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05.フィクション

※以前投稿したものを修正いたしました。

 空気が重い。肺が沈む。無意識に、暁は胸を押さえた。周囲の景色は異様さを増していく。ドブ色の空は、赤黒い粘土の空に変わった。廃墟がぽつぽつと増え始め、その形は家屋からビルになる。割れた窓や半分に折れた高層ビル。とても見慣れたものではなかったが、それらに見覚えはあった。


「……ふたつ隣の、駅?」

「ああ。俺もその辺りだと思う」


 自分は学生なものだから利用はしないが、確かに駅前のオフィス街に似ている。

 山吹は常に辺りへ視線を滑らせていた。


「具体的な夢は、現実に影響力が強い。いつ、どこで、誰と、何を、どうした。夢で成功させる事はそう難しくない。例外もなきにしもあらずだが、今は置いておこう。夢の主導権は全て自分にある。夢で起こった出来事が現実でも成功すれば万々歳。失敗すれば、夢の主は現実との差に悩ませられる」


 極端な例だ。と、山吹は人差し指でくるくると宙に円を描く。


「夢の中で、お嬢が俗に言う魔法を使える様になり、勉強にも宿題にも悩まされることがなくなったとする。魔法少女と言うやつか」

「え」

「例えだ」


 暁が声を漏らしたのは例えについてではなく、彼の口から魔法少女なる言葉が発せられたことにある。見かけによらず娯楽映画など観たりするのだろうか。暁は思わず彼の顔をまじまじと眺めていた。


「次に、目覚めたら教室だった。どう思う」

「安心しますよ……。あとたぶん、ちょっとがっかりします」

「逆に、本当に魔法が使えたら」

「驚いて目と耳を疑います。嬉しいですけど」

「そう言うものだ。お嬢は、自分の目と耳を疑うことだろう。しかしそれと同時に、夢で叶った事は現実でも起こりうる、と言う自分の力に対する自信も、過剰に得られる。まあ、この例えではまず無理なんだが」


 山吹の口元から八重歯がちらりと覗く。


「非現実的であればある程。そんな事が起きるはずが無いと、あらかじめ深層心理かどこかが拒絶する。その深層心理も、夢では利きにくい。夢なら何だってあり得ると言う、思い込みがあるからだ。夢では全て自分の思い通りになっていき、その自信は肥大化していく。

 しかし現実に戻った瞬間。夢は露と消える。そんな万能の力はあるはずもない。むしろ、夢で当然の様に出来ていた事が何一つ出来ない。自信の喪失は、見ていた夢に現実味があるほど大きい。

 先ほどの例えでは具体性が薄い上に、現実味も無い。現実とかけ離れ過ぎた夢の世界を作るには、本人の創造力も必要だ。故に、現実にもありえそうでありえないくらいの夢が、自信を得るには調度いい具合だろう。それが、個人によっては危うい」


 彼は赤黒い空を指した。


「あの盗人はおそらく、以前購入した夢に現実を投影し過ぎたんだろう。自身の周辺環境をそっくりそのまま夢に映して、夢では何でも上手くいっていった。だが、現実では思い通りにいかない。夢と現実の行き来を繰り返し、その差に堪えられなくなった。

 だから、今回はそっくりそのまま持ってくるのを止めた。そのまま現実を持ってくるのではなく、都合の良い箇所だけを夢に反映させる。あの盗人にとって、空が赤いとか、そんな事は些末だ」

「この世界がこんなに廃墟ばかりなのは……?」

「それも奴の望みだろう。世界が滅亡すれば仕事も家庭も、全て関係なくなる。そうして、自分に優しい、都合の良い世界に閉じ籠っている。と、言った所ではないかな?」


 山吹は口元に手を当てる。その仕草は何処と無く蒼真に似ていた。


「奴の近くまで来たのは間違いないだろう。人工物も増えたしな。後は、この中からどう探しだして、シバくか、だ」

「し、シバく……?」

「嫌でも覚めてもらうには、痛い思いをするのが一番てっとり早いからな」


 暁の反応に山吹は首を傾げている。何も乱暴する必要はないのではなかろうか。暁がそう口を開こうとしたが、山吹の手に塞がれた。何が何やら分からない内に、暁は廃墟の中へと連れ込まれる。

 視線で問いかけると、彼は指を唇の前に立てた。静かにしていろ、と言う事らしい。素直に山吹の腕の中で大人しくしていると、遠くから金属が擦れる音が近付いてきた。それはこちらへ向かってきている。軋ませながらゆっくりと、こちらへ。

 暁が視線を山吹から割れた窓の外に向けると、そこにマネキンが通りかかった。いや、マネキンと言って良いのか。ショーウィンドウに綺麗に飾られた物とは、全くの別物だ。

 有刺鉄線がぐるぐるに巻き付けてあって、それが擦れて耳障りな音を発している。マネキンにしては、妙に生々しい肌色をしていた。その頭部には写真が張り付けられてある。恐らくは証明写真だが、証明写真の割りに、妙に不鮮明だった。


