始まらない王子様との物語
「A組の王子様、何か運命の女の子を探してるって」
友人が聞き付けてきた、ゴシップギリギリのその話が聞こえてきた時、私は特にどうとも思わなかった。
私の親が名家でも稀にいる財産を食いつぶす類ではなかったのは幸いだ。それでも適当に名家でギリギリ素封家と呼ばれる程度の我が家である。
正直に言えば顔の造作以外目立たない私は、あらゆる意味で目立つ筆頭の「A組の王子様」に興味なんて無かった。
顔が麗しくて家柄も頂点に近いぐらいよろしく、俺様で唯我独尊だが弱い者虐めはしない成績優秀にしてスポーツ万能なんて……少女漫画から抜け出してきた存在の側に好き好んでは行けない。
庶民ではないが、さりとてそうした選りすぐった一握りの頂点に並べる程でもない。
わざわざ側によって蔑まれるくらいなら遠くにいた方がマシだ。
私の家程度の家格では、友人程度ですら彼の家に歓迎はされないだろう。
迂闊な理由であそこまでの名家の嫡男の側に寄れば排除されかねない。
ステージが違いすぎて、私なんざ馬の骨程度だ。そこいらの駆け出しな芸能人とかよりも価値がないだろう。事業拡大に繋がらないし、広告塔にならないからね。
「ふーん」
あからさまに興味が無い声だったからだろうか、友人は不満そうに見てきた……だがそこで大騒ぎする程に、この娘も熱が無かった様だ。
生まれも育ちも……そうして価値観も似た様な友人は、しかし私と違いアイドルに熱を上げる様に件の〈王子様〉を愛でていた。
まあその限りにおいてはどうでも良いのだ。問題なのはアイドルを愛でる様に〈王子様〉を愛する先、しかもそれを教室で語る事である。
彼女が誰かをアイドル扱いしている、それ自体は別に良いのだ。
だがそれがあの〈王子様〉だと酷く危なっかしい事なのだ。名家が集う名門校な我が校で、その頂点の一角を担う彼の君を綽名であれ何であれ連呼されると非常に目立つ。
玉の輿狙いから外見に惹かれる者まで掃いて捨てるほど存在している。その何割かは〈王子様〉と似た様な階層の御方だ。
私達の立ち位置は中の下程度だ。上位にある名家の方々に目を付けられたらお終いだ。今時って気もするが、暗黙の了解やら何やらは何時の時代でも何処であっても消えはしない。
家まで降りかかるかはともかく、学校での立場が微妙になる。
家の格が中位という事は、上と下が露骨に居るのだ。上からは「あの程度」と見下され、下からは「大した事無いのにお嬢様ぶって見下しやがって」と睨まれる。
立ち居振る舞いを気をつけないと足をすくわれやすいのだ。
「貴女がそこで追っ掛けをしようがストーカーだろうがどうでも良いけれど、大声でその名を呼ばないで。家の様な十把一絡げな“辛うじて名家”が目を付けられたら一瞬で潰されるから。恋人だろうが妾だろうが、その座を狙っているなんて思われたら……」
彼の君に比べたら私の家なんて庶民である。
この娘とアイドルやドラマ・漫画などの趣味は合うが、テンションの高さと後先考えられないところと空気を読めないところは困りものだと思う。
名門中の名門で現在も金持ちなんて下手なヤクザよりもえげつない人々なのだ。その是非を問うほど潔癖でもない私としては、どんな形であれ関わりたいとは思えない。
「……あんだけの美形が同じ学校・同学年にいても気にならないの?」
そう聞かれてもな。
「玉の輿を狙うほど脳天気にはなれない。ああした上流にはそれなりの格式が必要で、家なんかがそこに入れる訳もない。カルチャ-ギャップで胃に穴が空くだけよ。それに頭脳であれ何であれ、あんな存在の横に立てるなんて思う程脳天気にはなれない……格差なんてそれだけで話が合わないのに、まして四六時中顔をつきあわせれば粗が出る。嫌われるだけなら良いけれど嫌われた挙げ句に実家まで破滅させられたら怖いし」
多少面相が良い程度で、そこに入り込めると思うほど脳天気にはなれない。
天と地ほど違うとはいえ同じ土俵であるからこそ怖い。
プロ野球のドラフト一位に、町内でなら強豪程度の草野球チームのエース程度の実力の者が指名されたら? しかも断り切れなかったら。
どんなに練習しても、ドーピングをしてすら適正な実力は得られない絶対の差。そこで結果を出す事さえ望まれたら後は自殺でもするより仕方が無いでは無いか。
