【幕間34】十一人の影
オレはさぁ、生まれつきとても目が良かったんだよねぇ。
あぁ、単純に視力が良いって意味じゃないよ?
勿論視力も良かったけど、それだけじゃなくて、普通の人には見えないものを見分けることが得意だったんだ。
例えば木の葉に擬態した虫だったり、人のフリをして暮らしている先天性フリークスだったり、あるいはそう……幽霊だったり。
ふふっ? 信じられないって顔してるねぇ。信じられないのはオレが? それとも幽霊が?
幽霊も悪くないよ。彼らはとても無害な存在だもの。生きている人間の方がオレはよっぽど怖いし、嫌いだね。だからオレは、生きてる人間って嫌いなんだよねぇ。
みーんな死んで無害な幽霊になっちゃえばいいのに……あはは、冗談だよ。だから、そんな顔しないでってば。
え? オレが先天性フリークスなんじゃないのかって?
あんなバケモノどもと一緒にしないでくれる? オレ、自慢じゃないけど腕相撲で女子に負けるし、マラソン大会で完走したことないからね?
まぁ、敢えて言うのなら、先天性フリークスの亜種ってところじゃない? 視力と第六感にだけ極振りした感じの。
まぁ、そういうわけで、先天性フリークスって大体は一目見れば分かるんだよねぇ。
ウミネコなんて初めて見た時は、びっくりしたし……気持ち悪かったなぁ。
なにこのバケモノ。こんなバケモノが人間の顔して、人間の群に混じって、人間の振りしてるなんて気持ち悪すぎ、って。
あんまり気持ち悪くて、ついつい吐いちゃったもん、オレ。
そしたら、あのバケモノ、オレのことをリンチして顔面擦り下ろそうとしたんだよ? 最悪だよねぇぇ? 早く死なないかな、あのバケモノ……。
うん? 先天性フリークスと普通の人間をどう見分けるのかって? こればかりは感覚の問題だからなぁ……例えるなら、パン屋におにぎりが陳列されてる違和感みたいな?
えっ、分かりづらい? オレの幼馴染はこの例えで一発で理解してくれたんだけど。
とにかくさ、オレって大概に生きづらい体質だったんだよね。
「あの人はバケモノだ、怖いよ、逃げよう」ってオレが口走る度に、大人は「変なこと言うんじゃありません」って叱るし、同年代の子どもは、みーんなオレのことを嘘つき呼ばわりするし。
……でも、そんなオレにも仲良くしてくれた人がいるんだ。そう、さっき言った幼馴染。
幼馴染はオレの言うことを信じてくれたし、オレがバケモノに怯えていると、オレと手を繋いで、オレが怖いものに連れていかれないように守ってやる、って言ってくれたんだ。
ところが、この幼馴染がとても無謀でね。すぐ危ないことに首を突っ込むんだよ。はたから見ていて、ハラハラするったらありゃしない。
それなのに、本人は危ないことしている自覚はゼロ。もう嫌になるよね?
だからオレは考えたんだ。
オレとオレの好きな人が、平和に、かつ安全に、永遠に生きられる方法が欲しい、って。
「……以上。これが、君達に協力する理由。分かりやすいでしょ?」
笛吹が長い語りを終えても、室内にいる者は誰も反応を返さなかった。
その薄暗い地下室には、笛吹以外に四人の人物がいる。
正気を失った目の〈老人〉
ニヤニヤと笑っている〈白衣の女〉
〈白衣の女〉のすぐそばに静かに佇む小柄な〈少女〉
黙々とノートパソコンを操作している〈修道服の女〉
その四人は誰一人として、笛吹の話を最後まで聞いていないのだろう。
あぁ、やだやだ……と笛吹は軽く肩を竦めて室内を見回した。
天井から吊るされた電球でぼんやりと照らされているその地下室は、甘ったるい薬のにおいと獣のにおいが混ざり合い、空気が淀んでいた。
部屋の奥には複数の鉄格子があり、数多の異形が目をギラギラと輝かせ、自分達の出番を今か今かと待ちわびている。
異形達はその殆どが理性と共に人間の言葉を失っている。だが、その内の何体かは人間の言葉の断片らしきものを口走っていた。
「あぁあぁ、ああああぁ、死、死、死ね、しねしねしねしね」「ありすありすありすありすありすありすありすありす……」「殺し、でぇぇぇ」「あ、あぁぁ、死にたい、死にたい、死に死に死に死に死ね死ね死ね死ね」「ころ、ころころすすすすすす……ぅ……ろぅ……ぐ……ろぅぅぅぅぅ」
バケモノ風情の癖に人間の言葉を喋るだなんて、なんて生意気なのだろうと笛吹は思う。
(まぁ、その程度の知能も、いずれは消えてなくなるのだけれど)
笛吹は、異形達を汚らわしいものでも見るような目で眺めつつ、胸の内でそんなことを呟く。
すると、檻のそばに佇んでいた〈老人〉が、恍惚とした顔で口を開いた。
「おぉ、おぉ、なんと素晴らしい。これが、クラーク・レヴェリッジが最後に作ったキメラ…………この力さえあれば、我が悲願は成就する」
〈老人〉の言葉に、離れたところでスマートフォンを操作していた〈白衣の女〉が唇を釣り上げて笑う。
「私は他人の作ったキメラなんて正直どうでもいいんだよ。それよりも、自分の作ったキメラで悲願を叶えたいね。ふふ、ふふふ。あぁ、いよいよこの時がやってきたんだね。胸が高鳴って仕方がないよ」
