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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第13章「ハートの女王の昔話」
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【13ー8】三番目の子、四番目の子

 アリスは物心ついた時には、レヴェリッジ家で大事に大事に育てられていた。

 レヴェリッジ家の人間は、アリスのことをクラークに引き取られた遠縁の子だと信じていて、とても優しかったし、クラークもアリスのことを可愛がっていて、勉強を頑張れば、たくさん褒めてくれた。

 ある日、クラークは幼いアリスの肩を叩いて、とっておきの秘密を教えてくれた。

「いいかい、アリス。お前は私の細胞から作り出したクローンであり、そして正義のヒーローなんだ」

 クラークは正義の科学者で、悪い奴らをやっつけるために、正義のヒーローの研究をしているのだという。

 そして、アリスはクラークが生み出した正義のヒーロー第一号なのだ。

「今はまだ、お前を外に出してはあげられないけれど、それは悪い奴らからお前を守るためなんだ」

「どうしたら、お外に出られるの?」

「お前がもっと大きくなって、強くなったら。そしたら街に出て、悪い奴らと戦うんだ」

 ボクがヒーロー! 正義の味方!

 アリスがドキドキする胸を押さえていると、クラークは人差し指を唇に当てて言った。

「ただし、私の研究のことも、お前の正体も、みんなには内緒だよ? 正義のヒーローは正体を明かしてはいけないものだからね」

「うん! わかった!」

 元気良く頷くアリスの頭を、クラークは節の目立つ指で力強く撫でてくれた。

 この時のアリスは、自分がいずれ正義のヒーローになるのだと心の底から信じていて、自分が本当は何のために造られたのかなんて、知りもしなかったのだ。



 * * *



「エディ、エディ、ねぇ、一緒にお勉強しよう」

 アリスには兄と呼んで慕う人物がいる。それが、クラークの息子のエディ・レヴェリッジだ。

 エディはアリスより七歳年上で、今は十五歳。アリスが物心ついたばかりの頃は、アリスといっぱい遊んでくれたけれど、最近は勉強に忙しいらしく、あまり遊んでくれない。

 だから、アリスは考えた。それなら、自分がエディと一緒にお勉強をすればいいのだ。

 だけど、アリスがノートと筆記用具を胸に抱いて、エディを勉強に誘うと、エディはそばかすだらけの顔をしかめて、首を横に振った。

「いやだ。オレは一人で勉強する」

「一緒がいいよ。ねっ、ボク、エディの邪魔はしないから」

 アリスはエディの服の裾を掴んで、上目遣いに見上げた。そうすれば、いつだってエディは困ったように笑いながら「仕方ないなぁ」と言ってくれるのだ。

 だが、その時のエディは、眉を釣り上げてアリスを睨みつけた。

「うるさいなっ! 一人で勉強するって言ってるだろ!! そんなにオレを馬鹿にして楽しいかよ!?」

 アリスはガンとショックを受けて、思わず足をふらつかせた。

 アリスは一度だってエディを馬鹿にしたことなんて無い。ただ、エディが大好きで、一緒にいたいだけなのに。

「エディ、エディ、なんでおこるの? ボク、ちゃんといい子にしてるよ? ボク、エディのお勉強のお手伝いもできるよ!」

 アリスは必死で、自分が役に立てることアピールした。

 アリスは勉強が得意だ。もう基礎数学は完璧に理解しているし、高等学校レベルの問題なら、参考書を見ずとも解ける。

 外国語もヒアリングはまだまだだけど、読み書きだけなら英語、フランス語、ラテン語はほぼ完璧だ。今は中国語と日本語だって勉強している。

 家庭教師の先生もクラーク様の再来ですね、と褒めてくれたし、きっとエディの役に立てるはずだとアリスは信じて疑わなかった。

 だが、まだ八歳のアリスの言葉は、十五歳の少年のプライドを逆撫でした。

「お前なんてキライだ!」

 エディは手を振り上げて、アリスの頭をバシンと叩いた。

 アリスは数秒硬直していたが、次第にじわじわと目を潤ませる。ひぐっ、と喉が震えれば、次から次へと涙の雫が零れ落ちてシャツを濡らした。

 アリスは強い正義のヒーローだから、転んだって泣かない。けれど大好きなエディに嫌われるのだけはとてもとても悲しくて、涙が我慢できなかった。

