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【幕間33】行き交う憎悪

 ハロルド・パークはキメラ研究の第一人者であり、誰よりもキメラを愛していると自負している。

 振り返れば幼少期から、彼は自然界に存在しない神話上の生き物に心惹かれていた。

 今でも忘れられない。架空の生き物達を集めた美術展。

 全身を黒い毛に覆われた悪魔、三つ首の地獄の犬、下半身が蛇の女。

 それらに当時少年だったハロルドは造形美を感じ、同時に生物学的な興味を抱いた。

 知的好奇心旺盛な子どもが「大きくなったらロボットを作りたい」と夢見るように、ハロルド少年もまた夢見たのだ。

 大きくなったらあの美しい生き物を作りたい……と。

 幼い頃の夢を抱いたまま成長したハロルドは、やがて生物学者としての地位を築き、周囲から尊敬の眼差しを向けられるようになった。

 それでも常に心は満たされなかった。


 あの美しい禁忌の生き物を、この手で造りたい。


 そんな彼に、禁断の果実を──キメラ製造技術を与えたのが、クラーク・レヴェリッジだった。

 幼い頃から夢見た美しい生き物。その造り方をハロルドは何度も机上で組み上げては、誰の目にも触れぬよう、しまいこんできた。

 だが、そんなハロルドが溜め込んだ設計図を遥かに凌駕する技術の数々を、クラークは惜しげもなくハロルドに与えたのだ。

 ハロルドは夢見心地でクラークの論文や技術書を貪るように読み漁り、クラークに心酔した。

 そんな彼に、クラークは更に実践の場を与えてくれた。それが鷹羽コーポレーションだ。

 鷹羽コーポレーションの社長、鷹羽芦舟は生物兵器としての強靭なキメラを望んでいた。

 生物兵器という響きはあまり美しくないとハロルドは考えている。

 だが、美しい生き物は強くなくてはならない。そういう意味で、キメラの戦闘能力を高めることに異存は無かった。

 人間と他生物の融合。それは、二つの生き物の特徴が絶妙なバランスでそこに成り立たなくてはならない。

 人から離れすぎないようにしつつ動物の特徴を顕現するためには、神業と言えるほどの技術と膨大な知識が必要だった。

 最初は失敗の連続で、キメラ達はすぐに死に絶えたが、ハロルドは彼らの死から多くのことを学び、新たなキメラを生みだした。

 そうして少しずつ成功作を増やしていく内に、とうとうハロルドが造ったキメラの数は、世界でもトップクラスと呼ばれるほどになった。

 もはや、ハロルドほどキメラ研究に精通した研究者はクラークを除いて、存在しない。

 鷹羽コーポレーションはキメラの保有数ナンバーワン企業として一目置かれ、芦舟はハロルドを優遇した。

 しかし、キメラ達の造形美を保ったまま戦闘力を強化するというのは、非常に骨が折れる作業だった。ハロルドの望むキメラとはただ強いだけではなく、美しくなくてはいけないのだ。

 芦舟はもっとドーピングや改造手術を増やすべきだと主張したが、ハロルドは頑として取り合わなかった。

 手塩をかけて育てた我が子のようなキメラ達に、どうしてそんな仕打ちができるだろう。

 芦舟との溝は日に日に深まっていき、とうとう芦舟は強硬策に出た。先天性フリークスを養子にしたのだ。

 それはハロルドにとって裏切りも同然だった。先天性フリークスを超えるキメラを研究しているハロルドに対する、当てつけとしか思えない。

 その先天性フリークス、ナンバー196を養子にした頃から、芦舟は露骨にキメラ研究を打ち切りたがっていた。

 決定打となったのは、グロリアス・スター・カンパニーのキメラ、クロウがフリークス・パーティのパートナーバトルで優勝したことだった。

 フリークス・パーティでキメラが優勝したのは初めてのことで、グロリアス・スター・カンパニーは一躍脚光を浴び、キメラ研究におけるトップの肩書を手に入れた。

 この時からハロルドは焦り出す。

 このままでは、鷹羽コーポレーションのキメラ研究は打ち切られてしまう。

 戦闘訓練において、ナンバー196に敵うキメラは一体もいない。ナンバー196はあまりにも強すぎた。

 だからこそ、ハロルドは芦舟に提言した。


 ──ナンバー196を、キメラにするべきだと


 最高の素材を使えば最高のキメラが作れる。

 そう主張するハロルドに、芦舟は難色を示した。

 芦舟はナンバー196をクラーク・レヴェリッジに提供することで、キメラ研究とは別の技術を譲り受けようとしていたのだ。

 だからこそ、あれほど強いナンバー196をフリークス・パーティには参加させず、秘蔵っ子として大事に育てた。

 ……これほど酷い裏切りがあるだろうか。

 キメラ研究が打ち切られたら、今いるキメラ達はどうなってしまうのだ。

 生命維持の処置が必要な者は大勢いる。それらを芦舟が生かしておくとは思えない。

 絶望するハロルドに、一体のキメラが駆け寄ってキャンキャンと鳴いた。

 犬と合成したキメラ、ナンバー107だ。

 彼女は犬と合成した際に発声器官に変異が起こり、人間の言葉を喋れなくなっている。それでも人間としての聡明さは失われていないところを、ハロルドはとても愛おしく思っていた。

