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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第3章 「ネバーランドに逝った少女に捧ぐ」
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【3ー1】お買い物ではなく、あえてショッピングと言いたい乙女心

「明日、地球が滅びるとしたら何をする?」

 いつだったか、誰かにそんなことを訊かれた時、優花は迷わず答えた。いつも通り家族と過ごすわ、と。

 つまらない答えだと言われたけれど、優花には他の答えが思いつかなかった。

 例え最期の時が分かったとしても、特別にやりたいことなんて無い。

 ただ、最愛の家族と一緒に穏やかな時間を過ごせれば、それでいい。



 * * *



 クロウとの共同生活も今日で五日目だ。

 この五日間で特に変わったことはなく、優花は家事の合間に資格試験の勉強をしたり、クロウのトレーニングを見学したり、ウミネコやエリサとお茶をしたりという、のんびりとした時間を過ごしている。

 クロウとウミネコの戦闘訓練を見学した日から、優花はエリサを見習い、フリークス・パーティの対戦相手に関する情報収集をしようと意気込んでいた。

 だが、そのことをクロウに正直に話したところ、返ってきた言葉は「余計な心配をする暇があったら、飯の心配でもしてろ」の一言である。

 反発した優花は、こうなったら何が何でも役に立つ情報を手に入れて、クロウをギャフンと言わせてやろう……と考えもしたのだが、今度はウミネコにも呆れられた。

 ウミネコ曰く。

「クロちゃん、割とベテランだから、選手の情報はほとんど知ってるよ。今更、情報収集とか必要なくない?」

 ……とのことらしい。

 それならば自分の身を守れるように、体を鍛えた方が良いだろうかとも考えたのだけど、これもクロウに鼻で笑われた。

「お前が鍛えてどーすんだ? 試合中に姫ができることなんて、逃げるか隠れるの二択だぞ。まぁ、逃げ足を鍛えりゃ多少は役に立つかもしれんが、今更無駄なあがきだろ。やめとけやめとけ」

 確かにクロウとウミネコの「訓練」を見る限り、優花がちょっと体を鍛えたぐらいでは太刀打ちできなそうだ。

 そんなわけで、優花は血なまぐさい大会の話とは無縁の日常生活を満喫中なのである。

 まぁ、確かにジタバタしても仕方がない。それならいっそ、いつもの生活をしている方が、よっぽど心が落ち着くというものだ。

 勿論、恐怖がなくなったわけじゃない。不安が無いわけじゃない。

 それでも今の自分にできることがないのなら、せめて試合中に無様に泣き喚いて取り乱すことがないよう、腹をくくるまでだ。




 マンションの洗濯機はドラム式で、乾燥機もついている最新の立派な洗濯機だ。それでも優花は天気の良い日は極力外で干すようにしている。

 お日様のにおいがするふかふかの洗濯物を取り込む瞬間は、日常で感じる幸福の一つだ。今日は天気が良いから、きっとよく乾くだろう。

 鼻歌混じりに洗濯物を干していくと、優花は自分のシャツに小さなゴミがくっついていることに気が付いた。

(げっ、まさかティッシュのカス!?)

 ポケットにティッシュ入れたまま洗濯してしまったかと、ひやりとしながらそのゴミをつまむ。よく見ると、それはティッシュのカスではなく小さな黒い羽だった。

 なーんだ良かった、と胸を撫で下ろした優花はそこで疑問を覚える。

 何故、洗濯したばかりの優花の服に羽がついているのだろう。羽毛布団の中身でも出てきたのだろうか。もしそうなら繕っておかなくては。

 洗濯物を全て干した優花は、念のために布団を一式チェックする。また小さな黒い羽を見つけた。だが、布団にほつれているところはない。

(まぁ、ほつれてなくても、縫い目から羽が出てくることもあるわよね)

