【16-9】人間のふりをしていたバケモノの話
彼が生まれたのは、ごくごく普通の一般家庭だった。
家族は父と母と弟が二人。どこにでもある、普通の家庭だ。彼は父も母も大好きだったし、弟のことは目に入れても痛くないぐらい可愛がっていた。
彼は生まれつき力が強かったけれど、物心ついた頃には手加減の仕方を理解していたし、無闇に物を壊したり、誰かを傷つけたりすることもなかった。
どこから見ても「普通の子」だったのだ。
けれど、集団の中で普通の子どもらしく振る舞いながら、彼はいつも他の子ども達と自分の間にある溝を感じていた。
彼には人の痛みが分からない。
弱者を哀れむ心はあっても、哀しむ気持ちを感じたことが一度もない。
自分は多分きっと、すごく心の冷たい人間なのだ、と彼は自覚していた。
それでも、彼は上手に人間の振りをしていた。だって、彼は「お兄ちゃん」だったから。
弟達に胸を張れる「強くて優しいお兄ちゃん」でいたくて、彼は必死で人間の振りを続けた。
しかし、ある日、彼は知ってしまった。
自分が実は養子だったことを。家族とは血が繋がっていなかったことを。
……自分の本当の父親が、犯罪者だったことを。
いつだって彼を人たらしめているものは、家族の存在だった。その家族と血が繋がっていなかったと知った瞬間、彼の中で何かがプツリと切れた。
それは多分、彼が人であろうとするための理性とか、自制心とか、そういったものだったのだろう。
(オレは、こいつらのお兄ちゃんじゃなかった。犯罪者の子だった)
もう目を背けることはできない。彼は自覚せざるをえなかった。
自分が、弟達とは違う生き物なのだと。
そうして彼は、居ても立っても居られず家を飛び出し、アウトロー連中とつるんで喧嘩に明け暮れた。
けれど、どんなに喧嘩に夢中になって暴れても、満たされない。ぜんぜん足りない。だって、どいつもこいつも弱すぎるし脆すぎる。
苛々しながら煙草を吸っていたら、通りすがりの少年が怯えた目で彼を見て、言った。
「……バケモノ…………気持ち悪っ……」
少年はそんなことをほざき、あろうことかその場でゲェゲェと吐き出したではないか。
イラッときたので、その場で腹を殴って、頭を掴んで、そのお綺麗な顔をゲロまみれの地面に擦り付けてやった。
これが「顔面おろし金」習得の瞬間である。
彼はどうしようもなく暴力が好きだ。
生きるか死ぬかのギリギリの境界線で、殴って、殴られて、自分の命を燃やして。
暴力の世界に身を置いている間だけ、彼は自分が生きていることを実感できた。
そうして行き着くところまでいって、出会ったのがフリークス・パーティだ。
圧倒的な暴力が物を言う、奇形達の殺戮の宴。
そこで初めて、彼は自分が生きていることを実感した。
* * *
ハヤブサと合流したグリフォンは、オウル、ドロシー、ライチョウと共にVIP用観客席へ向かった。そこが一番、異形の数が多いと目撃者から聞いていたためだ。
ところが、観客席に駆けつけたグリフォンが目撃したのは、頭がグチャグチャに潰れた異形の屍の山と、逃げ遅れた犠牲者の遺体。
そして、それらをまるでゴミのように蹴飛ばし、踏みにじりながら掴みあう、ウミネコと燕の姿だった。
燕は明らかに様子が尋常ではなく、ギチギチと歯を鳴らして、意味をなさない雄叫びをあげている。おそらく、彼もまたkf-09nを投与されたのだろう。
だが、ウミネコの方は……
「あっはははははははははははは! なぁ、次は何する? あはははは、足がグッチャグチャだ、なぁ!」
ゲラゲラと笑いながら、ウミネコは燕の頭を鷲掴み、その顔面を壁に叩きつける。だが、痛みを感じなくなった燕は、左腕のギミックを発動し、ブレードでウミネコの太ももを刺し貫いた。
それなのに、ウミネコはまだゲラゲラと笑っている。楽しくて楽しくて仕方がないとばかりに!
