【17ー7】彼のついた嘘
「分かれ道に出たぞ。T字路だ」
「少し待ってくれ」
先頭を行くグリフォンの言葉にイーグルは目を閉じ、こめかみを指でトントンと叩いた。頭の中の地図を再確認しているのだろう。
やがて彼は目を開くと、こめかみから指を離す。
「……右だ。そのまま左手を壁に添えて進むと、行き止まりになる。そこに隠し扉があるはずだ」
「分かった」
グリフォンが歩き出せば、イーグルは右手をふわふわと漂わせる。優花がその手をしっかりと握って「こっち」と進行方向へ誘導した。
クリングベイル城地下迷宮と洞窟が繋がっている隠し扉の場所は、イーグルしか知らない。だが、肝心のイーグルがコンタクトレンズを落として視界不良という状態なので、先頭をグリフォン、その後ろを優花と、彼女に手を引かれたイーグル、更にその後ろをクロウとウミネコという順で並んで歩いていた。
しんがりのウミネコは、すぐ隣を歩くクロウを横目で見て、ニヤニヤ笑いを浮かべている。
「クロちゃん、顔が面白いことになってるぜ?」
「…………」
クロウの視線は、すぐ目の前を歩くイーグルと優花に向けられている……正確にはクロウが睨んでいるのは、二人が繋いでいる手だ。
わっかりやすーい、とウミネコが呟けば、クロウはむっつりと唇をへの字に曲げる。
ウミネコが背伸びをしてクロウに耳打ちをした。
「そんなに嫌なら、クロちゃんが手を繋いであげればいいじゃん」
「地獄絵図か」
思わず呻けば、ウミネコはケラケラと笑った。
(こんな状況で笑っていられるなんて、どういう神経してやがる)
前を歩く優花とイーグルの姿は、見ないようにしようと思っても、どうしたって目に入ってくる。
二人の手の繋ぎ方は、ただ手と手を重ねているだけのものだ。指を絡めたいわゆる恋人同士のアレではない。そう、あれは言わば介護。つまりイーグルは要介護老人なのだと思えば、少しは溜飲が下がる……
「優花ちゃん、もしかして……手、怪我してる?」
「こんなの、怪我の内に入らないわよ」
「でも、血の匂いがするよ。あぁ、ここも擦り剥けてる」
「ひゃっ……こらっ! 触らないのっ!」
イーグルが指先で擦り傷をなぞれば、優花が少しだけ甲高い声を上げる。
クロウのこめかみに青筋が浮いた。そんな彼の二の腕をウミネコがちょんちょんとつつく。
「クロちゃん、クロちゃん、その顔ちょっと放送禁止レベル」
「…………」
クロウは口の端を引きつらせながら、前を歩く二人を睨んだ。頭の血管がブチ切れそうなレベルで腹を立てている今の彼に、ウミネコの声は届いていない。
クロウの目は凶暴な肉食獣のように爛々と底光りし、目からビームの一つや二つは出せそうだった……が、そんな彼の視線に、少なくとも優花は気づいていないらしい。
「ほら、子どもの時も山遊びしてたら、これぐらいの怪我はしょっちゅうだったでしょ」
「優花ちゃん、すぐ痩せ我慢するから……後から痛くなって、涙目になってたじゃない」
「うぐっ……な、なんのことかしら」
優花とイーグルのやりとりに、クロウはいよいよ怪獣のような歯軋りを始めた。
そのバリバリギシギシィィィという凶悪な音を聞きながら、ウミネコがボソリと呟く。
「あの二人、ただの顔見知りじゃなくて幼馴染だったのかー。こりゃ割って入る余地無いわ……クロちゃん、ドンマイ元気だしてー」
クロウがウミネコに何か言い返そうとした時、グリフォンが「止まれ」と声をあげた。
グリフォンの前方はイーグルの言う通り、行き止まりになっている。グリフォンは壁を手で撫でて、目を凝らした。
「……あぁ、なるほど、確かに継ぎ目があるな。だが、どう開けんだこりゃ?」
「壁の正面に立って、右手を少し持ち上げた辺りを調べてくれるかい。左にスライドするんだ。そこに取っ手が……」
