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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第2章「灰かぶりの日々」
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【2-4】みんな大好きカレーライス

 クロウとウミネコの戦闘訓練がどのようなことをするのか見てみたかったので、優花はクロウに同行して、マンションの屋上に足を運んだ。

 マンションの屋上はカードキーと暗証番号入力が必要なタイプのロックがかかっている。クロウが言うには、このマンションはフリークス・パーティ運営委員会の持ち物で、フリークス・パーティ参加者は自由に設備を使えるらしい。屋上もその一つというわけだ。

 最近のマンションは屋上にも色々と設備があったりすると聞いたことがあったのだが、このマンションの屋上は殺風景でひらけた空間だった。有り体に言えば、学校の屋上と変わらない。

 わざわざ高そうなセキュリティシステムをつける必要があるのだろうか、と優花が疑問を口にすると、クロウは意味深に笑った。

「万が一、一般人が紛れ込んだら洒落にならねぇからな」

「この場合、私は一般人という扱いになるの?」

 クロウはフンと鼻を鳴らし、優花を見下ろした。

「馬鹿言え。お前だって、フリークス・パーティの参加者なんだ。自分は一般人だなんて感覚、とっとと捨てちまえ」

 クロウの言葉に、準備体操をしていたウミネコが「え〜?」と呑気に口を挟む。

「オレ、フリークス・パーティに参加している時以外は基本的に一般人よ? どこにでもいる社会人のオッサンよ?」

「ほざけ。お前は誰よりもフリークスだろうが」

 クロウは舌打ちすると、屋上の隅にある小さな物置の扉を開ける。入り口同様カードキーでロックされているその物置の中には、まるで映画の小道具で使うような刃を潰した武器が収納されていた。クロウはその中から、成人男性の身長よりやや長い程度の棒──いわゆる棍を二本取り出して、片方をウミネコに放り投げる。

「今回はこれでいいな」

「うーん……これだとどっちかっつーと、クロちゃん有利じゃね? だって、クロちゃん槍使いじゃん。こういう長い物振り回すの得意っしょ?」

「今日はとりあえず体慣らしが目的だ。飛び道具は使わない」

「んー、まぁ、それならいいかぁ」

 ウミネコはバトンでも回すかのように棍をくるりと回すと、その先端で屋上の床をスイッとなぞる。

 そうして、優花とエリサに声をかけた。

「危ないから、お姫様達は下がっててな。ここより奥に入ってきちゃ駄目だぞー」

 ここ、と言ってウミネコはもう一度棍の先端で屋上の床を示した。言われたとおりに優花とエリサが下がると、クロウが眉をひそめて口を挟む。

「もう少し下がれ。破片が飛ぶかもしれない」

「破片って、何の?」

 優花の問いにクロウが答えるより先に、ウミネコが「そろそろ始めようぜー」と声をあげたので、クロウは無言で棍を構えて、ウミネコと向き合う。

 クロウとウミネコの間は四メートル程度だろうか。クロウは両手で棍を構えて軽く腰を落としているが、ウミネコは棍を手の中で転がしながら、自然体で佇んでいる。

「そんじゃ、エリサちゃん、合図ヨロシクー」

 ウミネコが声をかけると、エリサは「はいはい」と頷きスイッと右手を持ち上げた。

「それじゃいきますよー……はい、レディ・ゴー!」

 エリサの右手が振り下ろされると同時に、ウミネコが特攻してクロウに棍を振り下ろす。速い。

「そぉ、れッ!」

 掛け声と共に振り下ろされたウミネコの棍を、クロウは体を捻ってかわす。

 コンクリートを叩いたウミネコの棍は、バキィッとブルドーザーを振り下ろしたような音を立て、頑丈なコンクリートにヒビを入れた。砕けたコンクリートの欠片が優花の頰をかすめる。

