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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第13章「ハートの女王の昔話」
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【13ー9】反抗

 アリスはエディが大好きだ。

 エディはアリスに対して素っ気ない態度をとるけれど、最後は「馬鹿アリス」と悪態をつきながらそばにいてくれる。

 だが、今のエディは、アリスに対して悪態をつかない。馬鹿アリスとも、大嫌いだとも言わない。

 ただ、妄信的にアリスの名前を繰り返している……理性を失った目で。

「エディ、エディ、ボク、エディのこと大好きだよ…………だって、猫みたいなんだもん」

 猫みたい。アリスがそう口にすれば、いつものエディなら怒りだすはずだった。


 ──お前なんて大嫌いだ! 馬鹿アリス!


 そう怒鳴って、エディはアリスの頭をポカッと殴るのだ。

 アリスはいつもみたいに、エディに怒ってほしかった。

 馬鹿アリス! と言って、頭を殴ってほしかった。

 だが……

「ああああありす、ありす、ありす、オレは、ワタシは、ボクは、ねこ、ありすのねこ」

 鎖に繋がれたまま、エディはその場に跪いた。従順なペットが飼い主にするように。

 違う、こんなのエディじゃない。エディはこんなことしない。

「……クラークが……やったの?」

 クラークは穏やかに微笑んだまま、アリスを見ている。

 実の息子の変わり果てた姿を前に、その笑顔は不気味以外のなにものでもなかった。

「……クラークが、エディを、こんな風に、したの?」

「エディはね、愚かにも幽霊メイドを追いかけて、この地下室に入ってきてしまったのだよ」

 あぁ、そうだ。エディはいなくなる日の前日に、そんなことを言っていた。

 エディはいつだって劣等感に苛まれていた。だからこそ、どうしても知りたかったのだろう。アリスとクラークだけが知っている秘密を。

 そして、きっとアリスと同じように、幽霊メイドを追いかけて、地下室に足を踏み入れてしまったのだ。

「正義のヒーローには心強い味方が必要だろう? お前はエディを気に入っていたし、ピッタリじゃないか」

「……エディが……それを、望んだの?」

「あぁ! 勿論だとも!」

「嘘だっ!!」

 こんな醜い姿にされて、思考も自由も奪われて……そんなこと、誰が望むと言うのだろう。

 エディの姿は、隣の部屋に閉じ込められている女性と同じだ。人の形を保ちつつ、至る所に違う生き物の部位が移植されている。

 頭をよぎるのは、あの女性の言葉。


『私をこんな体にしたのは、あの男よ』


『いずれ、お前の自我は消され、その体はクラークに乗っ取られる。お前は、そのためだけに造られた肉の器なのだから』


 アリスは賢い少年だ。だからこそ、理解できてしまった。

 クラークは正義の味方なんかじゃない。

「……ボクは、クラークに乗っ取られるために、生まれたの?」

 震える声で問うアリスに、クラークはどこまでも優しい笑みを向けた。

 それは、決してエディに向けられることはない、親が我が子に向ける笑みだ。

 その時、バヂンッという音がして、アリスの首の後ろに衝撃が走った。全身を電流が駆けぬけ、アリスは膝から崩れ落ちる。

「……ぅ、ぁ……」

 首を少し動かして振り向けば、ブルネットの髪のメイドがスタンガン片手にアリスを見下ろしていた。

 まだ十三か、十四歳ぐらいにしか見えないあどけない顔は無表情で、何の感情も感じられない青い目が、じっとアリスを見下ろしている。

 そんなブルネットの少女に、薄茶の髪の少女がくってかかった。

「ツヴァイ! やりすぎなのです!」

「うすのろのアインス姉様は、黙っていて」

 ツヴァイと呼ばれた少女は、アリスの首筋にもう一度スタンガンを押し当てる。だが、そのスイッチを入れるより先に、クラークが「待ちなさい」とツヴァイを止めた。

「その体は、いずれ私が使うんだ。あまり傷を残さないでおくれ」

「ごめんなさい、お父様」

 ツヴァイは素直に謝り、スタンガンを引っ込める。

 クラークは「良い子だ」とツヴァイの頭を撫でてから、うつ伏せに倒れるアリスの前で膝をついた。

「アリス、お前はどうやって『乗っ取り』のことを調べたんだい? ……あぁ、そうか。シャーロットに聞いたのだね」

「……シャー、ロット?」

「私の可愛い妹だよ。天使のように愛らしかっただろう?」

 シャーロットとは、確かにクラークの妹の名前だ。

 シャーロット・レヴェリッジ、現在は遠くの親戚の家に療養中。年齢は七十二歳。

 隣の部屋にいた女性が本物のシャーロット・レヴェリッジなのだとしたら……彼女は四十年以上もの間、あの部屋に閉じ込められていたことになる。

「お前が成人したら、魂の上書き作業をするつもりなんだ。お前の自我は消え、そこに私の自我が上書きされる。お前の体を使って、私はまた若い時間を繰り返すことができる。いつまでも、シャーロットと一緒にいられる」

