【15ー3】めでたし、めでたし、のために
観客席に紛れ込んだウミネコは、度々ずれるサングラスを直しながら観客席を見回す。
グロリアス・スター・カンパニーの主任であり、クラークの後継者との繋がりを疑われている主任、月島という人物を見つけだして捕まえることが、ウミネコのミッションなのだが、現時点でそれらしき人物は見当たらない。
クロウは「月島はオレがもがいているところを見たいだろうから、絶対に決勝戦を観に来る」と断言していた。だが、月島とて〈女王〉陣営に疑われていることは想定しているはずだ。この状況で、うかうかと姿を現したりするだろうか?
(変装とかされてたら参るなー。オレ、そーいうの見抜くの苦手なんだよねー)
そもそも、ウミネコは人の顔を覚えるのが苦手なのだ。
写真で月島なる人物の顔は見せてもらったが「乳のないねーちゃんだなぁ」ぐらいの印象でしかない。
(フリークス・パーティは運営以外の撮影行為を禁止しているし、撮影道具の持ち込みチェックも厳しいからなぁ……仲間が観客席から撮影して、ライブ配信で送るのは無理だろ)
そんなことを考えつつ観客席を見ていたウミネコは、ふと、隅の方にまだ若い少女がいることに気がついた。上品な黒いワンピースを身につけた、長い黒髪の少女だ。年齢は十三、四歳ぐらいだろうか。その少女は瞬きもせず、クロウとイーグルの試合をじっと見つめている。
その姿が何故かウミネコの意識に引っかかった。どこかで会っただろうか? うーん、うーん、と首を捻るも、なかなか思い出せない。
(……せめて、もうちょい胸の発育が良けりゃ、記憶に残ってたかもしれないんだけどなぁ)
* * *
「優花ねぇ、本気ぃ〜?」
「私はいつだって本気よ」
優花はオデットのドレスを脱ぎ捨てると、美花が脱いだサンドリヨンのドレスに腕を通した。ドレスのサイズはピッタリだ。オデットのドレスより丁度良く感じるのは、きっとヤマネが採寸通りに作ってくれたからなのだろう。
「……これで、よし」
美花に背中のファスナーを上げてもらい、髪飾りとアクセサリーも取り替えれば、サンドリヨンとオデットの入れ替わりなんて誰にも分からない。
(……あとは靴だけ)
美花は白くヒールの高い靴を履いていた。ドレスとよく似た生地に、クラッシュクリスタルをあしらった美しい靴だ。きっと、ガラスの靴をイメージしているのだろう。
優花は自分が履いている靴をじっと見つめる。
イーグルが自分のために用意してくれた、オデットのドレスに合わせた靴。それを優花は足から抜くと、きちんと揃えた状態で美花に差し出した。
「……あんたが預かってて」
「預かるの? 交換じゃなくて〜?」
美花は靴も交換するのだと思っていたのだろう。実際、優花と美花の靴のサイズに、それほど違いはない。
だが、優花は首を横に振ると、シンデレラのドレスに裸足という格好で、カーテンの外に出る。
一階ではクロウとイーグルの死闘がまだ続いてた。だが、誰の目にもクロウの方が劣勢だ。
優花は素足で赤い絨毯を踏みしめながら階段を駆け下り、そして、腹の底から叫ぶ。
「──クロウーーーーーっ!」
クロウとイーグル、二人の動きが止まる。
その時、長いドレスの裾を踏んづけ、優花はつんのめった。
「げっ」
勢いよく駆け下りている最中に裾を踏んだものだから、優花の体は、前に傾いたまま宙を浮いた。白いドレスの裾がパラシュートのように広がるが、当然パラシュートの役目なんてしてくれる筈もない。
しまった、やってしまった、よりにもよってこんな大事な場面で!!
