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とはいえ、手紙を書くと言っても幽霊となってしまったおばさん本人に文字を書くことは難しい。あくまでも難しいだけで、できないわけではない。幽霊たちは実体を持たないけれど、物を動かしたり自分の想いを具現化させたりすることができる。それがいわゆるポルターガイスト現象として認知されるのだが。だけど一言メッセージのような文を残したり、手形を表したりという事例は聞いたことがあっても、手紙のような長文を遺したという例は聞いたことがない。
だから私が代筆を務めることにした。駅前のビルの書店の文房具コーナーで薄い花柄の白いレターセットを購入し、近くのファストフード店に入った。平日の昼間ということもあり、ちらほらとケータイ片手に食事をするサラリーマンや学生と思わしき姿が見られる程度だった。普段は滅多に食べないのだが、ハンバーガーとドリンクとポテトのセットを注文し、外からもレジからも他の客からもできるだけ死角になるような席に座った。
ハンバーガーを食べ終えると、バッグからさっき購入したばかりのレターセットとボールペン、それから普段メモ代わりにしているB6サイズのリングノートを取り出し、さて、と意気込む。
そしてB6ノートにペンを走らす。
『なにを書きたいの?』
バケオは右隣でトレーに散らばるポテトを恨めしそうに見ている。
「そうねぇ。まずは急に逝ってごめんなさいって言うこととね。葬式だったりいろいろと迷惑を掛けたりしたから……」
『具体的に。手紙の文章になるように』
私の走り書きを見たおばさんは、ちょっとまってちょうだいねと言って思案し、それからぽつりぽつりとことばを紡ぎ始めた。
私はそれを書記係のように、ようにというか実際そうなのだけれど、拾ってノートに綴っていく。
母より、で締めくくられた一連の文章を、おばさん本人に読んでもらいながら、私とそれから微力ながらバケオも意見を挟みつつ、推敲した。
手紙を認めることは嫌いではない。むしろメールやチャットをするよりも好感が持てる。返信を一分一秒単位で急かされることはないし、こうやって一度書いた文章を時間を掛けて練り直すこともできる。相手の返事を心待ちに数日を過ごすことだってできる。それになにより筆者の文字が、そこに書かれた内容とともに感情を伝えるのではないかと思う。それは行間から感情を匂わせる小説やことば以外に託した絵画などと言った芸術にも通じるものがあるのではないかと思う。
幼いころ、まだ母と二人で暮らしていた当時、私は息苦しい生活のなかで、祖母から届く温かくて優しい手紙だけを心の拠り所にしていた。ときどき電話もしたけれど、電話は受話器を置いた瞬間に終わってしまう。だけど手紙は何度だって読み返すことが可能だ。そしてそのたびにおばあちゃんの筆跡とことばが、私を護る繭のように包んでくれたのだ。
ノートへの下書きが終わり、白い便せんに移し替えて行く。人様の手紙を代筆するにあたって、いつもより丁寧な字で、誤字や脱字をしないように気を使うと、思ったより骨が折れる。具体的に言えば猛烈に肩が凝る。
おばさんの娘さんの名前、夏実へ、から始まるその手紙は実に便箋十枚分にも及んだ。
完成したそれを三人で覗きこむように読み返す。
「……これで良いわ。伝えたいことは全部書けたと思う」
おばさんが穏やかな笑みを浮かべてほっと息を吐いた。
「何言ってるんですか、まだこれからですよ」
「え?」
バケオもおばさんも揃って目を剥いた。
「手紙は渡してなんぼでしょ」
ファストフード店を出て、自転車に跨る。
「おばさん、ここから夏実さん家までの道、わかる?」
「もちろん、夏実は実家暮らしだし、わかるけど……」
「よし、じゃあ道案内お願いね」
バケオの呆れた声とおばさんの驚きに満ちた短い声が同時に漏れた。




