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レイコとバケオのとある夏  作者: 青井在子
第一話 愛されなくて
9/41

09


「良い場所っすね」


幽霊は手すりから身を乗り出して下を覗いている。


「もう少し早いと、そこから桜が見えるんだよね」

「そうなんすか。見たかったなあ」


こちらが見せてやりたかったと思ってしまう程、心底残念そうに呟いた。


「……いつか」

「うん?」

「いつかまた、見れるよ」


ふふっと小さな桜のつぼみが綻ぶように、幽霊は笑った。そしてくるりと向きを変える。


「それで? もう話してくれますよね?」

「話せって、何を話してほしいわけ?」

「えーっと。まずどうしてグループ展に出ないのかってことっす」

「それは……、自分の絵に自信が無いからで」

「ほんとにそれだけっすか? 俺は絵のことなんにもわかんないけど、レイコちゃんの絵、なんかすごいって思うし、あの先生もそんな感じのこと言ってたんじゃないっすか?」


ぱっちりとした大きな潤んだ瞳は、まるで人懐こい大型犬のそれのようだ。見つめられていると、無視ができなくなる。


「じゃあなんだと思うの?」


苦し紛れに絞り出すと、高校生幽霊はうーんと唸ってから、私の目を真っ直ぐに見た。


「どうしてレイコちゃんは人との関わりを避けたがるんすか?」


反射的に顔を上げる。そこで今まで下を向いていたことに気が付いた。


「外を歩くときは人と目を合わさないように下向いてるし、先生との話は早く切り上げたそうだし、家に籠ってるのも人と会いたくないからなんじゃないんすか? グループ展やらないのもさ」

「だったらなに?」

「グループ展なんて、新しい友だち作るチャンスじゃないっすか!」

「友だち……?」

「そうっすよ。今まで知らなかった人と知り合って、そっから仲良くなるんすよ同じグループで活動するなんて、絶好のチャンスじゃないっすか」

「本当に……」

「ん?」

「何も知らないくせに、よくそんなことが言えるよね。私のことなんにも知らないくせに」

「だから教えてほしいって言ってるんすよ」

「だったら……!」


激昂しているのに、勢いに任せてさえ出て来ない。ずっと仕舞っておいた記憶。思い出さないように目を反らしていた日々。


「じゃあ言うけどさ、他の人には視えないものを視て気味悪がられる気持ち、わかる? 視たくて視てるわけでもないのに、勝手に映り込んで来て、無視しててもこっちの都合なんてお構いなしに話しかけてくるし……」


小さい頃はこれが普通なのだと思っていた。彼らの姿は誰にでも視えるものだと思っていた。ある日保育園の友だちに言われた。だれとおはなししてるの、と。おともだちだよ、と答えたような気がする。へんなの、れいこちゃん、ひとりでおははししてる。そう言われ出したのはそれからすぐのことだった。


母親は、私が視えない友だちの話をするのを嫌がった。誰も私の世界のことを信じてくれなかった。ただ一人、祖母を除いては。


「私が変だから避けられたり、気持ち悪がられたりするんだって気づいてから、隠そうとしたんだよ。友だちを作ろうとして頑張ってたこともあった。だけど無理なの。だって私には死んだ人たちの姿が視えるし声も聞こえるんだもん。それを否定して、皆に合わせるなんてできない」


高校生幽霊は静かに聞いている。私の口はまるで決壊したダムのように、濁流のようなことばを吐き続ける。


「視えてないふりして、皆に合わせてたこともあったよ。だけどもう疲れちゃって。そこまでして付き合ってく必要あるのかな? だって私は本当のこと、言えないのに……。だからもういい。友だちとか、もういいの」

「言ったらダメなんすか? 幽霊が視えるんだって、友だちに言わないんすか?」


純粋な彼の瞳に、思わず乾いた笑いが零れる。もう心まで乾ききっている。ずっと前から。


「言ったことだってある。なんて言われた思う? 電波だとか頭大丈夫? とかそんなんだよ。まともに取り合ってくれない。皆自分に視えないものは信じられないんだよ」

「それもそうかもっすね。俺も自分がこうなるまで、オバケとか信じてなかったし……。わかりますよ、レイコちゃんの気持ち」

「わかる? なにが?」


そのことばが妙に癪に触った。いつ死んだかは知らないけれど、それまでごく普通に生きてきた男子高校生に、私の何がわかるというのだ。


「なにがわかるわけ? 両親が自分のせいで離婚した気持ち? 母親が鬱になって自殺した気持ち? 本当のことをいくら言っても信じてもらえない気持ち? 皆に変な目で見られる気持ち? ねえ!」


心臓がどくどくと音を立てている。私のものじゃない心臓が、声を張り上げて何かを叫んでいる。痛みを感じて、左胸を抑えた。線香のぱさついた匂いがして、棺の中に白い着物を着た母が横たわっている。その光景を打ち消したくて、強く目を瞑った。


「お母さんが……」


許せなかった。今も許していない。一人だけ逃げた母のことは。一番逃げたかったのは私なのに。あれは小学五年生の夏休みで、私はいつものように祖母の家に預けられていた。そんなある日、私に別れのことばを遺すこともなく、母は自宅のマンションで首を吊って死んだのだ。


「母親も視えない人でさ。私のことを気味悪がってて、霊たちの話をするのさえ嫌がってた。でも私は私が普通だと思ってたから、何がいけないのかわかってなくて……。たぶん保育園の先生が親に相談したんだと思う。一人でずっと喋ってるとかって言ったんじゃないかな。もう顔も覚えてないけど、父と母とそのことが原因で揉めて、別れた。母親に引き取られたけど、今思えばずっとヒステリーみたいな感じだった」


マンションの中にまで霊たちは私を訪ねてやってきた。母にバレてはいけないと無視をしたり、自分の部屋に隠れて話をしたりした。そんな私の行動を不審に思った母が、たぶんあれが発狂するってことだったんだと思う。いろんなことを大声で叫んだり、物を投げたり、私や自分を滅茶苦茶に殴ったりした。


「母は最期まで私の世界を認めようとはしなかった。だんだん祖母に預けられることが多くなって、小五の夏休みに知らない間に自殺してた」


胸が苦しくて、その場にしゃがみこむ。少し興奮し過ぎたのかもしれない。もう終わったことなのに。今でも思い出すと、すべてが真っ黒に塗り潰されるような思いがする。


「レイコちゃん、ごめん、俺……」


高校生幽霊がしゃがんで覗きこんでくる。腕を伸ばしかけて、止めた。私に触れられないことに、やっと気が付いたのだろうか。私のいろんなことを聞きだしたところで、もう死んでいる人には何もできないことに、今更気づいたのだろうか。


「……嫌い。うざいんだよね。母親も友だちだと思った人も先生も、全員嫌い。だから新しい友だちなんて欲しくない。もう好きなように絵が描ければそれだけでいい……」

「ごめん、レイコちゃん、俺なんにも知らなくて……」

「もういいから、悪いと思ってんならもう関わらないでよ」


膝に手を付いて、なんとか立ちあがる。身体が重いのはきっと心がとてつもなく重たいから。心に溜まった重くて黒いものを吐きださない限り、私は捕われ続ける。だから絵を描かなくては。


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