抱いたまま、ノロノロと立ち上がる。その唇が、人間には理解できない複雑な言葉を早口に紡いだ。

 途端、彼の背後にある機械が一斉にランプを点滅させて、不吉なアラーム音を響かせる。少し遅れて、洞窟全体が振動を始めた。

 悪寒に、クロウの羽がぶわりと膨らむ。

「てめぇ、何を……っ」

 クラークはクロウになど目もくれず、愛妹の首に母国の言葉で話しかけていた。


『あぁ、可愛い可愛いシャーロット。今ここに、お前の棺桶を作ってあげようね。この実験室には、非常時に証拠が隠滅できるよう、複数の爆弾が仕掛けてあるんだ。それを全て起動させたよ。誰も私達の眠りを妨げることはない。ここで二人で、一緒に眠ろう。いつまでも、いつまでも……』


 最近はすっかり使う機会の減ってしまった母国の言葉。その意味を理解したクロウは、真っ青になって叫んだ。

「全員、ここを離れろっ!! 爆弾だ!!」

 その時、激しい縦揺れの衝撃が部屋全体を襲った。天井に亀裂が入る。

「走れぇっ!!」

 叫びながら、クロウは腕の中に己の姫をしっかりと抱いて、床を蹴った。

 鼓膜が破れそうなほどの轟音と共に、天井が一気に瓦解する。


『そうして二人は、いつまでも、いつまでも幸せに……』


 稀代の天才と呼ばれた男と、その男に人生を狂わされた哀れな妹の姿は、瓦礫の奥に消えて、やがて見えなくなった。



 * * *



「悪役が最後に自爆って、お約束だよなー。いやぁ、ここまでお約束テンプレが目白押しだったんだから、それも想定しとくべきだったわー」

 ウミネコは能天気な口調でそう言うが、状況はそんなにお気楽なものではない。

 一行はクロウの叫びに反応して、咄嗟に部屋を飛び出したが、爆発の余波は他の場所にも及んでいる。

 既に半分以上が崩れ落ちている通路を駆け抜け、隠し扉を潜れば、クロウ達がガスで眠らされた実験室に出る。

「洞窟の外に出るぞ! 急げっ!」

 一度洞窟を通ったことのあるグリフォンが先導し、それにウミネコ、アリス、エディが続く。ジャバウォックとエリサも、無言で彼らの後に続いた。

 ウミネコは少しだけペースを落として、足が遅れているクロウに声をかける。

「クロちゃん、大丈夫?」

「……あぁ、止血はした。すぐに治療すりゃ、助かる」

 そう言ってクロウは腕の中のサンドリヨンを見る。彼女は意識が途切れかけているのか、血の気の無い顔でぐったりとしていた。

 ウミネコはちらりとクロウの顔を見て何か言いかけたが、結局口を閉じて、クロウの先を走りだした。

 ウミネコが「大丈夫?」と聞いたのはクロウの体調のことだったのだろう。だが、そうと分かっていて、わざとクロウはサンドリヨンの容態を答えた。

 洞窟が崩壊していくのと同じだけの早さで、自分の体も崩壊していくのが分かる。モルヒネを使っていてもなお、強い痛みが手足や内臓に侵食しだしていた。心臓の鼓動が次第に弱くなっていく。もう、残された時間は少ない。

 またどこかで爆発音が聞こえた。強い振動と共に、洞窟の一部が瓦解する。

「グッさん!!」

 ウミネコが切羽詰まった声で叫ぶ。先頭を行くグリフォンの頭上から、大きな岩の塊が転がり落ちようとしていた。咄嗟にグリフォンが腕を伸ばすが、彼一人でどうにかできる大きさではない。

 それでもグリフォンは、その両腕で岩を止めようとした。先頭を行く彼が道を開かねば、後続の若者達の未来が閉ざされてしまう。

 それだけはさせるものかと、グリフォンが両の足で踏ん張ろうとしたその時、彼の背後で岩壁が崩れた。

 前方から大岩、後方から崩れた岩壁。その二つに挟まれたグリフォンの姿が、土砂の向こう側に消えていく。

「おじさぁぁぁぁんっ!」

 アリスが叫んだその時、土砂に太い腕が割り込んだ。太い腕は、灰色の毛並みに覆われている。

 異形と化したエディ・レヴェリッジは咆哮をあげながら、岩と土砂の間に割り込み、その両腕を突っ張らせた。

 大岩の動きは辛うじて止まるが、ざらざらと崩れる細かな土砂までは押し留めることができない。それでもエディはその背中で土砂を押し退けようとする。

 土砂に埋もれかけてぐったりしているグリフォンを、ウミネコがゴボウのように引っこ抜いて肩に担ぎ、エディの腕の下をトンネルのように潜り抜ける。サンドリヨンを抱いたクロウと、ジャバウォック、エリサもそれに続いた。

