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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第1章「ワンス・アポン・ア・タイム」
1/164

【1ー1】天災は忘れた頃にやってくる。人災は忘れてなくてもやってくる

【1-1】


美花(みか)! 待ちなさい! あんた、本気でうちを出て行くつもりなの!?」

 悲鳴じみた声で叫ぶ優花(ゆうか)に、妹の美花はあっけらかんとした笑顔で答えた。

「本気だよぉ~。だって、こんな田舎にいたら、イイ男見つからないもん。やっぱイイ男を探すなら、都会だよね!」

 全く悪びれる様子のない妹に優花は眩暈を覚えた。

 高校時代から散々妹に振り回されてきた優花だったが、まさか高校の卒業と同時に妹がそんなことを言い出すなんて夢にも思わなかった…………嘘だ。前々からその予兆を感じてはいたけれど。それでも、優花は現実から目を背けていた。その結果がコレだ。

「美花……あんた、本気なの?」

 ヒクヒクと喉を引きつらせて呻く優花に、美花はコクンと頷き、茶目っ気たっぷりのウインクをしてみせる。

「止めても無駄だよ、優花姉(ゆうかねぇ)。それじゃ、いってきまぁーす」

 そう言ってヒラヒラと手を振った美花の手の中には茶色い封筒。

 優花が昨晩、家計簿に挟んでおいたはずのそれは……


「美花、ちょっ、待ちなさい! あんた、それ、その封筒……ッ!



 今月の生活費でしょうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」



 * * *



 ──という夢を見た。


 懐かしい悪夢に、優花は全身をびっしょりと汗で濡らして布団から這い出た。時計を見れば時刻は九月二十五日、午前七時十三分。

 あの悪夢の出来事からもう二年以上経つが、それでもあの日のことは何度思い出しても、優花の胃をギリギリと締め付けた。ついでに昨日はコンビニの夜勤をしていたので頭もキシキシする。眠い。

「優花姉、おはよー。なんかすごい声がしたけど大丈夫?」

 十畳一間のオンボロアパートの台所に繋がるガラス戸を開けて、優花に声をかけたのは弟の草太(そうた)だった。

 サッカー部の朝練で家を出るのが早い草太は、もう高校の制服に着替えて身支度を整えている。

 優花は気まずさを誤魔化すように、寝癖を撫で付けた。どうやら夢の中で叫んだ声は、そのまま寝言となって優花の口から響いていたらしい。草太は心配そうに優花をじっと見ている。

「大丈夫かよ、優花姉。生活費がどうとか聞こえたけど……もしかして今月まじで苦しい感じ?」

「あ、ち、違うのよ。ちょっと、美花が出て行った日のことを夢で見ちゃって……」

 途端に、草太は酢を飲んだような顔になった。

 気持ちは分からなくもない。きっと、今の自分も同じ顔をしている。

「……あー、美花姉がうちの生活費を持ち逃げしたあの日か……あの後まじで大変だったよなー。一ヶ月、食事はもやし三昧だったっけ……」

「えぇ、あんた達の給食費を滞納しそうになって、学校に頭を下げに行った時は、本気で恥ずかしかったわ……」

 仕事の休憩時間にママチャリをかっ飛ばして弟の学校に駆けつけ、

「本当にすみません決して意図して給食費を滞納しようとした訳ではなく本当に本当にお金が無いんですあと三日でバイト代が入るのでどうかそれまで待ってくださいバイト代入ったら現金持って駆け付けますのでどうかお願いします」