 とりあえず掃除機は念入りにかけておこう、と密かに決意していると、クロウが段ボール箱を抱えて寝室に入ってきた。

「お前の弟から、荷物が届いてるぞ」

「わぁ、ありがとう!」

 優花は早速、段ボール箱の中身を開封した。中身は優花の着替えだ。シャツ、カーディガン、ジーンズが数枚ずつと、外出用の上着が一枚。それと美味しそうなラスクも。ラスクには「いっぱいもらったから、お裾分け」と草太の字で書かれたメモが貼られていた。一体、誰からもらったのだろう。こんな立派なラスク。

 この後、お茶でも淹れて食べようかと優花がホクホクしていると、その様子を眺めていたクロウが、ぼそりと呟いた。

「お前、それで服足りるのか?」

「服なんてこれだけあれば充分よ」

 これ以外にも美花が残していった服や、ヤマネが用意してくれた下着等もあるのだ。

 ちなみにヤマネが選んだセクシーランジェリーは、実を言うと過激すぎる一部の物を除いて使わせてもらっている。使わないで捨てるのが勿体なかったのだ。嗚呼、悲しきかな貧乏性。ちなみに今日はピンクのサイドリボンショーツである。

 ジーンズの横から紐が出てないかな、と慣れないサイドリボンにそわそわしていると、クロウがしつこく言い募った。

「服、買ってきたらどうだ」

「別にいらないって」

「でも、お前、いつも同じ服着てるだろ」

 それはあんただ! と優花は声に出さずに突っ込んだ。

 クロウはいつも同じ黒のタートルネックにスラックス。外出する時はこれにコートを羽織るぐらいで、基本的にいつも同じデザインの服を着ている。

 勿論、ちゃんと洗濯をしているので、毎日取り換えていることは分かっているのだが、どれだけそのデザインが好きなのだ、と思わずにはいられない。

「なぁ、なんか適当に買ってこいよ。経費で落として構わねぇから」

「余計な荷物を増やすのが嫌なのよ。また後で家に送り返すんだから、荷物は少ないに越したことはないでしょう」

 その言葉に何故かクロウは鼻白んだような顔をする。自分はそんなに衝撃を受けるようなことを言っただろうか。疑問に思っていると、インターフォンが鳴った。ウミネコだろうか。優花は会話を切り上げて、玄関へ向かった。



 * * *



「やぁ、こんにちは」

 来客は女と見紛うほど美しい顔に、ねっとりとした嫌な笑みを浮かべていた。

「……何の用だ、笛吹」

 クロウが嫌そうな顔を隠そうともせず、つっけんどんに言えば、笛吹きは勝手に部屋に上がり込み、ダイニングの椅子に腰かけた。

「そんな怖い顔しないでくれる? 今日は君じゃなくて、君のお姫様に用事があるんだよ」

「私ですか?」

 優花が自分を指さして目を丸くすると、笛吹は小さく頷いた。

「そう、君のお仕事……派遣家政婦とコンビニだっけ。それの休暇手続きをしてきたんだけど……コンビニのバイトはクビになっちゃった。ごめんね?」

 全く心のこもっていない謝罪をする笛吹に、優花は真っ青になって口をパクパクさせる。すると、笛吹はさも誠実そうな声で事情を説明した。

「いやぁ、色々と嘘をでっちあげて、休暇を取らせてあげる予定だったんだよ? 実際に家政婦の会社の方では病気で入院したことになってるし。でも、コンビニの方はさぁ……店長さんが『痴情のもつれを店に持ち込まれては困る』って」

「……ち、痴情のもつれぇっ!?」

 優花は、クロウに無理やり連れ出された時のことを思い出す。

 無理やり腕を掴まれて、引きずっていかれた優花。クロウの「この女はオレのモノだ」発言……滝川は警察を呼んでくれなかったどころか、痴情のもつれだと言いふらしてくれたらしい。

「君と一緒に仕事をしていた大学生の子が『如月さんマジぱねぇッスよ。ヤバイ系の彼氏が店に押しかけてきて、ド修羅場って感じで! 激ヤバっすよアレ! 如月さん、真面目そうに見えて意外と遊んでたんッスね!』って、店長に説明したらしくてさー。流石のオレもそれはフォローできなかったよ。ごめんねー?」

