【17-12】Guten Morgen.
「昔々あるところに、貧しい孤児院がありました。地獄のようなその孤児院では、大人達の躾と称した暴力は当たり前。それに耐えきれなくなった十二人の娘は、孤児院から逃げ出すことを決意しました」
エリサは背後にジャバウォックと海亀を従えて、ゆっくりと語り出す。
まるで、幼子に昔話を語って聞かせるかのような穏やかな口調で……それでいて、その目に暗い憎悪の火を灯して。
「けれど大人達に見つかり、逃走は失敗。一人、また一人と大人達に捕まってしまいます。結局最後まで逃げ切ることができたのは、一番体の小さい〈十二番目の娘〉だけでした……ふふっ、まるで七匹の子ヤギみたいでしょう? 〈十二番目の娘〉は、それから成長し、孤児院に残された姉達を助けようと考えました。ところが、姉達はとっくに売られていたのです……クラーク・レヴェリッジが催した悪夢の宴、フリークス・パーティに」
クスクスとあどけない少女のように笑い、エリサは〈女王〉とアリスを交互に見る。
クラーク・レヴェリッジを狂わせた最愛の妹と、クラーク・レヴェリッジのために造られたクローンを。
「一人目の姉はバケモノの大槌で頭を叩き潰されて死にました」
エリサはアリスの頭に指を添えて、顔を覗き込む。
頭に添えられた指にクッと力がこもり、アリスの頭蓋を圧迫した。
エリサはフリークスでも何でもない、ただの非力な少女だ。それなのに、指にこもった力に明確な殺意を感じ、アリスの頬を冷たい汗が伝う。
エリサはニッコリと優しく微笑み、アリスから手を離すと、スカートの裾をくるりと翻して、今度はジャバウォックの前に立った。
「二番目の姉は、バケモノに剣で首を刎ねられて死にました」
そう、この剣で……と、エリサの指がジャバウォックの腰の剣に触れた。
ジャバウォックは何も言わずに、僅かに目を伏せる。
「三番目の姉はバケモノに首を食いちぎられて、四番目の姉はギミックの絞首台に吊られて」
エリサは己の首に両手を添えて、キュッと絞めるようなジェスチャーをすると、軽やかな足取りで〈女王〉の前に立つ。
「五番目の姉は全身を殴られて、六番目の姉は高い所から落とされて、七番目の姉はギロチンで首をはねられて」
エリサの指先が、女王の首を横にツィッとなぞる。
まるで、これからその首を落としてやると言わんばかりに。
「八番目の姉は電気椅子で、九番目の姉は槍で心臓を貫かれ、十番目の姉は引きちぎられて真っ二つに」
姉達の凄惨な死に様を、歌うように語り上げた彼女が最後に立ったのは……白い仮面の男、海亀の前だ。
仮面を被っていてもなお、海亀が緊張に身を強張らせる様子が見て取れた。
エリサの唇の端がニィッと持ち上がり、嘲るような笑みを浮かべて海亀の顔を覗きこむ。
「十一番目の姉は……弱い騎士を庇って、自ら首を切って死にました」
かつて己の姫に死なれた男が、鞭で打たれたかのように体を震わせる。
エリサはそんな彼の様子をたっぷりと眺めて、再び視線をアリスに向けた。
復讐の炎に燃える目が見ているのは、アリスではなく、アリスの中にあるクラークの面影。
「だから、ね。フリークス・パーティなんてものを考えた悪魔、クラーク・レヴェリッジも、無力な姫を殺した騎士達も、姫の死を嘲笑った観客どもも、みんな、みーんな、姉達が味わった恐怖と絶望を味わせてから、殺してやろうって思ったんです………………なのに」
エリサの目から光が消え、ありとあらゆる感情がすぅっと抜け落ちる。
人形のように虚ろな顔で、復讐者は呟く。
「……私がフリークス・パーティの存在を知った時、既にクラーク・レヴェリッジは死んでいた」
アリスがクラークを手にかけたのは、今から二年前。
恐らく、エリサが姉達の末路を知ったのは、その後だったのだろう。
既に運営はクラークから〈女王〉に代替わりをし、フリークス・パーティの縮小も視野に入れ始めていた。
「だからね、私、いっぱいいっぱい調べて調べて調べて……そうして見つけたんです。クラーク・レヴェリッジの後継者を。クラークの復活を望む者達の存在を」
彼女はなんらかの形でツヴァイと接触し、共闘関係を築いた。
恐らく、永遠の命に興味があるとか、自分はクラークの信奉者だとか、クラークを持ち上げるような言葉を並べ立てて、ツヴァイに取り入ったのだろう。