「え、今、ヒビ? ……え、嘘……」

 頰に触れて呆然とする優花とは対照的に、エリサは落ち着き払った態度だった。

「うーん、流石ウミネコさんですねぇ。危ないですから、もうちょっと下がりましょう、サンドリヨンさん」

「……え、あの、ちょっと待って、なに今のっ!?」

 コンクリートとは、あんなにも簡単に割れる物だっただろうか? 仮に優花が同じように棍でコンクリートを叩いても、手が痺れるだけだ。

 優花は思わずしゃがみこんで、自分の足元をコツコツと拳で叩いてみた。当然に硬い。

「ほい、もういっちょ!」

 ウミネコは棍を大きく横薙ぎに払った。それをクロウはバックステップを踏みながら後方に跳んで回避する──彼の身長ぐらいの高さまで。

 優花は見間違いかと目を擦ったが、クロウは再び常人にはありえない跳躍力で棍を回避し続けていた。ウミネコの腕力も、クロウの身体能力も、普通じゃない。

 ウミネコの攻撃を全てかわしたクロウは、やはり油断なく棍を構えたまま口を開いた。

「相変わらず大ぶりな攻撃だな。鈍ったか?」

「あはっ、まだまだ準備体操だろ、っと!」

 ウミネコが一気に距離を詰め、棍を斜め下から振り上げる。ブォンと風を切る音が恐ろしい。またしてもはずれた攻撃は、近くにあった倉庫の壁をガリガリと削った……というか、抉った。あれは直撃したら骨折ではすまないのではないだろうか。

 だが、そんなウミネコの攻撃を見てもクロウは怯むことなく、不敵に笑う。

「そろそろ、こっちから攻めても良いか?」

「おいでませー」

「死んでも恨むなよ」

「それは流石に恨むかな……っと!」

 今までは回避に徹していたクロウが反撃を始めた。

 クロウは棍を握り直してウミネコの左側に回り込み、連続して突きを放つ。

 クロウが仕掛けた連続攻撃の内の幾つかはフェイントと牽制だ。本命の一撃をウミネコはギリギリで回避したものの、無理な体勢で避けようとしたために、バランスを崩してしまう。

 クロウはニヤリと物騒な笑みを浮かべ、ウミネコの顔面めがけて突きを繰り出した。

「死ね、童顔」

 容赦なく繰り出された棍がウミネコの顔面を砕くところを想像し、優花はヒッと息を飲んで立ち尽くす。

 ウミネコは体勢を崩した瞬間に、棍を手放していた。もう、棍で受け流すことはできない。

 無防備になったウミネコは、己の眉間を砕こうと突き出される棍に手を伸ばし──それをヒョイと握りしめた。しかも、片手で。

 勢いよく突き出された棍が、ピタリとウミネコの眉間の数センチ手前で動きを止める。クロウが頰を引きつらせた。

「てっめ……! それ反則だろっ!?」

「素手だから、反則じゃないもーん」

 陽気な口調で言い、ウミネコは片手で掴んだ棍を軽々と振り上げた──棍を握りしめたクロウごと。そうして、ウミネコは棒付きキャンディーを振り回すような気軽さで、クロウをぶんぶんと振り回す。

「そーれぃっ!」

 少年体型からは信じられないような怪力で、ウミネコはクロウごと棍を放り投げた。さながら槍投げのごとく。

 棍の先にぶら下がったクロウは舌打ちをすると、壁に叩きつけられる直前で体を捻り、器用に壁に足をついてそのまま地面に着地した。

「こんの馬鹿力がっ! 得物有りの勝負で武器捨ててんじゃねぇよ!」

「え~。追撃しなかったんだから大目にみてよ」

 優花は目の前で繰り広げられている光景が理解できず、ただただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。これは本当に現実なのだろうか。まるでCG合成したアクション映画のようではないか。

 現実味の無さにクラクラしつつ、優花はちらりとエリサを見た。自分と同じ立場のエリサも、衝撃を受けているのではないかと思ったのだ。

 だが、エリサは顔色一つ変えずに、クロウとウミネコの戦いを観察していた。

「流石はクロウさんですね。今回の優勝候補の一人と言われているだけのことはあります」

「れ、冷静ね……エリサちゃん」

「他の選手の方の戦いぶりを観察する機会なんて、なかなかありませんから」

 優花に受け答えをしている間も、エリサの目は真っ直ぐにクロウとウミネコの戦いを観察していた。

 エリサは腕を組み、人差し指で顎をトントンと叩きながら、半ば独り言のようにつぶやく。

「ウミネコさんはパワーファイターなので、一撃が重いんです。攻撃が当たれば、ほぼ一撃で敵を戦闘不能にできるのですが、当たらなければどんな攻撃も意味がないですからね。そういう意味では手数の多いクロウさんの方が、本当は有利なんですよ。あの方はかなり小回りが利きますし、障害物にも強い」

