08
翌日、指定された時刻に岡江の事務所兼研究室を訪れると、そこにはいつになく楽しげな表情の岡江がいて、私はさらに滅入った。
「今回の主催、彫刻科の三年の飯田さんって女性となんだけれど、きみの作品を見せたら気にいっていたようでね」
「見せたんですか」
「ちょうど手元にあったからね」
岡江の作業室に並ぶイーゼルには、それぞれ画風やタッチの異なる絵が乗せられている。その一つが私が先日提出した、あの高校の教室の絵だった。
「不思議なのに妙な現実味がある。ありえない現象が起きているのに、それが当たり前だと思わせるような……、そんな雰囲気があると言っていたよ」
奥歯を噛み締めた。会ったこともない人に知ったような口を聞かれるのは腹が立つ。ありえない現象? 私にはこれが当たり前なのに。ある意味では彫刻科の彼女の発言は、作者にとって大変喜ばしいことなのかもしれない。私が伝えんとしたことが、ちゃんと伝わったと言う証なのかもしれない。それを悔しく思うなんて、やっぱり私は芸術家になど向いていないのだ。
「やっぱりお断りします」
「どうして?」
「私にはそんな実力ありませんし、誰かと一緒に何かをするのって、嫌いなんです」
「それはやってみないとわからないんじゃないかな」
岡江は諭すように優しい口調で語りかける。まるで小学生相手にするみたいに。聞き分けのない駄々をこねる子どもにするみたいに。
「わかってます。私にはわかることなんです!」
だから思わずそう声を荒立ててしまった。
混じり気のない沈黙が部屋を包む。だんだんいたたまれなくなってきて、鞄を肩に掛けた。
「そういうことなので、私にはできません。それでは」
それだけ言い残して足早に立ち去った。
「ねえ、レイコちゃん」
部屋の片隅で息を潜めてずっと話を聞いていた高校生幽霊がぴょこぴょこと付いてくる。それを振り切るように、足早に校門へと向かう。
「ねえってば!」
「うるさい」
「さっきのグループ展ってやつ、参加したほうがいいんじゃないっすか?」
「関係無いでしょ」
「いつも関係無い関係無いって言うけど、あるっすよ」
「はあ? 死んでるあんたにどんな関係が在るって言うわけ?」
そのことばが口を飛び出してから、やっと我に返った。成仏もできずに彷徨い続けている魂に対して、言うべきではないことばなのだ。
案の定幽霊は、幽霊のくせして面喰った様子だった。すぐに笑うようにくしゃっと顔を歪めたが、そこには紛れもない哀しみの色が滲んでいる。
「あ、……」
何を言おうとしたのだろう。私は口を開いてそして何も言えず、閉じた。幽霊は微笑む。
「関係あるっす。だって俺、レイコちゃんに会いたくてここまで来たんっすもん。レイコちゃんのこと、もっと知りたいし」
「なにそれ……。はあ?」
「聞くまで名前も知らなかったっすけど、それでもずっとレイコちゃんに会わなくちゃって思ってたっす。俺、自分の名前もどうして死んだかもわかんないけど、それだけははっきり覚えてます」
高校生幽霊の瞳はやけに真っ直ぐで、たじろいでしまいそう。そんな私に雲の切れ間から顔を出す太陽のように、二カッと笑って見せた。
「俺、幽霊だし、もう大抵何言われても驚かないし、内緒話バラす相手もいないしさ……、だからちょっとぐらい話してくださいよ。レイコちゃんのコト」
「そういうことじゃなくて……」
「じゃあどういうコトっすか?」
口ごもる私を見て悪戯っぽく笑い、それから私の背後を一瞥した。釣られて振り向くと、授業が終ったらしく、それなりの数の人影が見える。
「どっか話しやすいとこ、行ったほうがいいっすね」
糸で操られるように頷いて、向かったのは図書館の屋上。キャンパス内の建物の多くは屋上へも立ち入ることができ、ときどき生徒がここで作業をしていることもある。かつては私もその一員だった。
春から初夏へと変わりゆく風が私の髪を揺らす。幽霊の髪は、その風とは関係なく、絶えず揺れている。