イーグルが言葉を切り、はっと後ろを振り向く。同じタイミングでクロウも振り向いた。人より少しだけ優れた耳が、何者かの足音を捉えたのだ。
弱い照明に照らされた通路の角に、人の影が薄く浮かぶ。
やがて姿を現したのは、白い仮面を被った男……海亀だ。
「そこまでです」
静かに告げる海亀の背後には、異形が二体……否、廊下の角に隠れているだけで、実際はもっと多いのだろう。
海亀は仮面の奥の目を、ひたりと優花に向けた。
「……サンドリヨンさん、あなたはパウダールームに閉じ込めたはずなのに」
「パウダールームの姫は解放されたわ。観客達も避難させてる。あんた達に勝ち目は無いわよ」
海亀は決勝戦の後にイーグルに薬を打ち、優花を無理やりパウダールームに閉じ込めた犯人だ。
目をギラギラさせて今にも飛びかかりそうな雰囲気の優花に、クロウは「早まるなよ」と鋭く声をかける。
海亀は城内の状況を聞かされても動揺した様子はなく、落ち着き払っていた。
「サンドリヨンさん、あなたを巻き込むつもりはありません。どうか、こちらへ」
「行くわけないでしょ」
海亀の声は、まるで聞き分けのない子どもに言い聞かせているかのようだった。
この状況でも優花を説得しようと試みているあたり、彼は本当に姫に危害を加える気はないのだろう。
緊張感に張り詰めた空気の中、グリフォンが口を開く。
「……海亀、なんで裏切った」
同じ運営委員会であるグリフォンが海亀に向ける目は、静かな怒りに満ちていた。
海亀はしばし黙っていたが、やがてゆるゆると首を横に振る。
「それはきっと、あなたに言っても理解してもらえないでしょう、グリフォン。あなたはあまりにも……私と違いすぎる」
仮面の奥の目が、グリフォン、イーグル、クロウを順番に見つめ、そして最後はその視線から逃れるかのように地面を見た。
「私も、あなた達ぐらい強ければ…………なんて、泣き言を言える立場でもありません。私は守れず、失った。ただそれだけです」
海亀が軽く右手を持ち上げると、背後の異形達がグルグルと喉を鳴らしながら臨戦態勢になった。
ここは狭い通路の袋小路だ。武器が槍のクロウは狭い場所では不利だし、グリフォンとウミネコは負傷中、イーグルは視力が落ちている。異形達がいっせいに押しかけてきたら、圧倒的に分が悪い。
どうする、とクロウが静かに焦っていると、イーグルが一歩前に進み出た。
彼は視力が落ちていることを感じさせない堂々とした態度で、海亀に皮肉っぽい笑みを向ける。
「君には、決勝戦の後で薬を打たれた借りがあったね。ここで返させてもらおうかな」
そう言ってイーグルは、優花の肩を隠し扉の方に押しやった。優花がハッとした顔で何か叫ぼうとするが、それより早くウミネコが優花の腕を掴む。
「グッさん」
「あぁ」
ウミネコに目配せをされたグリフォンが、壁の一部をスライドさせる。そこにあるのは引き戸の取っ手だ。グリフォンが指を引っ掛けて横に引けば、壁が横に動いた。隠し扉の向こう側にあるのは、暗い洞窟の岩壁だ。
「ウミネコさん、待って、イーグルが……っ」
「大丈夫だよ、優花ちゃん」
ウミネコの腕を振り払おうとする優花に、イーグルは海亀を見据えたまま言う。
「今の僕は、敵味方の判別がつかないから、一人の方が戦いやすいんだ」
優花とて馬鹿じゃない。この場に自分が残ってもできることなど無いと理解しているのだろう。それでも、彼女は不安そうにイーグルの背中を見つめている。
ウミネコはそんな優花の腕を引いて、隠し扉の向こう側に移動させた。続いてグリフォンも扉を潜る。残るはクロウだけだ。
クロウはこの状況でもなお忌々しげに、イーグルを睨みつけた。
「……おい」
「おや、まだ残っていたのかい、カラス君」