彼の横に立つとは、そうした例えが言いたくなるような場所なのだ。
「……夢がないよそれ。そこでドライに好きな人を諦めるの?」
あんだ、何を言っておるのだこの娘は。
可哀想なモノを見る目で友人を見下ろした。
「同じ学校なだけで、会話した事も無い超エリート候補の美形……それだけで好きって飛躍が過ぎるわ。別にアンタがその彼に熱を上げようと知った事では無いけれど、私の好きな人まで捏造してほしくない」
被った猫を一部振り捨てて睨み付けながら言った。誰かに聞かれたらどうする――こんな事が切っ掛けで苛められでもしたら最悪である。
いや本当に気をつけてくれよ、としか思えない。
私達の様な半端な家は、本の少しの毀誉褒貶で潰れかねないのだ。悪口は勿論だが褒めてすら「あいつ如きに~」ってなりかねない。
正に触らぬ神に祟り無しだ。
良かろうが悪かろうが雲上人に関わって、得する事なぞ有り得ない。私たち程度の家格で上がれるのは、余っ程個人のスペックが上等な場合だけだ。そうであっても一挙手一投足チェックが入り、引き摺り下ろそうと手ぐすね引いて足を掴もうとする者が増える。
個人の能力や人柄で対抗できるものは化け物である。
そこで声を潜めて言った……周りを見れば私達に注目している人は居ないみたいだが念のためだ。
「……安易に王子なんて呼んだのがバレて嫌われる……どころか対処でもされたら豪い面倒でしょ? それとも生徒会室に呼び出されて怒鳴りつけられたいの。そんな時は私は一切庇わない……と言うよりも庇えないよ? 貴女の性癖はどうでも良いけれど、私を巻き込まないで」
彼の君はそうした揶揄追従が殊の外お嫌いらしい。まあそりゃそうだろう。
「……うんゴメン」
悄然としながらも、納得出来ない様子でいた。
それからこの娘とは徐々に疎遠になっていった。
別にボッチではないし、友人の一人が離れたくらい……少し落ち込んだくらいで気にはしなかったが、それから一月後に本当に生徒会に呼び出されたらしい。
「……何やってんだか」
とは言えだ。あの時は脅しはしたが、現実に御家の進退に関わるほどではない、と思う。
でもなあ。何かあったら寝覚め悪いが、さりとて私に出来る事なんてない。
結局特にどうにもならなかった。アイドルかホスト扱いされたから釘を刺されただけらしい。
まあどっちでも良いけれども。
彼女が扇動し、ファンクラブまで作ろうとした……ところで〈王子様〉の逆鱗に触れた。
そりゃ普通は触れる。
婚約者はまだいないそうだが、特に遊んでいる訳でもモテる事を楽しんでも居ない見目が良いだけの少年がね、大仰にチャラチャラ騒がれたらそうなる。それでもこの時点ではそう大袈裟な話ではなかったのだ。
落ち込むだけ落ち込んでいた。追い打ちをかける事もなかろうとその件について話す事はなかった……のだが。しかし彼女は全く懲りていなかったのだ。
それから一月後に、めげずに活動していた娘を、田舎の親が強制的に退学にさせて海外留学に放り出した。
後は噂だが、寄宿舎付きの完全管理な学校で遊びなんて思いもよらぬ学生時代を過ごした後に、本人の意思を無視して適当な家の子息と結婚させられる……らしい。
彼女の行く末の真偽は不明だが、学校生活を弁えて程々にファン活動すれば良かったのだ。彼我の差があれほどある相手に、不用意にちょっかい掛けるなんて信じられない。
多分〈王子様〉の家から彼女の実家に抗議がいったのだろう。そこで放っておけないと……。
多少胸が痛んだが、私に何が出来たとも思えない。
半端に口を出しても巻き添えをくったのが精々だ。まあ退学までは彼女の実家の勇み足だとは思うが、下手をすればイジメに発展したかも知れないので、適切だったとも言える。
特にカリスマのない友人が、格上の名家のお嬢様方を差し置いてはしゃいでいたのだから。幼稚舎から一緒だったのに、高等部に来て何故急激にはしゃいだのか、理解に苦しむ。
けれど終わった事だ。
それからも私はA組の〈王子様〉とは係わらない生活が続いた。
高等部を卒業し、私も付属の大学ではなくて東京の大学に進学するが、この国最高の学府に進んだと噂の〈王子様〉とは何の接点もない。
特に興味も無かったから、彼が進んだ学部も暮らす場所も知らないままだった。何せ離れたクラスだから知ろうとしない限りは知る事も無い。