 パチリ、パチリ、とパズルのピースが一つずつはまるみたいに、この地下室で行われたことの全容が明らかになってくる。

 その完成図のおぞましさに、アリスは吐き気を覚えた。

「そのために、ボクを、作ったの?」

「そうだとも」

 クラークは一ミリのためらいもなく頷き、ツヴァイからスタンガンを受け取った。

 そして、アリスが倒れた時から、猛獣のように唸り始めたエディを、忌々しげに見やる。

「ありすありすありすありすありすありすありす、ああああああ」

 エディは倒れたアリスに近づこうと、拘束された手足を無茶苦茶に動かしていた。その度に拘束具がガチャガチャと鳴り、エディの皮膚が擦り剥ける。

 クラークはそんなエディを煩わしげに見やり、スタンガンを最大出力で押し当てた。

「ぎゃあああああああああああああああ」

 エディが悲鳴をあげてのたうちまわる。アリスが「やめて! やめてぇ!」と泣き叫んでも、クラークは耳も貸さず、エディが白眼を剥いて動かなくなるまで電流を流し続けた。

「まったく、こんな醜い生き物が私の器になろうなど……おぞましい」

「…………え?」

 小さな違和感を覚え、アリスが声を漏らせば、クラークはつま先でエディをつついて肩をすくめた。

「私の研究の全てを話してやったら……コレは身の程知らずにもこう言ったのだよ」

 実の息子を「コレ」呼ばわりし、クラークはさも不愉快そうに吐き捨てる。


「『オレの体を父さんにあげるから、アリスは自由にしてやってくれ』」


 あぁ、とアリスは嘆息し、嗚咽に喉を震わせる。

 エディはいつだってそうなのだ。

 大嫌いだ馬鹿アリス、と意地悪を言って、でもこっそりお菓子を用意してくれる。一緒にベッドで寝てくれる。手を差し伸べてくれる。

 だから、アリスはエディを助けられる強くてかっこいいヒーローになりたかった。エディを悪い奴らから守りたかった。

(……それなのに、こんなの……逆じゃないか)

 アリスはエディを守れなかった。それどころか、守られていたのはアリスの方だった。


「救いようの無い愚かな息子だ……こんな出来の悪い体を、私が使うわけがないだろうに。お前など、人間以下のペットで充分」


 怒りが、少年の視界を白く塗りつぶす。憎悪が、幼い胸を黒く塗りつぶす。

 強い怒りと憎悪は、体の痺れを一時的に意識の外に追いやった。

「……ぅ、ぁああああああああああああ」

 アリスは立ち上がり、拳を振り上げる。

 アリスは人を殴ったことなんて一度もない。だけど、彼は生まれつきとても運動神経が良くて、頭も良かった。だから、体の上手な動かし方をちゃんと知っていた。

 ……今なら分かる。

 クラークは、いずれアリスの体を乗っ取った時のために、アリスに人並み以上の身体能力を与えていたのだ。

 アリスが拳を振り上げると、クラークを庇うように、ブルネットのメイド──ツヴァイが前に飛び出す。

「お父様っ!」

 ツヴァイはアリスの拳を両掌で包み込むように受け止める。

 もし、アリスがただの少年だったなら、拳を受け止めることができただろう。だが、アリスは足を踏ん張り、そのまま拳を振り抜いた。ツヴァイの体は軽々と吹き飛び、壁に叩きつけられる。

