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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第13章「ハートの女王の昔話」
102/164

【13-2】夏は冷たい麦茶、冬は温かい梅昆布茶が最強よ。by元祖水切りクイーン

 雨の中呆然と立ち尽くしていた優花は、イーグルに手を引かれて、彼の使っている客室まで連れてこられた。

 イーグルの使っている客室は、クロウの使っているそれと殆ど同じだ。ただし、同じ別館でも階が違うから、歩いていて鉢合わせすることは、まずない。

「体が冷えてるね。お風呂で温まった方がいい」

 優花が部屋の入り口に立ってぼんやりしていると、イーグルは優花をバスルームに促した。脱衣所には真新しいタオルやバスローブがきちんと揃えて用意されている。

 優花はのろのろと服を脱ぎ、シャワーを頭から浴びた。

 温かなシャワーは、冷たい雨や泥を流してくれるけれど、体の芯まで温めてはくれない。

 バスタブにはお湯が溜めてあったが、とても浸かる気にはなれず、優花はさっとシャワーだけを浴びてバスルームを出た。

 用意されていたバスローブを羽織って脱衣所を出ると、イーグルがミニキッチンでお茶の用意をしているのが見える。

「もう出たの? ゆっくり温まってくれて良かったのに」

 優花は何かを言おうと口を開きかけ、閉じた。

 イーグルにどう接すれば良いのかが、分からない。

 エディを助けるための協力者。美花を溺愛している青年。クロウを助けてくれると約束してくれた。悪い人ではない。


 ……でも、クロウに事情を話すことを許してくれない人。


「ソファ、座って」

 促されないと、優花はいつまでも立ち尽くしたままだと分かっているのだろう。

 優花はソファの上で身を縮こまらせるように座る。そんな優花の前にイーグルはマグカップをことりと置いた。

「どうぞ」

「……あり、がとう」

 ぎこちなく礼を言い、優花はマグカップを持ち上げる。中身は梅昆布茶だ。

 いかにも紅茶やコーヒーを嗜みそうなイーグルが、マグカップに梅昆布茶というギャップがなんだかおかしくて、優花の気が少し緩む。

「……梅昆布茶、好きなの?」

「うん」

 イーグルはあっさり頷いて、自分も梅昆布茶の入ったマグカップを傾けた。

 立派な三揃いのスーツを着た紳士が、マグカップで梅昆布茶を美味しそうに飲んでいる。彼のそういう姿を見ると、やっぱりどうにも憎めないのだ。

「夏は冷たい麦茶、冬は温かい梅昆布茶が最強って、昔、言ってた人がいてね」

「……その人とは気が合いそうね」

 二人は、しばし会話らしい会話もなく、無言で梅昆布茶を飲んだ。

 そうしてマグカップが空になったところで、イーグルが口を開く。

「ねぇ、オデット」

 数秒、優花は反応できなかった。

(……あぁ、そうだ、今は私がオデットなんだ)