「は、はぁ……」

「ウミネコさんは決して打たれ強いタイプではないので、一撃を与えれば、だいぶ戦況は有利になります。スタミナならクロウさんの方が上ですし」

「な、なるほど……」

「ただ、多少の攻撃なら、ウミネコさんは力技でねじ曲げられちゃいますから。うまく隙をつかないと、一撃を入れるのは難しいでしょうね」

「……へ、へぇ」

 相槌を打ちながら優花は途方に暮れた。難解な数式をノンストップで解説されたような気分である。

 とりあえず分かったのは、クロウもウミネコも常識外れな身体能力を持っているということ。そして、エリサの観察力と分析力が優れているということだ。

「……エリサちゃんってすごいのね」

 思わずポツリと呟くと、エリサは腕組みを解いて優花に目を向け、可憐に微笑む。

「ふふっ、私は戦闘能力は皆無ですから……せめて情報収集ぐらいはしておかないと」

(え、えらいっ……!!)

 思わず優花は感動した。

 そうだ、戦闘に参加できなくても、できることはあるのだ。なにより情報を集めることは、自分の身を守ることにも繋がる。

(……それなのに、ご飯の心配ばかりしてた私って)

 無知な自分を恥じつつ、優花はエリサに訊ねた。

「エリサちゃん、他の選手の情報とかも知ってるの?」

「まぁ、そんなに多くはありませんが」

「……そういうのって、どうやって調べてるの?」

 流石にエリサの持っている情報を全部教えてくれというのも図々しいが、せめて、そのとっかかりだけでも教えてもらえないだろうか。

 そんな優花の気持ちを汲んでくれたのか、エリサはさらりと答えてくれた。

「私は今回が初参戦ですから、前回までの試合を実際に見たことはありません。けどまぁ、あちらこちらで話を聞いたり、他の選手のトレーニングを観察したり……ですかね」

 やはり、エリサは地道にコツコツと情報収集をしていたのだ。商店街の場所とか安くパンの耳を買える店のことを気にしていた優花とはえらい違いである。

 思えば優花は他の選手のこと以前に、フリークス・パーティのことすらよく分かっていないのだ。

(……これは、クロウが呆れるのも無理はないわ……他の子はちゃんと真面目に、フリークス・パーティの情報収集してるのに、自分の姫はご飯の心配だけしてましたー……とか)

 優花は反省し、素直にエリサに頭を下げた。

「あのね……私、大会のこと、全然知らないの。だから、その……教えてもらえないかな」

「ふふっ、私もそんなに詳しいわけじゃないんですよ? それでもよろしければ」

 良い子だ! この子良い子だ! と優花は心の中で熱い涙を流した。

 フリークス・パーティ関係で知り合った者の中では、ヤマネに次ぐ善人である。仲良くなりたい。

 クロウとウミネコの戦闘はまだ続いていたが、互いに距離をとっての牽制が多くなっていた。エリサは横目で戦況を確認すると、改めて優花の方に向き直る。

「まずですね、サンドリヨンさんは大会の形式については、どれだけご存じですか?」

「……全然、全く」

 優花が知っているのは、笛吹から初日に聞いた試合の勝敗についてだけだ。

 騎士の死亡、姫の死亡、騎士の戦意喪失、或いは審判が戦闘不能と判断した時、勝敗は決定する。

 それだけしか知らないことを正直にエリサに話すと、エリサはふむふむと頷き、一つずつ解説してくれた。

「まず第一に、試合のステージについてですが、これは試合ごとに異なります。これは運営側が指定するので、選手が選ぶことはできません。ただ、どのステージもそれなりに広さがありますね。中には建物一つがまるまるステージになることもあります」

 優花が想像していたのは、格闘技のリングのような場所だった。広さも精々、この屋上ぐらいだろうと思っていたのだが、そうではないらしい。

「行われるのは格闘戦ではなく殺し合いですから。特にパートナーバトルの場合、姫を殺害することでも勝利になるので、戦略性が求められます」

 姫を殺害──エリサの口から出てきた言葉に、優花の腹の奥がひんやりと冷たくなる。

「フリークス・パーティでは、試合開始前に初期位置が指示されますが、騎士と姫が離れた場所に配置されることが、割と頻繁にあります」

 だからこそ、自分と敵の姫の位置を把握することが非常に重要になるのだという。

 なるほど、確かに姫が敵の騎士の近くに配置されてしまった場合、味方の騎士と合流するより先に殺されてしまう可能性がある。

「騎士はいかに自分の姫を守りつつ敵を倒すか。姫はいかに敵の騎士から逃げつつ、自分の騎士と合流するか、これがポイントですね。まぁ、つまりのところ戦闘能力のない私達にできるのは、敵に見つからないようひたすら逃げて隠れるか、自分の騎士と早めに合流するか……ぐらいです」

 エリサの説明を聞きながら、優花は想像してみる。

 例えば、広い建物の中に一人ぼっちになって、いつ敵に見つかるか分からない恐怖に怯えながら逃げ回る。

 もし、敵の騎士に見つかったら、自分は逃げられるだろうか?