 焦ったクラークがアリスにスタンガンを振り下ろそうとしたが、アリスはそれを容易くかわし、クラークの腹に拳を叩きこんだ。

 全身を支配する、ありったけの怒りと憎悪を込めて。




「お前なんて死んじゃえ」




 ……そこから、アリスの記憶は少し途切れている。

 我に返った時、アリスは己の創造主に馬乗りになり、そのぐしゃぐしゃに潰れた顔を見下ろしていた。

 アリスは荒い息を吐きながら、己の手を見つめる。血で汚れた手は、ところどころ腫れていた。


 クラークは、もう動かない。


 アリスが、殺した。


「……気はすんで?」


 背後から響く声にゆっくりと振り向けば、そこにはあの鳥女がいた。

 鳥女は薄茶の髪のメイドに支えられながらアリスに近づき、クラークの変わり果てた姿を見下ろす。

「……自分のクローンに殺されるだなんて……愚かだこと。あなたに相応しい最期だわ、お兄様」

 呆然とする意識とは裏腹に、アリスの頭の冷静な部分は「あぁ、やはり彼女はシャーロット・レヴェリッジだったのだ」と静かに納得していた。

 クラークは、この女性と一緒に生きるためだけに、アリスを造り、育てた。

 お前はいつか正義のヒーローになるんだよ、と囁いて。

「……お前が、いたから」

 アリスの中で行き場をなくした憎悪が、目の前の女性に向けられる。


 この女がいたから、クラークは永遠の生を望んでしまった。

 この女がいたから、クラークはアリスを造った。

 この女がいたから、エディはあんな姿になってしまった。


「……お前の、せいで」

 アリスはゆっくりと立ち上がり、血に汚れた拳を握りしめる。

 憎悪に満ちた青い瞳が、目の前の女にゆっくりと照準を定める。

「お嬢様っ!」

 薄茶の髪のメイドがシャーロットを庇うように手を広げた。だが、シャーロットは「アインス、お退き」と静かに命じる。

 アインスと呼ばれた少女は戸惑うようにシャーロットとアリスを交互に見ていたが、しゅんと肩を落として、壁際まで下がった。

 シャーロットはゆっくりと首を巡らせて、室内を見回す。

 スタンガンで気絶させられたエディ、アリスに殴り飛ばされて動かなくなったツヴァイ、そして、原型をとどめていないクラークの遺体。

 酷い有様だこと、とため息混じりに呟き、シャーロットはアリスに告げた。

「私を殺して、お前の気がすむのなら、好きにすればいいわ。けれど、私にはやるべきことがある」

 シャーロットの目は、死を恐れていない人間のそれだった。

 その体を作り替えられ、長い時間閉じ込められていた彼女には、生きることへの執着など一欠片しか残されていない。

 その一欠片の執着は……責任感から生じるものだ。

「兄亡き今、私は……いいえ、あたくしはレヴェリッジ家の当主として、兄のしでかしたことの後始末をしなければならない」

「……後始末、って?」

 アリスは握った拳はそのままに、シャーロットに問いかける。

 彼女がその場しのぎの言い逃れをするなら、殺してやるつもりだった。


「フリークス・パーティ」


 シャーロットが発した言葉に、アリスは眉をひそめる。初めて聞く単語だった。

「……何、それ?」

「兄は、己の技術を日本企業に流し、おぞましい催し物をしている。それを終わらせなくては……その坊やのような犠牲者は増え続ける一方よ」

 その坊や、と言ってシャーロットはエディを見た。

 それだけで、アリスは理解する。

 クラークはエディやシャーロットに施した人間を作り替える技術を、日本に広めていたのだ。

「フリークス・パーティが幕を閉じたら、その時はあたくしを殺しなさい」

 シャーロットは醜く作り替えられた体で、しかしピンと背筋を伸ばし、毅然とした態度で告げる。


「自死を諦めたその日から……全ての咎を背負う覚悟はできているわ」



 * * *



「……その後は、目が回るほどに大変だったわ」

 〈女王〉は深々と溜息を吐くと、その後の話をかいつまんで話す。

 クラークの死の偽装工作に始まり、相続の手続き、地下施設の隠蔽、エディの保護……やるべきことは山ほどあった。

 なにより大変だったのが、フリークス・パーティの運営だ。

 シャーロットは四十年に及ぶ監禁生活の間に、アインスからクラークの動向を逐一聞き、フリークス・パーティの存在を知っていた。

 だからこそ、兄亡き後は即刻フリークス・パーティを中止すべきだと彼女は決意したのだが、そう簡単に事は進まなかった。

 フリークス・パーティは、もはや彼女一人の手には余る程に、規模が膨れ上がっていたのだ。

 仮にこの状態でフリークス・パーティからレヴェリッジ家が手を引いたら、フリークス・パーティそのものがスポンサー企業に乗っ取られかねない。

 だからこそ、フリークス・パーティの規模を少しずつ縮小していく必要があった。

 シャーロットが最初に着手したのは、運営委員会の改革。

 スポンサーと癒着し、私腹を肥やしていた者を片っ端から切り捨て、野心とは無縁なメンバーに入れ替える。そして彼女自身は〈女王〉を名乗り、運営委員会のトップに君臨した。