 もう誰にもサンドリヨンとは呼んでもらえないのだ……そう意識した瞬間、目の奥がじわりと熱くなった。

 ぽろりと零れた雫がマグカップに落ちる。

 イーグルが立ち上がり、優花のすぐそばで膝をついた。そうして彼は心配そうに眉を下げて、優花の顔を覗きこむ。


「泣かないで、優花ちゃん」


「…………え?」

 優花が目を丸くすると、イーグルはいたずらがばれた子どものように歯を見せて笑った。

「ごめんね、本当はもっと早く、君のことに気づいてたんだ」

「……へ? え? ……えっと?」

「僕のこと、覚えてない?」

 イーグルはサイドテーブルに置いてあった、眼鏡ケースから眼鏡を取り出した。

 彼によく似合いそうなスタイリッシュなデザインではなく、牛乳瓶の底みたいに丸くて分厚い眼鏡。

 それは、優花の記憶の琴線に確かに触れた。

「優花ちゃんが取り返してくれた時から、一番の宝物なんだ」

 イーグルは大人がかけるにはサイズの小さい眼鏡を顔にあてがい、はにかむように笑う。

 その姿が、記憶の中にある内気な少年の姿に重なった。

「……(しょう)、君?」

 その名前を口にすると、イーグルはパッと破顔した。

 宮越翔というその少年と優花が知り合ったのは、優花が小学三年生の時。

 お互いに小学校は違うけれど、だからこそ優花は彼と友達になった。

 同じ学校の子どもは、優花の家庭の事情をネタにからかう者が多かった。だから、何も知らない翔は、学校で孤立していた優花にとって、とても都合が良い存在だったのだ。

 翔は大人しくて、泣き虫で、弱虫で、虫一匹殺せないような男の子だった。

 情けないわね。あんたそれでも男の子なの! とよく口を尖らせたのを覚えてる。

 すごく目が悪くて、いつも分厚い眼鏡をしてて……あぁ、そうだ。その眼鏡をいじめっ子が取り上げて、それを優花が取っ組み合いをして取り返したのだ。

「本当に……翔君、なの?」

 震える声で問う優花に、かつて小さい少年だったイーグルは笑顔で頷いた。その自信と余裕に満ちた姿は、内気な少年と同一人物とはとても思えない。

 頭で理解できても、記憶の中の小さな男の子とのギャップに感情が追いつかず、優花は混乱する。

 翔は虫の一匹も殺せないほど臆病で……だけど、誰よりも優しかった。

 それが今や、鷹羽コーポレーションの若社長で、フリークス・パーティでキメラを殺し回っているなんて、誰が想像できるだろう。

「どうして、翔君が鷹羽コーポレーションの社長なんかやってるの? それに、どうしてフリークス・パーティに……」

「話すと長くなるんだけどね。優花ちゃん、僕が引っ越した時のこと、覚えてる?」

「…………うん」

 思い出すだけで恥ずかしさに胸がむず痒くなる。

 あの時の優花は、翔の誕生日にプレゼントをしようと密かに準備をしていたのだ。

 翔の誕生日は十一月十四日、これから寒くなってくる季節だから、マフラーを編んでプレゼントをしようと、母に教わりながらせっせと家で不器用に編み針を動かしていた。

 プレゼントにするものだから少しでも綺麗に作りたくて、少しでも歪みや編み目のミスを見つけては解いてやり直して。そうして丁寧にコツコツと編んでいたそれがようやく十段目まで進んだところで、彼の転校が決まった。

 その時の優花は、それはもう悔しくて悔しくて、やだやだと滅茶苦茶に駄々をこねたのだ。

 放課後に裏山で遊ぶのもやめて、優花は放課後になるとひたすらマフラーを編んだ。どうしても綺麗に編んだマフラーをあげたくて、ギリギリまで粘りに粘ったが、結局マフラーは三分の二しか完成せず、渡すことは叶わなかった。なんとも甘じょっぱい思い出である。

「あの時、僕は養子になったんだ……当時の鷹羽コーポレーションの社長の」

「……え?」

 優花はあの時、ただの転校としか聞いていなかった。

(……あぁ、そうだ、クロウやハッターさんが言ってたじゃない)


