第一章 異世界転生者ジル 四話
「では、お食事中に本日の予定をご報告させていただきます」
長くて広くて大人貴族が20人いても座れるであろうテーブルの端っこの真ん中に、ではなくその左側にヒルグランド王子が着席すると、少し後ろに立ったセシルがそう言った。
俺はというと。
「ささ、召し上がってください!」
ヒルグランド王子の座る中央に置かてれたテーブルから少し離れた位置にある円形のテーブルに、妖精族用の椅子とテーブルがセッティングされて現在ヒルグランド王子の側近の一人に給仕されている。俺の給仕をしているのは…。
<ロイド・ゲルマントス>
リゼットの2つ下の妹でゲルマントス伯爵家の第三令嬢であり、ごく普通の側仕え。貴族学院を普通に卒業し、貴族内ではよくある親や親戚の伝でヒルグランド王子の側近になったと聞いた。ただ性格はちょっと天然なのがいただけない。
「あ!お口に会いませんか!?今すぐ作り直させ「大丈夫です、とてもおいしいです」」
と、まあこんな感じでその…ゆっくり食事ができない。側近の癖にこんな給仕など必要ないと言ったのにやりたいと言われたら断りづらく頼んでみたのだが…給仕なんて前世であったら学校で適当にされるかレストランとかでされるくらいだったし、今度からは遠慮しようと心に誓った。
「…ばあや、本当に今日父上に謁見しなければいけないの?」
少し離れた位置からヒルグランド王子が不満そうな声を出しているのに気が付いた。俺はロイドから視線を移してヒルグランド王子へと向ける。彼もまた食事は半分も進んでいないようだ、と苦笑する。流石に四歳になったばかりの子供と比べるのは良くないか。
セシルは困った様子で小首をかしげる。
「申し訳ございません王子、ロワツィオ直々の御命令ですので…ただジルも付き添わせますから」
そういうとこちらを向いて目線だけでそうですよね?と問う。俺は苦笑して、少し声を大きめに返事をした。
「大変申し訳ないのですが、午後は少々予定がありまして、ロワツィオの御命令に含まれていないのであれば御同行は不可能です」
ごめんねランド王子、と彼を見れば何だか泣きそうな表情になってしまった。ただこの約束は本当に重要だから、あまり先延ばしにするのも良くないと思う。セシルはため息を吐くと言った。
「それでは仕方がありませんね…ジルバリオス王子の護衛騎士長とのお約束であればそう簡単にキャンセルできませんし」
俺はその言葉を聞いてちょっと疑問を感じた。俺、セシルに誰と約束があるのかとか報告してない気がするのだが…。
セシルは俺の考えていることを見透かしたようににっこり笑う。
「わたくしを誰だと思っているのです?ドードレット公爵家の人間ですから、これくらい簡単に調べられますわ」
自慢げにそう言われたのだが、ちょっと怖い。その辺に居そうな暗殺者とかよりよほど怖いと思う。見方であれば心強いものだが、敵と認識されたものは同情せざるを得なくなりそうだ。
「それはそうと、結局僕は一人で謁見に行かなくてはいけないのですか?」
もどかしそうにそう聞いてきたヒルグランド王子に、セシルはすぐに諭す。
「王子、これから先の事を考えるのであれば、今のうちにしっかりとこういうことを経験しておくべきだとわたくしは思います」
ヒルグランド王子はセシルの真剣な言葉に不満気な顔をしながらも黙り込んだ。四歳でも王子は王子で後の人生までもが立ち振る舞いやできることによって変わってくる。それを教えられたのだろうか。王子はちゃんと考えている。本当にこういうところは賢い子だ。
俺はセシルの意見にどういして口調を崩して諭すように話しかけた。
「ランド王子、僕は一国の王子に課せられた責務はよくわからないけど、ランド王子は賢くて優しいお方だと思っている。だから後の人生を考えて行動すべきだと思うよ」