そう言って〈白衣の女〉はスマートフォンの画面をトンと指で叩く。
「あぁ、クロウはトキに残しておいたメッセージをちゃんと聴いてくれたみたいだ。ふふっ、トキは死んだかな? まぁ、どうでもいいや」
最後の方は心底どうでも良さそうに呟いて、〈白衣の女〉はスマートフォンを白衣のポケットへ戻す。
そんな彼女の白衣の裾を、彼女のすぐそばに控えていた小柄な〈少女〉がクイクイと引く。
〈白衣の女〉は〈少女〉を見下ろし、眼鏡の奥で目を細めた。
「なんだい? もしかして、トキを犠牲にしたのが不満だった?」
「違う。私は契約を忘れてほしくないだけ。あなたは自分の欲を優先しすぎる」
淡々と言う〈少女〉に、〈白衣の女〉は肩をすくめる。
「勿論、二年前に君と交わした契約を忘れたわけじゃないよ。ただ、私にも私のやりたいことがあるだけさ」
〈白衣の女〉は知的で切れ長の目を欲望でギラギラと輝かせ、舌なめずりをする。
「私の願いも、君の願いも、人から見たらくだらないことだろう? 等しくくだらない願い……否、これはただの欲望だ。欲望に貴賎を問うほど馬鹿らしいこともあるまいよ。欲望の前では、誰しも一匹の獣なのさ……ねぇ、君もそうだろう?」
〈白衣の女〉が最後に声をかけたのは、部屋の隅でノートパソコンを操作していた四人目〈修道服の女〉だ。
今まで黙々と作業をしていた〈修道服の女〉は、ちらりと目だけを動かして〈白衣の女〉を見たが、それ以上は何も言わず、再び作業に戻る。
レヴェリッジ家に脅迫状を送ったのも、クラークの紋章を複製したのも、全て彼女だった。それだけじゃない。作戦全体の流れを決めて、細かな準備をしたのも全て〈修道服の女〉だ。
〈老人〉〈白衣の女〉〈少女〉の三人が、檻の中の異形達を用意する役割なら、〈修道服の女〉はそれ以外の殆ど全て。笛吹はその補佐と連絡係、情報提供役程度でしかない。
笛吹は〈老人〉〈白衣の女〉〈少女〉の目的を知っている……が、唯一〈修道服の女〉だけは、その目的も素性も把握していない。
彼女はいつだって寡黙で、必要最低限のことしか口にしないのだ。〈老人〉達のように、ベラベラと自分の野望を語ったりはしない。
笛吹は〈修道服の女〉が操作しているノートパソコンの画面を覗きこむ。
画面には、クリングベイル城の見取り図や、隠し通路の詳細が表示されていた。そこに人物の駒を配置して、明日のシミュレーションをしているのだろう。
「ねぇ、今回の計画を立てた君の目的は何なんだい? こうして共闘した仲なんだから、教えてくれたっていいじゃない」
「…………」
「オレみたいに、永遠の命が欲しいとか?」
〈修道服の女〉は画面から顔を上げ、煩わしげに笛吹を見る。
そして、静かに言った。
「先程、あなたの目は幽霊が見えると仰っていましたね」
「信じられない?」
「もし、それが真実なら、私のそばに幽霊は見えますか?」
試すような言葉に、笛吹は目を細めてにんまりと笑う。
「あぁ、見えるよ。悲しそうな顔をした女の人さ」
笛吹は、あくまで年齢や容姿は明言せず「女の人」とだけ言った。母親、あるいは娘、姉妹、友人……と人によって思い思いの人物を思い描けるように。
案の定、思い当たりがあったのか、〈修道服の女〉は数秒ほど黙り込む。
これはあたりだな、と笛吹はほくそ笑んだ。悲しげな顔の女、と言って思い当たる節があるのなら、目的は大抵が復讐だ。
「君の目的は……そう、誰かの復讐ってやつ?」
いかにもそれっぽく言ってみせれば〈修道服の女〉は虚ろに笑った。
生気を感じさせないその笑顔に、ノートパソコンの明かりが影を作る。陰影のせいか、その笑顔はやけに壮絶に見えた。
「私があなた達に力を貸したのは、全て私のためです。あなた達と同じ……全ては自分勝手な欲のため」
そこで言葉を切り〈修道服の女〉は〈白衣の女〉を見る。
「先程あなたは仰いましたね? 『欲望に貴賎はない』……と。いいえ、いいえ、欲望にだって貴賎はあります。だって、私の欲望はきっと誰よりも賤しい」
自分に酔うかのような台詞回しも、まるで台本を棒読みしているかのように感情が感じられない。
それでも彼女の声の奥底には、仄暗い悪意が確かに感じられた。
〈修道服の女〉は普通の非力な人間だ。フリークスなんかじゃない。
だが、誰よりも人間の顔をして、誰よりも人間らしい振る舞いをしている癖に、腹の中にバケモノを飼っている。
(……気持ちの悪い女)
笛吹が顔をしかめていると、〈修道服の女〉は、ノートパソコンを閉じて立ち上がる。
彼女は黒く重たいスカートを揺らしながら、一歩、また一歩と檻に近づいた。
「愚かな騎士に制裁を、哀れな姫に救済を……」
歌うように呟き、彼女はありとあらゆる感情を殺した笑みを顔に貼り付け、宣言する。
「さぁ、本当のフリークス・パーティを始めましょう」
笛吹はほんの少しだけ目を凝らして〈修道服の女〉の背後を見た。
彼女の背後には、十一の人影が見える。
女の形をしたその影達は、誰にも届かぬか細い声で泣いていた。
どうか、この子を助けて……と。