『実験に適したガキを金で買うんだよ。イーグルは稀少な先天性フリークスだ。研究者どもは喉から手が出るほど欲しい素材だろうよ』


『前社長の側近を味方につけ、前社長を秘密裏に殺害。そのまま社長の跡取り息子として、自身が社長の座に就いた』


 優しかった「翔君」があの後どんな目に遭ったか、想像するだけで指の先が冷たくなる。

「……話すよ。僕がずっと秘密にしてたこと」

 イーグルは立ち上がり、ベッドサイドのスチールラックに手を伸ばした。ラックの支柱は、大人が親指と人差し指で輪を作ったぐらいの太さがある。

 イーグルはその支柱を掴んで軽く捻じ曲げた。大した力も込めず、柔らかな飴細工を曲げるみたいに。

「昔からこういう体質だったんだ。人より頑丈で、力が強くて…小さい頃はしょっちゅう色んな物を壊してた」

「嘘……全然気がつかなかった……あんなに一緒にいたのに」

 優花が知る限り、翔がそんな素振りを見せたことは一度だって無かった。

 腕相撲だって指相撲だって、いつも優花の勝ちだったのに。

「実は加減ができるようになったのは、優花ちゃんと出会ってからなんだ」

「私に?」

「それまでの僕は、誰かと触れ合うのが怖くて……人との接触を避けていたんだ。だけど、優花ちゃんはお構いなしに僕を引っ張り回してくれただろう?」

 そう、優花はお友達ができたことが嬉しくて、それはそれは翔のことを振り回したのだ。翔が自己主張をしない大人しい子どもだったから、余計に。

 優花は学校では孤立していたし、家では母に心配をさせないよう、良いお姉ちゃんでいなくてはいけなかった。だからこそ、翔の前では奔放に振る舞ったし、わがままも沢山言った。

 優花ちゃん、無理だよぅ、やめようよぅ、と泣きじゃくる彼に無理やり木登りを強要したこともある。

(……あの時は、確か私が木の枝にスカート引っ掛けて、パンツ丸見えになって……)

 次から次へと蘇る恥ずかしい思い出に、優花は顔を赤くしたり青くしたりと忙しい。

 だが、イーグルは穏やかな笑みを浮かべたまま、クスクス笑った。

「そんな顔しないで。優花ちゃんが振り回してくれたおかげで、僕は加減を覚えられたんだから」

「……つまり、鬼ごっこも腕相撲も全部手加減されてたわけね」

「ごめんごめん、本気を出したら、優花ちゃんに怪我させちゃうから……あ、でも、水切りだけは、本気を出したけどいつも勝てなかったな。元祖水切りクイーンのレコードには、とうとう叶わないままだった」

 元祖水切りクイーンって呼びなさい! と得意げに言っていたあの日の自分を思い出し、いよいよ優花は穴があったら入りたくなった。

 そんな優花を見るイーグルの目は、どこまでも優しく、柔らかい。

「あの頃は放課後が……優花ちゃんに会うのが楽しみだった。毎日、あんな日が続くと思ってた」

 でも、幸せな時間は一年も続かなかった。

「ある日、僕の体質に目をつけた鷹羽コーポレーションの社長が、僕を養子にしたいと申し出た……母は二つ返事で引き受けたそうだよ。御礼と口止め料で大金を貰えるし……なにより、厄介払いができるからね」

 最後の一言で、彼が母親にどういう扱いを受けていたかが透けて見えた。

 彼はいつだって家庭のことを優花に話さなかった。優花もそうだ。妹弟がいることは話したが、家庭の悩みについては翔に話さなかった。あの楽しくて幸せな時間に、そういう話を持ち込みたくなかったのだ。

 きっと、それは彼も同じだったのだろう

「僕は売られたんだ。母の手で、鷹羽コーポレーションに」

「……ごめん」

 優花が小さい声で謝ると、イーグルは不思議そうに瞬きをした。

「どうして優花ちゃんが謝るの?」

「引っ越すって聞いた時……私、すごくごねたでしょう」

 当時の彼にそんな事情があったなんて知らなかった優花は大層ごねて、彼を困らせた。

 せっかく誕生日のお祝いができると思ったのに。マフラー作りだって練習したのに……と、悔しくて悔しくて、挙げ句の果てに「翔君なんてもう知らない。どこにでも行っちゃえ」などと、心にもないことまで口走った。翔の気持ちなんて考えもせず。

