【14-3】ちゃんと喧嘩をするのって、大人になるほど難しい
「はーい、クロちゃん、ちゃんと息しようなー」
「…………」
「はい、吸ってー、吐いてー。ヒッヒッフー、ヒッヒッフー、もうすぐ元気な赤ちゃんが生まれますからねー」
「…………」
ウミネコがクロウの腹をぽむぽむと撫でても、クロウは振り払いもせず硬直している。
「うん、ダメだこれ。ツッコミ気質のクロちゃんがツッコミ放棄するなんて、相当重症だわ」
ウミネコはあっさり匙を投げて、ガリガリと頭をかく。
イーグルが自分の姫を連れて島外に出た、という白兎の報告を聞いてから、クロウは石みたいに動かなくなってしまった。
正直、バカだなぁ、とウミネコは思う。
イーグルとサンドリヨンの愛の逃避行にそこまで衝撃を受けるぐらいなら、サンドリヨンに裏切られようが罵られようが……それこそ憎まれようが、彼女を大事にすれば良かったのだ。
人間不信が根強いクロウは、ほんの少しでも裏切られたと感じると、攻撃的な態度を取ってしまう悪い癖がある。つまりは臆病なのだ。
慎重すぎる性格も、根底にある彼の臆病さ故のものだろう。
臆病な彼が「慎重」の皮を被り、石橋を壊れるまで叩きまくって「ほら見ろオレは正しかった」とドヤ顔をする度にウミネコは思うのだ。
──あっ、この子、頭の良い馬鹿だわ……と。
「あのぅ、あのぅ、どどどどうしましょう、イーグルさんがこのまま戻ってこなかったら、決勝戦が成立しなくなっちゃいますよぅ……」
白兎は助けを求めるように〈女王〉を見ている。
ふと、ウミネコは気がついた。
(そういや、〈女王〉の素顔を見ても驚かないってことは、こいつも味方側ってことか)
〈女王〉側の味方は一体どの程度いるのだろ?
二年前まで監禁されていた〈女王〉と、その従者のヤマネ、そしてレヴェリッジ家から出たことのないアリス。この三人は二年間でどれだけ味方を増やすことができたのだろうか。
(話を聞いた限りだと、だいぶ人手が足りてない感じがするんだよなぁ……グッさんも真相を知らされてなかったみたいだし……運営委員会だと、海亀やドードーは味方にするには微妙だな。精々、ジャバのとっつぁんぐらいか?)
はてさて、これにイーグルやグロリアス・スター・カンパニーがどう関わってくるのだろうか。
ウミネコが思案していると〈女王〉がピシャリと白兎を一喝する。
「少しお黙り、うっかりウサギ。イーグルと連絡は取れないの?」
「何度も電話してるんですけど、出てくれないんですよぅぅぅ! 鷹羽コーポレーションの社長秘書に問い合わせても『社長は所用で島外に出かけました』の一点張りで」
「……そう」
女王は何かを思案するような顔をしていたが、すぐに「それなら、いいわ」とあっさり言った。
「イーグルはフリークス・パーティでキメラを全て殺すと宣言している。あの男の気質から言って、敵前逃亡なんて真似はしないでしょうよ」
「ででででも、もし、戻ってこなかったら……」
「その時はその時よ。それに、イーグルが会いに行った相手には……心当たりがあるわ」
〈女王〉は白兎に、引き続きイーグルに電話連絡をするように命じ、部屋の外に追いやる。
扉が完全にしまったのを確認してから、ウミネコはヤマネに訊ねた。
「なぁなぁヤマネちゃん。女王様の味方は、あと何人いるの?」
「事情を知っているのは、ウミネコ様達を除けば、アリス様、白兎様、ジャバウォック様だけなのです」
概ね自分の予想通りだということを確認し、ウミネコはちらりとクロウを見た。
いまだ硬直したままのクロウは、元オデット嬢に「クロウすごい顔ー、うけるー」と頰をつつかれている。体がピクピク震えているのは、怒りで痙攣しているせいだろう。
(……まぁ、声は届いているだろうし、話を進めてもいいよな、うん)
ウミネコはまだ、イーグルがグリフォンやサンドリヨンと繋がっていた経緯を知らないのだ。
