【16-2】ウミネコ、溜息を吐く
『私は〈十二番目の娘〉……安全な場所で惨劇を眺め、誰かの死を笑ったあなた方に、ガラス越しでは味わえない、本物の恐怖をプレゼントして差し上げましょう』
そのアナウンスが響くと同時に、観戦室の扉が開き、廊下から何かが飛び込んできた。
全身の筋肉が不自然に膨れ上がった巨体、理性を失いドロリと濁った目、涎を垂らしながら意味をなさない呻き声を漏らす口。
その異形は膨れ上がった右腕を無造作に振るう。それだけで扉付近にいた観戦者が吹き飛び、壁に叩きつけられた。
『愚かな騎士に制裁を、哀れな姫に救済を……さぁ、惨劇を始めましょう』
次の瞬間、観戦室にある四つの扉全てが同時に開かれ、異形の者が廊下から次々と押し寄せてくる。
悲鳴と怒声にざわつく観戦室で、ウミネコはインカムマイクに向かって叫んだ。
「グッさん! こっちにヤベーのがゾロゾロ来てんだけど! そっちはどうなってんの!?」
ザザッ、というノイズの音がして、イヤホンから途切れ途切れにグリフォンの声が聞こえた。
『そっちにもか!? くそっ、どうなってやがる……っ! こいつら、突然城内からゾロゾロと湧いてきやがった……っ』
「とりあえず玄関を開放してくれよ! 多分そのうち、観客が玄関に殺到するぜ」
『ダメだっ、扉が開かねぇ……まさか、笛吹が……っ』
その時、イヤホンの向こう側で激しい破壊音が響いた。
それきり、グリフォンの声は聞こえない。
通信機はグリフォンの他に、ヤマネ、クロウ、ジャバウォック、白兎も所持している。
「おーい、グッさん! ヤマネちゃん! クロちゃん! ジャバのとっつぁん! 誰でもいいから返事してくれよ。おーいってば!」
インカムマイクに呼びかければ、返ってきたのは白兎の悲鳴だけだった。
『うわぁぁぁぁぁん、なんですかこれ、なんですかこれ、なんですかこれぇぇぇぇ!! 廊下になんかいっぱいうじゃうじゃいるんですけどぉぉぉぉぉぉぉ』
「おーい、白兎君以外のだーれかー、お返事プリーズ……」
『うわぁぁっ、ぁっ、ぁっ、死ぬ死ぬ死んじゃう無理無理無理無理、助けてぇぇぇぇぇ死にたくないぃぃぃぃぃぃ』
「…………」
耳が痛くなってきたので、ウミネコは無言で通信機を切った。まぁ、白兎は逃げ足が早いから大丈夫だろう、多分。
(それよりヤバいのは、返事が無い連中だよな……クロちゃんはイーグルと地下に落とされちゃったし。ジャバのとっつぁんとヤマネちゃんは何があった?)
特にヤマネは〈女王〉、アリスと一緒に、この城の最上階にいるはずだ。一番安全な場所にいるはずのヤマネから返事が無いのが、気にかかる。
一番冷静で判断力のあるジャバウォックからの通信が途絶えているというのも気がかりだ。
(しかもこいつら、玄関から入ってきたんじゃなくて、城の中から突然湧いて出た?)
つまり、この異形達は城の中に隠れていたか、或いは〈女王〉すら知らない隠し通路が、この城に存在していることになる。
もし、隠し通路があるなら最悪だ。そこを封鎖しないと、この異形達が延々と送り込まれることになりかねない。
「まぁ、なんにせよ、まずはこいつらを片付けないと……なっ!」
ウミネコは一番近くにいる異形に駆け寄ると、その胴体に拳を叩き込む。
「どっせいー!」
異形の巨体は軽々と吹き飛び、壁に叩きつけられた。
大抵の連中はこの一撃で動かなくなるのだが、異形はダメージを感じさせない動きで巨体を起こす。なるほど、不死者とはよく言ったものだ。
ウミネコは異形を殴りつけた、己の拳をじっと見る。
殴った時、ぐにゃりという妙な手応えがあった。あの異形は、ウミネコと戦う前から内臓が潰れていたのだ。
異形からは、甘ったるい腐った果実の匂いとは別の腐敗臭がした。
(……こいつの体は、もう死んでいるわけだ)
「kf-09n」を摂取した者は「不死身」になるのだが、この「不死身」とは、体が生命活動を維持できないほどボロボロになっても動いている状態だ。
ウミネコに言わせてみれば、そんなの死んでいるのと大差ない。