 だが、翔は不快そうな顔をするどころか、とろりと蕩けるように甘い笑みを浮かべ、優花の顔を覗きこんだ。

「最後の日に、僕が何て言ったか覚えてる?」

「え? えっと……確か……」

 放課後の校庭。ガキ大将と取っ組み合いをして、砂埃と血で汚れた優花の顔を、あの少年は今みたいに覗きこんで言った。

「『いつか、優花ちゃんに相応しい王子様になって会いに行くよ。それまで待ってて』」

 あの時の幼い声とは違う、落ち着いた低く甘い声が、同じ言葉を繰り返す。

 懐かしい言葉に記憶を刺激され、優花の唇が過去の自分の言葉をなぞった。

「『あたしの王子様になるんなら……』」

 あぁ、そうだ。

 あの時の自分は恥ずかしいやら照れくさいやらで、不貞腐れたような可愛くない顔で、こう言ったのだ。

「……『泣き虫も、直しときなさいよ』」

 イーグルはとろけるような笑みを浮かべ優花の手を取り、その手を自身の頰に添えた。

「約束通り、迎えに来たよ。優花ちゃん」



 * * *



 ──イーグルが好きなのはサンドリヨンだった


 その衝撃の事実を美花が告げた瞬間、クロウは目を見開いて早口で叫んだ。

「……Warum!? Kanns kaum glauben!?」

「クロちゃん、落ち着いて、日本語。日本語で喋って。プリーズ、スピーク、ジャパニーズ!」

「Das ist deutsch!!」

 ウミネコが窘めても、クロウはウミネコには聞き取れない言葉でブツブツとつぶやいている。まぁ、多分きっと悪態の類なのだろう。

 ウミネコもまた、口の中の飴のカケラを噛み砕いて飲み込み、額に手を当てた。

「ごめん、ちょっと混乱してきた。えーっと、イーグルが好きなのはオデットちゃんじゃなくて、サンドリヨンちゃんだった? そしたら、今までのオデットちゃんへの熱愛っぷりはなんだったんだ?」