その言葉にハッと顔を上げて俺の方を見たヒルグランド王子は、何か言いたげに口を開いたが、きゅっと真一文字に結んで一つ、コクリと頷いた。それからセシルにちゃんと言った。
「僕、ちゃんと一人で謁見の間に行くよ。ばあや、作法とかぎりぎりまで教えて」
セシルはにっこりと笑って「もちろんですよ、王子」と言った途端、安心したらしくあっという間に朝食を食べ終えた。それがまた優雅なものだったので、案外王子はやる気になるとできる子なのではないかと思いつつあった。
それから一度ヒルグランド王子の部屋に戻ると、謁見の為に身なりをきちんと整え始める。そのままでも行けなくはないのだが、髪形などは少し固めておかないと失礼に当たるらしい。案外面倒なもんだな、と横目に見ながらぼうっとしているとセシルがやってきた。側近見習いのい男の子も連れて。
「ジル、そろそろあなたの部屋をここに作りましょうか」
そう言えばそんなことを今朝側近を集めた際に言っていたな、と思い出して俺は頷いた。セシルは隣に余裕がありげな背に見合わない大人の表情をしている男の子に目をやる。
「今朝挨拶した側近見習いの子です。貴族学院の二年ですので…年はヒルグランド王子より三つほど年上となります。今年から側近見習いとして召し上げられたものですよ」
さあ自己紹介をしなさい、と隣にいる彼にセシルは言った。彼はほとんど表情を変えることなく綺麗にお辞儀をした。俺と同じように右手を左胸に添えて、お手本とかで見るような綺麗さだった。俺は何も言わずに彼を見つめる。
彼はゆっくりと顔を上げると言う。
「アレックス・バルキュールと申します。ハイオルック・バルキュール宰相の位を持つ公爵家の第四令息ですが、貴族学院の二年では主席です。得意とするのは建築関係の土魔法です。よろしくお願いします」
俺はお返しに自己紹介した。
「妖精族のジル、と申します。よろしくお願いします」
こうやって見てみると俺って自分の事知らなすぎじゃない?と思う。なのでこれから一応の目標として俺自身をよく知ることから始めないと他の人を知る余裕出来ないかもしれない。
そんなことを考えている間にもアレックスは子供らしい笑みを浮かべていたので、俺も笑いかける。セシルが説明し始めた。
「ヒルグランド王子の精霊という立場ですから、作る部屋も内装も高価なものにしなければなりません。普通の側近とは別だと考えで仕事をするのですよ、アレックス」
アレックスは神妙な面持ちでしっかりと頷いて返事をした。ううん、俺の立場って結構面倒かも。セシルは俺の方を向くと小首をかしげる。
「何かご要望はありますか?」
唐突だな!俺は思わずツッコミを入れそうになって直前で抑えてちょっと眉を寄せて同じように小首をかしげる。
「私は特に…ああ、どうせなら窓際に置かれているベッドをそのまま使って下さい」
寝心地はかなり良かったのでそう言うと、今度は焦ったような表情になってセシルが待ったをかけた。
「あちらは簡易ベッドですのでダメです!魔力でご用意いたしますので」
俺は薄く笑った。だとしたら俺に要望なんてないさ。
「わかりました、楽しみにしていますね」
それだけで察してくれたようだ。セシルも表情は硬いが笑った。
「そうしてください。…では私が示した場所に魔方陣を書きなさい。その魔方陣の先に部屋を作るのです」
アレックスはセシルの言葉に「はい」と短く返事をして早速詠唱し始めた。ふうん、詠唱魔法もあるのか、と俺は興味津々で彼の行動を観察する。アレックスは半眼で俯き気味に詠唱する。最後の部分が微かに聴こえてきた。
「…大地の神ゴルドアーサーよ、我に答えよ」
言い切るなり魔法が発動する。魔力の流れが微妙に感じ取れたから言いたくなったのだが、魔力の無駄遣いになっているみたいだ。変なところで魔力が留まっていて、何故か込めたい場所に魔力が届き切っていない。それでも魔術自体は成り立っているから問題はないのだろうけど。