(……やべぇな)
グリフォンは思わず舌打ちをした。
狂戦士の異名を持つウミネコは、戦闘に夢中になると周囲が見えなくなるという悪癖がある。今のウミネコは完全にトリップ状態だ。こうなると、とにかく手に負えない。
ウミネコの狂乱ぶりに、ドロシーが真っ青になって後ずさりした。
「ねぇ、ちょっと……アレ、止められるの?」
「ウミネコも人間だ。一定のダメージを受ければ戦闘継続は不可能」
一度ウミネコと殴り合いをしているオウルは、特に動じた様子もなく、両手をひらりと動かし、糸を張り始めた。
「ミスターグリフォン、ウミネコと燕を拘束しても構わないだろうか」
「……あぁ、だが気をつけろよ。今のあいつは……」
グリフォンが全てを言い終えるより早く、オウルが右手首を捻った。途端に、ウミネコと燕の動きが止まる。二人の体にオウルが糸を巻きつけたのだ。
燕の方は体に纏わりつく糸を切ろうと、カリカリと爪を立てている……が、ウミネコはグルンと首だけを動かしてグリフォンを見た。
そうしてウミネコは、血塗れの顔にいつもと変わらない少年のような笑みを浮かべる。
「あぁ、グッさん。邪魔しないでくれよ。今、いいとこなんだ」
「……ウミネコ、やりすぎだ」
「なんで? フリークス・パーティに『やりすぎ』なんて無いだろ? ……それとも」
ウミネコの手が、オウルの糸をグッと掴んだ。彼を幼く見せているどんぐり眼がキュゥッと細められ、唇が凶暴な笑みを刻む。
「今度は、お前らが遊んでくれんの?」
ウミネコはぶちぶちと糸を引き千切ると、足を怪我しているとは思えない身軽さで床を蹴り、飛び上がった。
ウミネコの狙いはオウルだ。オウルは片手の糸を燕の拘束に使っているから、手が殆ど塞がっている。
グリフォンは咄嗟にオウルの前に立ち塞がり、ウミネコの拳を右手だけで受け止めた。
既に満身創痍のグリフォンは、左腕がまだ動かせない。
「ち、ぃぃぃっ!」
恐ろしく重いその一撃を、グリフォンはギリギリのところで受け止めた。右手首と指の骨三本がイカレたが、ウミネコ相手でこれなら上出来だ。
ウミネコはグリフォンの手に拳をねじ込みながら、ゲラゲラと笑った。
「あはははははは、さすがグッさん! 頑丈だなぁ! オレ、グッさんと遊ぶの好きだぜ! だって、頑丈で簡単には壊れないんだもん!」
「今はそういう状況じゃねぇつっつてんだろうがぁ!! おい、ドロシーの嬢ちゃん! バケモノどもに麻酔打ってたろ!? ウミネコにもぶっ刺せ!」
「これは、あの薬を投与された人間専用! 普通の人間用の麻酔じゃないの!」
「だぁぁぁぁぁ!! 誰でもいいから、このアホを止めろ!!」
グリフォンの叫びに応えるように、ライチョウが静かに動いた。彼はウミネコの背後に回り込むと、機械の右手をウミネコの背中にグッと押し当てる。
途端、バチィッ! という音が響き、強い電流がウミネコと、ウミネコの拳を受け止めていたグリフォンの体を駆け抜けた。
「ふぎゃぁぁあぁぁぁっ!?」
「ぐぉぁぁぁぁぁっ!? なんでオレまでぇぇぇぇぇ!!」
ウミネコとグリフォンがのたうち回りながら床に崩れ落ちたのを確認し、ライチョウはスタンガンをオフにした。
その間にドロシーが燕に駆け寄り、首筋に麻酔を打ち込む。
「観戦室の鎮圧、完了」
ライチョウがボソリと言うと、ウミネコが床で痙攣しながら、ライチョウを見上げた。
「……あるぇ……ライチョウ、じゃん」
「…………」
「おっひさー……お前、行方不明じゃなかった? ほら、準々決勝で水にジャーッと流されて」
「ハヤブサに救助された。今、その借りを返している」
ハヤブサ、の一言にウミネコはパチパチと瞬きをする。
暴力衝動にギラギラしていた瞳がようやく正気の色を取り戻せば、ウミネコは床に寝転がったまま、どんぐり眼をくるりと回した。
「ハヤブサが来てんの? ……どういう状況よ、これ? グッさん。おーい、グッさん。寝てないで状況を説明してくれよー」
グリフォンはビリビリと痺れる体に鞭打ち、ウミネコの頭に全力でゲンコツを叩き込んだ。
* * *
「おねえさん、大丈夫?」
全身の痛みに優花は小さく呻きながら、ゆっくりと目を開いた。
霞む視界が次第に焦点を結び、一人の少女の姿を映しだす。
優花を心配そうに見下ろしているのは、まだ十代前半の、素朴なワンピースを身につけた少女だった。
そして、少女のすぐ後ろには四本の腕を持つ巨体の男。その姿は分かりやすく異形であったが、ギョロリとした目に敵意や殺意はない。
優花はこの二人に見覚えがあった。
「グレーテルと、ミミズク……?」