 ……と、ここまでの話を聞いたグリフォンは「なんつーかよぉ……」と口を開きかけて閉じ、ガリガリと頭をかく。

 グリフォンはフリークス・パーティが好きだ。暴力の世界でしか生きられない彼にとって、フリークス・パーティは大事な居場所だった。

 だが、フリークス・パーティの裏でクラークがしてきたことを思えば、どうしたって心境は複雑だ。

 今までみたいに、胸を張ってフリークス・パーティが好きだとは言えない。

 そんな心の内を読んだかのように〈女王〉がグリフォンをちらりと見る。

「お前は、知らないままの方が幸せだったでしょうね。グリフォン」

「……知らないままでいたかった、なんて泣き言を言うほどガキじゃねぇよ」

 心の整理はできずとも、大事な思い出と、今、現実にすべきことの線引きぐらいはできるのだ。

 クラークの自分勝手な欲望のために、踏みにじられてきた者がいる。そして今もなお、クラークの遺産でろくでもないことを企む者がいる。

 ならば、運営委員会の「グリフォン」がすべきことは、ただ一つ。

 クラークの後継者を見つけだし、ぶん殴ってやるのだ。フリークス・パーティの縮小、継続についてはその後考えればいい。

「なぁなぁ、ちょっといい?」

 ウミネコが片手をあげてヤマネを見た。

「これまでの流れから察するにさぁ、アインスってのが、ヤマネちゃん?」

「はいなのです。ヤマネの正式名称はアインス。クラーク・レヴェリッジが造った一番目の娘なのです」

 〈女王〉のそばに控えて頷くヤマネに、ウミネコは梅干しでも食べたかのような顔をした。

「……ヤマネちゃんってさぁ……もしかして、オレより年上?」

「なのです」

 ウミネコはソファの背もたれにだらりともたれ、天井を仰いだ。

「オレ、今日から童顔キャラ返上するわ。胸張ってオッサンを名乗るわ。アイアムオッサン……」

「そんなの今はどうでもいい」

 ウミネコのぼやきをクロウがバッサリと切り捨てる。

「お前達の事情は分かった……が、それとサンドリヨンの件がどう繋がるんだ。今の話からだと、さっぱり見えてこないぞ」

 あぁ、そうか、とグリフォンは声には出さずに呟いた。

 クロウはクラークの後継者がいることも、そいつが不老不死の研究の過程で恐ろしい薬を作り出したことも、知らないのだ。

 ここは自分が説明してやるべきだろうか、それともアリスの口から説明してもらうべきか。

 グリフォンが顎に手を当てて考えこんでいると、突然部屋の扉がバターンと勢いよく開いた。


「大変大変大変ですよぅーーーーーー!!」


 もはやお約束の芸のように叫びながら飛び込んできたのは、白兎だ。

 グリフォンの知る限り、白兎の「大変大変」は八割がどうでも良いことで、一割がまぁまぁ大変なことである。

 だが、どういうわけか最悪なタイミングで残りの一割を引き寄せるのが、この白兎という青年であった。

 かくして、密かに疫病神扱いされている白兎青年は、慌てふためきながら叫ぶ。


「イーグルさんが、サンドリヨンさんを連れて、二人で島の外に出ちゃったんですーーー!」


 部屋の空気がピキンと凍りつく。冷気の発生地点は言わずもがな。

 クロウは唇の片端を限界まで持ち上げた、とても笑顔とは言えない壮絶な顔で、拳を握りしめ、カタカタと震えていた。

 あんまり強く手を握っているものだから、彼の手の中で上質な黒革の手袋がキシキシと軋んでいる。

「クロちゃん、大丈夫? 息してる? ……あ、ダメだこれ。息してねぇわ」

 ウミネコがクロウの顔の前でひらひらと手を振っても、クロウは瞬き一つしない。

 そんなクロウの横で、美花が真顔で呟く。


「愛の逃避行じゃん」


 クロウの革手袋が、ブヅリと音を立てて豪快に破れた。


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