【17ー6】具合が悪い時はこれ
ツヴァイは体の殆どを機械化したアンドロイドだが、脳だけは人間のそれだ。
だが、それとは別に、ツヴァイは機械としての記憶領域を持っている。ツヴァイの体は運動能力よりも情報処理能力に重きを置いていた。
言うなれば、ツヴァイは超小型の歩くスーパーコンピューターである。ツヴァイの体は、現代の技術を超越した、奇跡の結晶と言っても良い。
そんなツヴァイの機械としての記憶領域には、クラークの研究の成果の一部が記録されていた。
グロリアス・スター・カンパニーの月島と接触し、協力関係を結んだ際に、ツヴァイは月島にクラークの技術を提供することを約束している。
それ故、彼女は月島の元に身を寄せている間、殆どの時間を研究室のパソコンの前で過ごした。記憶領域のデータを月島のパソコンに移すためだ。
ただし、ツヴァイが普通の人間では無いことは月島以外には伏せている。もし万が一、シャーロットやアインスに見つかったら色々と面倒だからだ。
「……キメラの体組織培養に関するデータ、移行完了。次は薬物による身体能力強化実験、クラークズ・フリークス……通称『kf』のデータ移行……」
新しいデータ移行を始めようとした時、廊下の方から足音が聞こえた。その足音が月島のものではないと判断したツヴァイは、自身の手首から伸びるコネクタを素早く引き抜き、手首の差込口パネルを塞いで服の袖で隠す。
程なくして背後の扉が開き、一人の少年が入ってきた。中学の制服を着たその少年は、最近月島が連れてきた被験体だ。
「お前、何してんだよ。勝手にパソコン弄ると、月島に叱られっぞ」
ツヴァイはこの研究所にある機器全般の使用許可と、資料閲覧の許可を月島から貰っている。だが、それを正直にこの少年に話したら、きっと彼は不貞腐れてしまうだろう。
自意識過剰で承認欲求の塊のようなこの少年は、自分よりツヴァイが優遇されていると知ったら、絶対に機嫌を損ねるに決まっている。
ツヴァイはこの少年に対して、ほんの少しの苦手意識を持っていた。
この少年を見ていると、貧しい家の花売り娘だった頃、彼女を馬鹿にしたり、暴力を振るったりした街の少年を思い出すのだ。
貧しい街で暮らす者にとって、圧倒的弱者である花売り娘は、プライドを満たし、憂さを晴らすのに都合の良い存在だった。だから街の少年達は、思いつく限りの罵り言葉をぶつけたり、気紛れに首を絞めたり、花を持つ手を踏みにじったりもした。
その男達と同じものを、この少年に感じるのだ。
「おい、無視すんなよ、おい!」
案の定、返す言葉を選んでいたら、少年は気分を害したらしい。
こういう時、自分の頭が完全なコンピューターで、適切な言葉を返す機能があったら良いのに、と思う。お父様が蘇ったら、お願いしてみようか。
「……あなたは」
「なんだよ」
少年を追い払うために、ツヴァイは考えに考え、少年の制服に目をつけた。
「……学校、行かなくていいの?」
「必要ねーし。オレ、天才だから。つーか、周りのやつバカばっかりすぎて、やってらんないっつーか?」
贅沢な話だ、とツヴァイは思う。
クラークに拾われるまで、貧しい暮らしをしていたツヴァイにとって、学校に行けるのに行かない、という選択は、途轍もなく贅沢なことだ。
まぁ、本人の言う通り「天才」なのなら、行かなくて良いのだろうとも思うのだけれど、ツヴァイにとって「天才」とは、クラークを意味する言葉だ。この少年などクラークの足元にも及ばない。天才という言葉を、使うことすらおこがましいと思う。
「……天才なら、何故、この研究所に?」
「天才だからだよ。オレは選ばれたんだ」
そういえば月島は、キメラが理性を保つための条件に、被験体の知能指数が関係しているというレポートを書いていた。知能指数が高いほど理性的なキメラが作れる、そう考えた彼女はわざわざ高い金を払って、知能指数の高い子どもを買い取ったという。実際、そのキメラは非常に優秀だった。フリークス・パーティでは優勝経験もあると聞く。
ただ、ツヴァイに言わせると、そのキメラの戦績が良いのは、彼の身体能力が高いからではなく、彼が状況に合わせた作戦を立て、正確にそれを実行する能力に長けているからだ。