 身ぶり手ぶり付きで、職場の人に言いふらす滝川がリアルに想像できた。

 優花が額に手を当てて溜息を吐けば、笛吹はテーブルに頬杖をついて「まぁ、元気だしなよ。はいこれ」と紙袋を差し出す。ヤマネの前例があるので、すぐに中身を取り出したりはせず、優花は慎重に紙袋の中身を確認した。

 中身は優花がバイト先のコンビニに置いていった私物だ。財布や折りたたみ式の携帯電話もある。財布には大した金額が入っているわけではないが、それでも手元に戻ってくるとホッとした。

「あ、ちなみに君、家政婦の派遣会社の方には、厄介な難病患って絶賛面会謝絶中って設定になってるから」

 病気で入院だなんて、なんともベタな言い訳である。

 復帰した時にどう言い訳すれば……と優花が頭を抱えると、笛吹は薄い肩をすくめた。

「いいじゃない。入院って説明は便利だよ。試合中に君が死んでも病死で片付くから」

「それは笛吹さんが楽なだけでしょうっ!?」

 優花が叫ぶと、笛吹は長い睫毛を上下させて瞬きをした。まるで、さも驚いたと言わんばかりの表情で。

「へぇ、君……生き残る気なんだ?」

「当たり前じゃないですか」

「ふふっ、剛毅だねぇ。化け物どもの殺し合いに巻き込まれて、生き残れると本気で思ってるの?」

「化け物って、そんな言い方……」

 確かにクロウやウミネコの動きは割と人間離れしていたけれど、化け物なんて言い方はあんまりだ。

 そう思って抗議したら、笛吹は何故かポカンと驚いたような呆れたような顔をする。今までのいかにも演技くさい表情とは違う、本気で驚いている顔で笛吹は言った。

「……君さぁ、もしかしてまだ気づいてないの?」

「……?」

「あぁ、そう。クロウは話してくれなかったんだ。このパーティは……」

「サンドリヨン」

 不自然にクロウが口を挟む。

 一瞬、ギラリと鋭い目が笛吹に向けられたのを優花は見逃さなかった。

「ここから先はお前が聞く必要はない話だ。外で買い物でもして、時間潰してろ」

 聞く必要が有るか無いかは、優花が決めることだ。

 けれど、クロウの態度は頑なで、聞く耳など無い、と言わんばかりの空気を漂わせている。この状態のクロウを説き伏せるのは容易ではないことを、優花は短い付き合いながら察していたので、それ以上深く聞くのを諦めて、買い物に出かけることにした。

(ふんだ。せいぜい散財してやろうじゃないの!)

 いつもより五十円高いお肉を買ってやる! と意気込み、優花は財布を引っ掴んで部屋を飛び出す。

 そうして、クロウに憤りながら鼻息荒くマンションを出たところで、優花はウミネコとエリサに遭遇した。

「よっ、サンドリヨンちゃん!」

「こんにちは、お買い物ですか?」

「……実は笛吹さんが来てて。話の邪魔だからって、クロウに追い出されたの」

 ほんの少し不貞腐れながら言うと、ウミネコの目がキラッと……ギラッと輝いた。

「へぇ……笛吹が来てんの? んじゃ、オレもちょっと顔出してこよーっと!」

 そう言って、ウミネコはタタターッとマンションの方へ走っていった。

 まるで友達が遊びに来てると聞いた少年のように、やけに活き活きとした顔で。

「ウミネコさんって、笛吹さんと仲が良いの?」

 優花が呟くとエリサは曖昧に笑った。

「うーん、どうでしょうねぇ……ところでサンドリヨンさん。この後、お暇ですか?」

「えぇ、戻ってもクロウに追い出されそうだから、買い物でもして、時間潰してから帰ろうかと……」

「それなら、私と一緒にショッピングしませんか? 可愛いお店を見つけたんです」

 特に断る理由も無いので、優花はエリサと一緒にショッピングに行くことにした。

 買い物ではなくショッピングと言うだけで、なんだかお洒落で素敵に聞こえる気がするのは何故だろう。優花は少しだけ沈んでいた気持ちを浮上させ、軽い足取りでエリサと歩きだした。



