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【幕間2】アンパン大使、始めました


 早朝のキンキンに冷えた空気が、草太は好きだ。

 ランニングをしていると、最初は寒さに頬がヒリヒリするけど、体が温まれば、それも気にならない。

 いつもならこの時間は部活の朝練をしているのだが、昨日から文化祭の準備期間が始まっているため、部活動は全て縮小期間となり、グラウンドが使えなくなる。

 文化祭の準備が忙しいなら、そちらに専念すればいいのだが、草太のクラスの出し物は展示物(それも地域の歴史が云々とかいう退屈な奴だ)なので、草太がやることはほとんど無かった。せいぜい前日のレイアウトの手伝いぐらいだ。

 そういうわけで暇をもて余した草太は、来月の合宿に向けて自主トレに専念している。

 先日から姉が泊まりの仕事で留守にしているので、必然、家事の負担が増えるかと思いきや、若葉が予想以上に張り切って家事をしてくれているので、草太は案外暇だった。

(……というか、若葉は花嫁修行とか言ってるけど……大丈夫なのかあいつ)

 女々しい奴だと小学校で苛められていないだろうか。と草太は密かに心配している。過保護なのは、なにも姉だけではないのだ。

 家を出て数キロ走ったところで、草太は見覚えのある公園にさしかかった。家を飛び出した時、自称アンパン大使と出会った公園だ。あの晩に草太にアンパンをくれた、あの女の人は一体何者だったのだろう……と考えていた草太は、数秒後にその答えを目の当たりにした。

 公園の入り口付近に停まっている黄色いワゴン車の中で誰かが草太に手を振っている──あの時出会った、自称アンパン大使の女だ。

 ワゴン車には「里見ベーカリー」というロゴがペイントされている。どうやら、移動販売のパン屋らしい。

「おーい! この間の少年!」

 無視をするのも大人気ないし、パンとお茶を貰った礼をきちんと言いたかったので、草太はワゴン車に近づいた。

 アンパン大使の女はこの間と同じように、エプロン姿で頭に三角巾を被っていた。胸のエプロンには車と同じ店名のロゴがプリントされている。

 生真面目な草太は、いかにも体育会系らしい実直さで、きっちり九十度の角度に腰を折る。続けて「この間はありがとうございました」と言おうとした……が、それより早く草太の腕を、アンパン大使がガシッと掴んだ。

「丁度いい、手伝え!」

「へ?」

 女は草太をワゴン車の中に押し込むと、除菌スプレー、エプロン、ビニール手袋を押し付けた。

「手を洗って除菌してビニール手袋したら、このパンを袋に詰めてくれ」

「――へ?」

 車の中では、美味しそうなパンがケースにきちんと並べられている。

「詰めたら、どんどんこっちに回してくれ」

 勢いに押されて、草太は言われた通りにパンを詰めた。その間にも何人かの通行人が足を止めて、パンを買っていく。女は草太が詰めたパンをひたすら売りさばいていった。

(──ていうか、客多いな!)

 朝のパン屋が忙しいとは聞いていたが、本当だった。特にこの公園は駅に近いから、サラリーマンや学生の姿が多い。

 そうして手伝わされること小一時間。やっと客足が落ち着いた頃に草太は解放された。

「いやぁ、助かった! サンキューな!」

「……はぁ」

「これはお礼だ」

 そう言って、女は草太に大きめの紙袋を押し付けた。袋の中には売れ残りのパンがぎっしりと詰まっている。これだけあれば、若葉も喜びそうだ。思わぬ報酬にホクホクしていると、女が草太に訊ねた。

「なぁ、お前、いつもこの時間にジョギングしてんのか?」

「いつもじゃないよ。今日は暇だったから」

「暇なのか」

「今は文化祭準備期間だから暇なだけで、いつもは部活だよ!」

 そこはしっかりと主張しておくと、女はふぅんと相槌を打ち、車内に飾られたカレンダーに目をやる。発注、仕入れ、支払い期限といった文字が細かく書き込まれている中で、十月十五日にだけ丸がついているのが、やけに印象的だった。

「なぁ、文化祭準備期間ってのはどのくらいなんだ?」

「二週間、だけど」

「なら丁度良いな!」

 女はポンと手を打ち、快活に笑う。

「しばらくここでパンの販売をする予定なんだが、人手が足りなくて困ってたんだ」

 へー、と適当に返すと、女は目をキラキラとさせて草太の肩をポンと叩いた。

「アンパン大使なら手伝ってくれるよな!」

「オレがいつアンパン大使になったんだよ!?」

「嫌か? 少ないけどお駄賃出すぞ。ついでに売れ残りのパンは好きなだけ持って帰っていい」

「……ぅ」

 それは魅力的な提案だった。

 草太も若葉もかなり食べる方だから、食料は幾らあっても困らない。

 何より二週間限定というのが良い。もし、姉の留守中にこっそりバイトしていたことがばれたら、多分、姉は激怒するだろう。

 でも、二週間なら……若葉さえ口止めすれば多分ばれない。

「分かった、やるよ」

「おぉ、それでこそアンパン大使だ! ヨロシクな! 中学生!」

 まさかの中学生呼びに、草太は目を剥いた。

「違ぇよ、高校生だよ! チビで悪かったな!! つーか、普通に名前を聞いてくれよ!」

「人の名前を覚えんの、あんま得意じゃないんだ」

「如月草太、覚えてくれよ」

 一言一言噛みしめるように言って聞かせると、女はうむうむと頷き、豊かな胸をポヨンと張って言った。

「ん、きさらづそうま、だな」

「いきなり違ぇよ! わざとだろ!」

「ちなみに私は里見ベーカリーの店長、里見穂香だ。親しみを込めて師匠と呼んでいいぞ」

「そこは普通、店長じゃね!? ていうか弟子入りした覚えはないんだけど!」

「なに言ってんだ。私はお前のアンパン師匠だろ!」

 すごい、びっくりするほど話を聞いてくれない。間違いなく姉よりも年上っぽいのに。

 自分は判断を間違ったのではないだろうか、と草太が不安に思っていると、穂香は草太の背中を景気良くバシンバシンと叩いた。痛い。

「そんな不安そうな顔をするな。お前は見込みがあるからな! きっと立派なアンパン大使になれるさ」

「誰もそんなこと不安に思ってねぇよ!?」



 かくして、草太は期間限定でアンパン大使に弟子入りすることになったのである。

 これでは姉のことを「流されやすい性格」だなんて非難できない。絶対遺伝だコレ……と草太は静かに確信した。


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