アレックスはセシルに指示された場所に転移魔方陣を展開した。
「…少しズレていますが…まあ合格でしょう。アレックス、次は創造魔法です。魔力は足りますか?」
セシルは軽くアレックスを労うとさっさと次に行く。少し焦っているのは恐らく俺とジルバリオス王子…基、ガルシアラウンド王子の護衛騎士長との私的な約束に間に合わせるためだろう。俺もどのタイミングで行くべきなのかわからないし、正直間に合うかちょっと心配なので何も言わないでいるのだ。
しかしアレックスは見習いだ。あまり急かすと失敗する確率が上がるだろうし、丁寧でも魔力の問題で出来なかったりするだろう。
俺はちょっと割り込んで聞いてみた。
「俺自身が作るのはダメですか?」
正直あまり豪奢な部屋は休み辛いのだ。そういう意味で言ったのだが、アレックスは俺が見習いには任せられないと思って発言したと考えたのか、焦って言った。
「ぼ、僕はまだ大丈夫です!」
セシルは少し考え込むように黙り込むと、暫くして俺に聞いてきた。
「何故自らやろうと?」
「自分でもできるのであれば経験しておきたいですし、何より自分で部屋の内装などできるのであればその方が居心地良いものになるかと考えまして」
半分素直に答えておいた。俺の言葉にアレックスの事について何も言っていなかったことが意外だったようで、アレックスは目をぱちくりとさせて俺を見つめていた。セシルはふむ、と一つ頷くとアレックスに目を向ける。
「アレックス、ジルに土魔法を教えてあげなさい」
俺は一瞬止まってから慌てて止めた。
「魔力の動かし型が詠唱と無詠唱では違いますし、私は大丈夫です!」
なんだかさっきのアレックスのようだ、と頭の片隅で冷静に思っていると、セシルが優雅に頬に右手を添えて、困ったわ、と言いたげな表情をした。
「土魔法をいきなり使用するのは危険でしてよ?」
これは公爵婦人としての言葉だろうか、と現実逃避しかけて頭をふる。なんとなく初めてな気がしないのだ。恐らく俺の考えているように作れば問題ないかと思う。
しかしそれではセシルは納得しないだろう。俺はセシルに紳士らしく丁寧に笑いかけた。
その瞬間言葉煮詰まったようにセシルが動きを止める。
「失敗しそうだと判断した場合はお声かけください。一度はやってみたいのです」
俺はすっと魔方陣の方へと向かった。その後ろをアレックスが付いてくる。
「ではやり方を教えてください」
アレックスは一つ頷くと説明し始めた。
「まず大地の神の御力を借りるために詠唱を…」
「あ、無詠唱で行うので飛ばしてください」
ビクッと身体を震わせて、表情を強張らせながらもアレックスは次に進む。
「え、えと、つ、次は…魔方陣を宙に描いていきます」
そして魔力を指先に集中させて、軽く集まったなと思ったら宙に、二重円とよくわからない文字を三つほど書き込んだ。
俺も真似して見るが、如何せん身体が小さいために、魔力は指先ではなく手のひら全体に集めた。
ただ、魔力がその辺の妖精よりは高いというだけあって、アレックスと同じくらい集めても然程変化がなかった。恐らく建築魔法…基、土魔法はアレックスのような小さな子供にも使えるような初心者向けの魔法なのだろう。ただの人間ではないからその辺の事はよくわからないが。
「…このあとは…アレックス?」
自分のお手本用の魔方陣を消さずにポカーンと俺の描いた魔方陣を見詰めていた。口を開けていてめちゃくちゃバカっぽく見えてしまっている。
「アレックス?聞いてますか?」
何度か名前を呼ぶとアレックスは、ハッと我に返って俺に向きなおす。
「すみません、えっと…でしたら、作りたい部屋を思い浮かべてください。我々は基本は入れませんので、ご自由に…思い浮かべたら魔力をもう一度集中させれば完成すると思います」
そう言いつつ俺の書いた魔方陣をまじまじと眺め始める。俺はちょっと困惑。これってもう適当にやれって言ってるようなもんじゃないか?
