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出無精というよりもはや引きこもりの域に到達しているレイコが、先生と話すために大学へ行く水曜日以外に外出をするというのは、本当に珍しいことなのだ。というよりたぶん、バケオが出会ってから初めてのことだったのだ。
思わず行き先を尋ねると、病院だと答えられた。レイコちゃんが病院に行く。見ている限り健康そうなように思えたけれど、なんだか妙に引っかかるところがあって、反対を押し切って付いていくことにした。
病院は隣町にあった。病院へ向かって緑色の桜並木の下を歩いていると、突然胸の中を風が吹き抜けるような心地がした。実体が無いから普段から風は通り抜けまくってるわけだけど、そういう意味ではなくて。
心に冷たい風が吹き込んで、でもじんわりと温かくなるような。その温かさに涙が出てくるような。
懐かしい、と感じた。
「……なんかここ、見覚えあるっす」
思わず立ち止まって呟くと、少し前を行くレイコが、え、と小さな声を漏らした。
刹那、全ての音が遠ざかるなかで空気を震わす一つの音だけが耳に届いた。
夏の制服を着た高校生が、原付に乗って走っていく。どこにでもいそうな男子高校生だが、何故か彼から目を離せなかった。
低い音とともに少年は去っていく。それとともに辺りの景色が戻ってきた。
「もしかしてバケオが通ってた高校、とか?」
「いやー……、さすがにわかんないっす」
「案外この街に住んでたのかもね」
レイコは大して気に留める様子も無く、軽い調子でそう言って歩き出した。
だけど俺は、今までとは違う何かを、ことばで表すことのできない変化を確実に感じていた。
レイコのことばどおり、病院内はこれまで訪れた場所のどこよりもはるかに人口密度というか、幽霊密度が高かった。あっちを見てもこっちを見てもいる。レイコはできるだけ気づかれないようにしているせいか、挙動不審気味だ。対して幽霊たちに全く興味を持たれないバケオは、待合室の掲示物を眺めたりそこにいる人々を観察したりしていた。
どうもここに来てからというもの、喉に魚の小骨がひっかかっているような、目の中に睫毛が入っているような、なんとなく鬱陶しい、無視しようとしても気になってしまう、そんな感じがしている。
さっきの並木道ほどではないが、この場所も知っているような気がする。
レイコの言うとおり、この近くに住んでいて、この病院を利用したことがあるということなのだろうか。
バケオが一人考え込んでいるうちに、レイコの名前が呼ばれ、診察室へと入っていった。さすがに付いていかないほうがいいだろうと判断し、そのまま待合室で待つことにした。
待ち時間に比べて診察時間は短かった。薬でも受け取って帰るだけかと思い、レイコに付いていくと人気のいない廊下で声を潜めて告げられた。
「今から着替えるし、検査で脱ぐこともあるんだから、こっからさきは付いてこないでよ」
検査と言うことばが引っかかった。だってさっき診察してもらったのではないのか。さらに検査を受けなければならないほど、重大な疾患でも抱えているのだろうか。心配と不安が過る。
「検査ってなんの検査なんすか?」
「言ってなかったっけ? 心臓だよ」
レイコは事もなげに答えたが、バケオの焦りは増した。
「心臓……? レイコちゃん、心臓病なんすか?」
「昔、ね。今はもう大丈夫なんだけど。もう時間無いから後で話す! じゃ!」
「あっ、待って!」
くるりと踵を返したレイコを呼びとめると、心なしか少し苛立ったような声音が返ってきた。
「なに?」
そのレイコの様子に何か意味のあることを言わなければ、と必死に考えてでてきたのがこれだった。
「俺、この病院に来たことある気がするんす」
「え?」
レイコの目が見開かれた。たった一音だけのことばが、妙に長く聞こえる。顔だけで振り返っていたのを、身体ごとこちらに向けた。このままだと検査なんてすっぽかしてしまいそうだ。
「レイコちゃんの検査の間、いろいろ見てくるっす!」
何も言わせまい、とそれだけ言って、レイコの前から姿を消した。