 と平謝りしたのは苦い思い出である。できれば二度とやりたくない。

 とは言え、それももう過去の話。これ以上弟を心配させぬよう、優花は殊更明るく笑ってみせた。

「今はそこまで生活が苦しい訳じゃないから、心配しないで大丈夫よ」

「……でもさぁ、優花姉。真面目な話、家計が苦しくなったら言ってくれよ。オレもバイトとかするからさ」

「高校生が何言ってるのよ。いいから、あんたは勉強と部活に専念しなさいって。サッカー部の選抜に選ばれたんでしょ? 今度合宿もあるって言ってたじゃない」

「それは……」

 草太が何かを言い淀んだ時、草太の背後からもう一人の弟、小学生の若葉(わかば)がフライ返しを片手に現れた。

「優花姉ー、おはよー。ねえねえ、今日はねー、ぼくが朝ごはん作ったよ」

「おはよう、若葉。今日は何を作ってくれたの?」

「目玉焼きとね、ウィンナー焼いたよ」

「わぁ、嬉しい。若葉はお料理上手ね」

幼い若葉の頭を撫でてやると、若葉は女の子めいた可愛らしい顔を喜びに緩めて、優花の腰に抱きついた。

「えへへ。これで、いつでもお嫁にいける?」

「え、えーっと……う、うん、いける……かも……?」

「それじゃ、ぼく、もっとお料理頑張るから、そしたら優花姉のお嫁さんにしてね!」

 少女漫画のヒロインがお花を撒き散らしているかのような、それはそれは可憐な笑顔に、優花は姉として言うべき言葉を色々と飲みこみ、乾いた笑みを返した。

「……う、うん……ウレシイナー……」

「えへへ! それじゃ、ぼく、コーヒーも用意してくるねー!」

「う、うん、よろしくー……」

 台所へ戻る若葉の背中を眺めながら、草太がぽつりと呟いた。

「オレ、弟の将来が心配になってきた……」

「……うん、私も……」



 * * *


 如月優花、二十一歳。如月家の長女であり、同時に家長でもある。

 母は末っ子の若葉を産んですぐに亡くなり、放蕩癖のある父は優花が高校生の時に「冒険王にオレはなる!」と言って家を飛び出したっきり、帰ってこなくなった(そのまま帰ってくるなロクデナシ、というのが家族一同の意見である)

 かくして僅か十六歳で一家の家長になった優花は、妹の美花、弟の草太、若葉達と力を合わせて生きてきた。

 辛いことも苦しいこともあったけれど、四人で力を合わせて、なんとか乗り越えてきた。これから先も、ずっと四人で寄り添って生きてくのだと思っていた。

 次女の美花が家出をするまでは。


 昔から派手なことが好きで、都会に憧れを抱いていた美花は高校を卒業するなり家を飛び出した。それも、如月家の一ヶ月分の生活費を持ち逃げして。

 どうやら、美花は父のロクデナシ遺伝子をしっかりと受け継いでいたらしい。

 かく言う優花はと言うと、なんとか高校を卒業する事はできたものの、弟二人を抱えて大学に行く余裕などあるはずもなかった。かといってこんな田舎町で、高卒の優花に就職先がある訳もなく、未成年の弟達を置いて都会に出稼ぎに行く訳にもいかない。結局は地元で幾つかのバイトをかけもちして、なんとか食いつないでいるのが現状だった。


 * * *



 優花が日中メインで入れている仕事は家政婦だ。この町は田舎町で高齢者の方が多いので、需要はそれなりにある。

 今日、担当するのは倉田という七十代の男性の家だった。十数年前に妻に先立たれた倉田は、駅から離れた一軒家で一人暮らしをしている。

 倉田は偏屈な頑固親父を絵に描いたような人物で、初めて彼の家を担当した優花は、散々ダメ出しをされたものだった。やれ、挨拶の仕方がなっていない、掃除が雑だ、手際が悪いだのなんだの。それゆえ、家政婦を始めたばかりの頃は、自分がこの仕事に向いてないのではないかと真剣に悩んだりもしたのだが、それでも弟達を養っていくためだと自分に言い聞かせて、鼻息荒く仕事を続けた。

 その甲斐あってか、最近はダメだしをされることも少なくなったし、倉田は優花のことを週に一回指名してくれる。

「おはようございます、如月です。今日も一日よろしくお願いします」

「……ん」

 優花が深々と頭を下げると、倉田は玄関の扉を押さえて中に入れと顎をしゃくる。

 靴を脱いだ優花は、早速今日の仕事内容を倉田に確認した。事前にメールで詳細は伝えられているが、再確認は大切だ。

「今日は家の中の掃除と、月に一度の庭掃除、それとお昼ご飯と夕ご飯ですよね」

「昼飯はソーメンにしてくれ」

「はい、分かりました。薬味は何がお好きですか?」

「ネギと茗荷。茗荷は庭のプランターに生えてるから、適当に採って使え」

「はい、分かりました」

 ハキハキと返事をして、優花はエプロンを身につけ、掃除を始めた。室内の掃除はハタキで埃を落として、掃除機をかけて、雑巾がけ。それと水回りを綺麗に磨いたら、庭掃除だ。こちらは伸びっぱなしになっている雑草を抜いて、簡単な掃き掃除をするぐらいでいい。倉田の家には立派な柿の木があって、九月後半の今はまだまだ葉も実も緑色だ。やがて実がオレンジ色に色づいた後には、枯葉が多くなり、掃き掃除が大変になる。