そうして〈クラークの後継者〉一味に入り込んだ彼女は、少しずつツヴァイ達を誘導し、この騒動を起こすように仕向けた。
「クラーク・レヴェリッジの提唱する永遠の命を手に入れる方法、それは生前に魂の記録を残し、それを別の肉体に移し替える方法」
エリサは機械に近付くと、ツヴァイがセットしたメモリーディスクを抜き取った。
あの小さなディスクに、クラークの魂が記録されている。あれを破壊すれば、クラークの野望は打ち砕かれるのだが……きっと、エリサの考える復讐は、メモリーディスクの破壊なんかじゃない。
「これがあれば、何度だって蘇るんですよ。クラーク・レヴェリッジは……ふふっ、それってつまり、何回でも殺せるってことですよね?」
エリサの目がギラリと底光りした。
あぁ、そうだ。彼女の怒りは、クラークを殺すだけで収まるはずがない。
「クラークを蘇らせたら、まずは頭を潰して殺します。また蘇らせたら、今度は首を刎ねて……あぁ、その役割はあなたにやらせてあげますね、ジャバウォックさん? 三回目は異形に首を食いちぎらせて、四回目は絞首台から吊るして、五回目は全身を鈍器で殴って……」
エリサは楽しげにクラーク・レヴェリッジの処刑方法を、指折り語る。
それは全て、彼女の姉達が受けた仕打ちと同じものだ。
「最後は自ら首を切らせたいんですけどね。ふふっ、海亀さん。最後はあなたが首を刎ねてください。あなたの目の前で自ら首を切った、レベッカのことを思い出しながら!」
「……それって、アリス君は、どうなるの?」
低く噛み殺したような声と同時に、扉がキィィと音を立てて開いた。
扉にもたれるようにして立っているのは……
「おねーさん」
「サンドリヨンさん」
アリスとエリサの声が重なった。
* * *
扉の影で話を聞いていた優花は、我慢の限界とばかりに声をあげ、扉を押した。
広い実験室は、まるで芝居の舞台のようだった。
中央に立つエリサが主役、後ろに控えるジャバウォックと海亀が端役。ソファに拘束されたアリスと〈女王〉はさしずめ、観客といったところか。
舞台はエリサの独壇場だった。そこに割って入った優花は満身創痍のみすぼらしい格好だ。全身泥と擦り傷だらけ。破れたスカートから覗く右足は、傷口を縛っていてもなおダラダラと血を流し続けている。
立っていることすらやっとの有様で、それでも優花は、エリサの復讐劇の舞台に躍り出た。武器の一つも持たずに。
「……クラークの復活には体がいるんでしょう? その体候補が、クローンのアリス君なんでしょう?」
優花はカラカラに乾いた喉を、唾液で無理やり湿らせて、声を絞りだす。
「エリサちゃんの言う復讐をしたら、アリス君はどうなるの?」
エリサは優花が追いついたことに驚きを隠せないようだった。
それでも、一度目を閉じて開くと、その顔にいつも優花に見せていたのと変わらない、穏やかな笑みを貼り付ける。
「そんなの気にする必要はないんですよ。そのアリスという少年のクローンを作ればいいんです。私の復讐に必要な数だけ」
「じゃあ、そのクローンの子達は、どうなるの」
クラークの復活のためだけに造られるクローン体。
彼らは自我を消され、クラークの意識を上書きされ、そして復讐のために惨たらしく殺される。
「アリス君と、作られて殺されるだけの、クローン達の気持ちは、どうなるのっ!?」
血を吐くような優花の叫びに、エリサは少しだけ眉を下げ、憐むような顔をした。
「……サンドリヨンさん。私の復讐はね、とってもとっても範囲が広いんです」
エリサは両腕を広げて見せる。
きっと、彼女の短い両腕では表しきれないぐらいに、その憎悪の向かう先は広いのだ。
「姉達を殺した奴が憎い、姉達の死を笑って見ていた奴が憎い、姉達が死ぬ原因となったレヴェリッジ家の人間が憎い、そして何より……」
暗く空っぽな目が、優花を見て虚ろに笑う。
「何もできなかった、無力な自分が憎い」
エリサの憎悪は、あまりにも深く大きい。無関係な人間も、自分自身をも憎むほどに。
だからこそ、彼女は誰かを巻き込むことを躊躇わない……唯一、姉達と同じ立場だった姫を除いて。
「そんなことしても、エリサちゃんのお姉さんは……喜んだりなんてしない。きっと、悲しんで……」
「サンドリヨンさん、勘違いしちゃダメです。死んだ姉達は、私が復讐をしようがしまいが、もう喜ぶことも悲しむこともできません」