 だが、アリスだけが、エディの下を潜ることなくその場にとどまる。

 ウミネコに担がれたグリフォンが、薄目を開けて、口に入り込んだ土砂混じりに言葉を吐き出した。

「……ぼう、ず…………?」

「オジサン、ボク、ここに残るよ」

 アリスは幼い顔に決意の色を滲ませて告げる。

 無邪気さとは程遠い、泣き笑いじみたその顔は、悲壮な覚悟に満ちていた。

「クラーク・レヴェリッジの負の遺産は、ここで全て……瓦礫の下に眠らせなくてはいけない」

 永遠の命を望んだクラークの、悲願の集大成がアリスだ。

 だが、クラークは完全に死に絶え、その後継者もいなくなった……クラークの野望を象徴する存在で、残っているのはアリスだけなのだ。

「だから、ここでサヨウナラ」

「……っ、馬鹿言ってんじゃ、ねぇ! クラークが死んだらっ、お前はもう自由だろうがぁっ!」

 グリフォンが吠えても、アリスは悲しそうな笑顔のまま片手を振るだけだった。

 また、洞窟が大きく揺れる。アリスは土砂を押しとどめているエディを見上げて笑う。

「エディ、もういいよ……自由になるのはボクじゃない。エディだ……」

 エディに笑いかけるアリスの顔が凍りつく。

 エディは岩を押しとどめていた腕の一本をアリスに伸ばして、その小柄な体を掴み、グリフォン達の方に放り投げた。その反動でエディの体は土砂の方に倒れ込む。支えを失った大岩が、エディの体を押し潰す。

「エディーーーーーーーっ!」

 叫ぶアリスの体を、ウミネコがヒョイと小脇に抱えた。

「やだ、やだ、待って、待って、違うんだ、ボクじゃない、ボクじゃないんだよ。エディを……っ!」

 泣き叫び、手足をばたつかせるアリスに、岩の下敷きになったエディが告げる。

「ありす、ありす…………あ、あぁ……………あり、す……………」

 飼い主の名前を繰り返すだけの灰色の猫は、理性も知性も奪われた哀れな異形だ。

 その虚ろに名前を繰り返していただけの口が不器用に持ち上がり、下手くそな笑みを刻む。


「……はやくいけよ……ばかありす」


 土砂が一気にエディに向かって雪崩れ込み、灰色の毛並みを覆い尽くす。その大きな体も、立派な腕も、不器用に笑う顔も。

 ウミネコに担がれたアリスは、限界までその目を開いて、大好きな兄の最期をその青い目に焼き付ける。

「……エディ……なんで……なんでぇ……」

 嗚咽混じりの声にならない声で、アリスは泣きじゃくる。

 右手でグリフォン、左手でアリスを担いだウミネコは、その悲痛な声を聞きながらボソリと呟いた。

「兄貴ってのは、そういう生き物なんだよ」

 呟き、ウミネコは前方を睨む。また、大きな岩が一つ転がり落ちてきた。ギリギリで通ることはできるが、これ以上岩が落ちてきたら、脱出は困難になるだろう。

 特にウミネコは両手が塞がっているから、落石に咄嗟の対応はできない。

「グッさん、あとはここをまっすぐ?」

「あぁ、そうだ……そしたら、外に繋がる亀裂がある」

 グリフォンの言う通り、前方にはほんの僅かに光が見えた。だが、その直前でその光が閉ざされる。大きな岩がまた一つ、入り口を塞いだのだ。

 ジャバウォックが一歩前に出て、剣を抜いた。

「退きねぃ」

 彼が剣を横に払えば、岩はまるで豆腐でも切ったかのようにすっぱりと真っ二つになる。

 再び現れた外に繋がる光に、ジャバウォックがエリサを引っ掴んで飛び出した。続いてウミネコがグリフォンの体を穴の外に雑に放り投げ、それからアリスを抱えて狭い穴を抜け出す。

 早朝のひんやりとした空気が肌を刺し、木々の隙間からは上りくる朝日が見えた。足元では霜がサクリサクリと音を立て、吐く息は白く曇る。冬が近いことを予感させる早朝の空気だ。