二回戦でクロウと戦ったペアだ。ミミズクの方は、クロウとの戦闘で怪我をしていた筈だが、今は目に見えて大きな怪我はない。
「どうして、あなた達が……」
優花が上半身を起こして周囲を見回せば、今度はスノーホワイトと目が合った。スノーホワイトのすぐそばにはサンヴェリーナの姿もある。
「あのっ、あのっ、御機嫌よう、サンドリヨンさん……ご無事でなによりです」
スノーホワイトはスカートの裾をつまみ、はにかみながら微笑む。
サンヴェリーナは優花が起き上がったことに気づくと、駆け寄って優花の手を取った。
「サンドリヨンさん……良かった……わたくし……わた、くし……」
サンヴェリーナは最後の方は声を詰まらせて、俯き震える。その背中を優花はそっと撫でてやった。
サンヴェリーナの美しい顔には痣ができていて、とても痛々しい。それでも、命に関わるような怪我は無さそうなのが救いだ。
優花はサンヴェリーナの無事にほっと息を吐き、グレーテルを見上げた。
「あなた達が助けてくれたの?」
優花の問いに、グレーテルはふるふると首を横に振った。
「パパが助けようとしたんだけど、それより早く、スノーホワイトがやっつけちゃった」
そう言ってグレーテルが指さした先には、異形の亡骸があった。その頭は、ちょっと具体的に描写するのが憚られるぐらい派手に吹き飛んでいる。
「……あれをスノーホワイトちゃんが?」
思わず喉を引きつらせて呻くと、スノーホワイトはもじもじと指をこねくり回しながら、視線を右に左に彷徨わせた。
その時、優花の右手の方からキィィィンと大きな音が響く。見れば、観客席と二階ホールを隔てるガラス壁をライチョウがチェーンソーで破壊していた。
ライチョウが人が一人出入りできるだけの穴を開けると、そこからライチョウだけでなく、グリフォンまでもがこちら側に移動してくる。
「よぅ、サンドリヨンの嬢ちゃん。無事だったか」
「グリフォンさん……」
観客席側で暴れていた燕は、今は床に倒れて大人しくしている。そのそばにいるのはオウルとドロシーだ。
燕と殴り合いをしていたウミネコもまた、ひょこひょこと右足を引きずりながらホール側に移動し、血塗れの手をヒラヒラと振った。
「よっ、サンドリヨンちゃん。ヤッホー」
「……ウミネコさん。あの、燕さんは……」
「だいじょぶだいじょぶ、麻酔打たれて、今は大人しくしてるよん」
この場で誰よりも酷いケガをしているのがウミネコとグリフォンなのだが、ウミネコに関しては、心配する気が起きないのは流石に薄情だろうか?
だが、あれだけ楽しそうに燕と殴り合いしていたところを見てしまうと、どうにも心配する気が起きないのである。
ウミネコにかける言葉を悩んでいると、ドロシーが早足で近づいてきて、優花に詰め寄った。
「ねぇ、ちょっと! クロウはどこよ!」
「え、えーっと……」
説明したいが、まずこの状況が分からない。ドロシーやスノーホワイト達に敵意は感じられないが、どこまで事情を把握しているのだろう?
そもそも、優花自身、今何が起こっているのかを、正確には理解していないのだ。
(ど、どうしよう……頭が混乱してきた……)
優花がパンクしそうな頭を抱えていると、二階ホールのカーテンがヒラリとめくりあがり、美花と白兎が姿を見せる。
「あーーー! ほらやっぱり、お姉ちゃんだー! あと、グリフォンのおじさんもいるー!」
「うわああああああああんんん!! グリフォンさんんんんんんんん!! どうして通信機無視するんですか酷いですぅぅうぅぅぅぅぅぅ!! でもとりあえず助かったっぽい良かったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
今まで隠れて様子を伺っていたらしい二人が、好き放題に喋り出せば、それに負けじとドロシーも声を張り上げた。
「うるっさいわね! まずはアタシの質問に答えなさいよ! クロウはどこなの!? 早く答えなさいよ!」
「ドロシー、サンドリヨンは混乱していると思われる。まずは、こちらの事情を説明するべきではないだろうか」
「あんたは黙ってなさい、オウル!!」
「あのですね、サンドリヨンさん。私、本当は争いごとって苦手なんですよ。ただ、ちょっと、そのいつもライ君に頼りっぱなしは良くないと思って……えっとえっと、ああああ、私なんかがでしゃばったりしてごめんなさいごめんなさい……」
「おぅ、お前ら、サンドリヨンの嬢ちゃんが困ってるだろ! 話すなら順番に……」
「誰もグッさんの話聞いてないのな。ウケる」
とうとう優花は耳を押さえ、腹の底から響く声で怒鳴った。
「一斉に喋らないで! 順番に! 説明! しなさいっ!!」