 足の速さはそこそこ自信があるが、死の恐怖を前に足が竦んだりしないだろうか?

 優花は、目の前で繰り広げられているクロウとウミネコの過激な戦闘に目を向ける。

 あのアスファルトを叩き割る一撃が、自分の頭に振り下ろされたら――

「…………っ!」

 今までなるべく考えないようにしていた不安が、一気に背中をかけめぐる。

 自分はちゃんと逃げられるだろうか?

 そして、クロウがあの凶悪な突きを敵の姫――例えばエリサに向けた時、自分は冷静でいられるだろうか?

(……本当に? 必要なら、敵の姫も……殺すの?)

「――おい! サンドリヨン!」

「……っ…………ぇ?」

 目の前で、黒い手袋に覆われた手がヒラヒラと揺れている。ハッと顔を上げると、クロウが眉をひそめて優花を見下ろしていた。

 いつの間にか周囲は静かになっている。どうやら、クロウとウミネコの戦闘訓練は終わっていたらしい。

 優花は口をパクパクさせて、なんとか新しい酸素を取り込むと、クロウにかける言葉を探した。だが、言葉が上手く出てこない。何か言わなくては、何か、何か……

「来い」

 クロウは急に怖い顔をすると、優花の腕を掴んで屋上の扉を出た。屋上を出てすぐのところにエレベーターがあるのだが、クロウはそちらを使わずに、階段を下りていく。

 優花は踊り場まで下りたところで、ぎこちなくクロウに話しかけた。

「ど、どうしたの、急に?」

「どうしたはこっちの台詞だ」

 クロウは優花の腕から手を離すと、優花の顔を至近距離で指差す。

「お前、鏡で自分の顔見てみろ。すげー真っ青。今にも死にそうだぞ」

 優花は無言で自分の頰に手を当てる。割と血の気は多い方なのだが、今はびっくりするぐらい頰も指も冷たかった。

 クロウはじろりと優花を睨む。

「あの女に何か言われたのか?」

「えっ、ち、違うわよ! エリサちゃんは悪くなくて……」

 そうだ、エリサは何も悪くない。フリークス・パーティのことを教えてほしいと頼んだのは自分なのだ。

 優花は、まだ若干強張っている頰を無理やり動かし、なんとか笑顔を浮かべてみせた。

「その、ごめん、試合の話を聞いたら……なんか、怖く、なっちゃって……あっ、でも、逃げたりはしないわよ? だから、そんな、怖い顔しなくても大丈夫…………」

 突然、腕を掴まれ引き寄せられたと。かと思いきや、一瞬で視界が暗くなる。目の前にあるのがクロウの黒い服だと気づくのに、優花は数秒を必要とした。

 動揺する優花の頭上で、クロウが囁く。

「お前はオレが死なせない」

 それはそうだろう、と優花は冷静に思った。

 クロウの姫である優花の死は、そのまま彼の敗北を意味する。だから、クロウは優花を死なせないよう振る舞うだろう。

(でも、それは……死ななければ良いってことでしょ)

 優花が泣こうが喚こうが発狂しようが……それこそ怪我をしようが、それが直接死に繋がるものでなければ、クロウは見向きもしないのだろう。

(……そんなこと、分かってる)

 恐怖も苦痛も誰にも肩代わりはできない。だから、自分の身は自分で守らなくては。

 いつだって最後の最後で信じられるのは自分だけなのだから。

(それにしても……この体勢はどういうことなのかしら)