「……オレは目がいいんだよ」
クロウは鳥のキメラだが、鳥目では活動に支障が出るので、暗いところでもよく見えるようになる手術を受けている。
そう、クロウは暗いところでもよく見えるのだ。だからこそ、気づいていた。
「お前の目は……」
イーグルは人差し指に口を当てて「しー」のジェスチャーをしてみせた。
クロウは黙り込み、舌打ちをする。
(イーグルはコンタクトレンズを落としてねぇ。まだつけている)
それなのに、イーグルは目が見えている様子がない。それが演技か否か、クロウは苛々しながらずっと観察していたのだ。アレが演技なら八つ裂きにしてやる、と百回ぐらい頭の中で唱えながら。
だからこそ、分かる。
(こいつは、コンタクトレンズをつけていてもなお、手元が見えないぐらいに視力が落ちている)
kf-09nは脳に変異をもたらす薬だ。そして、イーグルは元々、脳に問題があって視力が落ちたと言っていた。恐らく、今のイーグルの視力の低下には、kf-09nによる異形化が影響しているのだ。
これから視力が回復するのか、加速度的に悪化するのかは分からない。ただ、イーグルがコンタクトレンズをしていてもなお、目が殆ど見えていないのは事実。
それなのに、イーグルは余裕たっぷりの態度で肩を竦めて笑う。
「大事なお姫様を心配させたら、王子様失格だろう?」
あぁ、そうだ。この死ぬほどムカつくカッコつけ野郎は、優花を心配させるような嘘はつかない。
優花を心配させないために嘘をつくのだ。
「心配しなくても、僕は強いから負けないよ」
「……けっ、サンドリヨンの頭突きに負けた雑魚が、いきがってんじゃねーよ」
「その頭突きに助けられて勝った君に言われてもなぁ」
クロウはヒクリと頬を引きつらせ、イーグルに舌を出す。
「てめぇなんてバケモンに食われちまえ、ばーか」
「あぁ、良かった。その悪態のお陰で、絶対に生き残れそうな気がしてきたよ」
生き残ったら、あのスカした面をぶん殴ってやる……と決意を固めながらクロウは隠し扉を潜った。そして、戸に手をかける。
戸が完全に閉ざされる直前に、イーグルの声が聞こえた。
「優花ちゃんを頼んだよ、クロウ君」
クロウはイーグルに聞こえないのは承知で、盛大な舌打ちをした。
* * *
隠し扉が完全に閉まったのを確認すると、イーグルは地面を蹴り、前方にいる物体の頭部付近を全力で殴りつけた。グシャリ、という音がしたが手応えが甘い。構うものかと、適当に当たりをつけて、何度も何度も拳を振るう。
左側からヒュゥンと音がした。イーグルは咄嗟に反対側に跳ぶ。距離感を見誤って壁に肩をぶつけたが、彼は気にせず態勢を立て直し、襲いかかってきた異形の顔を潰した。
この袋小路、一見するとイーグルが追い詰められているように見えるが、目が殆ど見えていないイーグルにとって非常に都合の良い地形だった。
こちらから追いかけずとも、異形は勝手に正面から襲いかかってきてくれる。
なにより通路は狭く、体の大きい異形だと二体並ぶのがやっと、という程度の幅しかないのだ。だからこそ、囲まれたり背後から狙われる心配は少ない。ただ、目の前から突進してくる異形達の頭を叩き潰すだけでいい。
「酷い戦い方ですね」
少し離れたところから海亀の声が聞こえる。
「紳士的な戦い方をするイーグルとは思えない。まるで獣だ」
「あぁ、そうだね。だから、彼女達を先に行かせたんだ……こんなみっともない戦い方、好きな子には見せられないだろう?」
血でぬめる拳を上着で雑に拭い、イーグルは朗らかな笑顔で告げる。
「さぁ、この地下迷宮にいるバケモノ全てをかき集めて、連れてくるがいい。全部打ちのめしてあげるよ…………僕は強いからね」
まぁ、好きな女の子には勝てないのだけど、とイーグルは胸の内で呟いた。