03.探し物ですか?
※以前投稿したものを修正いたしました。
暁は夢想堂への寄り道を一時的に止めなければならなかった。学生の本分とは勉学であり、それを疎かにしてはいけない。例えそれを望まなくとも、だ。
定期試験からようやく解放された暁は、久々にあの寂れた建物を訪ねた。赤レンガの建物は変わらず蔦に覆われていたが、その蔦もだいぶ秋に色づいている。妖しささえ感じるその佇まいに、今は安堵すら覚えた。しばらく数式は見たくない。
気分よく暁がドアを開くと、なんと人がいる。驚いた彼女以上に、その人物は驚いた様子。
慌てて道を空けるも、男は暁を睨み、更に店奥を一瞥した。恐らくは、カウンターで煙草をふかしている蒼真を睨んだのだろう。その男は荒々しく、無言で立て付けの悪いドアを閉めて去った。
「おー。久しぶり、お嬢ちゃん」
「お客さんですか」
「んー。昔のね」
蒼真は新聞を眺めている。暁がカウンターの隣に腰を下ろすと、定位置となっていた膝の上に黒猫が丸まる。
「昔のお客さんって、どういう意味です」
「この店には決まりがあってね、お嬢ちゃん」
新聞を畳みながら、彼は肩を竦める。
「一人一冊。それ以上は売らないんだよ」
「どうしてですか?」
「ここの本は一冊で十分だからだ。それ以上は多すぎる。薬も、過剰に飲めば毒になるだろう」
本が毒になる。彼女はそれを聞いて首を傾げる。そんな事があるのだろうか。それとも、夢見がちなのは良くない。と、彼なりの遠回しな忠告なのか。
どちらにせよ、暁にはしっくりこなかった。曖昧な返事をする彼女に、蒼真は苦笑の様なものを浮かべる。
「ま、お嬢ちゃんには関係の無さそうな話だ」
そうである事を願うよ
蒼真はそう続けて煙草の火を消した。彼は新しい煙草の箱を探し、辺りをひっくり返す。なかなか見つからず、散らかすばかり。蒼真に暁は痺れを切らした。数週間いなかっただけでこの有り様である。
仕方なく一緒になって煙草の箱を探し出した暁は、翌日。休日にも関わらず掃除用具一式を自転車に乗せ、店に押し入るのだった。
赤レンガを覆う蔦は葉が落ち始めた。吐く息もその内に白くなりそうな頃。夢想堂へ向かう途中に、暁は雨に降られた。生憎と、傘は持っていない。
彼女が店に入ると、玄関に水溜まりが出来てしまった。流石にこのまま本の山へ向かう訳にはいかない。
暁は蒼真にタオルを貸して貰おうと、彼の名を呼んだ。しかし返事はない。代わりに、暗い店内で見慣れない人影に気付く。男も暁に気付くと息を呑んでこちらを見た。
秋口の頃に、入り口ですれ違った男だった。
「すいません……。てっきりまた蒼真さんしかいないものだと……」
彼女はつい謝罪を口にするも、はて。と目を瞬いた。雨が降って薄暗いのに、店の明かりはついていない。カウンターに、蒼真の姿も見えなかった。
「あの、店主を知りませんか」
「……知らないな」
男はそう言って、彼女の横を抜けて行こうとする。暁はその前に立ち塞がった。彼は怪訝そうにこちらを見下ろす。息を呑むも、暁は彼の後ろを指した。
「お金を払ってないのに持ってくのは、泥棒ですよ」
男は顔を真っ赤にした。それでも彼は出て行こうとする。暁は咄嗟に男の手を叩いた。渇いた音を立て、本が開いて落ちる。
声を荒げた彼より先に、暁は本を取り上げた。知り合いの店で泥棒を見逃す訳にはいかない。そう思ってとっさにこんな事をしてしまったが、さて。この先、どうすれば良いのだろうか。
男の手が本の表紙を掴んだ。紙がぱらぱらと捲れ、白紙の中身が見えた。
どうして、白紙の本を。
そう思った時には、彼女の意識はすとん、とどこかへ落ちていった。その間際、聞き慣れた猫の鳴き声を耳に残して。