 はたから見ると、抱き合っている恋人のようだが、自分とクロウに限ってそれはない。

 これはあれか、絶対に逃がさないぞって意思表示か。恋愛的な意味じゃなくて物理的な意味で。

 こんなに必死になって繋げとめなくとも、逃げたりなんかしないのに……と優花は眉をひそめる。

 家族を人質に取られているのだ。逃げるはずがないではないか。

「そんなに強く掴まなくても逃げたりはしない、って言ったでしょ?」

「……本当か? 本当にお前はオレから逃げたりしないか?」

「逃げないわよ」

 だって、逃げる場所なんて無いじゃない……そう言おうとしたら、ますます強く腕を握られた。

 すぐ目の前で、水色の瞳が真剣に優花を見つめている。その表情がなんだかやけに必死に見えて、優花は戸惑った。

「……クロウ?」

「逃げるなよ、絶対に……逃げないでくれ」

 さっきまで不安で震えていたのは優花の方だったのに、何故だろう。この時、優花は不思議とこう感じたのだ。

 まるで迷子になった子どもが、必死になって大人に縋りついているみたいだ、と。



 * * *



 ウミネコは手にした棍をブンブンと雑に振りながら、子どものように唇を尖らせて、ブーブーと文句を垂れていた。

「もー、なんだよクロちゃん。突然、戦闘放棄したと思ったら、サンドリヨンちゃん連れてどっか行っちゃうしー」

「お疲れ様です、ウミネコさん」

 エリサはその場を一歩も動かず、最初にウミネコが提示した安全地帯から声をかけた。ウミネコはクロウが投げ捨てていった棍を拾い上げ、エリサに近づく。

「クロちゃんのデータはとれた?」

「はい、おかげさまで。やはり、話に聞くのと実際に見るのとでは違いますね」

 クロウとの戦闘訓練を見学したいとエリサが言い出した時は、何が面白いのやら、とウミネコは首を捻ったものである。

 フリークス・パーティのために情報収集をしたがる姫を、ウミネコはエリサぐらいしか知らない。ひとたび戦闘が始まれば、姫にできることなんて、たかが知れているのだ。戦闘の邪魔をしないよう、隅っこでおとなしくしていてくれればそれが一番。泣き喚いて舞台から逃げ出さなければ花丸である。

「まぁオレは正直、データをとったところで、それを活かせないから、あんまり意味がないと思うけど」

「えぇ、いいんです。情報収集は私のライフワークみたいなものですから」

 エリサはワンピースのポケットからメモを取り出すと、ウミネコの知らない文字でサラサラと何事かを書き連ねた。おそらく、先ほどのウミネコとクロウの戦いの記録をまとめているのだろう。エリサは情報をまとめるという作業が好きだ。普段から、暇さえあればスクラップブックを作ったりもしている。

「……それにしてもクロウさんって、話に聞いていたのと、だいぶ印象が違いますねぇ」

「あ、やっぱそう思った? オレも久しぶりに会ったら驚いた」

 ウミネコはクロウとはそこそこ長い付き合いであるが、クロウが自分の姫を気にかけているところを見たのは初めてだ。

 クロウは基本的に委員会から斡旋してもらった姫をパートナーにしているのだが、その関係は極めてビジネスライクで割り切ったものである。自分の姫を戦闘訓練に連れてくるのも初めてなら、その訓練を放棄して顔色の悪い姫を気遣うのも初めてだ。

「そもそもいつものクロちゃんなら、運営委員会が管理するこっちのマンションじゃなくて、グロリアス・スター・カンパニーのマンションを使うんだよな。そっちの方が広いし、警備もしっかりしてるもん。それなのにわざわざ委員会直属のマンション使うなんて……何か心変わりでもあったのかねぇ」

 ウミネコの言葉に、エリサが目を細める。

 伏せられた長い睫毛の下の目は、狡猾に輝いていた。

「つまり、サンドリヨンさんは、クロウさんの弱点たり得る……と?」

「あんまりつつくのはやめてくれよ? クロちゃん、怒らせるとマジ怖いんだからさ~」

 肩を竦めるウミネコに、エリサは薄い笑みを浮かべて告げた。

「一番怒らせるとまずいのはあなただと、笛吹さんからうかがっていますが? Mr. Berserker」

 ウミネコはケラケラと笑いながら、棍を物置に放り込む。そうして、物置の側面についた傷──先ほどの戦闘で彼が抉った部分だ──を見て「あちゃあ」と額を叩いた。

「いっけね。ついつい楽しくなってやりすぎちった。これはヤマネちゃんに叱られるなぁー……あぁ、誰が一番怒ると怖いかって話だっけ? 怒ったら誰だってこえーじゃん。怒りの深さなんてケースバイケースなんだから、誰が一番なんて決めるだけ馬鹿馬鹿しいって」