「エディがぶったぁー! うわぁーーーーーーん!!」

 わんわん泣きじゃくるアリスの元に、使用人が血相を変えて駆け寄ってくる。

「アリス様、どうされたのですか?」

「アリス様、あぁお可哀想に」

「こちらへどうぞ、甘いクーヘンがあるんですよ」

 使用人達はこぞってアリスに声をかけたが、誰一人としてエディに見向きもしない。

 エディはフンと鼻を鳴らして、その場を早足で立ち去ってしまった。



 アリスは使用人からもらったクーヘンを食べると、一人で勉強をすることにした。勉強は好きだ。頑張れば頑張るだけ、知識が身につくのは楽しい。

 なにより、あんまりお馬鹿なヒーローなんて格好悪いではないか。最近のヒーローはロボットの操作や爆弾の解体だって軽々とこなさなくてはならないのだ。

 それに、期待に応えることができたら、クラークはアリスをこの家の養子にすると約束してくれた。

 今のアリスはファミリーネームを持たないただのアリスだ。でも、アリス・レヴェリッジになれば、エディと本当の兄弟になれる。

 だからアリスは、その日も難関大学の入試問題にせっせと取り組んだ。



 問題集を一通り解き終わった頃には、すっかり外は暗くなっていた。

 アリスは比較的暗いところでも、ものがよく見えるから、勉強に熱中するとついつい明かりをつけることを忘れてしまう。

 扉のそばにある部屋の明かりをつけようとしたところで、アリスはふと気づいた。扉がほんの少しだけ開いていて、そこに何かが挟まっている。

 見れば、そこにはアリスの好きなチョコレート菓子の箱が挟まっていた。

 使用人はこんなやり方でお菓子を差し入れたりしないから、誰が置いたかなんて考えるまでもない。

「……えへへ」

 アリスはチョコレート菓子を胸に抱くと、すぐに廊下を走ってエディの姿を探す。

 エディはリビングのソファに座ってテレビを見ていた。アリスはソファに飛び乗ってエディにしがみつく。あんまり勢いよく飛びついたものだから、エディはソファの上でひっくり返って「ギャッ!」と悲鳴をあげた。

「おい! 危ないだろ! 急になにすんだ、馬鹿アリス!」

「えへへ、へへへへへへ」

「なんだよ、気持ち悪いな」

 クラークが露骨にアリスを目にかけているから、レヴェリッジ家の使用人達は、みんなアリスに甘い。だからこそ、エディの遠慮のない物言いが本物の兄弟みたいに思えて、アリスは嬉しかった。

 エディはフンとそっぽを向いていたけれど、ふわふわと毛先の跳ねた灰褐色の髪の下で、そばかすだらけの頬は、ほんのり赤くなっている。おまけに耳がピクピクと動いているものだから、ツンとしたツリ目も相まって、まるで猫みたいだ。

「ボク、エディのこと大好き」

「あぁ、そうかよ」

「だって、猫みたいなんだもん!」

 猫が大好きなアリスにとって、それは最上級の褒め言葉だったが、ツリ目を気にしているエディにどう受け取られたかは言わずもがな。


「お前なんて大っ嫌いだ!!」

「わーーーん!! エディがまたぶったーーーーー!!」



 * * *



 アリスとエディはそれぞれ別々に部屋を持っているけれど、夜寝る時、アリスはエディの部屋の二段ベッドの下の段で寝ている。

 どうしても、一人で寝るのは怖くて嫌だと駄々をこね、無理矢理エディの部屋に二段ベッドを用意してもらったのだ。

 エディは「馬鹿アリスには困ったもんだ」と唇を尖らせていたけれど、それでもアリスが怖い夢を見て泣きじゃくっている日は上の段から降りてきて、アリスと一緒に寝てくれた。

 それはエディが十五歳、アリスが八歳になった今も変わらない。

「おい、アリス。起きてるか」

 ある晩、エディが二段ベッドの上段からヒョイと下段を覗きこんで、アリスに声をかけた。

 アリスは読んでいた本を閉じて、エディを見上げる。

「うん、起きてるよ。どうしたの、エディ?」

「お前は、幽霊メイドの噂を知っているか?」

 アリスはしばし戸惑い、コクリと頷いた。

 レヴェリッジ家には二十歳未満の使用人はいないし、使用人の家族が出入りすることもない。それなのに、メイド服の少女を家の中で見かけることがしばしばあるという。

 その少女の姿が何年も前から変わらないので、ついた呼び名が幽霊メイド。

「オレさ、調べたんだ、幽霊メイドについて」

 エディは二段ベッドの下段に下りてくると、アリスの横に座ってノートを広げた。ノートには、幽霊メイドの容姿や、使用人が見かけた場所や時間帯などが、細かく書きこまれている。