クロウが保護したトキは、まだ肉体が保護されている状態だから救いがあるが、目の前で暴れている連中は、既に肉体の至る所が損傷している。
おそらく、フリークス・パーティで瀕死状態だった騎士に薬を投与したのだろう。彼らの体はもう死んでいるも同然で、ただ薬の力で無理やり動かされているだけだ。
つまり、例えワクチンがあっても助からない。
「……だったら、手加減はいらないよな?」
手加減をしなくていい全力の戦いは、いつもならとても胸が踊るのに、今は全く気分が乗らなかった。
ウミネコは気怠げな溜息を一つ零して、再び襲いかかってきた異形の顔面を殴りつける。異形の背中が壁に叩きつけられても、そのまま拳を振り抜けば、ウミネコの拳と壁に挟まれた異形の頭はパックリと割れ、その中身が飛び散った。
頭部を破壊すれば動かなくなる、というのはどうやら本当らしい。
「ウミネコだ! ウミネコがいるぞ!」
「本当だっ……頼む、助けてくれぇっ!!」
「こっちのバケモノも倒してくれ!」
「金ならいくらでも払う! 私を守ってくれぇぇ!」
ウミネコの存在に気づいた観客達は、一斉にウミネコに群がった。彼らはみな、救世主を見るような目でウミネコを見ている。
そんな金持ち連中をウミネコは煩わしげに眺め、頭部がぐちゃぐちゃになった異形の亡骸の足を掴んで持ち上げた。
そしてそれを、力任せにブンブンと振り回す。異形の血と体液が周囲に飛び散り、駆け寄った金持ち連中は悲鳴をあげた。
「バーサーカーが暴れるぜ。巻き込まれたくないやつは、適当に逃げろよー」
冷めた口調で言って、ウミネコは振り回した亡骸を、適当な異形に投げつける。そうして足止めをした隙に距離を詰め、異形の頭を拳で叩き割った。これで、二体目。
そのまま足を止めず、別の異形の胴体を殴って床に倒し、頭を踏み抜く。これで、三体目。
「……あー、テンション上がんねー……」
こんなのは戦闘でもなんでもない。ただの作業だ。
ウミネコに狙いを定めた異形が、巨大な拳をウミネコの頭に振り下ろす。ウミネコはそれをかわして、異形の頭を鷲掴み、床に叩きつける。何度も何度も、その中身が飛び散るまで。
ウミネコが暴れている間に、観客の殆どは扉から廊下へと逃げ出していた。残ったのは異形に殺された者か、怪我をして身動きが取れぬ者だけだ。
だが、たった一人だけ、怪我をしているわけでもないのに、部屋の隅に佇んでウミネコを見つめている少女がいる。
イーグルとクロウの試合をじっと観察していた、あの黒髪の少女だ。
瞬きもせず、真っ直ぐにこちらを見つめる姿は、ウミネコの記憶の琴線に触れた。
「……よっ、と」
ウミネコは最後の一体の頭を叩き割ると、血で汚れた頰を服の袖で拭いながら少女を見る。
「思い出したぜ、おチビさん。お前、一回戦でトキのパートナーだった子だろ。名前は……」
「……銀貨」
少女は抑揚の無い声で答える。瞬き一つせず、真っ直ぐにウミネコを見据えたままで。
そうして少女は長い黒髪を掴んで、引っ張った。カツラはずるりとずれて、下から短い銀色の髪が露わになる。
「そうそう、銀貨ちゃんだ。でもって、オレさぁ……おチビさんの本名に心当たりがあるんだよね」
〈女王〉の昔話を聞いた時から、ウミネコには、クラークの後継者の目星がついていた。
おそらく〈女王〉やヤマネも、確信できずとも薄々察していたのだろう。
「クラーク・レヴェリッジが造った二番目の娘……ツヴァイちゃんだ。違う?」
銀貨は……否、ツヴァイは案外素直にコクリと頷いた。
ツヴァイが銀貨と名乗ってフリークス・パーティに参加していても、〈女王〉やヤマネが気づかなかったのは、恐らく、顔を作り変えていたからだ。
アインスとツヴァイはその体の殆どが機械でできている。当然、顔も人工皮膚。となれば、顔を別人の物に作り変えるのは、さほど難しいことではないだろう。
だが、ウミネコには一つ解せぬことがあった。
「姫としてフリークス・パーティに参加したのは、なんで? メリット無くない?」
寧ろ〈女王〉やヤマネに気づかれるリスクもあった筈だ。
それなのに、何故、ツヴァイは顔を変えてトキのパートナーになったのか?