 ウミネコが知る限り、イーグルがオデットを見る目は、いつだって最愛の恋人に向けるそれだった。

「それはねー、イーグルが私のことを、お姉ちゃんだと勘違いしてたからなのー」

 間延びした口調で言う元オデットを、クロウが憎々しげな目で睨む。

「……勘違いしてたじゃなくて、()()()()()()()の間違いじゃないのか?」

「てへっ☆」

 彼女は悪びれる様子もなく、ペロリと舌を出してみせる。

 ウミネコはますます混乱した。

「え? え? どゆこと?」

「んーとねぇ、私がクロウのとこを飛び出して、新しいパートナーを探してた時、偶然イーグルと会ったの。それでねー……」



 * * *



 クロウの元を飛び出した美花は迷うことなく、フリークス・パーティ運営委員会の本部に駆け込み、下っ端らしき青年を捕まえて直談判をした。

 本来なら美花をフリークス・パーティに誘った笛吹に頼みたかったのだが、姿が見えないのなら仕方がない。

 かくして美花に捕まってしまった哀れな下っ端の青年──白兎(はくと)は、美花の申し出に困り顔で叫んだ。

「パートナーの変更? 困りますよぅ……そんなの今更できませんってば……」

「だってー、無理なものは無理なんだもん!」

「そんなこと言われても……」

「ねぇ、お願い〜。美花、超困ってるの〜」

「ボクも今まさに超困ってますよぅ〜」

 いかにも気が弱そうにモジモジしている白兎が相手では埒があかない。

「じゃあ、一番偉い人呼んで! 美花が直接話つけるから!」

「そんなことしたら、ボク、〈女王〉に首を刎ねられちゃいますからね!?」

 美花がしつこく頼んでも、白兎はなかなか首を縦に振らない。

 委員会本部で二人が押し問答を繰り返していると、通りすがりの青年が足を止めて白兎に話しかけた。

「やぁ、何を揉めてるんだい?」

 年齢は美花と同じぐらいだろうか。こげ茶の髪をきちんと整え、品の良いスーツを着た青年だ。年齢の割に着ている服が良いし、なにより佇まいに品がある。

 白兎は渡りに船とばかりに顔を輝かせた。

「イーグルさん、こんにちは。もしかして、パートナー戦の申し込みですか?」

「いいや、今日は別件で少し立ち寄っただけだよ。何度も言うけれど、パートナー戦には興味が無いんだ」

 白兎は「そんなぁ〜」と肩を落としている。運営委員会の人間が、パートナー戦に出場してほしがっているということは、それなりに有名な選手なのだろう。

 美花がまじまじと青年を観察していると、その視線に気づいたのか、青年も美花を見た。

 その目が、俄かに見開かれる。

「…………優花ちゃん?」

「へっ?」

「もしかして……優花ちゃんかい? どうして君がここに?」

 どうやらイーグルと呼ばれたこの青年は、美花のことを姉と勘違いしているらしい。

 その瞬間、美花の頭は凄まじい早さで回転した。

 青年はどうやらフリークス・パーティの選手であるらしい。それも、運営側からパートナーバトルに勧誘されているから、そこそこの実力者だ。

(容姿、年齢、身長、文句なし。お金も間違いなく持ってそう)

 なにより、この人物は姉のことを知っている。それも「優花ちゃん」と呼んだということは、それなりに親しい間柄だったのは間違いないだろう。姉は友達が少ないので、家族以外に名前で呼ぶ人間はそう多くない。

 美花は考える素振りをしつつ、この青年を試してみることにした。

「えーっと、どこかでお会いしましたっけ?」

 優花ちゃんかい? という青年の問いを美花は肯定も否定もしなかった。

 もし違うのなら大抵の人は「人違いです」と否定する。だが、美花があえて否定をしなかったことで、青年はそれを肯定だと思い込んでしまった。

「やっぱり! 優花ちゃんだったんだね。僕だよ、宮越翔! 山で鳥のヒナを一緒に育てたの覚えてる?」

(あー、分かったー。うんうん、知ってる。「ショウ君」ね。優花ねぇの小学生の頃のお友達だっけ)

 美花は「ショウ君」と会ったことがないが、それでも当時、姉が家で嬉しそうに語っていたから、よく覚えている。

 えーっと確か……と、美花は姉の言葉を思い返した。

「大人しくて、弱虫で、泣き虫で、ミミズもろくに触れない……」

「ははっ、そんなことまで覚えてたの? なんだか、恥ずかしいな」

「何でショウ君がここにいるの? ショウ君もフリークスパーティに参加するの?」

 美花の言葉に、青年は顔を強張らせた。整った顔がみるみる青ざめていく。

「まさか、君も……?」

「うん、私、パートナーバトルの姫なの。今、新しいパートナーを探してて」

「……!! そんな……君がフリークスパーティに出るなんて……」

 青年の顔がみるみる青ざめた。彼は分かりやすく優花の身を案じている。

 美花が眉を下げて、いかにも困っている顔を作ってみせると、青年は美花の手を握りしめた。

「それなら、僕が君のパートナーになるよ」

「私で良いの?」

「僕は君じゃなきゃ嫌だ」

 青年の瞳はどこまでもまっすぐで、誠実だ。

(わー、情熱的ー。これは本気で優花姉に惚れてるパターンだ……チャンスかもー)

 冷静に打算をしつつ、美花は頰を赤らめてはにかむような表情を浮かべてみせる。

 だが、そこに白兎が水を差した。

「だ、駄目ですよぅ。彼女はもうパートナーが決まってるんです!」

「けど、彼女はそれを望んでいないのだろう?」

 青年は美花の肩を抱き寄せて、白兎を鋭く睨む。

「彼女をパートナーにできないなら、パートナーバトルに参加する価値は無いかな」

「あうっ……」

「僕が参加を渋ったら、困るのは君達じゃないかい?」

「うう……」

「大丈夫、君が少し目を瞑ってくれれば、済む話だ。そうすれば、君も〈女王〉のおとがめを受けずに済む」

 淡々と、だが有無を言わさぬ態度で言い募る青年に、白兎はあっさりと降参した。

「わ、分かりましたよぅ! でも、サンドリヨンさんの登録名は変更してもらいますからね!」

 運営委員会の人間を手玉に取れるということは、やはり上位の選手であることは間違いないだろう。これはもしかして、なかなか当たりを引いたのではないだろうか、と美花は自分の審美眼を絶賛する。