「お嬢、アレの後をつけるぞ」

「な、何ですか……。アレ……」

「あの盗人が造り出した物には違いない。何かはまだ俺にも分からないが、動いている所を見ると、あの盗人にとっては重要なものなのだろう。でなければ、動かす必要はないからな」


 山吹は小声で行くぞ、と続けた。息を呑んで暁もその言葉に従ったが、その後ろ姿を見ているだけでも手のひらに汗が浮かぶ。マネキンらしきものは町の中心に向かっていた。体を軋ませながら、廃墟の中を進むその画はさながらホラー映画だ。


「お嬢、気を付けろ」


 山吹の声は鋭い。「何を?」と聞く程の気力もなく、黙って頷く。が、しばらくして彼女はそれを後悔した。

 マネキンは一本の細い道を通り抜けて行く。その後ろを、腰を低くしてつけて行くと、急にビルの森が開けた。

 崩れたビルの上には、あの男。彼の周りにはずた袋がたくさん積んである。サンドバッグの様に。その結び口からは、先ほどのマネキンの手足がはみ出ていた。

 暁は口元を手で覆う。夢の中のはずだと分かっているのに、悪臭が鼻をつく。ひどい臭いだった。何の臭いかは知りたくもない。

 先ほどのマネキンが男の元へ向かう。彼はそれに気付くと、何やらぶつぶつと一人言を口にしていた。そしておもむろに、マネキンの頭部へ持っていた鉄のパイプを躊躇なく振り上げる。


「お嬢の教育上、あまり宜しくはないな」


 山吹の手がその寸前の所で、暁の目の前を覆った。

 鈍い音が繰り返し叩きつけられる。狂った様に笑い声が響く。彼の言う通り、見ない方が良さそうだ。

 山吹に背中を押され、一旦その場を離れる。山吹の手が、屈みこんだ暁の額の汗を拭った。


「恐らく、あの様子じゃあ人間関係で揉めたんだろう」

「……殺したい、ほど?」


 彼女はやっとの思いでそう返した。うっすらと、吐き気も覚える。


「マネキンに顔写真張り付けたくらいなら、まだ腹いせの域だ」

「で、でも、なんか、ひどい臭いしたし……」

「あのまま続けてたら、いずれそうなるな」


 そうなる。とは、想像している事態になってしまうのだろうか。それだけは戴けない。青くなる暁に、山吹は安心しろ、と頭を撫でた。


「この夢から覚めれば、全ておさらば、だ」

「でも……あの人は……」

「他人の人生をお嬢が憂いても仕方ない。たまたま、あの男の深層心理を見ただけで、無関係だ」

「いつか……人を殺してしまうかもしれないのに……?」


 確かに深く関わりたい、などとは思わないが、納得いかない。この先の可能性を知ってしまった。それを見て見ぬフリをして、もしそうなってしまったら。

 暁は言葉が見つからなかった。


「お嬢。もしあの男を助けたいのなら、それはここを出てからの話しだ。でなければ、元も子もないだろう。今あの男を救ったって、ここは夢だ」


 山吹は暁の目を見てゆっくりと諭した。その静かな口調に合わせて、暁はなんとか呼吸を繰り返す。

 彼は金色の目を細めた。光の反射に輝くそれは、満月の様だ。


「あの盗人をひき止めた時も驚いたが、お人好しが過ぎるのも問題だぞ、お嬢」


 ぐりぐりと頭を撫でられる。背が縮みそうだ。暁は涙ぐみながらも、彼の言葉を噛み締めた。彼の言葉は全て最もだ。ここで何をした所で、現実が変わる確証は何一つない。

 ここは夢の中だ。

 山吹は立ち上がって息をついた。


「さて。俺はどうにかして、あの男に近付いてこよう。お嬢はここで待っていてくれ」

「でも夢の主導権……? は、あの人にあるって……」

「俺は化け猫だからな、お嬢よりは影響を受けにくい。受けにくいって、だけだがな」


 山吹は屈伸をしたり伸びをしたり、実に猫らしからぬ動きをしている。


「蒼真が迎えに来るのを待ちたい所だが、お嬢の精神が保たないのでは意味がない。ここはお嬢のために、山吹が一肌脱いでやろう」

「山吹さんが……?」

「猫でも恩返しは出来るのだぞ。日頃の猫缶への礼だ」


 たまに買ってくる、あの猫缶の事を言っているのだろうか。

 口角を持ち上げた山吹はそう残して、消えた。影も形もなく、消えた。暁が驚いて辺りを見渡しても、気配すら無い。しん、と不気味な静寂が辺りを包む。途端に内臓が重くなって、暁はまた座り込んだ。悪臭と共に吐き気が戻ってくる。こんな所から一刻も早く立ち去りたい。そう思い膝を抱えてうずくまりながらも、彼を信じて待つことにした。




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