「……それが、月島との契約だから」
「月島って、クロちゃんとこの上司だよな。あー、オレのこと大好きなんだって?」
「そう。フリークス・パーティでは、試合の撮影は禁止されている。でも、月島はウミネコの戦う姿を記録したかった。だから、ツヴァイの目に内蔵されているカメラで、ウミネコを撮影してほしいと言った」
なるほど、ツヴァイが銀貨として姫役を務めたのは、完全に月島の個人的な趣味のためだったのだ。
どうりで、いくら真面目に考察しても、理由が分からない訳である。
「もしかして、この会話も中継中?」
「そう。ツヴァイの目は月島のモニターに繋がっている」
つまり、月島はクロウとイーグルの試合も、ツヴァイの目を通して観ていたというわけだ。安全な場所で、ほくそ笑みながら。
「月島と会話はできる?」
「…………」
ツヴァイは自身の耳の上を、指先でトントンと叩いた。すると、ツヴァイの口から少女のものではないハスキーな女の声が響く。
『やぁ、初めまして』
ツヴァイの唇は一切動いていないのに、その声はたしかにツヴァイの喉の奥から響いた。
無表情な少女の口から、愉悦を隠しきれていない大人の女性の声が聞こえるのは、何とも不思議な気分である。
『私は月島みのる、グロリアス・スター・カンパニー、キメラ研究部門の主任さ……あぁ、今は元主任と言った方が良いかな』
「うん、知ってる。クロちゃんから聞いたよ。オレの大ファンなんだって? いやぁ、照れるねー。サインいる?」
『君のことはずっとずっとずっと前から見ていたよ。君の戦う姿を見た時は、心臓を射抜かれたような気持ちだった。あぁ、君が凶悪な狂戦士として悪逆非道の限りを尽くすところが! 笑いながらフリークス達を叩き潰すところが! もっともっと見たい! その上で、私が作ったキメラが、君を屈服させるところが見たい! 私の作品で君を這いつくばらせることができたら、どんなに気持ちいいだろう。想像しただけでイってしまいそうだよ、ふふ、ふふふふふ』
繰り返すが、このセリフが無表情なツヴァイの口から垂れ流されているのである。シュールなんてものじゃない。
ウミネコは悲痛な顔で呻いた。
「……あっ、これ、ファンじゃない。ストーカーだ……クロちゃんの嘘つきっ! オレにモテ期がきたーって思ったのに!」
『そう、クロウ。クロウだよ。本当はあの子に薬を飲ませて、君と戦わせたかったんだ。それなのに、あの子は途中で勘付いて薬を捨ててしまったからね。あぁ、馬鹿な子だよ。あの薬を飲めば……不死者として、生かしておいてあげたのに。あの子が決勝戦に残るよう、お膳立てもしたんだよ? あの薬の力でイーグルに勝って、そうして最後はウミネコ……君に勝つところが見たかったんだ』
どうやら月島は、クロウが薬を飲まなかった理由……サンドリヨンの介入までは気づいていないらしい。きっと、月島はサンドリヨンなど眼中になかったのだろう。
(つーか……クロちゃんが決勝戦に残るよう、お膳立てしたって? ……まさか……)
ウミネコの嫌な予感を裏付けするかのように、廊下から人影が一つ現れた。
『クロウはもういらない。替わりを用意したから。本当は、私の作ったキメラで君を屈服させたかったのだけどね……それも叶わないようだから、まぁ、私の薬で強化した彼で我慢することとしよう』
* * *
海亀は優花の手を体の後ろでねじあげ、ホール横にある選手専用通路へ促した。
優花は海亀の隙をついて逃げ出そうとしたが、優花の手首を掴む海亀の力は、一般人のそれではなかった。恐らく、彼もフリークスなのだろう。
「オデット嬢も保護したかったのですが……どうやら逃げたようですね」
「…………」
いつのまにか美花の姿が見えなくなっている。逃げ足が速い美花のことだから、非常事態と察して、安全な場所に身を隠したのだろう。
「仕方ありません。あなただけでも、こちらへ」
海亀は優花を拘束したまま、歩き出す。優花はおとなしく海亀の指示に従いつつ、必死で頭を回転させた。
(……一体、何がどうなってるの?)
海亀の手でイーグルが注射を打たれ、そしてクロウ共々、地下に落とされた。
それと同時に、不吉なアナウンスが入り、観戦室をあの異形が襲った。
耳を澄ませば、遠くから複数の悲鳴や断末魔の声が聞こえてくる。
(……イーグルの言ってた「クラークの後継者」が何かを仕掛けてきたってこと? でも、何が目的?)