 去年は落ち葉掃きが大変だったなぁ、と振り返り、そうして優花は倉田の家を担当するようになってから一年が経ったことに気づいた。最初の内は続けられるか不安だったのに、なんだかんだで一年経ったということが、少し嬉しくて誇らしい。



 庭掃除を終えて、昼食の準備を始めている間も、倉田はやっぱりむっつりとした顔でテレビを見ていた。

 利用者の中には会話が好きな人もいて、寧ろそれを楽しみにしてくれているような人もそれなりにいるのだが、倉田は真逆のタイプだとこの一年で優花は学んだ。

 用もないのに話しかけると「黙って仕事をしろ」と叱られるので、黙々と素麺の薬味を刻んでいると、倉田がテレビに目を向けたまま「なぁ」と口を開いた。

 優花は作業する手を止めて倉田を見る。

「はい、どうしました?」

「お茶」

「ほうじ茶と煎茶とどちらにしますか?」

「煎茶」

「分かりました」

 少しぬるめに淹れたお茶を六分目ぐらいまで湯呑に注ぎ、お盆に載せて運ぶ。このお茶出し一つでも最初の内はよくダメ出しをされたものだ。

「茶が熱すぎる、火傷させるつもりか!」とか「茶をなみなみとそそぐのは嫌がらせか!」とか「湯呑を卓に置く時は音を立てるな!」とか……

 優花は、少し緊張しながらお茶を飲む倉田を見守る。濃すぎても薄すぎても、やり直しになるのだが、幸い今日は味の方も及第点だったらしい。

「なぁ」

「はい、何でしょう?」

 お茶の味に不満が? それとも、お茶菓子も出さないとまずかったか?

 何を言われるのかと身構えていると、倉田は片目だけをくるりと回して優花を見た。

「死んだばあさんがな、茶を淹れるのが上手かったんだ。ばあさんが淹れる茶より、うまい茶は無かった」

「は、はぁ」

「あんたの茶は、まだまだだな」

「す、すみません……」

やはり駄目出しだったらしい。だが、淹れ直せとは言われなかった。倉田は湯飲みの半分ぐらいまで茶を飲むと、また口を開く。

「……あんた、甘い物は好きか?」

「え、あ、はい」

 好きか嫌いかと言われたら、勿論大好きだ。しょっぱい物も辛い物も好きだけど。甘い物は貧乏な優花にとって贅沢品である。嫌いなはずがない。

 しかし、どうして突然そんな話を振ったのだろうか。お菓子の催促?

「わしは甘いモンが嫌いだ。だから、これはあんたが持ってけ」

 そう言って、倉田は戸棚から紙の箱を取り出した。両手で持てるぐらいの大きさの上品な花模様の箱の中には、美味しそうなどら焼きがぎっしり詰まっている。

「え、だ、駄目ですよ、こんな立派な物、頂けません!」

 優花が首を横に振ると、倉田はフンと鼻を鳴らした。

「あんたが食わんなら捨てる」

 それは勿体ない! と思いつつ、倉田からこの手の物を貰ったことが無い優花は、どうするべきか判断に迷った。

 そんな優花の後押しをするように、倉田が箱をグイと押し付ける。

「あんた、弟がいるって言ってたろ。どうせろくなモン食わせてないんだろうし、たまには良い菓子でも食わせてやれ」

「それじゃあ、その……お言葉に甘えます。ありがとうございます」

 深々と頭を下げると、倉田はフンと鼻を鳴らして、それ以上は何も言わずにソファへ戻っていった。

 優花は手の中の菓子箱をまじまじと眺める。

 趣味で菓子を作ることはたまにあったが、最近は忙しくて弟達にお菓子を作る機会も減っていた。まして、こんなに立派などら焼きなんて、そうそう食べられる物じゃない。きっと、草太も若葉も喜ぶだろう。