月島も薄々それに気づき始めているのだろう。だからこそ、次の強化手段……薬物による強化実験を始めた。その被験体が、この少年というわけだ。
「なぁ、おい、なんか言えよ……っ!?」
思考に耽るツヴァイを無理やり振り向かせようと、その手首を掴んだ少年は、ギョッとしたように顔を強張らせた。
もしかして、自分の体が機械だとバレてしまっただろうか。
ヒヤリとするツヴァイの額に少年は手を当てる。
「お前! 体、熱いじゃんか! 熱出てる!」
それは長時間情報処理やデータ移行作業を行なっていたことで、機械熱が溜まっているだけだ。
この程度の熱なら何も問題ないことをツヴァイは知っていた。
「問題なし。活動に支障はない」
「問題ありまくりだろ! 馬鹿は風邪をひかないなんて言うけどなぁ、あれ、馬鹿は自分が風邪ひいたことに気づいてないだけだからな、馬ぁー鹿!」
少年はプリプリと怒りながら、少女を医務室まで引きずっていくと、無理やりベッドに押し込んだ。
そして拳をズイッと突き出す。
「……なにか?」
「手ぇ出せってば」
「…………?」
言われた通りに手を出すと、少年はツヴァイに何かを握らせた。
カサカサと音のする手のひらを広げてみれば、そこには個包装された梅味の飴やら干し梅やらが乗せられている。
「おばあちゃんが言ってたんだ。具合悪い時はとにかく梅だ、梅」
「…………」
とても天才のする処置とは思えない。
そもそもツヴァイは普通の人間のように食物を摂取することはできないのだ。脳の栄養補給には適宜投薬を行なっている。
それなのに、何故かツヴァイは手のひらに乗せられた包みを捨てる気にはなれなかった。
* * *
ビルは目の前のベッドで苦しげにフゥフゥと呻く少年を見下ろし、頭を抱えた。
なんとかサンドリヨンの力になりたくて、この少年を治療するための薬を開発するなどと安請け合いしてしまったが、そもそもビルは薬に関する知識を最低限しか持っていないのだ。はっきり言って無謀も良いところである。
カルテを前にうんうんと唸っていると、コンコンと扉がノックされた。
この部屋は、クリングベイル城の別館にある一室だ。基本的に〈女王〉が許可した人間しか出入りできないことになっている。
(あっ、そういえば、決勝戦はどうなったんだ……!)
決勝戦に出場するのはキメラのクロウと、先天性フリークスのイーグルだ。だから、サイボーグ専門のビルは仕事が無いので、今はトキの治療に専念して構わないと〈女王〉から言われていた。
だが、それはさておき、決勝戦の中継ぐらいは見ようと思っていたのだ。なんといっても、サンドリヨンが出場するのだから。
時計を見ると、決勝戦開始からだいぶ時間が経っていた。常識的に考えて、もう試合は終わっているだろう。
となると、このノックは誰だろう? 誰かが勝敗を伝えにきたのだろうか?
そんなことを考えながら扉を開けたビルの腹に、硬い何かがグッと押し当てられた。
「……えっ?」
バヂィッと強い電流が全身を駆けぬける。
ビルは陸に打ち上げられた魚のように痙攣しながら床に崩れ落ちた。
なんとか力を振り絞って襲撃者を見上げれば、そこにいるのは幼い少女……それが誰だったか思い出せない。ただ、どことなくヤマネに似ている気がする。
「……あな、たは」
「…………」
少女はビルには一瞥もくれず、トキが拘束されているベッドに歩み寄った。
(まさか、拘束を解く気か……っ!?)
少女は澄んだ青い目でじぃっとトキを見つめていたが、やがてワンピースのポケットからペンのような物を取り出した。あれは、ペン型の注射器だ。
少女は無言でトキの首に注射器を打った。すると、獰猛な唸り声も荒い息もピタリと止まる。
理性を取り戻したトキの瞳が、物言いたげに少女を見上げる。口用の拘束具の下で、少年の口が何かを呟いた。
少女はペン型の注射器をポケットに戻し、別の何かを取り出す。カサリと音を立てるそれは飴玉だ。個包装の袋には「梅味」と印刷されている。
少女はそれをトキの枕元にそっと置くと、ポツリと呟いた。
「……具合が悪い時は、これだって、言ってたから」
トキの口がはくはくと動く。少女はそれ以上は何も言わず、床に倒れたビルの体を乗り越えて、部屋を出て行った。