 * * *


 ダイニングテーブルの椅子に座るクロウの前に置かれた皿には、ほかほかと湯気をたてる美味しそうなカレーライスがたっぷりと盛り付けられていた。

 お肉たっぷり、じゃがいもたっぷり、育ち盛りの男の子が大喜びの一品である。

「……それで」

 食欲をそそる香りを漂わせるカレーを前に、クロウは眉間に深い深い皺を刻み、同じテーブルでカレーライスを頬張っているウミネコとエリサを交互に睨んだ。

「うぉー、このカレー激ウマ!」

「ウマ辛ですね! 辛いー! でも美味しいー!」

「なんでお前らが、オレんちで飯食ってんだよ!!」

 クロウが怒鳴り散らすと、ウミネコはスプーンをぴこぴこと振りながら得意げに言う。

「だってさー、隣の家からすげーいい匂いしたらさ、普通はお茶碗持って押し掛けるだろ? 常識だろ?」

「んな常識聞いたことねぇよ、どこの物乞いだ」

 クロウの叫びなどどこ吹く風のウミネコは、空になった皿を優花に差し出し、あろうことかおかわりを要求する。

 こんな奴におかわりなんかさせなくていい! とクロウは目で告げたが、優花はニコニコしながら、カレー皿に白米をペタペタ盛り付けた。

 ウミネコとエリサにカレーを絶賛された優花はご機嫌で、能天気に鼻歌なんぞを歌っている。

「はい、おかわりおまちどうさまー、福神漬けはここに置いておくわね」

「サーンキュ! サンドリヨンちゃん! サンドリヨンちゃんは偉いなぁ。料理上手だし、いつでも嫁にいけるよ」

 優花が「普通ですよ」と謙遜すると、ウミネコは福神漬けをカレーにどっさどっさと盛り付けながら言う。

「いやいや、こんな美味いカレーが作れるなんて大したもんだって! エリサちゃんなんて、ぜーんぜん料理してくれねぇんだもん」

 これに意を唱えたのが「おいしいピクルスですねぇ」とらっきょうを頬張っていたエリサである。エリサは最後の一個のらっきょうをきっちり自分の皿に確保してから、ウミネコに言い返した。

「料理ができないわけじゃないですよ。でも、買った方が簡単だし美味しいじゃないですか」

「出たよ、現代っ子発言!」

「ウミネコさんはオジサンですから、現代っ子の感覚が理解できないんですね」

「ガーン!! 繊細なアラサーをもうちょっと労わって!!」

 なんとも騒がしい食卓に、クロウは「……うるさい」とぐったりした顔で呟き、カレーを頬張った。ウミネコなんぞより、よっぽど草臥れた大人の風格がある未成年である。

 そんなクロウに優花はクスクスと口元に手を当てて笑った。

「私は割と好きよ。こういう賑やかな食卓」

 食卓──そう、これは食卓だ。今更になって、クロウは自分が大勢と食事をするという行為に慣れていないことに気がついた。

 スプーンですくったカレーライスを一口頬張る。市販のルーを使って作った、ありきたりな料理なのに、やけに美味しく感じるのはなんでだろう。

(……なるほど、たしかに)

 これが、美花が食べたいと言っていた味なのだ。そのことに納得しつつ、クロウは彼にしては珍しく早いペースで皿を空にし、ウミネコを真似て優花に皿を突きつける。

「おかわり」

 優花は満面の笑顔で、クロウが差し出した皿を受け取った。

 美花が、いつもこの笑顔を見ていたのだと思うと、なんだかひどく美花のことが羨ましい。

「お前は……食事が絡むと、いつも馬鹿みたいに笑うな」

 クロウが思ったことを素直に口にすると、優花はぴたりと動きを止める。そうして彼女は、しゃもじを握りしめてクロウを睨んだ。

「私は喧嘩売られたの? ねぇ? 買うわよ?」

「褒めたんだよ!」

「あんた、実は日本語苦手でしょ? ねぇ、褒めると貶すの違いは知ってる?」

 そんなクロウと優花のやりとりに、ウミネコがカレーを食べる手を休め、隣のエリサにこそこそと話しかけた。

「……なんだろ、この、うっかり新婚さん宅にお邪魔してしまった時のような罪悪感」

「そのまんまですね。あ、馬に蹴られて死ぬのはウミネコさん一人でお願いします」

「エリサちゃん超クール!!」

 内緒話をしているようで、丸聞こえの会話に、クロウが青筋を浮かべて叫ぶ。

「うるせぇぞ、てめぇら!! 馬に蹴られる前にオレに蹴られて死ねっ!!」

 それからしばらくやいのやいのと騒ぎは続いたが、最終的に優花が「食事中に暴れない!」と雷を落として、その場は収束した。

 後にウミネコはこの時の出来事をこう語る。

 サンドリヨンちゃん、まじオカン……と。


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