 弟達の喜ぶ姿を想像し、優花は顔を綻ばせた。



 * * *



 日中の家政婦の仕事が終わると、次は夜のコンビニのバイトがある。夕方の僅かな時間は夕飯の準備をする貴重な時間なので、一分も無駄にできない。

 スーパーで買いこんだ食材を抱えて早足で帰宅した優花は、自転車を降りると腕時計で時間を確認した。現在の時間はジャスト十六時。夜のバイトは十八時からだから、急いで準備すれば、夕飯を食べてから夜のバイトに行ける。

 食事をせずに夜のバイトに行くとかなりきついので、何としても夕飯だけは食べておきたい。

「ただいま~…………あれ?」

 玄関にはスニーカーが二つあった。草太と若葉が二人とも、この時間に帰っているなんて珍しい。

 特に草太はサッカー部の練習があるので、帰りが十九時近くになることはしょっちゅうなのだ。

「あ、おかえり、優花姉。今日は夕飯、オレが作っといたから」

 台所では草太が夕飯の支度をしていた。

 食欲をそそる焼き魚の香りにお腹がキュルリと鳴るけれど、それよりもまず違和感が先に立つ。

「……草太、部活は?」

「あー、えーっと……サボった」

「サボったぁ!?」

 優花は思わず目を剥いて叫んだ。

 身内の贔屓目と言われるかもしれないが、草太はとても真面目で努力家だ。早朝の練習も、夜遅くまでの練習も、今までサボったことなど一度もなかった。

 優花はそんな弟を、いつも自慢に思っていた。

「……どうして? 選抜に選ばれたんでしょ? もうすぐ合宿だってあるのに……」

「あー、それだけどさ……オレ、合宿、行かないから」

「はぁっ!?」

 草太の通う高校のサッカー部は強豪で、部員数が多い。そのため、合宿に参加できるのはレギュラーの生徒だけだ。

 だから、草太はレギュラー合宿に参加するのを入学した時から目標にしていたし、レギュラーに選ばれた時は家族全員でお祝いをした。

(……まさか)

優花はスーパーの袋を冷蔵庫の前に置くと、味噌汁の鍋をかき混ぜている草太を睨みつける。

「草太、合宿のお知らせのプリント、まだ私に見せてなかったわよね」

「……別に見なくていいじゃん。どうせ行かないんだし」

「出しなさい」

「もう捨てたよ」

優花の言葉に、草太は予め答えを準備していたみたいに即答する。

一触即発の空気で睨み合っていると、部屋の隅でおどおどと様子を伺っていた若葉がか細い声で優花を呼んだ。

「……優花姉」

そう言って若葉は、くしゃくしゃに丸めた紙を優花に差し出す。それを見た草太が、ハッと青ざめた。

「馬鹿っ、若葉!」

 丸められたプリントを広げれば、草太が合宿の参加をやめようとした理由がすぐに分かった。

 三泊四日の遠征合宿。当然ながら、宿泊費その他もろもろでお金がかかる。

 今回の合宿費は目玉が飛び出すような金額というわけではないけれど、それでも、貧しい如月家の家計を圧迫するには充分な額だった。

 優花は皺だらけのプリントを握りしめ、草太を真っ直ぐに見据える。

「草太、何で言ってくれなかったの。貯金を崩せば、これぐらいなら何とか……」

「そういうの嫌なんだよ! だって、おかしいだろ! 優花姉がこんなに働いてんのに、オレばっか、こんな、金かけて……」

 草太の叫びに、優花は面食らって絶句する。

(……この子は、いつもそんなことを考えていたの?)