「女王様、話の続きをしようぜ。昔話は大体分かったから、『今』何が起こっているのかを教えてくれよ」
〈女王〉は無言でアリスを見た。
アリスは心得顔でコクリと頷き、口を開く。
「クラークの研究を引き継いで、『最強のフリークス』を造ろうとしているヤツがいるんだ。ボク達は、クラークの後継者って呼んでる。そいつに……エディが攫われた」
「エディって奴は、もう正気を失ってたんだよな? この二年間、どこに匿ってたの?」
アリスが辛そうな顔で口を噤んだので、代わりにヤマネがウミネコの問いに答えた。
「レヴェリッジ家の本邸なのです。エディ様は完全に人格を壊され、外出ができる状態ではありませんでした。なので、半ば軟禁状態だったのですが……使用人の一人が裏切ったのです」
エディ・レヴェリッジは、クラークが造った最後のキメラだ。
もし、クラークの後継者がいるのなら、エディを欲しがる理由は、まぁ分かる。
アリスは大好きな兄が攫われたことが、よほど悔しかったのだろう。膝の上で拳を握りしめて、歯ぎしりをしていた。
「……エディを誘拐したクラークの後継者は、フリークス・パーティの関係者だ。だから、ボクはフリークス・パーティの会場を歩き回って、怪しいやつを探してた。そしたら偶然、この島で……クラークが残した研究施設を見つけたんだ」
この島は、十年ぐらい前までは毎年決勝戦の会場として使われていたが、ウミネコとハヤブサが半壊状態にして以来、会場としては使われていなかった筈だ。だが、地下の研究施設は秘密裏に稼働していたのだろう。
「クラークの後継者は……『最強のフリークス』を作る過程で、kf-09nという薬を作り出した。飲むと超人的な力を得て、不死身に近い体になるケド……代わりに自我を失った化け物になってしまう、というとても危険なモノだよ。その研究施設と被験体が、この島の隠し研究所で見つかったんだ」
アリスの言葉をグリフォンが引き継ぐ。
「その隠し研究所を、オレと、坊主と、サンドリヨンの嬢ちゃんが見つけちまったわけだ」
ウミネコは半眼になって、グリフォンをじとりと見た。
「……なんで、グッさんがサンドリヨンちゃんと一緒に行動してたわけ? えっ、ガチ援交?」
「クロウが島を離れている間、一緒に行動してたんだよ!」
グリフォンは大声で怒鳴ってから、大人げなかった態度を誤魔化すように咳払いをする。
「……ゴホン、とにかくそういう訳で、ちょいと洞窟探検してたら、やべぇバケモンが出てきて……不意打ちとは言え、オレも一発くらっちまった」
グリフォンは近距離戦を得意としている先天性フリークスだ。ウミネコほどのパワーは無いが、攻守のバランスに長けており、何より回復力が高い。
(……グッさんに一撃入れたってことは、それなりに強いバケモノなわけだ)
しかもアリスの話によると、そのバケモノは自我を失い、そしてなにより不死身に近い体をしているという。
「不死身のバケモンが地下で大量生産ってさぁ……なんか、展開がB級ホラー映画っぽくね? やだなぁ……オレ、ホラー映画苦手なんだけど」
ウミネコがうへぇと呻いて鳥肌の立った二の腕を擦ると、グリフォンが白い目を向けた。
「……ホラー映画が苦手だって? どの口でほざきやがる、トラウマ・メーカー」
「血がドバーッなスプラッタはフリークス・パーティでよく見かけるから慣れてっけど、幽霊みたいに触れなかったり、殴っても死ななかったりって……普通に怖くね?」
怪力のウミネコは、基本的に大抵の困難は殴れば解決すると思っている。だからこそ、物理攻撃が効かない怨念だの幽霊だのといった超常的な存在が苦手だ。
ウミネコが大真面目にそう主張すると、グリフォンは顎をかきながら言った。
「オレが見たバケモンは、頭を潰せば動きが止まるらしい。実際に、イーグルがそうしてた」
「あぁ、なるほどね、そこでイーグルと遭遇したわけだ」