エリサは駄々っ子に言って聞かせるみたいな口調で、優花を諭す。
「これは『姉』のための復讐じゃない。『私』のための復讐なんです。私が許せないから、するんです。私が憎いから、するんです。全部全部、私のわがままなんです」
もしエリサが「これは姉のための復讐」と言うのなら、優花はそれは違うと否定できただろう。
だが、エリサは分かっているのだ。これが姉の弔いではないと。ただ、自分の憎悪を撒き散らすだけの行為だと。
そして、恐らくジャバウォックも海亀もまた、そのことを理解した上で、エリサに手を貸している。
彼らもまた、エリサと同じように、己の無力さに打ちひしがれたことのある人間だから。
沢山の血を流して、犠牲を出して、それでもまだ、エリサの憎悪は終わらない……全ての根源であるクラーク・レヴェリッジの断末魔を聞くまでは。
「……その復讐が終ったら、エリサちゃんは、どうするの?」
優花の問いに、エリサは修道服の胸元を握る。
幼さの残る顔に浮かぶのは、殉教者の穏やかさ。
「きっと、この騒動が落ち着いたなら、私は指名手配を受けるでしょう。あるいは、今回の件で犠牲になった人の身内が、私を殺したいと考えるかもしれませんね……だったら、一番憎悪の深い者が、今度は私を殺せばいい」
穏やかな笑みを浮かべているエリサを見て、ふと優花の頭をアンパン大使の言葉がよぎる。
──誰かに迷惑をかける覚悟って結構大変だぞ。色んな奴に罵倒されることもあるし、大事な奴を傷つけてしまうこともある。
──それでも、誰かに迷惑かける覚悟ができたなら、その時は遠慮することは無い。大声で自分の主張をすればいい。
──『自己満足だけど文句あるか! 私は満足だぞこの野郎!』ってな!
エリサはきっと、全ての怨嗟を背負う覚悟でここに立っている。
だったら、優花も腹を括らなくては……エリサに恨まれることを覚悟の上で。
優花は一度息をゆっくり吐いて、また吸った。
「ねぇ、エリサちゃん。私のわがままも聞いてくれる?」
「聞くだけでしたら」
声は優しげだが、突き放す冷たさを感じる。
それでも優花は怯まなかった。
「私は、また、エリサちゃんとショッピングがしたいっ!」
エリサがパチンと瞬きをして目を丸くする。
優花は足の痛みも忘れて、声の限りに叫んだ。
「今度こそ、私に似合うスカートをエリサちゃんに選んでもらって、カフェで美味しいお茶飲んで、素敵なタルト食べて、お喋りして……」
ひぐっ、と喉が震えた。
悲しいわけじゃないのに、こみ上げてくる激情に目の奥が熱い。ボロボロと溢れる雫が、頬を伝って地面に染みを作る。
「……もっと、いっぱい、友達がすること、したい」
「サンドリヨンさん。それはもう、無理ですよ」
「無理じゃないっ!!」
パァン。
優花の叫びの余韻を、乾いた銃声がかき消した。
優花の左の脇腹に灼熱感。遅れてやってくる、激痛。
「……え、…………あ……?」
こぷり、と喉の奥からこみ上げてきた生温かいものが、優花の口腔を満たす。ポタリと地に落ちた滴は目に鮮やかな赤。
崩れ落ちるように床に倒れた優花は、残った力を振り絞って、血に汚れた顔を持ち上げた。
アリスとエリサが、二人とも真っ青な顔で優花を見ている。
おねーさん! サンドリヨンさん! という悲鳴じみた声を聞きながら、更に視線を横に動かせば、ジャバウォックと海亀が銃声の方に目を向け、臨戦態勢をとっているのが見えた。
銃を撃ったのはエリサじゃない。ジャバウォックでも海亀でもなければ、当然、拘束されているアリスでも〈女王〉でもない。
「あぁ、失礼。寝起きには少々響く声だったのでね。黙ってもらったよ、日本人のフロイライン」
そう言ったのは、ジャバウォックに胸を貫かれたはずのツヴァイだった。その左手首から銃口が飛び出し、硝煙のにおいを漂わせている。
だが、それよりも何よりも特筆すべきは、その表情。その口調。
先程までの人形じみた雰囲気が払拭され、幼い少女の顔には貫禄と余裕を兼ね備えた笑みが浮かんでいる。
ツヴァイは地に倒れた優花になど興味無いとばかりに、体の向きを変え、ソファに拘束されている〈女王〉を見つめた。
青い瞳をうっとりと輝かせ、恍惚とした表情で。
「Guten Morgen. Mein Schatz Charlotte!」