セシルに勝手にやって良いのか聞こうと俺は後ろを振り返ったが、どうやらセシルは忙しいようだ。
他の側仕え達に指示を出し、自分は王子に立ち振る舞いの基本動作や丁寧な、目上の方に対する口調を教えていた。恐らくだがセシルは筆頭側仕え兼教育係なんだろう。
「ジル!早く作ってください!」
待ちきれないと言わんばかりの叱責がアレックスから飛んできた。驚いて向き直るが彼はまだ魔方陣を眺めている。どうしても自分が早くみたいんだと言わんばかりの雰囲気だ。ちょっと苦笑しつつ言われた通りに俺は自分の部屋を思い浮かべて…。
「…魔力込めますね」
一応声をかけて自分の中を巡るように蠢いている魔力らしきものに集中した。伸ばした手に魔力を集めてなるべく丁寧に魔方陣に魔力を込めていく。
「流石ジルです!」
アレックスの黄色い声は無視して、俺は魔方陣が発動するように念じた。
すう…ぅ。
最初に出入り口として描かれていた魔方陣の中に俺の描いた魔方陣が音もなく吸い込まれて行った。…あ、そう言えば王子の側近兼精霊という立場なのに内装を派手目にするのを忘れたな、と思っていると、部屋のあちこちから拍手が巻き起こった…え?
「え、え?」
思わず振り返ってセシルを見ると、滅茶苦茶瞳を輝かせて俺のもとに素早くやってきた。
「せ、セシル…」
「流石はジルです。あのような見事な創造魔法は今までもほとんど目にしたことはございませんでした」
俺が質問する前にセシルに気圧される形で褒められ、今度はアレックスの熱い視線に気が付いた。
「…ジル、貴方様は天才ですね!勉強になりました!」
ちょっと待ってくれ、俺は初心者も同然の筈…。
「凄い!流石は異例で王族の精霊になる者だ!!」
「よく見るとすごく綺麗よね!」
「ああ!なんであの大きさなの~!!」
部屋に居る側近という側近の声が本当によくわからない。ただヒルグランド王子だけはポカン、と俺を見つめているだけだった。俺はとりあえずセシルに向かって言った。
「あの、セシル」
どうやら褒めちぎる程興奮していてもちゃんとしているようで、俺が困惑気味に声をかけてもセシルは普通に返してくれた。
「何か?」
俺はまだこちらの世界の時間感覚が身についていない。
「第一王子の護衛騎士長との約束の時間まであとどれほどありますか?」
セシルはすっと笑みを消して、考え込むように背筋を伸ばした。俺の声が他の側近にも聞こえたらしく、皆慌てて仕事に戻っている。ヒルグランドだけは変わらず俺を見つめていた。
セシルは言う。
「あと一と半の鐘分は時間がありますわ。思っていた以上の速さで部屋が出来ましたし…部屋の中を確認してくる時間は十分ございます」
そう言って笑みを浮かべた。俺はホッとして笑みを返す。
「ありがとうございます。少し確認してきます」
そしてゆっくりと魔方陣に降り立った。
パアァ…。
まぶし過ぎる光と共に、先程簡単に思い描いていた理想の部屋の中へと俺は飛ばされた。
「まさか…全部使えるとか言わないよな?」
俺が思い描いた部屋は…前世に思い描く最新型の電子機器に埋め尽くされたモノトーンを基調にした、あちら側で言うなら現代風の部屋だ。
シングルベッドは基本黒。ふわふわの毛布も思い描いた通り。ベッドの横には紺のサイドテーブルに電気スタンドと目覚まし時計が置かれていて、すぐ脇にはパソコンが設置された勉強机と天井まで届く本棚が二つ。ベッドの前にはテレビに作業台と普通のテーブル。ちゃんと入り口付近には衣装ケースまである。
「創造鶴だけは簡単だけど…」
俺はベッドのすぐ隣に置かれた目覚まし時計を手に取った。
「…え、時計は動いてるの?」
こちら側の時間に合わせてちゃんと動いているようだ。あちら側の時間で言うところ、今現在はどうやら11時を少し過ぎたところらしい。
「って、これに頼ってちゃダメだろ」
俺は自分で自分に制止をかけて、とりあえず時計を元の位置に戻した。後でこちら側の時計に直す必要がある。