そんな訳で大学は親元を離れて一人暮らしを始めた。仕送りはそれなりにもらっていたが、大学院に進み海外留学もしてみたいので、バイトを適当に入れて留学費用だけは貯める事にしたのだ。
その合コンに誘われたのは大学生活が2年目になった秋の事だ。誕生日は過ぎていたからアルコールもOKだった。
正直合コンに興味なんて無かった。
潔癖ぶっているわけではなくて、半端な家の三女な私は油断するとすぐさま見合いが入る。
半端な家の半端な立場の私にくる見合いは、お察しの事が多い。
ならばこそ私自身である程度稼げるように自立したい。
だからバイト以外はあまり遊んでいる暇はないのだが。
「ゴメン、急に一人予定が立たなくなっちゃって」
と友人に頭を下げられると、そうそう拒絶は出来ない。
とはいえ合コンに参加したのは始めてじゃない。
大抵は穴埋めな為の付き合いで参加しただけだから、いつも適当に御飯食べて、一次会で帰ってきていた。
身持ちが堅いというよりも今はまだ色恋に興味が無いだけだ。
そうしたら合コンには〈王子様〉がいた。いや王子なんて言ったら怒られるだろうが。
為人なんて知らないから本当に怒るかは知らない。
「……君、どこかで会った事があるか?」
自己紹介の前に斜め前の席に座った〈王子様〉にそう言われたが、「さあ」と言って誤魔化した。
高等部時代の私を憶えていなかったようで、一安心である。
合コン相手の男子達は超有名大学のエリートであり、中でも芸能人とも違う高貴で麗しいルックスの彼は女子の狙い目だった。
だから彼にもに興味を示さない私は、他の女子の対処で忙しい〈王子様〉と話さないですんだ。
「……では私はこれで」
金曜の夜の合コンだったが、次の日はバイトが朝一で入っているために、今回も一次会で切り上げた。
誰かが名前を呼んでいたようだが、特に興味も無かったのでそのまま帰った。
大学院に行く前に短期の語学留学を1回して、院にいる間か後に専門分野の留学をする。
それが私の希望であり、少なくとも短期の語学留学は自分のお金でいかなくては、と思っていた。
週が明けて月曜日、講義が終わり帰ろうと校門に向かう。
そうバイトばかりに精を出せる程に頭も良くない。
程々の大学で必死こいて上の下程度をキープしているが、まあその程度の頭なのだ。
校門が少しざわついていたが、さして興味も無く足を進める。
私は姉の時に親が用意したマンションで一人暮らしである。免許は持っているし、姉のお下がりの軽自動車を買い物用に持ってはいるが、学校には電車で通う。
学業の傍らのバイト程度の稼ぎでは幾ら稼いでも中々留学には足らないのは確かだが、勉学を疎かにする訳にはいかない。成績をキープは絶対条件でもあるのだ。
車を乗り回せば当然ガソリン代も掛かるし、都内の渋滞も問題だ。
小回りの利く中古のスクーターでも買って、通学用にすべきかを真剣に考える。
「……さん。聞こえているのか」
いきなり腕を掴まれながら、咄嗟に身構えて相手を見たが、〈王子様〉だった。
「……あの、何のご用でしょう?」
間が抜けていると言えば間が抜けているが、この人に貸し借りなんて無い。確かに格上の名門の嫡子様だが、別にこちらから媚を売りに行こうとなんて思っていない。
「……少し話せないか、ここは目立ちすぎる」
強く腕を握ったまま言われたが、私に話す事なんて無い。
無いが、腕を離してくれそうにもない。
「痛いです、離して下さい」
そう言っても据わったような目つきで恐怖を感じる。
「君が話を聞いてくれたら……」
幾ら美形とはいえだ、面識があるとも言いきれない程度の知人、というか顔見知り未満程度にいきなり腕を掴まれるのは怖すぎる。
私は格闘技を学んでもいないし、護衛がいる身分でもない。
「……分かりましたから落ち着いて下さい。話は聞きますが、ファミレスか喫茶店で伺います」
こんな据わった目の男と二人っきりで会えるか。
何をされるか分かったモノじゃない。
「……どうせならもっと良い店で……」
据わった目のまま腕を離さない男が、戯れ言をほざくか。
「……顔を知っているだけの誰かさんと、食事を共にする気はありません。痛いので、いい加減に腕を離してもらえますか」
慌てたようにこちらを見る王子。だが力を幾分緩めるものの、腕を離す様子は見られない。