「目撃者の証言をまとめると、幽霊メイドは二人いる。薄茶の髪のやつと、ブルネットのやつだ。どちらも見た目は十代前半。いつ頃から現れるようになったかは、はっきりしていないんだけど、使用人達の証言じゃ随分前……それこそ、オレが生まれる前から存在していたらしい」

 エディはさらにノートのページをめくった。次のページには、この屋敷の見取り図が書かれており、何ヶ所かに☆印がついている。

「幽霊メイドの目撃が多いのは主に一階、リネン室と厨房付……そして、一番多いのは地下室付近だ」

 レヴェリッジ家の一階の奥には地下室がある。そこには誰も近づいてはいけないと、クラークは使用人にもエディにも厳命していた。

 アリスはクラークが地下で秘密の研究をしていることを知っている。研究の内容はよくわからないけれど、きっと、悪い奴らをやっつけるために正義のロボットを開発しているのだというのがアリスの予想だ。そして、いずれ自分はそのロボットに乗って、悪の組織と戦うのだ。

「オレは、前々からこの家はおかしいと思ってたんだ……父さんはオレ達に何かを隠してる。その秘密は、この地下室にあるんじゃないかと思うんだ」

 エディは自分の父親が正義の科学者で、アリスが正義のヒーローということを知らない。

 本当は教えてあげたいけれど、そうすると悪の組織がエディを狙うかもしれないから、絶対に秘密にしなくてはいけないのだ。

「……エディ、もしかして、地下室に行こうとか思ってる?」

「あぁ、オレだってレヴェリッジ家の人間なんだ。何があるか見る権利ぐらいあるだろう」

「ダメだよ! クラークに怒られちゃうよ!」

 地下の研究のことも、アリスが正義のヒーローであることも、エディには絶対に秘密なのだ。地下室に近づけるわけにはいかない。

 だが、エディは小馬鹿にするような顔でアリスを見た。

「なんだよ、お前。もしかして、幽霊が怖いのか?」

「違うよ、でも、その……地下室には、絶対に近づいたらダメなんだ」

 しどろもどろにアリスが言うと、エディは何かに気づいたような顔をした。

 エディはツリ目を更に釣り上げて、じとりとアリスを睨む。

「お前、もしかして、地下室に何があるか知ってんのか?」

「…………」

「やっぱり、知ってるんだな!」

 エディは怖い顔でアリスを睨んでいたが、やがてノートを勢いよく閉じる。

「父さんは、お前には地下室のことを教えてたんだな……オレには何も教えてくれないのに!」

「ち、ちがうよ、ボク、何も知らないよ」

「嘘をつくな!」

 アリスは薄々気づいていた。クラークが息子のエディを疎んでいることにも。そして、クラークに可愛がられているアリスに対し、エディが対抗心を抱いていることにも。

 それでも、アリスにとってエディは大好きなお兄ちゃんなのだ。嫌われたくない。

 涙目で黙り込むアリスにエディもしばし黙り込んでいたが、やがてのそのそと階段を上って自分のベッドに戻っていく。

 ギシギシとベッドの軋む音が収まると、真上から小さな呟きが聞こえた。

「……お前なんて大嫌いだ。馬鹿アリス」

 アリスはとても悲しくなって、お気に入りの猫のぬいぐるみに顔をうずめて、しくしくと泣いた。

 そうしてアリスは決意する。

 明日になったら、エディにごめんなさいと言おう。そして、エディにこっそり秘密を打ち明けるのだ。

 エディ、今まで黙っててごめんね。本当はボク、正義のヒーローなんだ。クラークは正義の科学者で、悪い奴らをやっつける研究を地下室でしているんだよ。

 そう教えてあげようと思っていたのに、朝起きたら、エディはもうベッドにはいなかった。今日はお休みの筈なのに。