 イーグルはニコリと品良く笑いながら、白兎から姫の名前リストを受け取った。

「……うん、この中から選ぶなら、オデットがいいな。僕の愛しの白鳥(オデット)、どうだい?」

「うん、いいよ。ショウ君のことはなんて呼べばいい?」

 白兎が「えぇっ!?」と叫んで美花を凝視した。

「この人の名前も知らないんですか!? フリークス・パーティじゃ有名人ですよ!?」

「私、フリークス・パーティは初参加だもーん。で、なんて名前なの?」

 青年は美花を馬鹿にすることなく、真摯な態度で言った。

「イーグル、フリークス・パーティが終わるまではそう呼んで」

「OK、イーグルね。改めてよろしくー」

「よろしく、ボクのオデット」

 イーグルの手を握りながら、美花は密かに考える。

(さーて、イーグルが優花ねぇに相応しい王子様かどうか、美花がじーっくり試しちゃうんだから)

 もし合格点ならその時は、フリークス・パーティが終わったあたりで姉と入れ替わればいい。

 イーグルは怒るかもしれないが、姉との仲を取り持つためだと言えば、どうとでも言いくるめられる。その自信が美花にはあった。



 * * *



「つまりねー、イーグルは優勝したらプロポーズするつもりみたいだったから、その直前でお姉ちゃんを呼んで入れ替わればいいかなーって思ってたのー。そしたら、何でかお姉ちゃんがクロウの姫になって、フリークス・パーティに参加してるし? 開会式で二人を見た時、超ビックリしたー」

