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レイコとバケオのとある夏  作者: 青井在子
第二話 母と娘
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そうしてバケオと私の奇妙な共同生活が始まった。とはいえ霊を屋敷のなかに入れるのにはさすがに抵抗があるのと、バケオ自身が遠慮したこともあり、大抵やつは庭にいる。松の植え込みの脇の岩に腰かけたり、霊の猫二匹と遊んでいたり、ときには開け放たれた戸から私の作業風景を眺めていたり。


気が付けば季節は六月を迎えていた。毎年この時期になると春学期末の課題制作に取り掛かる。今日はその件も含めて相談をしようと大学に向かっていた。自転車を漕ぐ私の横をバケオがひょこひょこと付いてくる。碌に返事をしない私を尻目に彼のお喋りは止まらない。湿気が多いせいで汗が蒸発せず、気持ち悪い。そろそろ汗ふき用のハンカチをもう一枚持つべきだな。そんなことをぼんやり考えていると、白髪交じりの髪を上品に整えたおばさんと目が合った。バケオのあ、という短い声がする。


「できるだけ無視して」


声を潜めて忠告する。慌ててバケオは口を噤んだが、確実に私たちがことばを交わす場面を見られていた。


「すみませんが……」


案の定すぐ近くで細い声がして、肩を竦める。


「あなたには、私たちが視えるのですね?」


髪を結いあげた五十代ぐらいの女性が、気後れした表情をしながらそう確認してきた。その声音に何か依頼されることを予感する。


「そうですけど。でも今忙しいんでまたにしてもらえますか。では」


通行人に一人で話しているところを見られないように、俯き加減で呟く。そして彼女を振り払うようにペダルを踏む足に力を込めた。

キャンパス内の駐輪場に自転車を停めるころ、バケオはようやく口を開いた。


「ほんとレイコちゃんって毎日大変っすね」

「ていうか、あんたを連れてるせいで前に増して悪化してる気がする……」


へっとバケオから気の抜けるいかにもあほらしい声が出た。


「今までは目が合ったぐらいで話しかけられることって少なかったのにな……。そりゃあ幽霊連れて歩いてれば視えてますよーって言ってるようなもんか」

「えっもしかして俺のせいっすか?」

「そう思うなら早くいろいろ思い出してさっさと成仏して」

「ひど! 友だちになったんじゃないのかよー……」

「それはそれ。これはこれ」


キャンパス内の木陰にはスケッチをしている生徒の姿も見られる。そろそろ期末課題が迫り、単位の為に登校してくる生徒も増えるころだろう。同じ大学に籍を置いているというだけで名も知らぬ彼らの視線を拾わないように歩く。そんなに簡単には人は変われないのだと、心の中で自分とバケオに言い訳をして。


「おはよう。今日は暑いね」


岡江は自分の制作室にあるイーゼルの内の一つの前に座り、手には筆を握っていた。


「邪魔、しましたか?」


岡江はにっと歯が見えるぐらい大きな笑顔を浮かべた。


「もちろんそんなわけはないよ。きみが来るまでの暇つぶしも兼ねて描いていたんだ」


彼の影越しに見えるキャンバスには、下塗りのぼんやりとした輪郭だが、頬の線の丸い女性が赤ん坊を腕に抱いている光景が浮かびあがっている。二人は親子にしては年齢差があるような、祖母と孫あたりだろうか。まだ下書きの段階であり、暇つぶしだと言われていたにも関わらず、その絵には胸の奥をそっと抱かれるような温かみがある。


「それで、期末課題の件なんだけどね」


岡江はイーゼルの前から立ちあがり、事務机の引き出しを開け、その中からクリアファイルを取り出した。


「これ」


そのファイルに挟まっていたプリントの一枚を手渡される。卒業制作展の案内という見出しが躍っている。


「もうですか?」


卒業まではまだ一年半ほどあるのに。不審に思って尋ねる。


「その案内は今年の四年生に向けたものなんだけどね。早めに目を通しておくに越したことはないと思って。それで今回の課題は、私からのテーマは特に出さないよ。その代わり、なにかしら卒業制作に繋がる作品にしてほしい」

「まだなんにも考えたこと無いんですけど……」


明確なテーマを出されるよりも、外からのヒントを得られないぶん難しい。これは今までより時間が掛かりそうだと、近い未来が思いやられた。


「だからこそだよ。それに、まあやりたいことなんてそのときどきで変わるだろうから、現時点でのイメージで良いんだよ」

「と言われましても……」

「詳しいことは案内に書いてあるし、きみも先輩の展示は見たことあるだろうと思うけど、キャンパス内だったらどこを使ってもいいんだ。油彩は室内に飾られることが多いけど、別に屋外だって構わない。そういう展示された場面も含めて考えてみてほしいんだ」

「展示された場面……」

「そう。作者としての目線だけじゃなく、見る側の目線も含めてね」


そのことばは少なからず私に衝撃を与えた。今まで見る側の目線なんて考えたことはない。いつも自分のなかで渦を巻く感情を、ひたすら外に投げつけるように描きだしていた。

岡江のことばを新しい視点だと驚くと同時に、受け入れられない反抗心のようなものが湧きあがった。


「わかりました。考えておきます」

「提出は七月の最終週の金曜日までだから。よろしくね」

「はい」


次回のアポイントの確認をして、岡江の事務室を後にする。


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