「……分かった、行き付けの喫茶店がある。そこまで「いやです」……なぜ?」
驚いた顔をされたが嫌に決まっている。ここは彼の通う大学ではなくて、彼の住まう地域でもない。
車に乗せられて二人っきりなんて御免蒙る。
紆余曲折あったが、駅二つ分離れた駅前の喫茶店で待ち合わせして話す事に落ち着いた。注目を浴びた上に近所の喫茶店で晒し者になるなんて御免だ。
「……それで、何のご用でしょうか。合コンで一言喋っただけで、アドレス交換もしなかった人に、急に腕を掴まれる憶えはないのですが」
勿論LINEにも登録していない。
友人知己ではない、そこらのアイドル以上に目立つ御仁に校門で待ち伏せされたりすると、明日からの学生生活が不安だ。
「……君は嘘を吐いたね。俺と会った事も無いって」
「はあ」
冒頭一番こうほざくので、思わず呆れた声が出たらムッとされた。
何だ、この人は面倒な人だな。
「そうですね、私は貴方と高校が同じです。同じ学年ではあったでしょう……それで?」
「それでって、知っていたら知っていると言えば良いじゃないか」
激おこだな〈王子様〉は。
だがね。
「私は「さあ」と言っただけです。いえ確かに貴方は目立つ方でしたから存じ上げていますが、同じクラスになった事もなければ話した事もない。だから知っているとは言わなかった」
実際名前と顔と優秀だと言う事しか知らない。自分だって私を知らなかったのだから、私の言葉も嘘ではなかろう。
「エリー」
何か名前を呼んだが、西洋の名前だろうか? それを私の顔を見て呼んだ。エリーかエリィかよく分からない。
「……どなたかとお間違いですか? 私はエリィと言う名ではございません」
名家の御子息と話すときは、堅苦しくなっていけない。
普段はもうちょっと砕けた言葉だ。名家と言ったって、我が家は王子様の家に比べて華族が先祖にいる地方の小金持ちにすぎない。
なぞと明後日な事を考えたが、切なげな顔を目の前の王子様面の美形がしていた。
「私が分からないのか。生まれ変わっても一緒と言ったじゃないか」
瞳が薄い碧に変わり、気配が尋常ではないモノになっていく。
喫茶店に入り込む日差しが目を刺すように輝き、周囲の音が遠ざかっていく。
だが私の心はずっと冷めていった。
私の中に湧き上がる声をねじ伏せて、そうして声を出した……さして苦労する作業でもない。
今を生きるのは私なのだから。
「……あなた様が誰で、私がどんな風に見えているかは存知ませぬが、流転した魂を認めず、愚かにも有りもしない過去に囚われた哀れな傀儡と恋を語らう気にはなりませぬな……さ、もうお眠りなさいませ、貴方様の時はとうに過ぎたのです」
そう言った瞬間に、彼の心の表面を覆っていた何かは削げ落ちていった。
「……俺は今何か言ったか?」
しばらくしてから呆然と〈王子様〉がそう呟いたが、特に興味は引かない。
「……さあ? 何かエリィと呟いたようですが、すぐボーッとされたようです。話が終わりなら私これからバイトがあるので失礼します」
そうして珈琲代をおいて立ち上がった。ピッタリに置くところが我ながらセコいが。
「……でも」
そう言って私の腕を掴む。
「……あなたがどんなにお偉いかは知りませんが、予定の入っている女にしつこいのはどうかと思います」
腕を振り払いながら、振り向かないで喫茶店を出る。
以降も何度か待ち伏せされた。
だが私はそれ以降は取り合わなかった。
後に聞いた話では見合いを入れようと動いたらしいが、我が家程度の「なんちゃって名家」では見合いの話なぞ進む訳もなかったらしい。
私の大学も彼の見合い相手として十分なステータスでもない。むしろ話にもならないと言われるレベルだ。
何度か問い合わせが我が家に来たそうだが、我が家も下手な野心を抱く程にも地力がないのだ。
それこそ「なんちゃって名家」だから、実家も当たり障りの無い返事をしていたらしい。
次第に彼の興味も尽きたようだ。数ヶ月もすると私の周辺に彼が現れることもなくなった。
多分エリーの記憶とやらが薄れ、一時盛り上がった熱情が醒めて現実に戻ったのだろう。
私の方もあの日以来、前世の夢を見ることも無くなったから万々歳だ。
そう、夢で見る限り私の前世と思しき物は、〈王子様〉が呼びかけた、そのエリィだかエリー……かもしれない。
