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09.バイト、始めました

※以前投稿したものを修正しました。

 蒼真は耳を塞いだ。勝手口から自分を呼ぶ声が聞こえる。心当たりが片手では数えきれず、彼は知らぬ存ぜぬでカウンターの上にみかんの皮を広げた。

 外は北風が鳴きながら通り過ぎていく。冬の陽はもう傾きかけていた。


「昼間からお酒は駄目だって、何回言わせるんですか蒼真さん。飲むにしてもちゃんと分別して、資源ごみです」


 口に房を運ぼうとしたその時。それは取り上げられてしまった。見上げれば、エプロン姿の暁が眉をつり上げている。蒼真は目で奪われたみかんを追った。


「寒いんだし、冬の間くらい許してちょうだいよ暁クン……」

「駄目です」


 一蹴して、暁は蒼真の隣に腰を下ろした。彼女は蒼真から取り上げたみかんを、ヒーターの前で暖まっていた黒猫に差し出す。蒼真が取り戻そうと手を伸ばすが既に遅く、山吹は黒い尾を揺らしてみかんと共にどこかへ去っていった。


「最近の暁クンさ……オジサンに手厳しい気がするんだ」

「当たり前です。バイトとは言え、働いてますから」

「いやでも、オジサン初々しい暁クン見てるの好きだったから……」

「辞めても良いですけど、部屋の片付け、一人で出来るんですか」


 出来ないです。あと、辞めないで下さい。

 聞き取れるか聞き取れないかの声がした。暁は息をつき腰に手を当てる。


「私、まだ本に触れてもないですし」

「だって、まだ学生なのに、こんな世捨て人になるかならないか、なんて。すぐには決められないでしょ」


 蒼真は苦笑する。懐から煙草を取り出した彼は火をつけ、一息ついた。その前に暁が灰皿を差し出したので、彼は礼を言って受け取る。


「暁クンには家族だっているんだし、まだまだやりたい事もあるんだから。大切なこの先、ゆっくり決めてよ」

「もしかして真面目なお話しですか」

「暁クン、やっぱり冬に入ってから言動まで冷たくなってない……?」


 蒼真は肩を落としながら煙草をくわえ直す。


「暁クンはあんな目にあっても、まだここに有るものが素敵だと言ってくれる。俺としてはそれだけでも、充分」

「売る以外の仕事も、やっぱり有るんですか?」

「まあ、有るにはあるよ。俺が好きでやってるだけなんだけど」


 暁が膝を進めてくる。蒼真はカウンターに頬杖をついて目を閉ざした。ヒーターから伝わる暖かい空気が2人を包む。吹き付ける北風に、窓が小さく震えていた。


「俺がやってるお仕事は、ここで本を管理して売る事。そして、もし返ってきた本があるなら、それを買い主の望み通りに処分すること」

「処分って……せっかく戻ってきたのに、捨てちゃうんですか?」

「買い主がそう希望するならね。基本的に、みんなそうして欲しいって言うよ。もしくは、白紙に戻して欲しいってね」

「白紙に、戻す……?」


 暁の口からは次々と質問が出てくる。こう言う時でもなければ、彼は店についてなかなか口を開いてくれないのだ。

 蒼真は手近にあった本を一冊とる。中身も無ければ、題目も今はまだ無い。


「これは確か、十年前に手紙つきで戻ってきて、その年に俺が白紙に戻したヤツ。手紙には持ち主から、家族には秘密にって事で、処分か、消しておいてくれとあった。だいたい、ここに返ってくる本には、そんな内容のお手紙つきだよ。もちろん、買い手の許可なくして、俺も中身は見ない」

「よく覚えてるんですね」

「そりゃあ、この本は俺が手を加えた、数少ない内のひとつだからね。例えそれが白紙に戻すお仕事でも、手は抜かないし、覚えてるよ」


 ぱらぱらと捲り、蒼真は本を閉じる。その口角が僅かに持ち上がるのを、暁は見ていた。

 もうひとつ、と蒼真は違う本を手に取る。それは絵本の様だった。題目もちゃんと書いてある。実に読みにくい文字だ。


「これはもうずっとここにあるけど……。返ってきた本が、買い手の厚意で中身もそのまま。必要なら売っても構わない。って、ヤツ」

「自分の夢を他人に……」

「まあ、もう死ぬから関係無いって考えの人は、気にせずくれたりする時もあるのよ。内容は置いといてね」

「蒼真さんは内容確認、とかもするんですか」

「売ってる身だし、ね。たまに売っちゃいけなさそうなのも出てくるし。それも、買うか買わないかは、全部お客が決める事だから、店には置くけどさ……」


 蒼真はぎこちなく目をそらした。


「オジサンもさ……色々な夢、見てきたけど、未だに強烈なのとか、思い出すとご飯食べれないから……」

「そう、ですか……」


 口元を覆う蒼真。あまり聞くべきではなかった様だ。

 咳払いをして、彼はでもね、と暁を見る。


「おっかない夢を遺していく人もいれば、この間の俺のお気に入りみたいに、綺麗な夢を遺してくれる人もいる。その辺りが面倒で、オジサン楽しいんだ、この仕事」


 そう言って、彼は歯を見せて笑った。

 本を元に戻す蒼真の背を眺め、暁は笑う。


「何、どしたの暁クン」

「ここの本、好きなんですね」

「ん……? ああ、まあ……好き、だよ」


 蒼真は歯切れ悪く答えた。先ほどまでと比べて、返事は素っ気ない。


「どうして顔を背けるんですか」

「いや、ほら……今日はこれくらいにして、学生はもう帰らないとね」


 頬を引っ掻いて、彼ははぐらかす。蒼真はそそくさと立ち上がった。どうやら質問コーナーは終わりらしい。

 暁は仕方なくエプロンを外した。店奥の勝手口にそれを戻しに行くと、山吹が自身の艶やかな毛を熱心に舐めている。また明日。と暁が告げると、彼もなあ。と鳴いた。

 鞄を持って暁が店に戻る。入り口では、なぜか蒼真が外に出る支度をして待っていた。


「どうしたんですか」

「んー。煙草とお酒を買うついでに、暁クンのお見送り」

「まだ飲むんですか」

「大丈夫、大丈夫。オジサン、ちゃんと加減してるって」

「そんな薄着で、風邪ひかないで下さいね」


 蒼真が暁の背を押して急かす。ため息をつきながら、彼女は促されるままドアを開けた。身を切る様な風が顔にかかり、二人は思わず体を縮ませる。真上には、うっすらと星が見えていた。蒼真が寒い寒いと言って腕を擦っている。暁は言わんこっちゃないと自身のマフラーを首にかけてやった。

 ドアが軋んだ音を立てて閉じていく。店の時計が重く、時が進むのを知らせていた。




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