「……そうだ」
グリフォンは、洞窟でイーグルと遭遇し、kf-09nという薬の存在や、異形のバケモノの存在を教えてもらったのだという。
「イーグルの奴は、クラークの後継者を潰すために動いているようだった。kf-09nって薬についても詳しくて、オレ達が協力すりゃあ、ワクチンを作ることも可能なんだと」
なるほど、だいたい話が読めてきたぞ。とウミネコは目を細めた。
アリスの兄、エディはクラークの後継者に誘拐された。
クラークの後継者の研究内容から察するに、エディもkf-09nという薬を投与されている可能性が高い。
そうなると、薬のワクチンを作れるというイーグルとの協力は必須。
お人好しなグリフォンとサンドリヨンなら、きっとアリスの兄を助けるために協力を申し出ただろう。
「……だから、グッさんとサンドリヨンちゃんは、イーグルの言いなりだったわけだ」
「あぁ、イーグルと約束しちまったんだよ……kf-09nのことは、誰にも話さない、って」
グリフォンのその一言に、今まで石のように硬直していたクロウの指が、ピクリと動いた。
水色の瞳がギラギラと輝き、引きつっていた口がゆっくりと開いて言葉を紡ぐ。
「……おい、まさか……kf-09nっていうのは……ピンク色の錠剤か? 少し甘ったるい香りのするやつだ」
グリフォンとアリスが同時に頷いた瞬間、全てが一つに繋がった。
「あいつは……サンドリヨンは、あの薬が危険だと……知っていたのか」
クロウはのろのろと両手を持ち上げて、真っ青になった顔を覆う。
サンドリヨンはkf-09nが危険だと知っていた。だが、その薬が危険だとクロウに話したら、どこでこの薬のことを知ったのだと訊き返されるのは目に見えている。
なにより、薬の秘密をクロウに話したら、イーグルの協力を得られず、エディを助けられなくなってしまう。
彼女はきっと、こうも考えた筈だ。
──もし、クロウがもうkf-09nを摂取していたら?
クロウがバケモノになってしまう。そうなる前に、なんとかしなくては。
そうして彼女は危険な薬を持ち出し、薬のワクチンを作れるというイーグルを頼った。
「つまりー、お姉ちゃんはクロウを助けようとしたんでしょー? それなのに、クロウ、お姉ちゃんに『お前なんていらない』とか言っちゃったんだー。うっわぁー……」
追い討ちをかけるような言葉に、クロウは近年稀に見るレベルで真っ青になっていた。
アリスとグリフォンから明かされた真実は、クロウにとって二重の意味でショックだったのだろう。
まず第一に、サンドリヨンは裏切っていなかった、という驚き。
そしてもう一つ……クロウがグロリアス・スター・カンパニーから完全に見限られたという衝撃だ。
摂取したら自我が吹き飛び、バケモノと化す悪魔の薬を「身体能力強化用」と偽って、グロリアス・スター・カンパニーはクロウに渡した。
(……クラークの後継者と、グロリアス・スター・カンパニーが繋がっていることは、ほぼ確定。クロちゃんは使い捨ての駒ってわけだ)
グロリアス・スター・カンパニーから提供される薬が無くては生命維持をできないクロウにとって、この状況はほぼ「詰み」だ。
会社に見捨てられ、大事にしたかったお姫様は自らの手で遠ざけた……裏切り者と罵って。
(リストラされて嫁に逃げられた、サラリーマンみたいだなぁ)
どこか他人事のようにウミネコが思っていると、今にも首を吊りそうな顔をしているクロウの前に、元オデット嬢がちょこんとしゃがみこんだ。
膝の上に頬杖をついて見上げてくる彼女に、クロウは死にそうな声で呻く。
「……おい、馬鹿女。オレは今、お前の冷やかしに付き合う余裕はねぇぞ……」
「クロウってさぁ、誰かとちゃんと喧嘩して、仲直りしたことないでしょ?」
ポカンとするクロウに、サンドリヨンと同じ顔をした女は自信たっぷりの態度で言う。