それから今度はテレビのリモコンを取り上げる。日本で暮らしていた時同様のテーブルの上に無造作に置かれていた。俺の記憶から引っ張り出してここに置かれたのだろうか…こんなに細かく思い描いたつもりはなかった。
とりあえず電源ボタンを押す。
ジジッ…。
「…いや、ありえないだろ」
ヒル〇ンデスが映った。しかしまあ…この世界には不必要だ即刻消そうと誓った。元々テレビというもの自体がそこまで大好きと言う訳ではない。
そして次に机の上のパソコンを使ってみることにした。
「こっちは個人的に使えたらいいな…」
時計もテレビすらも使えたのだからパソコンも…と思った俺は、ちょっとバカだったのかもしれない。
「…何故」
思わずため息とともに疑問が口から漏れ出した。そう、パソコンは電源すら入らなかった。じゃあ何のためにここにあるのか?本当に疑問でならない。これは消す、とすぐに決めた。あるだけ無駄とか一番悲しいもん。
「さて、と…」
結局時計は使えるがこちらに合わせることにし、テレビとパソコンは消す。スマートフォンもあったが電源が入らないしこちらで何に使えるかわからないから消すことに決めて、電気スタンドは魔力で動かせるものに変える。本棚に置かれた本はどうやらこの世界ーーー恐らくファレスティア共通ーーーの言語に変換されているのでそのまま勉強用に使う事にした。設置した本棚はほぼ埋まっているので、これから増えることを想定してテレビを消す代わりにもう一つ増やすことにした。
「そう言えば服ってどうしたらいいんだろ」
ふと気が付いたことだが、服はどこから手に入れるべきだろうか。流石に筆頭側仕えで先々代公爵夫人にお頼み申すのは身分をわきまえろと言われそうなのでできないし、アートルムの頼るのもちょっとおかしい。…魔法で作れないだろうか。
「…物は試しだ」
俺は時間を確認する。まだ11時半を過ぎたあたり…まだ大丈夫だろう。何となくこの世界の王族が着るような服を思い描いて、手に魔力を込めていく。
「紳士らしくて…少し派手目で…髪色に合わせた方がいいかな…」
呟きながらイメージを固めていくと、段々手に集まっていた魔力が吸い出されるような感覚を覚えた。そのままイメージを作るようにどんどん魔力を流していく。
…ポン!
「うわっ!?」
何か可愛い爆発音が響いて思いのほか驚いた俺はすぐに目を開く。
「…え、凄…魔力て便利かよ」
思わずツッコミを入れてしまう。
目の前には、というか俺の手のひらに握られていたのは、水色に近い青が基調の少し派手目なスーツのような服だ。シンプルだが貴族らしくてしっかりとアイロンもされている。そこまで細かくイメージをしたつもりはないのだが、魔力とは便利なものだ。
俺はもちろん早速着てみた。
「うわぉ、サイズもぴったりだ」
体にフィットしている感じが良い。自分の魔力で作ったからか?と考えながら羽を軽く動かす。先程まで着ていた真っ白で派手な服はどうやらちゃんとしたものだったようで、俺が脱いでも消えることはなかった。この国の正装っぽいので、一応とってはおこうと思う。今後これを中心に服を自作するのも悪くないと考える。
ところで今更なのだが、この部屋の家具はどうやら俺の体の大きさに合わせられているようだ。俺自身は前世の部屋を思い浮かべていた筈なのだが、魔力が勝手に操作したのだろうか等バカなことを考えてしまいそうになる。
そんなことを考えながら元着ていた服を丁寧にたたんでベッドの上に置いていく。いくつか物を消した後衣装ケースの中を確認してしまうつもりだ。
『…ジル、そろそろ午後の一の鐘が鳴ります。支度をなさいませ』
唐突に部屋の…前世で言えば出入り口があった場所にある魔方陣から声が聴こえてきた。恐らくセシルだろう。俺は返事をした。
「わかりました~!」
叫ぶような形で返すが返答はない。ちょっと首を傾げていると、再び声が聴こえてきた。
『うたた寝でもしているのですか?もし返答の仕方がわからないのなら、魔方陣に向かって放つ声に魔力を乗せてください。そうすればこちらに聞こえますので』