 そんな幼い犬のキメラは、ハロルドの白衣の裾を引き、強化計画のレポートを指差す。

 それはハロルドが却下した、キメラの負担の大きい投薬実験だ。

「おぉ、ナンバー107よ……まさか、お前、これを受けたいと言うんじゃないだろうね?」

 ナンバー107は、フンフンと賢い犬のように首を縦に振る。

 ハロルドは悲痛な顔で「ダメだ」と呻いた。

「これは、危険な研究じゃ。肉体への負荷が強すぎる。今のお前の体では耐えられんよ」

 ハロルドが穏やかに言って聞かせても、ナンバー107はレポートをテシテシと叩く。

 きっと彼女は、数日前に芦舟がキメラ達に投げかけた言葉が堪えたのだろう。


『誰もナンバー196に敵わないじゃないか。これなら、キメラは全て破棄しても構わんな』


 ナンバー196はあまりにも強すぎた。

 その圧倒的な強さは、キメラ達の存在意義を脅かしている。

 ナンバー196に勝てるだけの強さを持つキメラがいない限り、キメラ研究の縮小、殺処分は免れない。

 だが、無理な強化手術と投薬は、確実にキメラ達の寿命を縮める。

 葛藤するハロルドに、ナンバー107は無邪気に頭を擦り付けた。そうすれば、ハロルドが甘やかしてくれることを彼女は知っているのだ。

 幼い犬型キメラの頭を撫でながら、ハロルドは呟く。

「……すまない、ナンバー107、許してくれ……許してくれ……」



 * * *



 檻の中のヒナミは、投薬を受けて変わり果てた姿になったナンバー107、もといイオナを見つめ、様々な思いを噛み締めていた。

 イオナはずっと、翔の強さに憧れていた。自分もあぁなりたいと無邪気に願っていた。

 そして何より賢いあの子は知っていた。

 強くならなければ、自分達が生き残ることはできないと。

 ……だから、率先して改造手術も投薬実験も受けた。

 動かなくなったイオナを前に、翔は呆然としていた。その顔は、悲しみと怒りでないまぜになって、悲痛に歪む。

 あぁ、そうだ。きっと彼は悲しむと同時に憎むのだろう。イオナに手術を施したハロルドを。

(……坊やは知らない。アタシ達キメラが置かれた状況を。イオナが自ら望んで手術を受けたことを)

 賢い翔はいずれ理解するのだろう。イオナを死に追いやったものの正体に。

 キメラ達を追い詰めているのが、他でもない彼の強さであることに。

 しかし、ヒナミはハロルドのことも、翔のことも憎めなかった。

 ヒナミはまだ人間だった頃、事故で両足を失い、二度と歩くことができなくなった元モデルだ。親族達は彼女を厄介者扱いし、鷹羽コーポレーションに売った。

 事故で両足を失ったヒナミに、蛇の下半身を与えたのはハロルドだ。

 ヒナミの仲間達がハロルドに抱く感情はそれぞれだが、少なくともヒナミはハロルドのことを憎むことはできなかった。あの老人は歪んでいるが、確かにキメラを愛していたのだ。

 そして、キメラの存在を脅かす翔のことも、ヒナミは憎むことができない。

 あの少年は、忌まわしいキメラ研究に終止符を打つ、救世主だ。

 芦舟が翔の腕を掴んで、部屋を出て行く。翔は今にも泣きだしそうな顔で、最後までイオナを見つめていた。

 やがて、芦舟と翔の姿が見えなくなると、ハロルドはイオナの亡骸を抱きかかえる。

 その姿はまるで、愛しい孫の亡骸を抱えているかのようだった。

「許さんぞ、ナンバー196……私の可愛いキメラ達を……よくも……よくも……」

 翔もハロルドも、イオナの死を嘆き悲しんでいることに違いはないのに、二人の間に行き交う憎悪がヒナミには手に取るように分かる。

 いずれ、翔は残酷な選択を迫られるだろう。

(その時、アタシにできることは……)



 きっと、ヒナミにできるのは、ただ笑って死ぬことだけだ。

 少しでも、優しいあの子の心を傷つけないように。


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