28
翌日、今度は医師から臓器提供の話をされた。もちろん断ることも可能であると添えられながら。
家族は何度も話しあった。母がどうしても俺の死を認めたがらなかった。それはそれで愛されていると感じたのだけれど、俺の意志は固まっていた。誰かに俺の命の続きをあげよう。
ある日、弟は俺の財布から免許証を取り出して、母に見せた。
俺は年上のいとこから原付を譲り受けるために、原付の免許を取っていた。その裏には臓器移植についての欄がある。俺は、1、私は脳死後及び心臓が停止した死後いずれでも、移植のために臓器を提供します。を選んで、署名までしていたのだ。まさか本当にこんなときが来るとは思わなかったからこその、安易な選択ではあったのだけれど。
それを見せられてようやく母は承諾した。これが俺の意志なのだから、と。
脳死判定が二回行われ、俺の身体は手術室に運ばれた。俺を囲む医師たちが黙とうをしてくれたことに、感動した。もっと機械的に行われるかと思っていたからだ。
そうして身体にメスが入れられると、俺は俺の身体から完全に自由になった。
完全なる死を、覆しようのない死を、俺は体感した。
臓器と目玉が抜き取られた身体は、代わりに色んなものを詰められて縫合される。見た目は手術の前と余り変わらないように見えた。
俺の身体から取り出された臓器は、それぞれ別の人の元へ行くようだった。
単純な好奇心が騒いだ。どんな人に渡るのだろうと。ちょっとぐらい覗いてみたっていいだろ。そんな気がした。すぐにどの臓器に付いて行くかは決まった。もちろん心臓だ。
俺の心臓は大切な宝物のように扱われた。どこか遠くの病院へ運ばれるかと思ったら、意外にも同じ病院に入院する患者さんの元へ行くようだった。
こんなこともあるもんか、と感心して自分の心臓に付いて行くと、手術台に横たわっていたのは、俺よりもまだ幼い少女だった。
こんな子が移植をしなければ生きていけないほどの病気を抱えているのか?
何よりも手術室の天井を睨むようなその目つきが気になった。今から大きな手術だと言うのに怖がる様子も無い。どうにでもなれ、とでも言いたそうなぐらいだ。
どうしてそんな表情をするのか。興味が湧いた。もう少しだけあの子の様子を見よう。それからでもいいだろう。何がそれからなのかは分からなかったけれど、勝手にそう考えていた。
少女は病室のベッドで眠り続け、そして目を覚ました。ちょうど横で座るお見舞いのお婆さんがうたた寝をしているときだった。
震える右手をゆっくりと動かし、左胸に当てた。静かに心音を聞いているようだった。彼女の中で鼓動を刻むのは、俺の心臓だ。
それから長い息を吐き、小さな唇を動かした。腕と同様に震えた声が漏れる。
「……ごめんなさい」
透明な涙が目尻を伝って落ちる。
俺に言ったのだと、わかった。なんで謝るんだ。泣くんだ。なんでそんなに悲しそうなんだ。
俺の声は届くことなく、少女は隣の祖母が目を覚ます前に、再び眠りに落ちた。
俺はただ知りたいだけだった。どうしてあの子はあんなに悲しそうなのか。そして笑ってほしいだけだった。俺があげた心臓で、笑いながら生きてほしいと願った。彼女が笑う姿を見たら、ちゃんと行くべき場所に行こう。そう思っていたのに。
目の前にいるあの子は、相変わらず寂しげな目をしたまま、大きくなった。年を重ねたぶん、心により強固な防御壁を張って、目玉が零れ落ちそうなほど大きく目を見開いて、俺を凝視している。
「それって……」
事実を拒むかのように、ことばは途切れた。代わりに震える手が、左胸に触れる。俺は静かに頷いた。もう覚悟は決めたのだ。すべてを思い出してしまったから。おれが留まる理由も、レイコちゃんを探していた理由も。
「その心臓は、俺のだったんだ」
レイコの肩が大きく揺れた。口を開けてことばにならない音を漏らして、一歩二歩と後ずさる。それはまるで亡霊を見たかのような反応だ。実際にはそうなのだけれど、レイコにとっては慣れているもののはずなのに。
それが妙に悲しくて。
「レイコちゃん」
もう一度、細い肩がびくっと揺れた。そして口が小さく動く。ああ、あのときと同じだ。消えそうな声が俺の耳に届く。
「ごめん」
それだけ言ってレイコは、看護士の怪訝な顔も気にせず走りだした。追いかけるべきだと頭ではわかっている。だけど心がどうしようもなくそれを拒んだ。
もっと違う反応を期待していたんだ。わかってる。レイコちゃんが今まで死んでもいいって思うぐらいに傷付いてきたことは知っていたはずなのに、それでも期待していたんだ。
ありがとうって言ってもらえることを。俺から心臓を譲り受けて良かった、って言ってもらえることを。
でないと俺が死んだ意味が、無いじゃないか。
自分の心の底に潜んでいたエゴに塗れた感情に今更気が付いて、愕然とした。
俺の心臓は未だにレイコちゃんのなかで動いているけど、俺自身はもうとっくに死んでいるんだ。死者が生きている人にどうこう言えたことじゃない。
このままここに留まったらどうなるのだろう。他の霊たちと同じように、またレイコちゃんのことも自分のことも忘れて彷徨うのだろうか。レイコちゃんはこの先ずっと見当はずれな罪悪感を抱えて、心臓が動かなくなるまで生きていくのだろうか。
そうなってほしくないと願ったからこそ、今俺はここにいるのに。




