【16ー5】サンヴェリーナ、立ち上がる
優花とカーレンは 他の姫や騎士達をパウダールームに待機させ、玄関ホールを目指すことにした。
優花の目的地である一階ホールは、玄関ホールから更に奥に進む必要があるので、そこまではカーレンが同行してくれるという。
優花は美花を探してワクチンを回収し、クロウとイーグルを探すため。
カーレンは玄関までの道が安全かを確認するため。
早速出発しようとしたところで、それに待ったをかけたのが、イスカだった。
「カーレン一人じゃ不安だからさ、オレも一緒に行ってあげるよ」
これに露骨に嫌そうな顔をしたのが、カーレンである。
「……足手まとい」
「歯に衣着せて!?」
カーレンに突っ込みつつ、イスカは優花の方を向き直ると、キリリとした顔を作ってみせた。
「ほら、カーレンは語彙力がゴミカスど底辺だから、状況説明がクソ下手でしょ? 通訳が必要だと思わない? オレ、カーレン語検定一級だから、頼りになるよ?」
「妙な検定を作るな」
カーレンがイスカの足をゲスゲスと蹴り、イスカが「痛い!」と悲鳴をあげる。
優花としては、まぁ、イスカが来ようが来まいが、どちらでも構わないのだが……
「つまりカーレンが、心配なのね」
「オレが心配してるのは、君だよ、サンドリヨンちゃん。カーレンは殺しても死なないから、心配するだけ人生の無駄さ」
イスカが優花の手をとって、パチンとウインクをすれば、ピーコックが死ぬほどどうでも良さそうな顔で肩を竦める。
「通訳が必要なのは、彼の方なんじゃないの?」
同じことを優花も思ったが、追求するとイスカとカーレンが取っ組み合いを始めそうだったので、黙っておくことにした。
* * *
パウダールームには武器になる物は少ないが、衣類の類は充実している。その中に誰かの忘れ物らしい斜めがけバックがあったので、優花はそれを拝借して、トラヴィアータから借りたナイフと、ヘアスプレー、ライターを突っ込んだ。あの異形相手にどれだけ有効かは分からないが、武器が多いに越したことはない。
それから優花は、まだ戦える騎士だけを集め、あの異形について自分が知っていることを話した。
アレは薬によって変異させられたこと、頭を潰さない限り動き続けること、そして、鷹羽コーポレーションがその治療薬を開発していること。
騎士達は不審そうな顔で優花を見ていた。そう簡単に信じてもらえないのも当然だ。
どう言えば信じてもらえるだろう、と優花が頭を抱えていると、ピーコックが髪をかきあげながら言う。
「どうして君が、そのことを知っているのか、今は追求しないでおいてあげるよ。まずはここを脱出するのが先だからね」
ピーコックの言葉に、イスカもこくりと頷く。
「鷹羽コーポレーションが治療薬を開発してるんなら、イーグルの保護は最優先でしょ。だったら、尚更、急がないとね。よし、行こ行こ」
数人の騎士は納得できないような顔で優花を見ていたが、イスカが優花の肩を押して廊下の方に連れ出せば、それ以上追求はしてこなかった。
「あのっ、サンドリヨンさん……っ」
イスカに肩を押された優花をサンヴェリーナが呼び止めた。
彼女は泣き腫らした真っ赤な目で、優花を見ている。
優花は罪悪感で胸が潰れそうになった。
無責任に「燕さんも私が助けるわ」なんてことは言えない。ワクチンは美花のドレスに縫い付けた一つしかないのだ。そして、そのワクチンの存在を優花はまだ誰にも話していない。
……そのワクチンを、イーグルに使うために。
イーグルを助けて、それから他のみんなの治療薬をイーグルに融通してもらうためだなんて、そんなのは耳障りのいい言い訳だ。
(私は、ただの私情で……たった一つのワクチンを、イーグルに使おうとしてる)
誰かの命を天秤にかけるなんて、許されるはずがない。
かつてそう口にしたのは、優花自身なのに。
今、サンヴェリーナに「お兄様を助けて」と言われたら、きっと自分は胸を張って頷くことはできない。
優花が途方に暮れていると、サンヴェリーナは優花の手を両手でギュッと握りしめた。
「……? サンヴェリーナちゃん?」
「サンドリヨンさん。あなたの勇気を分けてください」
サンヴェリーナは、その華奢な手に力を込めて、優花、カーレン、イスカを順番に見る。
「わたくしも、連れていってください」
優花は驚き、目を丸くした。カーレンは無表情なので何を考えているのか分からないが、イスカは露骨に苦笑し、サンヴェリーナの顔を覗きこむ。
「ねぇ、ここから先は危険なんだよ? この部屋でおとなしく待ってよ?」
「お願いします……足手まといだと思ったら、わたくしを囮にしても構いませんから」
「えぇ〜、いや、こんな可愛い子を囮にするのは、ちょっと……ねぇ、サンドリヨンちゃんとカーレンからも、何か言ってやってよ」