 急いで身支度をすませて、朝ごはんも食べずに家の中を探し回っていると、誰かがアリスの肩を叩いた。

「やぁ、アリス、まだ朝食を食べていないんだって?」

 アリスの肩を叩いたのは、この家の主人クラークだ。もう八十歳を過ぎているけれど、足腰はしゃんとしていて二十歳ぐらい若く見える。

 その顔は当然だがアリスとよく似ていた。使用人達はアリスをクラークの隠し子だと密かに噂しているが、実はクラークのクローンだなんて、誰が想像できるだろう。

「私も朝食がまだなんだ。一緒に食べないかい?」

「……いらない。ボク、エディを探してるんだ」

 アリスがふるふると首を横に振ると、クラークは困ったような顔をしてみせる。

「エディは今日からしばらく親戚の家に預けることにしたんだ」

「えっ!?」

 そんなの初耳だ。エディだって、昨日は全然そんなそぶりを見せていなかったのに!

「エディはいつ帰ってくるの? 今日? 明日? しばらくってどれだけ?」

「大丈夫だよ、アリスが良い子にしていたら、きっとすぐに会える。さぁ、食堂で朝食にしよう」

 クラークはそう言ってアリスを食堂へと促したが、アリスは明確な答えがもらえないことが不満だった。

 それでも、クラークが「良い子にしていたら、すぐ会える」と言っていたので、アリスはおとなしくクラークに従った。

 今まで一度だってクラークがアリスとの約束を破ったことはない。

 アリスがきちんと良い子にして勉強を頑張れば、素敵な二段ベッドも、エディとお揃いの靴も、大きな猫のぬいぐるみだって買ってくれたのだ。

 だから、アリスが良い子にしていたら、クラークはきっとエディとも会わせてくれるはずだ。




 エディが親戚の家に行ってしまってから一週間が過ぎた。

 その日、アリスはいつもより集中して課題に取り組み、テキストを全て片付けたところで、使用人の目を盗んでエディの部屋に向かった。

 もう一週間もエディに会えず、寂しくて寂しくて仕方がなかったアリスは、エディの服を一枚拝借して、猫のぬいぐるみに着せようと思ったのだ。そうしたら、寂しさもちょっぴり紛れるかもしれない。

 エディによく似た灰色の猫のぬいぐるみを抱きしめて、アリスはエディの部屋を目指した。

 廊下の角からエディの部屋の様子を伺うと、エディの部屋の前に小柄な人影が見える。

(……あんな小柄なメイドさん、いたっけ?)

 そのメイドは薄茶の髪を二つに分けて高い位置で結んでいた。アリスの位置からだと、後ろ姿しか見えないが、だいぶ若いように見える。

 小柄なメイドはエディの部屋に入っていくと、数分で部屋を出てきた。その手にはエディの服が何着か抱えられている。

 だが、それよりもアリスが驚いたのは、そのメイドの容姿だ。

 そのメイドはどう見ても、十代前半の少女にしか見えない。

(……エディが言ってた、幽霊メイド!)

 アリスは賢い少年だから、この屋敷の使用人全員の顔と名前を覚えている。

 レヴェリッジ家の使用人に、こんな年端もいかない少女はいない。

(なんで、幽霊メイドがエディの服を……?)

 様子を見守っていると、そのメイドは周囲の様子を気にしながら、早足で廊下を抜けて、地下室へと続く階段を降りていく。

 地下室へと繋がる扉は電子ロックがされていて、暗証番号を入力しないと入ることができない。

 アリスは物陰から、少女が暗証番号を入力するところを、こっそり見ていた。


 ──1、9、4、5、1、2、1、4……


 メイドの少女はロックを解除し、扉を開けて中に入っていく。

(なんの数字だろう? 日付みたいだけど……一九四五年十二月十四日?)