「クロちゃん、先にサンドリヨンちゃんを……」

 亀裂は狭いから、サンドリヨンを抱えたまま抜け出すのは不可能だろう。先に外に出たウミネコが、サンドリヨンの体を受け取ろうと手を伸ばした時、地面が大きく横に揺れた。

「……ぎゃっ」

 強い揺れにバランスを崩し、ウミネコは地面に転がる。そうして揺れが収まるのを待って、再び飛び起きた時、洞窟と外を繋ぐ亀裂は土砂で完全に埋もれていた。

 洞窟の中に、クロウとサンドリヨンを残したまま。



 * * *



 手足も、全身も、酷く冷たかった。

 目の前は真っ暗で、何も見えない。

(…………私、死んだのかな)

 朦朧とした意識の中、優花は温もりを求めて手を彷徨わせようとした。だが、だらりと垂れた手には力が入らず、指先が伝えるのは冷たい土の感触だけ。

 それでも、頬に懐かしいふわふわとした感触を覚え、優花は無意識に頬をすり寄せた。

「……ふわふわ…………あったかい」

 くったりと力を失った優花の体を、誰かの腕がギュッと抱き寄せる。トクトクという心臓の音が聴こえる。音は少しずつ弱く小さくなっていく。

(……このままじゃ、死んじゃう。温めてあげなきゃ)

 今の自分は懐炉も防寒具も何も持っていないけれど、少しでも温もりの足しになればと、弱い鼓動の上に手を添える。

 手のひらの下で、誰かの心臓が弱々しくも、懸命に生きようと鼓動した。



 * * *



 優花を左腕で抱いたまま、クロウは右手で土砂を掘り続けていた。鋭い爪の間に土や石が入り込み、不快極まりないが、それでも彼は黙々と土をのけていく。

 全身が岩と土砂で覆われている彼は、殆ど身動きが取れずにいる。このままだと窒息するのは時間の問題だ。窒息するのが先か、自分の体が限界を迎えるのが先か……体の限界の方が早い気がした。

 今のクロウは、カヒューカヒューという不自然な呼吸しかできない。

 内臓が内側から腐って爛れたみたいに腹の中が重い。

 腕を動かす度に、骨から筋肉を無理矢理引き剥がしたような激痛が走る。

 それでも、クロウは己の姫を抱く手に、土を掘る手に、力を込めて進み続ける。

 自分の未来に出口は無くとも、せめて優花だけは出口に連れていくのだ。

「……オレは…………お前の、騎士だからな」

 王子様になれなくても、せめて、彼女を守れる存在でありたい。

 爪の先に触れた石の塊がボロリと崩れ、土砂でも石でも無い虚空を掠める。


「あれ! クロちゃんの爪だ!」

「よしきた任せぃ、どっせぃ!」

「優花ちゃん!」


 ウミネコの声と、どっかで聞いたやかましい声と、世界一ムカつく男の声が聞こえた。

 クロウの右手に覆いかぶさっていた土砂が薄くなり、やがて隙間から光が差す。

 目に痛いほどの朝焼けを背後に、ウミネコと、どこかで見た気がする大柄な男と、イーグルがクロウを見下ろしていた。

「ご苦労様、カラス君」

 イーグルがニッコリ笑って手を差し伸べる。クロウはムッと唇をへの字に曲げて、優花を腕に抱き込んだ。

「てめぇにだけは、渡すか。ばぁーか」

「優花ちゃんを助けた君を労う気が、一瞬で失せたよ」

 そりゃ良かったな、と悪態を返そうとして、クロウはえずいた。熱い塊が喉の奥から込み上げ、生臭い味が口腔を満たす。

 堰を切ったように口から溢れ出したのは血だ。それも、真っ赤な鮮血の中に、ドロリとした黒っぽい血の塊が混じっている。咄嗟に口元を手で押さえたが、片手では全てを受け止めきれず、ボタボタと垂れた血は、抱えていた優花の白いドレスを赤黒く汚した。

「……ク、ロウ」

 血のにおいに反応したのか、優花が薄く目を開けてクロウを見上げる。


(……あぁ、最後に聞けたのが、こいつの声で良かった)


 皮肉っぽく笑って、クロウは目を閉じた。

 かくりと力を失った頭が下向きに垂れ、血と土で汚れた金色の髪が朝日を透かして揺れる。

 黒い鱗に覆われた異形の手は、しっかりと彼が守り抜いた姫を抱きしめていた。

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