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「私、本当は優希くんの友だちじゃないんです」
そのことばを聞いた途端、母の顔から笑顔が消えていく。真意を掴みかねて、敵意を向けるべきかどうか悩んでいるようだ。
レイコが大きく息を吸う。
「私は優希くんから心臓を貰いました」
母は手で口を覆い、これ以上が無いぐらいに目を剥いて、レイコを凝視した。バケオも少なからず驚いていた。レイコが打ち明けるとしたら、霊となったバケオが現世に留まっていることだと予想していた。
「私は中学生のときに拡張型心筋症と言う心臓の病気を発症しました。移植を受けない限り完治は難しいと言われ、余命宣告まで受けました。だけど」
レイコは恭しい手つきで、左胸に触れた。
「ドナーが見つかって、心臓の移植手術を受けて、私は……今も生きています」
母の眼にみるみる涙が溜まっていく。
「……驚かせてしまってごめんなさい」
長い長い沈黙の後、母が口を開き、震える声を絞り出した。
「そのドナーが優希だったって言うの……?」
「はい」
「でもドナーが誰かなんて、教えてもらえないはずじゃ……」
「そこは……、先生の目を盗んでこっそり見ちゃいました」
「本当にあなたなの……?」
レイコは大きく頷き、そして微笑んだ。
「確かに私の胸の中にあるのは、優希くんの心臓です。優希くんが今も……、私を生かしてくれてるんです」
とうとう母の目から涙が零れ、嗚咽が漏れた。
「私に会いたくなかったかもしれません。私が生きてたって、優希くんがいないなら意味が無いって思うかもしれません。だって私だって、優希くんに今もいてほしいですもん。でもあなたに会ってみたかった。優希くんの、お母さんに」
母は顔を歪めて泣きながら何度も頷いた。そしてティッシュで鼻を噛んだあと、レイコの顔を小さな笑みを浮かべながら見た。
「あなたの中で、優希はまだ生きてるのね」
今度はレイコが聞き返す番だった
「え……?」
「あの子の言うとおりだった。優希には弟がいるんだけどね、病院で優希の意識が戻らないって言われたとき、あの子が言ったの。臓器提供しようって」
そのことばはバケオも実際に聞いていた。ずっと前にテレビを見ながら何気なく言った一言を覚えていてくれたのだった。
「そうすれば、優希は誰かのなかでまだ生きていけるからって」
レイコは息を呑んだ。左胸に当てられた手が心なしか震えているように見える。その口が鈍く動く。わたしのなかで。声を出さずにそう繰り返した。
優希は確かに死んだ。あの夏にトラックに跳ねられて死んだのだ。だけど優希のものだった臓器は、必要とする人の所へ渡って行った。その一人が、レイコだ。もちろんレイコの中に自分の心臓があるからと言って、彼女と感覚や感情を共有できるわけでもないし、彼女に影響を与えられるわけでもない。けれど優希として生まれた命の欠片は、別の誰かの一部となって今も確かに生きている。誰かが生きる手伝いをしている。
「森崎さんを助けられて良かった。きっと優希もそう言うはず。正直、あのときは優希の臓器を誰かにあげるなんて考えられなかったけど、今はあれで良かったんだなって思える。あなたみたいに、優希の一部を受け継いだ人が幸せに暮らしていてくれたら」
レイコは何かを口にしようとしたが、叶わなかった。ことばを発する前に込みあげてきた涙に邪魔をされたのだ。両手を左胸に当てたまま、しゃくりあげている。
もう温度を感じない存在のはずなのに、なぜかそっと人肌に抱かれているような温もりを感じた。
レイコが激しく泣く姿を愛おしげな目で見つめると、母は席を立ってレイコの背中を優しく擦った。予想外のことに面喰ったレイコは一瞬だけ身体を強張らせたが、すぐに緊張を解いた。
実の息子そのものでありながら、二人のその姿はまるで親子のように見えて、嬉しく思った。母がレイコを拒否しないでくれて良かった。