イスカが困ったように優花とカーレンを見る。
先に口を開いたのは、カーレンだった。
「分かった。囮にする」
「お前、返答が非道すぎない!?」
「それでもいいなら、ついてくればいい」
あっさり言って、カーレンは優花を見る。あとは、優花の返答次第というわけか。
サンヴェリーナは、この城のどこかに燕がいると思っている。きっとそれは正しい。海亀が燕をさらったのだとしたら、燕を異形化して戦力にすることは充分にあり得る。
だとしたら、きっと燕はこの城の中にいる……異形化した姿で。
(燕さんを、サンヴェリーナちゃんに会わせるわけにはいかない……でも……)
サンヴェリーナは一歩も譲らない構えだった。カーレンに「囮にする」と言われても、引き下がる気配は無い。
いつも遠慮がちに俯いているサンヴェリーナが、今は泣き腫らした目で、それでも真っ直ぐに立って、戦おうとしている……兄を助けるために。
その気持ちは、クロウとイーグルを助けたい優花の気持ちと変わりないのだ。
優花は複雑な気持ちでサンヴェリーナの手を握り返す。
「…………分かった」
了承の言葉を口にすれば、サンヴェリーナはパッと花が咲いたみたいに微笑み「ありがとうございますっ、ありがとうございますっ!」と優花に抱きついて礼を言う。
感極まったサンヴェリーナの声を耳元で聞きながら、優花はサンヴェリーナに、この部屋にいる騎士達に、胸の内で謝罪した。
(……ごめん、ごめんなさい、本当は私、一本だけワクチンにあてがあるの。それを、私はみんなに黙って、イーグルに使おうとしている)
罪悪感で胸が苦しい。
それでも、優花は助けたいのだ……イーグルのことを。
* * *
カーレンを先頭に、優花、サンヴェリーナが続き、しんがりをイスカという並びで四人は廊下を進む。
早足で歩けば十分足らずで玄関ホールに出られるのだが、先頭のカーレンは廊下の角を一つ曲がったところで足を止めた。
「……ここならいいか」
「どうしたの?」
優花が緊張の面持ちで問うと、カーレンは優花とサンヴェリーナの肩を掴んでギュッと寄せ、自身が羽織っていたモッズコートを二人の頭にバサリと被せた。
カーレンがボソリと「お守り」と呟けば、イスカが顔をしかめる。
「お前ねぇ。カッコつけるんなら、もうちょいマシなコートを貸してあげなさいよ。そんなワインの染みだらけの汚ぇコート……」
「あのバケモノは、理性は無いのに、同士討ちはしなかった」
イスカの言葉を無視して、カーレンは淡々と言う。
カーレンが言うには、観戦室で薬を仕込んだワインを飲んで複数人が異形化したのだが、彼らはワインを飲んでいない者だけを無差別に襲ったらしい。
「観戦室でしばらく様子を見ていたが、何故か私だけが、あいつらに狙われなかった」
「んー、言われてみりゃ、そうだったかも……カーレンがバカスカ攻撃してんのに、オレばーっかり狙われたもん」
「その理由が、これだと思う」
カーレンはコートの染みを指さす。赤ワインがぐっしょりと染み込んだコートからは、あの甘ったるい薬のにおいがした。
「薬を飲んで異形化した連中は、みんな体臭が同じ。腐った果実みたいな、甘ったるいにおいがした」
そのにおいに優花は心当たりがある。kf-09nのにおいだ。
「つまり、あいつらは、においでお互いを判別してるってこと?」
優花の問いに、カーレンは「多分」と自信のない様子で頷く。
「……短時間の検証。確証がある訳ではないし、どこまで有効かは分からない。だから、そのコートはあくまで気休めのお守り」
カーレンがそう言うと、イスカが眉をひそめてカーレンに詰め寄った。
「お前な、そーいう重要な発見は、もっと早く言いなさいよ。なんで、他の連中にそれを教えなかったの!」
「コートの奪い合いになると思ったからだ。自分だけ助かりたい奴が、暴走しないとも限らない」
だからカーレンは、パウダールームを離れてから、優花とサンヴェリーナにコートを貸したのだ。
……サンヴェリーナに対して「囮にする」などと容赦のないことを言った癖に。
優花はコートの裾をギュッと握りしめて、カーレンを見上げた。
「カーレン、ありがとう」
「ありがとうございます、カーレン様」
優花の隣で、サンヴェリーナも深々と頭を下げる。
カーレンは優花とサンヴェリーナの顔を、じぃっと無表情で見ていた。まるで、こちらの覚悟をはかるみたいに。
やがて彼女はフイッと視線をそらして、廊下を歩きだす。
「……話はこれで終わりだ。行くぞ」
「そうだね、それじゃあしゅっぱーつ!」
イスカが陽気な声で言って、優花とサンヴェリーナの後ろから無理やりコートに潜り込もうとする。
「ちょ、ちょっと、イスカさんっ!」
「きゃぁっ、スカートが……っ」
カーレンはイスカを無言で蹴飛ばし、その頭にかかと落としを叩き込んだ。