「こーいう時はね、ちゃんと謝ればいいんだよ。ごめんねー、って。そしたら、お姉ちゃんチョロ……優しいから、それで許してくれるよー?」
クロウは幼い頃にグロリアス・スター・カンパニーに引き取られ、改造手術を受けてから、ずっとグロリアス・スター・カンパニーの中で暮らしていた。
同年代の人間と触れ合う場所が、殺し合いの場でしかなかった彼は、猜疑心が強く、他人との距離感の取り方が致命的に下手だ。だから、誰とも一定の距離を置いていた。過去にパートナーだった姫達が相手でも、それは変わらない。
ビジネスライクな関係で線引きをして、それ以上自分からは踏み込まず、相手にも踏み込ませなかった。
クロウが初めて線の内側に入れた姉妹は、どちらもクロウの思い通りにはならなかった。
……それでも、間違いなくクロウと向き合ってくれたのだ。
クロウは目元を手で覆い隠しながら、掠れた声で問う。
「……あいつは、許してくれるか?」
「だいじょぶ、だいじょぶ。私、もっといっぱい、やばいことやらかしたけどぉー、だいたい最後は謝れば、お姉ちゃん許してくれるもん」
能天気だが妙に力強い言葉に、クロウの唇が震える。泣き笑いみたいな不恰好さで。
彼は手の甲でゴシゴシと目元を擦ると、キッと顔を上げた。
目尻が少し赤くなっていたけれど、それでもギラギラと輝く水色の目は、まだ生きることを諦めていない。
クロウは〈女王〉を真っ直ぐに見据えた。
「……お前達の目的は、クラークの後継者の捕獲、エディ・レヴェリッジの保護、フリークス・パーティの縮小……これで合っているか?」
「概ね、その通りよ」
頷く〈女王〉に、クロウは更に言い募る。
「……お前達に協力してやる。その代わり、お前達もオレに協力してもらおうか」
そう言って唇の端を持ち上げるクロウは、したたかで、ずる賢く、生き汚い、なんとも彼らしい笑い方をしていた。
(そうそう、クロちゃんはそうでなくちゃ)
ウミネコはクツクツと喉を鳴らして笑い、友人の悪巧みに加担する少年のような顔をする。
「それで? クロちゃんは……まず手始めに、何から手をつけるの?」
クロウは破れた手袋を外すと、ポケットから予備の手袋を取り出した。それを手に浅くはめて、縁を口で咥えてずり下ろす。指を使うのが苦手な、彼らしい仕草だ。
クロウはグッグッと数回手を握り、手袋の具合を確かめると、ニヤリと不穏に笑って一言。
「グロリアス・スター・カンパニーに殴り込む」
わぉ、過っ激ぃー! と、ウミネコはケラケラと笑いながら手を打った。
過激ではあるが、まぁ妥当な判断だ。
〈女王〉達の行動は後手後手に回っている。そして、グロリアス・スター・カンパニー側は、まだクロウの離反に気づいていない。攻撃を仕掛けるなら、早い方がいい。
「ただ、その前に一点だけ確認しておきたい……イーグルの動向だ」
イーグルはクラークの後継者と敵対している、というスタンスは明確にしているが、どこで後継者に関する情報を手に入れたのかが分からない。
クラークの後継者を止めることが目的なら、〈女王〉に協力を申し出るのが自然だ。
だが、それをしないとなると、彼はレヴェリッジ家そのものを敵視している可能性がある。
「イーグルは、誰かに会うために島の外に出たと、イーグルの部下は言っていたらしいな? ……そして、あんたはその相手が誰か、心当たりがあるとも言っていた。イーグルのバックについてるのは、誰だ?」
イーグルはフリークス・パーティに参加して日が浅い。にも関わらず、あまりにも事情を知りすぎている。何者かが、裏で彼に手を貸していると考える方が自然だろう。
それもおそらくは、レヴェリッジに匹敵する強大な力を持ち、かつ、レヴェリッジと敵対している存在が。
〈女王〉はクロウの推測に「頭の回る鴉だこと」と薄く笑い、言った。
「岩槻源治……かつてフリークス・パーティの前身である『修羅』を取り仕切り、裏社会のドンと呼ばれた男よ」