 一九四五年と言えば太平洋戦争でドイツが全面降伏をした年だ……が、それは十二月じゃない。五月のはずだ。

 あとはレヴェリッジ家にまつわることで、この年に何があったかだろうか、とアリスは記憶の引き出しを漁る。

(……そうだ、この年は、クラークの妹、シャーロット・レヴェリッジが生まれた年だ。確か、シャーロット・レヴェリッジの誕生日が十二月だったはず)

 アリスはクラークの家族に関することを、おおよそではあるが聞かされていた。

 クラークの父親は太平洋戦争で戦死。母親はクラークが四十歳になる少し前に失踪している。どうやら、外で愛人を作って駆け落ちしたらしい。

 妹のシャーロットは体が弱く、彼女が二十八歳の時に大きな手術を受けることになったのだが、手術中に母が失踪したことを知り、酷いショックを受けて心神喪失状態になってしまった。そのため、手術に成功した後は、母の思い出の残る家で暮らすことを拒み、遠い親戚の家で静かに療養することになったらしい。

 ……それが、クラークの家族に関して、アリスが知っていることだ。

 エディの母親に関することは、一切クラークは語らなかった。ある日、クラークが赤ん坊のエディを連れて帰り、自分の息子だと宣言したのだという。

 それはさておき、今はあの幽霊メイドを追うのが先だ。あのメイドはエディの着替えを持ち出していた。もしかして、エディはあの地下室にいるのでは? と考えるのは自然なことだ。

 アリスは周囲に人がいないのを確認し、念のため指紋が残らないように指をハンカチで包んで、暗証番号を押した。

 重たい鉄の扉を開けると、そこには下りの階段があった。天井には等間隔に明かりが灯されている。

 アリスは猫のぬいぐるみをギュッと胸に抱き、慎重に階段を下りていった。緩やかな螺旋になっている階段は下りた先が見えず、不安を誘う。

(……怖くない、怖くない、ボクはヒーローなんだから)

 この先にあるのは、正義の味方の秘密基地だ。

 あぁ、そうだ。もしかしたら、エディも正義のヒーローに選ばれたのかもしれない。きっと、そうだ。アリスには内緒にしておいて、あとでびっくりさせる計画なのだ。

 ……そう自分に言い聞かせつつ階段を下りきった先には、二つの扉があった。 

 左の扉は鍵がかかっておらず、右の扉はこちら側から鍵がかかっている。アリスは右の扉の鍵を回して、扉を少しだけ開いた。

 扉を開けた先にはもう一つ鉄格子の扉があり、そちらには錠がかけられている。

 鉄格子の向こう側には病室のような部屋が広がっていた。ベッドと机、棚があるだけの簡素な部屋だ。

 ベッドの上には一人の女性が腰かけて、本を読んでいる。

 綺麗な金色の巻き毛の女性だ。ドレスが似合いそうな美しい顔立ちをしていたが、身につけているのは入院着で、露出した首や手足には包帯が巻かれている。

「……誰?」

 アリスが思わず呟くと、女は本から顔をあげてアリスを見た。クラークやアリスと同じ、綺麗な青い瞳だ。

「……お前は……フィーア(四番目)」

「フィーア? 違うよ、ボクはアリスだよ」

 鉄格子を掴んでアリスがそう言うと、女は本を閉じた。だが、立ち上がってこちらに近づいてくる気配はない。ベッドに座ったまま、アリスをじっと見つめている。

「お前は自分がクラークに造られた存在だという自覚はないの?」

 女の言葉にアリスはギョッとした。

 アリスがクラークのクローンであることを知っているのは、クラークとアリスだけのはずだ。

(この人は一体何者なんだろう? ……そうだ! きっと鉄格子に閉じ込められているから、悪いやつなんだ!)