前世とやらの記憶としか思えない代物を夢見る。それだけなら厨二病乙なのだが。
オーラというか何というかが見える程度の不思議能力が芽生えた。
前世のエリィとやらが愛した王子様の印象が〈王子様〉と同じだった。
いやそりゃ西洋だか東欧だかの世界っぽいが、正直に言えば日本人の顔とは欠片も似ていない。
幼稚舎で始めて彼を見かけた時、印象だけが似ていた。んで私の中の彼女が、「彼だ」と叫んでいた。
愛しさと忌避感が同時に湧いた。
だって私はエリィではないのだから。現代日本で生きる普通の幼児だったのだから。
前世の彼は美貌の王子であり、私は王宮に行儀見習いの奉公が出来る程度の貴族と言うよりは準貴族のお嬢様だった。勿論王宮に仕えた有象無象であり、王子に直接に仕えた訳ではない。
立ち位置が現代に似ている。
ようやく〈王子様〉が来なくなった大学の講義を終えた一時、バイトまでの時間を大学近くの喫茶店でマッタリと時間を潰しながら、思索に耽る。
『ねえエリィ。貴女は幸福だったの?』
見初められた侍女は王子の寵愛を受ける。
これだけで玉の輿に思えるが、身分差がありすぎて何の後ろ盾もない少女は、与えられた邸宅でただただ王子が訪れるのを待つだけだった。
優秀だった王子は、正妃どころか側妃にも少女がなれない事を知っていた。色々無理をすれば高位貴族の養子という事にも出来て側妃ぐらいはなれたろう。だが借りを作るのを嫌ってかそんな話は出なかった。
だから彼女は単なる欲望処理な為だけの愛人であり、彼女自身は社交界に連れられることもなく日々が過ぎた。
王子も年齢を重ねると正妃を娶り側妃をおき、次第に美貌以外は気立てが優しいだけの少女から足が遠のく。
それは陰謀だったのか、する事もなく閉じこめられたストレスだったのか、何時しか身体を壊した。
彼女は少女の年齢から幾らも歳を重ねないうちに、与えられた邸宅でひっそりと息を引き取る。
そんな顛末だがだ、エリィはそれなりに満足したようだが、私は守られたようにも大切にされたようにも見えなかった。現代人の感覚で言っては駄目だろうが、それでも。
だから記憶が浮かび上がった幼少期、前世の美貌の王子様を好きにはなれなかった。
「……戯れに来世なら……と言ったことがあったわね王子様」
睦言だったか、お茶を共にした時だったか、肩を並べて星を見上げた時だったか。身分差が決定的な二人は、そうした戯れをよく交わした。
「でも私はごめんだわ。だって多少は見目の良い顔だけの場違い女が、〈王子様〉の家に嫁いだら……ええ幸福になるとも思えないし、何より面倒だ。それに顔だけの女なんて20代までの愛人が良い処でしょ?」
そうした思いを否定する何かは無い
だって前世の記憶なんて、権力者の子息に囲われて次第に足が遠のき怪しげな理由でただ死んだだけ――幸福でなかった前世の最期。
ロマンチックに言えば悲恋だが、ただ飽きられただけの話だろう。
涙の一つも流したか、号泣したか、気にも止めなかったか……エリィの王子様はどうしたのだろう。知る術はもうない。
そんなものだけを抱えて価値観も趣味嗜好も違う私が、目に見えない魂の絆とやらでフラフラと近づく程に人生を捨てていない。
「あの世界よりも緩いとは言え、格差婚なんて双方の努力と相性が良くなければだめなの。ましてや前世の面影なんてフワフワした夢物語で始まる恋は、現実とのギャップですぐ破綻するわね。前世のままなら大切にもされないだろうし守ってもくれないでしょう?」
だって〈王子様〉は今世の私の事なんて精々顔しか見ていない。
私は彼を見つけたが、特に何もしなかった。だから彼の事なんて知らない。
積極的に避けもしない代わりに進んで近づきもしなかった。偶然か何か、同じ学校で……幼稚舎も含めて十五年も学んでいても一度も同じクラスになる事もなかったが。
今世でも格段に格差ある家柄に能力、そんな障害のある相手の側に態々行く気にはならない。
結局エリィとは違い、前世の彼に惹かれなかった私はだ。前世の面影を色濃く残す彼に興味が湧かなかった。勿論彼とて前世とは違うが、悲恋なんて一度で十分だ。そうなる確率の高いであろう相手の内面を探りに行く気にはならなかった。
「ようやく、幼い頃から続いた前世の想いとやらが昇華したわね」
そう自分だけ聞こえるように囁いて席を立ち、私はバイト先に向かう。