このまま階段の途中に叩きつけられ、ゴロゴロと豪快かつ間抜けに転がり落ちる未来が目に浮かぶ。
優花が思わずギュッと目を瞑り、体を強張らせて衝撃に耐えようとした、その時──
「優花っ!」
黒革の手袋をした手が、落下寸前だった優花の体を抱きとめる。
落下しそうになったところを彼に助けられるのは、これが二回目だ。
一回目はモズにさらわれた時。あの時の彼の髪は夜闇に溶けそうな黒だったけれど、今は目に痛いぐらい鮮やかな金色の髪が、優花のすぐそばで揺れている。
トンッ、と二人分の体重を感じさせない軽やかさで、クロウは優花を抱いたまま着地した。
イーグルがハッと目を見開き、優花の顔を凝視する。彼はコンタクトレンズをしていても、そこまで視力が良くないのだ。すぐには優花と美花の判別ができないのだろう。
クロウに抱きかかえられた優花は、ポカンとクロウを見上げて口を開く。
「……あんた、私の名前、覚えてたんだ」
助けてもらったことの礼や、すれ違いに対する謝罪など、言いたいことは沢山あったのに、真っ先に口をついて出たのはそれだった。それぐらい衝撃的だったのだ。
「最初に名乗ってただろうが……『優しい花』なんだろ」
クロウはぶっきらぼうにそう言って、優花を立たせる。
優花は豪快にめくれあがったスカートの裾を直しつつ、クロウを見た。
「……よく、あの一瞬で、落ちてきたのが私だって分かったわね?」
「お前は、高いところからよく落ちる」
皮肉っぽく笑いながら、クロウは優花のドレスを見下ろした。
今の優花が身につけているのは、サンドリヨンのためのドレスだ。しかし、ティアラは階段から落ちた拍子に転げ落ちているし、髪は乱れ放題。しかも裸足。
一方クロウも、イーグルとの戦いで細かな傷だらけだし、服もところどころ破れている。
二人とも、ボロボロだ。舞踏会には程遠い。それでも……
「……サンドリヨンで、いいんだな」
「私、あんたに宣言したことを思い出したの」
それは、フリークス・パーティが始まる前。
クロウが自分の素性を優花に明かした時のこと。モズによる誘拐事件があった日の夜。
「私は逃げも隠れもしない。あんたに『うざい消えろ』って言われても、離れてなんかやらない」
だから、優花は腹を括ったのだ。
たとえクロウに、お前なんていらないと言われても、自分は勝手に彼の力になるのだと。
「だって、私はあんたを助けたい……あんたの力になりたい」
きっとそれは酷く自分勝手でわがままな選択だ。
誰かを傷つける、迷惑をかける。
(それでも、私がそうしたいから、するの)
罵られる覚悟は、できている。
クロウにも……そして、イーグルにも。
イーグルは傷ついたような顔で、優花を見ていた。その悲しそうな顔が、優花がよく知る少年の泣き顔と重なる。
どうして、優花ちゃん……という、涙まじりの少年の声が聞こえる気がした。
(……ごめん、翔君)
記憶の中の優しい少年に謝り、優花は歯をくいしばる。
そして、目の前に立つ青年を眼光鋭く睨みつけた。
「イーグル」
翔君ではなく、イーグルの名を口にすれば、彼の肩は小さく震える。
「あんたは、キメラ殺しが『強者の義務』だって言ったわね。力ある者の責務だと」
「……あぁ、そうだね」
イーグルの不幸はいつだって、彼の圧倒的な「強さ」が起因となる。
それならば……と、優花が考えて考えて考えた末に出した結論がこれだ。
「だったら、あんたをぶっ倒して……あんたなんて全然強くない弱虫だって、私が証明してやる!」
これにはイーグルも絶句していたが、同じぐらいクロウも仰天していた。
「おい待て、どうしてそうなった」
たまらずツッコミを入れるクロウに、優花はふんすと鼻息を吐きながら言う。
「これはパートナー・バトルよ。私が一緒に戦ってもいいんでしょ?」
「いや、たしかにルール上ではそうだが、いや、待て、待て、待て」
「待たない」
優花はビシリとイーグルを指差し、吠える。
「そういうわけだから、ここからは私とクロウが相手よ! あんたなんて、コテンパンのギッタギタにしてやる! もう二度と『自分は強い』だなんて言えないぐらいにね!」
優花の宣言に、イーグルは、ははっと喉を震わせて笑った。
そして、きちんと整えた髪をぐしゃりとかきあげる。
その表情は泣きそうにも、笑っているようにも……昔日を懐かしんでいるようにも見えた。
「……そういうとこ、全然変わってないなぁ」
ポツリと呟いたイーグルは眉を下げ、困ったような笑みを優花に向ける。
「僕は強いよ?」
「私の方が強いわよ」
「強がりだけじゃ、勝てないよ?」
「勝つわよ」
そう、と呟き、イーグルはステッキを手の中でくるりくるりと回した。
「僕は、もう引き返せない。ヒナミねえさん達との約束を果たすまで……立ち止まることはできないんだ……だから……」
イーグルの顔から優しげな笑みが消え、鋭い瞳が優花とクロウを交互に射抜く。
「君の目の前でクロウを殺して……僕が強くなったって、認めてもらうしかないかな」
「あんたにクロウは殺させない」
優花はクロウにもイーグルにも、手を汚してほしくない。誰にも死んでほしくない。
そのわがままを叶えるために、サンドリヨンとして舞台に立ったのだ。まったく、これじゃあ美花を叱れない。
(……あぁ、そうだ。今のうちに、クロウに謝っておかなきゃ)
優花はクロウを見上げ、声を張り上げる。
「ごめんね、クロウ! 私、すっごいわがままだったみたい!」
「開き直るな、バカ!」
怒鳴りつつも、クロウは優花を遠ざけようとはしなかった。
イーグルがステッキを構える。クロウが槍を構える。優花もまた臨戦態勢で拳を握る。
イーグルはヒナミ達との約束を守るため。
クロウは生き延びるため。
そして優花は、誰も死なせないため。
これより始まるは、フリークス・パーティ決勝戦第二幕。
各々の「めでたし、めでたし」を賭した戦いが、今、始まる。