セシルは勘が鋭いのだろうか。それとも俺が分かりやすいのか。とりあえずセシルの言った通りに声に魔力を込めるようなイメージで魔方陣に向かって再び声をかけた。
「ご指導ありがとうございます」
今度は普通の声にしてみたのだが。
『やはり返答の仕方がわからなかったのですね…ホッとしました。では支度が出来次第お戻りください』
いつも思うが…セシルは口調がよくわからない。俺のような得体のしれない妖精にすら丁寧な物腰なのは変わらないが、時折口調が女性らしくなったりするのだ。ちょっと気になる。一応あの人孫まで居る年なのに…。
とりあえず物の整理は後回しにして、俺は部屋を後にした。
魔方陣から一歩踏み出せば、セシルが丁度ヒルグランドに何か言い終えた後だった。ヒルグランドがいち早く俺の方を向いて笑顔になる。
「ジル!よかった…僕そろそろ父上…ロワツィオへの謁見に行かなきゃいけないところだったんだ」
まだ4歳なのに口調や立ち振る舞いが依然見た時よりずっと洗練されている。俺もにっこりと笑い返す。
「謁見前にランド王子のお顔を拝見できて安心いたしました」
するとヒルグランドはちょっとむくれた。俺はハッと思い出す。
「失礼…ごめんね、ランド王子。つい癖で敬語になっちゃって」
申し訳なさそうにしながらそういうと、ヒルグランドは機嫌を直したようだ。嬉しそうに笑って許してくれた。そんなやりとりを見ていたセシルがすっと会話を終わらせる。
「ジル、そろそろ午後の一の鐘が鳴ります。第一王子の護衛騎士長のお部屋の方に向かいなさい。ひるヒルグランド王子もそろそろ謁見のお時間です。参りましょう」
俺もヒルグランドも軽く返事をすると、顔を見合わせた。
「それじゃあまた後でね、ジル」
「うん。謁見頑張ってね、ランド王子」
そしてにっこり笑うと先に俺が向かう事になる。俺のような者には側近は居ないので出て行くときは一人だ。ちょっと硬いヒルグランド王子の護衛騎士たちが、ぎこちないながらも笑みを浮かべて扉を開いてくれたので、笑顔でお礼を言って部屋を出て目の前の広い廊下を進む。
そう言えば護衛騎士長の部屋って…。
俺はちょっと不安になりながらヒルグランドの領域を出ると、目の前に見知らぬ人が待ち構えていた。俺が吃驚して止まると、彼は軽くお辞儀をしてこちらを見据えながら言った。
「私はアルバス・ド・リシュ。第一王子護衛騎士長であるマークット様の命により迎えに上がりました」
銀髪は長く後ろで丁寧に一つにまとめられているが、体格は良いので恐らく男。服装的には少しシンプルだが護衛騎士だと思われる。彼のオニキスのような黒い瞳が俺の姿をとらえるようにすら感じられる視線だった。
何だか気疲れしそうになりながらも俺は丁寧に自己紹介の返しをする。
「私はヒルグランド王子の精霊、ジルと申します。お迎え、感謝いたします」
アルバスは鋭い視線はそのままに片方の眉を少し上げた。俺が少し首を傾げると、彼は苦笑した。
「申し訳ない。妖精というものは野蛮なものが多いと聞いていたため、其方の洗練された動きや口調に驚きが隠せなかった」
口調がちょっと崩れているが、俺はにこっと笑う。
「そう言っていただけて光栄にございます」
すると鋭かった視線は消え、今度は薄ら微笑みを浮かべたアルバスは言った。
「なるほど、これなら王も第一王子も納得せざるを得ないだろう。…さて、時間を費やし過ぎたな。そろそろご案内いたそう」
口調は崩れたままだが、これは私的な約束事だ。俺は特に指摘せず彼に微笑んだ。
「よろしくお願いします、アルバス様」
「あいつ…何を考えている」
誰かがジルとアルバスのやり取りを見て呟いた。しかし周りを歩く音にその声はかき消され、他の者の耳に届くことはなかった。その誰かは、手の内で一つの小さな魔術具を起動させる。
「まあいいさ」
その誰かは、ニヤリと嘲笑するかのような笑みを零した。
「今更どうしようもないのだから」
そう言った誰かは、次の瞬間…姿を消すのである。