 * * *



 エリサにショッピング(買い物じゃなくて、ショッピング!)に誘われ、ショッピングモールまで来たものの、特に行きたいお店もなかったので、優花は店選びをエリサに任せた。その結果。

 ザ・場違い。

 私みたいな貧乏人が来てすみませんでしたッ! と思わず土下座したくなるような、お洒落なブティックに連れてこられてしまった。

 どう考えても、バーゲン品のシャツにはき古したジーンズとスニーカーで来るような店じゃない。

「サンドリヨンさんは背が高くてスタイルが良いから、何を着ても似合いそうですねぇ。羨ましいです」

 羨ましいのはこっちの方だわ、と優花は声に出さずに呟いた。

 エリサはこういうお店にしっくりと馴染んでいる。それは彼女が派手ではないけど、彼女に似合う質の良い服をきちんと選んで着ているからだ。

 店員もそれが分かるのか、優花には見向きもせず、エリサにはしきりに商品を勧めている。エリサはそれをやんわり断ると、シフォンのフレアスカートを手に取り、優花に笑いかけた。

「これとかどうです?」

「うん、可愛いと思うけど……エリサちゃんのサイズと違わない?」

 スカートは白地に青の花を散らした可愛らしいデザインで、エリサによく似合いそうだったが、丈が少し長い。小柄なエリサが履くと、中途半端な長さになりそうだ。

「私じゃなくて、サンドリヨンさんにですよ!」

「…………へっ?」

 エリサはニコニコしながら、優花にスカートをあてがった。

「やっぱり似合いますよ。スカート履かないんですか?」

 家政婦にしろ、コンビニのバイトにしろ、動きやすい格好が基本だ。

 最後にスカートを履いた日を思い出すと、下手をしたら高校生時代まで遡らなくてはいけなくなる。

「……嫌いなわけじゃないけど、あまりスカートを履く機会がなくて」

「機会が無かったなら、これから作ればいいんですよ! それに可愛い格好をした方がクロウさんも絶対に喜びますって!」

「いや、あいつはそんなの気にしないと思う」

 それ以前に、何故自分がスカートでクロウを喜ばせなくてはいけないのか。

 優花がげんなりしている間にも、エリサは次から次へと服を優花にあてがう。

「そんなことありませんよ! 試着だけでもしてみませんか? あっ、こっちのブラウスも似合いそう」

「いや、私のはいいから……ね?」

 スカートの値札を見た優花は顔がひきつりそうになるのを必死でこらえながら、そっと商品をラックに戻す。

 スカートは、今着ているシャツが余裕で十枚以上買える値段だった。都会って怖い。


 * * *


 それからしばらく優花とエリサはウィンドウショッピングを楽しんだ。

 エリサがやたらと優花に試着を勧めるのには辟易したが、それでもこういう風に同年代の女の子とショッピングをする機会が今まで無かったので、優花もだんだんと楽しくなってきた。

 学生時代からバイト三昧で、服を買うなら近所のディスカウントストア。そんな生活をしていた優花にとって、お洒落で可愛いブティックは見て回るだけでも、なんとなく楽しい。