 超ビックリしたのはオレの方だ馬鹿女、という悪態を飲み込み、クロウは唇をへの字に曲げた。

 それにしても恐ろしいのは、美花の立ち振る舞いだ。

 この女は、普段は自分のことを「美花」姉のことを「優花ねぇ」と言うのだが、イーグルの前では「私」「お姉ちゃん」と自然に使い分けていた。

 今も、この場にいるウミネコを警戒して、自分と姉の名前を出さないようにしている。

 何も考えていないような顔をして、そういうところをさりげなく徹底しているのが、恐ろしい。

「にしても、よくイーグルも気づかなかったもんだよなー」

 ウミネコがどんぐり眼をくるりと回して、美花を見た。

「サンドリヨンちゃんとオデットちゃんって瓜二つじゃん? サンドリヨンちゃんの顔を見たら『あれ?オレの本命あっちじゃね?』って普通は思うじゃん?」

「イーグル、めっちゃ近眼だから『私達、双子だけど全然似てないよー』って言ったら、普通に信じたしー」

「あー、そっか。サンドリヨンちゃん、試合中はほっかむりしてるから、あんまり顔が見えないもんな」

 つまり、サンドリヨンの顔をあまり晒さないようにしようというクロウの配慮が、完全に裏目に出たわけである。

 ウミネコはソファの背もたれに背中を預け、クロウをちらりと見た。クロウは最早死人のような顔色をしている。

「こうして、本物のお姫様を見つけた王子様は悪い魔法使いを騙して、見事、偽物のお姫様と本物のお姫様を入れ替えることに成功したのでした。めでたしめでたし」

 ウミネコの言葉に、クロウの肩がピクリと震える。

「今頃、王子様は初恋のお姫様を熱烈に口説きまくってんだろうなー」

「…………」

「サンドリヨンちゃんも、クロちゃんに突き放されて傷心なわけだし……これは、案外コロッといっちゃったり」

「…………」

「ところで、クロちゃん。大丈夫? 息してる?」

「いい笑顔で言うんじゃねぇ!!」

 ガバッと勢いよく立ち上がったクロウに、美花が「うっわ」と声を漏らした。

「クロウ、顔ヤバいよ。血管が浮き出てマスクメロンみたいー。うけるー」

「やかましいわ、このアホ女がぁぁ! そもそも話がややこしくなったのは、お前が原因だろうが!」

「クロウの都合なんて知らないもん。私は、私とお姉ちゃんがハッピーなら、それでいいしー」

 そう、一貫して美花は自分と姉のためだけに動いていた。

 姉に素敵な夫を見つけて、自分も一緒に養ってもらう──そのためだけに。

 そのせいで、事態がここまで拗れるだなんて、誰が想像しただろう。恐らく、美花も予想していなかったに違いない。 

「でもさぁ、今の状況って誰もハッピーになってなくね? 敢えて言うなら、イーグルの一人勝ち?」

 ウミネコの言葉に、美花は案外素直にコクリと頷く。

「そうなんだよねー。イーグルと優花ねぇがくっついたのは目的通りなんだけどー。なーんか、イーグルってヤバい気がするんだよね。裏がありそう、みたいな? 今の状況で優花ねぇをイーグルに渡しちゃうのは、ちょっと嫌かもー」