 草太は真面目な良い子だ。小遣いが少なくても、同級生と同じような菓子が買えなくても、文房具や細々とした物が優花のお古になっても、一言も文句を言わず我慢していた。それどころか、いつだって草太は、優花に無理をするなと気遣ってくれた。

 そんな草太が、今、酷く思いつめた顔で唇を噛み締めて俯いている。握りしめたこぶしは真っ赤になって震えていた。

「オレ、サッカー部辞める。そしたら、もっと家のこと手伝えるし、新聞配りのバイトだって……」

 草太が頑固なことは優花が一番よく知っている。だからこそ、絶対にここで引くわけにはいかなかった。

 優花は眉を釣り上げて、殊更強気な態度で草太を睨みつける。

「見くびらないでほしいわね。あんたがそんなことして、私が喜ぶとでも思ってるの? あんたがそうやって私に遠慮して、私が嬉しいとでも思ってるの!?」

「じゃあ、優花姉はどうなんだよ!? 優花姉が朝も昼も夜も休みなしに働いてるの見て、オレ達が何も思ってないとでも思ってんのかよ!」

 一瞬、言葉が詰まった。

 弟達に心配されていることは自覚していた。それでも優花にとって、家族のために頑張ることは生き甲斐なのだ。否定されてしまったら、優花は途方に暮れるしかない。

「だからって、いきなり部活を辞めるなんて……だって、あんた、あんなに一生懸命練習してたじゃない! レギュラーに選ばれて、凄く喜んでたじゃないっ!」

「……もう、いいんだよ。サッカーは好きだけど、サッカー選手になりたい訳じゃないし、それなら、サッカーする時間でバイトした方が……」

 その言葉に、カッと頭に血が上った。

 優花は眉毛を釣り上げ、腹の底から怒鳴る。

「馬鹿言ってんじゃないわよ! あんたが突然部活を辞めたら、サッカー部の仲間にだって迷惑がかかるでしょうが! そんな理由でサッカー部を辞めるなんて、私は絶対に認めませんからね!!」

「優花姉の分からず屋!!」

「分からず屋なのはあんたでしょうが!!」

息が切れるぐらいに怒鳴りあっていると、とうとう若葉が泣き出した。若葉はえぐえぐとしゃくりあげながら、優花の服の裾を握りしめる。

「二人とも、もうやめてよぉ……ぅー、やだよぉ、こんなの……やだぁ……」

 草太をいさめるべきか、若葉をなだめるべきか。優花が迷っている間に草太はサッと優花の横を通り過ぎて、玄関へと向かう。

「……ちょっと、頭冷やしてくる」

「あ、こら、待ちなさい!」

 慌てて呼び止めたけれど、無駄だった。草太はあっという間に家を飛び出して、どこかに行ってしまう。

 追いかけなくてはと思うものの、時計を見ればバイトの時間が迫っている。

「……っ」

 酷く不甲斐なかった。弟に気を遣わせてしまった自分が。

 今まで、一家の大黒柱としてうまくやってきたつもりだった。けれども、今になってそれが独りよがりだと思い知らされる。

(私がもっと上手く立ち回っていたら、美花が家出することもなかったし、草太があんな気の使い方をすることもなかった)

 どうして自分は、いつもうまくやれないんだろう。

 悔しくて悔しくて、目の奥が熱い。

 ぐす、と鼻を啜っていると、若葉が優花の背中にしがみついた。

「……優花姉」

 駄目だ。ここで泣いたら、若葉にまで気を使わせてしまう。

 しっかりしろ、私! と優花は自分に言い聞かせ、ペシペシと頰を叩いた。

「若葉、ごめんね。今夜は一人でご飯食べてくれる? 私は……バイトが始まるギリギリまで、草太を探してみるから」

「それなら、ぼくも一緒に……」

「若葉は家で草太を待ってて。あの子、鍵も持たずに飛び出したから……誰かが家にいないと、草太が帰ってきても家に入れないでしょ?」

「……うん、分かった」

 弱々しく頷く若葉に「いいこね」と頭を撫でて、優花は家を飛び出す。



 それから、優花はバイトの時間ギリギリまで草太を探したが、とうとう見つけることはできなかった。

 もし、草太が家に帰ったら若葉に電話するように伝えてある。優花はコンビニの更衣室で二つ折りの携帯電話を取り出し、画面を見た。着信は無い。

 自分がバイトをしている間に帰ってきてくれれば良いのだけど……そう願いつつ、優花は髪を束ね直して、スタッフジャンパーを羽織った。

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