 だいぶ歩き回って、時刻が昼近くなってきた頃、エリサは「一休みしませんか」と優花をカフェに誘った。

「ここはタルトが美味しいんですよ! 特にイチゴのがお勧めです!」

「へぇ……」

 エリサが誘ってくれたのは、ショッピングモールから少し離れたところにある小洒落たカフェだった。アンティーク風の内装が可愛らしく、店内は若い女性客で賑わっている。

 やっぱり自分は場違いなのでは……と不安に思いつつ、優花はエリサお勧めのイチゴタルトセットを注文した。

 あぁ、こういうカフェでの作法が分からない。自分は何か恥ずかしいことをしていないだろうか。

 椅子の上でカチコチに固まっていると、店員がタルトと紅茶のセットを机に置いた。

「な、なにこれ……っ」

 目の前に置かれたイチゴのタルトに優花は言葉を失う。

 優花が想像していたイチゴタルトとは、カスタードクリームの上にイチゴがびっしり並んでいる物だった。それだって充分すぎるほど魅力的だけど、目の前のタルトを見た優花は「……綺麗」と呟かずにはいられなかった。

 サクサクのタルト生地の上に、ふんわり柔らかなスポンジ生地を敷き、その上にイチゴのムースとレアチーズムースの二層のムースが重ねられている。その上にスライスしたイチゴと、スライスしていない大粒のイチゴがトッピングされていた。

 ナパージュをかけられた大粒のイチゴは艶々で、アクセントのブルーベリーが可愛らしく、お皿の白い余白にはフルーツソースで綺麗な模様が描かれている。

(……芸術品だわこれ)

 優花は今まで「食べるのが勿体無い」と思ったことがない。食べ物は食べない方が勿体無いに決まっている。

 そんな優花が、今、生まれて初めて食べるのが勿体無いと思うほどに、そのタルトは美しかった。まぁ食べるけど。

 丁寧に端を切り分けて口に運んだ優花は、更に衝撃を受ける。

「なにこれ……すっっっ、ごい美味しい!!」

 タルト生地とスポンジ生地が甘めだから、その分クリームの甘さが押さえられており、甘さと酸味のバランスが抜群に良かった。

 タルト生地のサクサク感、スポンジ生地のふわふわ感、滑らかなムース、そして新鮮なイチゴ……それぞれ食感が違うのも楽しい。

 思わず弛んだ口元から「ほわぁ」と意味不明な声が出てしまった。だって、それぐらい美味しいのだ。美味しいことは幸せだ。

「気に入っていただけましたか?」

 優花がフォークを握りしめてブンブン頷くと、エリサは口元に手を当てて笑った。

「ふふっ、やっと笑って貰えました。サンドリヨンさん、ショッピング中は固い顔をしていたから、ショッピングは苦手なのかなって不安だったんです」

 優花が慣れないショッピングに緊張していたことを、エリサは見抜いていたらしい。年下相手に気を遣わせてしまった……と優花は密かに反省する。

「ごめんね、違うの。ショッピングが嫌いとかじゃなくて……私、同年代の子とショッピングに行くの……は、初めてで」

 高校生の時、放課後に友達とゲームセンターやカラオケに行ったり、コーヒーショップやファーストフード店に寄り道をしたりする同級生を、優花は遠くから見ていることしかできなかった。

 けれど、バイト三昧だった優花はそういうお誘いを全部断るしかない。そうして、いつからか付き合いの悪い子だと、誰からも誘われなくなった。

 興味ないから別に良いのよ、と弟達には強がってたけど、本当はちょっとだけ羨ましかったのだ。

「恥ずかしながら、うち、貧乏で……友達とショッピングとか、カフェでお茶とかしたことが無くて……その、だから、嫌だとかじゃなくて……」

「サンドリヨンさんは、こういう所は初めてなんですか?」

 フォークを咥えたまま、こくりと小さく頷くとエリサは口の端をキュッと持ち上げて、得意げに笑った。

「なら、私はサンドリヨンさんの初めてを貰っちゃいましたね。ふふっ、役得です」

「ああああのねっ、エリサちゃん」

「はい、どうしました、サンドリヨンさん」

 名前を呼ばれ、優花はますます頰を赤く染めた。

 優花はサンドリヨンと呼ばれることに、いまだに慣れていない。見るからに西洋系の容姿のエリサは、エリサという呼び名に違和感が無いのだが、日本人の優花にサンドリヨンは正直きついと思う。