 ウミネコは丸い目を僅かに細め、ニヤリと笑う。

 それは童顔に似合わぬ、悪い大人の笑い方だ。

「そっかそっかー、そんじゃ、オデットちゃんは、サンドリヨンちゃんを取り返したいってことでOK?」

「うん、オッケーオッケー」

 まるで遊びの誘いを受けるかのように、美花は指で丸を作って軽い口調で返事をする。

「で、クロちゃんは? どうすんの? つか、どうしたいの?」

 ウミネコの最後の一言が、クロウの胸に突き刺さった。

「……オレは」

 ぎゅっと歯を食いしばり、サンドリヨンの姿を思い描く。

 雨の中、呆然とした顔で立ち尽くす彼女は、何かを言いたそうにしていた。


 ──あんたのために何もしてあげられなくて、ごめん


 ──あんたは、いらない子じゃない。少なくとも私は、あんたがいらないなんて思わない。あんたがいなくなったら、きっと寂しい


 サンドリヨンがくれた言葉の全てが、嘘だと思えたら楽になれるのに。

 クロウはまだ、その言葉を手放せないでいる。

 信じたい。そう願うことを、やめられずにいる。


「……オレは、もう一回サンドリヨンと話がしたい」

 ウミネコがパチンと指を鳴らし、もたれていたソファから勢いよく身を起こした。

「んじゃ、決まりだな。イーグルと全面対決だ」

「でも、どうやって優花ねぇを取り戻すのー? イーグル、絶対に優花ねぇを手放さないと思うよ? クロウと違って」

「……一言多い」

 クロウはじろりと美花を睨み、咳払いをして言葉を続ける。

「とにかく、サンドリヨンが何かに巻き込まれているのは間違いない。あいつが何に巻き込まれて、何を隠しているのかを知るのが先決だ」

 クロウは冷静に情報を整理する。

 恐らく、イーグルは山の中でサンドリヨンと接触した際に、彼女こそ自分が求めていた人物だと気づいたのだろう。

 だが、そこでイーグルがどういう取引をサンドリヨンに持ちかけたのかが分からない。

 決勝戦は三日後。すでに今日は終わろうとしているから、実質動けるのは明日と明後日の二日間。

 決勝戦が始まるまでにサンドリヨンを奪還するには、まず情報がいる。

「おい、馬鹿妹。お前はイーグルといつも一緒にいただろう。何か気がついたことはないのか」

「そんなこと言われてもー。イーグルって仕事の話とかはあんまりしなかったしー」

「お前はサンドリヨンとイーグルが、連絡を取りあってるところは見ていないのか?」

 美花は「うーん」と腕組みをして考え込んでいたが、ふと何かを思い出したようにパッと目を開いた。

「……そう言えば、あの時……イーグルはお姉ちゃんと電話してた……ってことはー」

 美花はぐるりと部屋の中に視線を巡らせると、サンドリヨンのトートバッグに目を留める。

 そして有無を言わさず、鞄の中身を漁りだした。

 ハンカチ、ちり紙、絆創膏、ソーイングセット、折り畳み傘、エコバッグなど細々としたものが次から次へと出てくる。

「お姉ちゃん、まだこのバッグ使ってたんだー。相変わらず超物持ちいいよねー。この鞄だと……うーん、入れるなら、ここかな」

 美花は内ポケットのファスナーを開けて、中に手を突っ込む。そして、にんまりと唇を持ち上げて、お目当ての物を引っ張り出した。

 美花の手に握られているそれは、二つ折りの携帯電話だ。

「お姉ちゃん、いまだに携帯電話をコードレスの固定電話だと思ってるんだよねー。携帯電話を携帯しないで、鞄に入れっぱなしにしちゃうのー」

 美花が携帯電話を開いて操作すれば、ウミネコが「ガラケーだー。超ナツいー」と画面を覗きこむ。

「セキュリティロックがかかってんじゃね?」

「余裕、余裕。お姉ちゃんのことだから……ほら、やっぱり誕生日だった!」

 美花がロックを解除すると、すかさずクロウが携帯電話を取り上げた。

「見せろ!」

 非難の目で見る美花とウミネコを無視して、クロウは素早くメールの履歴に目を通す。

 メールの履歴は年頃の女性にしては悲しいぐらいに少なかった。

 クロウは一番多く並んでいる名前をジロリと睨む。

「この『草太』っての誰だ。やけに仲が良さそうだが……」

「それ弟だから」

「そうか……」

 メールはどれだけ遡っても、その草太という名前しか出てこなかった。あとはフリークス・パーティ前だと職場の人間とのやりとりが少々。

 着信履歴もクロウと弟だけだった……が、発信履歴の方に不審な名前が一つある。

「発信履歴に『E』ってのがあるな。時間は今日の二十時三十二分。サンドリヨンが飛び出す直前だ」

「それ、多分イーグルだよ。イーグルもその時間に電話してたし」

 つまり、クロウが客室に戻ってシャワーを浴びている間に、サンドリヨンからイーグルに電話をしたということだ。

 それは確かに重要な手がかりの一つではある。だが、それだけだ。

 てっきりメールの履歴に重要な手がかりがあるのではないかと思っていたクロウは、肩透かしをくらった気分だった。

「くそっ、分かったことはこれだけかよ」

「うーん……あとは、それっぽい情報ないみたーい……あれっ?」

 カチカチと携帯電話を操作していた美花が、手の動きを止めた。

「なんかー、アドレスに変な名前の人がいるよー」

「オレってオチだったら、ぶっ殺すぞ」

「違うよー。なんかゴキブリみたいなー?」

 そう言って美花は携帯電話のアドレス帳の画面をクロウとウミネコに見せた。

 表示されているのは『G』という名前と、シンプルなメールアドレス、電話番号のみ。

「イーグルが『E』だったじゃん? だったら、この『G』って人もなんか関係ありそうじゃない?」

「確かに……だが、一体何者だ?」

「電話してみるー?」

「いや、大事な手がかりだ。ここは慎重に……」

 クロウと美花がそんな会話をしていると、横から画面を覗きこんだウミネコがクロウの肩をトントンと叩いた。

「なあ、クロちゃん」

「なんだよ」

「オレさ、人の顔や名前を覚えんのは苦手なんだけど、数列覚えんのは割と得意なんだよね」

「……何が言いたい」

「そのGってやつの番号、見覚えあるかも」

 そう言ってウミネコは、表示された電話番号の下四桁「1103」の数字を指でなぞった。

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