 だから、正義の味方のクラークに捕まったに違いない、とアリスは勝手に納得した。

「もちろん知ってるよ。ボクはクラークが造ったクローンで、正義のヒーローだ」

 えへんと胸を張って言ってみたけれど、猫のぬいぐるみを抱えたままなので、いまいち格好がつかない。

 ぬいぐるみを足元に置いて、やり直しできないだろうか、とアリスが大真面目に考えていると、女が静かに溜息を吐いた。

「……お前は、自分が何のために造られたか、分かっていないのね」

「知ってるよ。ボクは正義のヒーローになるために生まれてきたんだ」

「……おめでたいこと」

 女はとても美しかったが、どこか影があった。

 まだ、二十歳前後にしか見えないのに、まるで生きることに疲れた老婆のような、そんな憔悴が顔に色濃く表れている。

 女は両手を持ち上げると、自身の首に巻かれた包帯をスルスルと解いた。突然、何を始めるのだろうと様子を見守るアリスの前で、女の首が露わになる。

 女の首回りは、白い羽で覆われていた。更に女が入院着の襟元を広げれば、首だけでなく、肩周りも羽で覆われているのが分かる。

 女は更に左手の包帯を解いた。包帯に覆われていた手は指が不自然に湾曲し、薄茶の鱗と皮膜に覆われている。まるで、鳥のように……

「ば、バケモノ……」

 アリスは猫のぬいぐるみを抱きしめて、喉を引きつらせた。

 この鳥女はやはり、悪いバケモノだったのだ。だから、クラークはこの鳥女を捕まえて、地下に閉じ込めているのだ。

 そう確信するアリスに、女は淡々と言った。

「私をこんな体にしたのは、あの男よ」

「……あの男、って?」

「クラーク・レヴェリッジ」

 クラークがこの女性をバケモノの姿にした?

 ありえない冗談だと、アリスは思った。

「違うよ、クラークは悪いやつと戦っている、正義の味方なんだ」

 曇りのない目で断言するアリスに、女は興味の薄い一瞥を投げかけて、手の包帯を巻き直す。

「そう思いたいなら、思えばいいわ。けれど……」

 包帯を巻く手を止めて、女は哀れむような目でアリスを見る。

「いずれ、お前の自我は消され、その体はクラークに乗っ取られる。お前は、そのためだけに造られた肉の器なのだから」

 何かを言い返したいのに、恐怖で足が竦んで動かない。

(しっかりしろ、ヒーロー。こんな鳥女の言うことに惑わされてちゃダメだ)

 懸命に自分を奮い立たせていると、隣の部屋から微かに雄叫びのような声が聞こえてきた。


 ──ぁ、ぁ、ぁ……


 その声をアリスはよく知っていた。

「エディ!」

 アリスはもう鳥女には目もくれず、部屋を飛び出して隣の部屋の扉に手をかけた。

 こちらの扉に、鍵はかかっていない。

「エディ! いるの!?」

 勢いよく扉を開けた先にあったのは、実験室のような広い部屋だった。

 その中央に拘束具と鎖で繋がれたエディ。そのそばにはクラークと、メイド服の少女が二人。

「エディ!?」

 エディの灰褐色の髪は、いくつかの色素が抜け落ちて、艶のないパサパサの灰色に変色していた。その髪の隙間から、灰色の猫の耳のようなものが飛び出している。

 拘束具を付けられた手足は灰色の毛並みに覆われており、ズボンの隙間から垂れているふさふさしたそれは、尻尾だ。

「エディ!? エディっ!?」

 アリスの呼びかけに応えるように、エディがゆっくりと顔を上げる。

 そばかすだらけの顔は、至るところに血管が浮かび上がり、大きく見開かれた目は、ギラギラと金色に輝いていた。

「あ、ああ……ありす、ありす……ありす、ありす、ありす、ありすありすありすありすありす」

 鋭い牙の覗く口が、虚ろな声でアリスの名前を繰り返す。

 爛々と輝く目は焦点を失い、全身が痙攣していた。

「エディ、どうしちゃったの!? クラークっ!! エディに何があったの!?」

 アリスが悲鳴じみた声で叫べば、クラークはエディの首輪から垂れる鎖を強く引いた。

 そして、実の息子に向かって、まるでペットに言い聞かせるような口調で言う。

「ほら、自己紹介をなさい? お前は何だ?」

「……あ、あぁ、ネコ、ネコ、ネコ、ありすの、ネコ、オレは、ワタシは、ボクは、ありすの、ネコ、ああああありす、ありすありすありすありす」

 猫によく似たそのバケモノは、涎をダラダラと垂らしながら、正気を失った目でアリスの名前を繰り返している。

 それがエディだと、アリスは俄かに信じられなかった。

 だが、あぁ、そのそばかすの浮いた顔は、つり気味の目は、間違いなくエディそのものだ。

 アリスが真っ青になって震えていると、クラークはアリスが胸に抱くぬいぐるみに目をやって、ニコリと微笑んだ。

「お前は猫が好きだったろう? だから、私からのプレゼントだよ。あぁ、もちろん、お前に悪態をついたりできぬよう、きちんと頭も弄っておいたからね」

 そう言って、クラークはエディの首輪から垂れる鎖の先端をアリスの手に握らせる。



「良い子のお前に、私からのプレゼントだ。お前に決して逆らわない、強くて従順なペットだよ」


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