状況が把握できないまま、優花は海亀と共に通路を歩く。
選手専用の通路を抜け、スタッフ専用らしき細い廊下を進んでいき、やがて海亀はとある扉の前で足を止めた。
「……パウダールーム?」
「ここにいる限り、貴女達は安全です。貴女の妹さんも見つけ次第、ここにお連れします」
「ちょっと待ってってば……っ!」
海亀は優花の言葉に耳を貸さず、パウダールームの扉を開ける。扉は二重扉になっていて、暗証番号でロックを解除する仕組みだ。
海亀は二つ目の扉を開けると、優花の背中を突き飛ばした。
優花は「ふぎゃっ」と悲鳴をあげて、床に倒れこむ。その背後で無情にも扉が閉まり、施錠される音が響いた。
「な、なんなのよ、もう……っ!」
「……おやおや、見覚えのあるお姫様が」
前方から響いた声に顔を上げれば、そこには数十人の女性の姿があった。その女性達の中から優花に歩み寄って声をかけたのは、チェリーレッドの髪の女性……トラヴィアータだ。
あたりを見回せば、他にもちらほらと見たことのある女性がいる。恐らく、ここにいる全員、フリークス・パーティの姫なのだろう。
「ど、どういうことなのよ、これ……」
思わず呟けば、トラヴィアータは軽く肩を竦める。
「どういうことは、こっちの台詞だね。パウダールームに入ったと思ったら閉じ込められて……もう、どれだけ時間が経ったと思ってるんだい?」
トラヴィアータが言うには、決勝戦の観戦に来た彼女達は、パウダールームに誘導され、そのまま閉じ込められていたらしい。
パウダールーム内は、衣装のラックやドレッサーが並んだ広い部屋で、隅にはトイレと水道も設置されている。閉じ込められても、すぐに死ぬようなことはないだろうけれど、それでも、何の説明もなく閉じ込められていた姫達は不安そうに優花を見ていた。
「……あのアナウンスは聞いた?」
「アナウンス? なんのことだい?」
優花の問いにトラヴィアータが首を捻る。
どうやらこの部屋には、あのスピーカーの声も届いていないらしい。
(海亀は美花のことを、保護するって言ってた。それに、ここは安全だとも)
つまり、少なくとも海亀は姫に危害を加える気はないらしい。
優花は懸命に頭を捻って、言葉を絞り出す。
「……クリングベイル城内で、フリークスが暴走してるの。沈静化するまで、ここを出るのは危険だと思う……ごめん、これ以上は私もよく分からない」
海亀の言葉が真実なら、この部屋は安全なのだろう。
それなら、トラヴィアータ達は、ここに留めておくべきだ。
だが、優花はここでおとなしくじっとしているつもりなど無かった。地下に落ちたクロウとイーグルを助けに行かなくては。
なんとかこのパウダールームから脱出する方法は無いだろうか……とパウダールーム内を見回していると、トイレから出てきた姫が真っ青な顔で駆け寄ってきた。
「ねぇ、誰か来て! トイレの物置から、音が聞こえるの……っ!」
優花は迷わずトイレの方に向かった。その後を追ったトラヴィアータが、優花の背中に声をかける。
「お嬢ちゃん」
「私が、開けるわ」
優花が宣言すれば、トラヴィアータは無言で頷き、自身のドレスのスリットに手を這わせ、細いナイフを取り出して構えた。何かあれば、すぐ攻撃できるように。
優花は一度深呼吸をすると、トイレの物置の扉に手をかけ、そっと開ける。
「……誰か、いるの? …………っ!?」
扉の隙間から中の様子を伺った優花は、思わず息を飲んで、勢いよく扉を開けた。
物置の中には掃除道具の類は無く、椅子が一つ置かれている。その椅子に座った状態で縛られているのは…………失踪した、サンヴェリーナだ。
サンヴェリーナはポロポロと涙を流しながら、優花を見上げていた。その口には猿轡がはめられている。
「サンヴェリーナちゃんっ!?」
優花は慌てて駆け寄り、サンヴェリーナの猿轡を解こうとした。だが、布はしっかりと結ばれていて、中々解けない。
優花はトラヴィアータからナイフを借りて、サンヴェリーナの猿轡と体を縛り付ける縄を切った。
自由の身になったサンヴェリーナは、ふぅふぅと頼りない息を吐きながら、優花の胸にもたれる。
「…………け、て……」
か細く掠れた声が、嗚咽交じりに懇願した。
「お兄様を……たす、けて……」
* * *
「……いや、参ったね、こりゃ」
そう来たかー、と危機感の無い声で呟きながら、ウミネコは扉から入ってきた人物と対峙する。
柳のような痩身、包帯で覆われた目、その手に握られたのは一本の刀……それは、失踪中の燕だった。
だが、その様子が尋常ではない。いつもすらりと姿勢良く佇む男が、今は前傾姿勢になり、獣のように凶悪な唸り声をあげている。
ツヴァイの口を通して、月島が高らかに告げた。
『さぁ、燕よ。私が与えたその力で、ウミネコを跪かせておくれ!』