「その、サ、サンドリヨンっていうの……恥ずかしいから……優花って呼んでくれると嬉しい……な」

 クロウには本名を教えるなと言われていたけれど、それでも優花はエリサに名前を教えたかったし、できれば名前で呼んでほしかった。

 砂糖もミルクも入れていない紅茶を、ティースプーンで無意味にくるくるかき混ぜていると、エリサが優花の方にシュガーポットをそっと差し出す。

「では、二人だけの時は優花さんと呼ばせていただきますね。クロウさんの前だとクロウさんに睨まれちゃいますから」

「うん……うん!」

 学生時代、優花は双子の妹と同じ高校に通っていたので、周囲からは如月姉とか、双子の姉の方と呼ばれていた。

 女友達から名前で呼ばれるというのは優花にとって、放課後の寄り道と同じぐらい密かに憧れていたことだったのだ。



 * * *


 

 カフェを出た頃には空が少し曇っていた。この雲だと一雨くるだろう。優花はこの手の勘が外れたことはない。

(クロウは洗濯物取り込んでくれるかしら)

 エリサは「私、折りたたみ傘持ってきてないんですよねぇ」と空を見上げて眉を下げた。

「そろそろ笛吹さんも帰っただろうし、私達も帰ろっか」

「そうしましょうか」

 周りを見れば、行き交う人達も空模様を気にして、やや早足で通りすぎていく。そんな人の流れの中で、優花はふと違和感を感じた。

 早足で通りすぎていく人の中で立ち止まっている男が一人。彼はまだ雨が降っていないのに何故かフード付きのレインコートを着ている。

(一瞬、目が合ったような……気のせい?)

「優花さん?」

 立ち尽くす優花をエリサが心配そうに見上げている。優花はフルフルと首を横に振って、なんでもないと笑ってみせた。

「ごめんごめん、行こう」

 歩きながらショーウィンドウのガラスを鏡代わりに背後を見る。

 レインコートを着た男の口が、ゆっくりと動いた。


 み つ け た


 優花の背すじかぞくりと冷たくなる。

(気のせいじゃ、ない?)

 バス乗り場に移動する途中も、優花は何度かチラチラと後ろを気にしたが、やはりレインコートの男は一定の距離を保ちながら、優花達の後ろをついてくる。

 バスターミナルはここから地下に降りなくてはいけない。今、エレベーター待ちをしているのは優花達だけだ。

 もし、あの男が同じエレベーターに乗り込んできたら、危険ではないだろうか?

(エリサちゃんに言うべき? でも、私の考えすぎかもしれないし……)

「優花さん、何だか顔色が優れませんが大丈夫ですか?」

「え、あ、えっと……」

 しどろもどろに答えながら、優花は後ろを見る。

 いつの間にか男の姿は無くなっていた。

 背後は一本道になっているから、隠れる場所もない。どうやら、自分が気にしすぎていただけらしい。ホッとしている間にエレベーターが上がってきた。

 これにあの男が乗ってたらホラーよね、なんて心の隅で思ったりもしたが、開いたエレベーターは案の定、無人だった。まぁ当然だ。

 先に乗ったエリサは片手でエレベーターの扉を押さえてくれている。優花もエリサに続いて、エレベーターに乗り込もうと足を踏み出し……


「……え?」


 首筋に強い痛みを感じた。極太の針を刺したような強い痛みが走り、手足が痺れる。

 優花の体が傾き、床に崩れ落ちると、ひんやりと冷たい腕が乱暴に優花の髪を鷲掴む。

「え……あ」

 ぶれる視界の中、真っ青な顔をしたエリサがスマートフォンを取り出すのが見えた。

「動くな。声も出すな」

 酷く嗄れたその声は、優花の耳元で聞こえた。髪を掴む手に力が篭る。優花が痛みに顔を歪めて呻くと、頰に硬いものを押しつけられた……拳銃だ。

「そこの赤毛、お前も姫だな? 丁度良い。クロウに伝えろ。イーストタウンビル跡地で待つ。一時間以内に来なければ……この女を殺す、と」


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