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第1話:二人の悪魔

 俺はいつ道を間違えたのだろうか。


 札幌市の豊平川沿いにある小さなオフィスビルの一角。

 蝋燭の炎の揺れる薄暗い会議室の窓辺で、自らの思考を反芻し、この先止まることのない思考を続けていた。


 結露で白く濁った冷たい窓を手で擦ると、凍空(いてぞら)の下にある札幌の街並みが姿を覗かせる。

 拡がるのは一面の銀世界、その雪景色の中に戦災で焼け爛れた家屋や崩れた橋が浮かんでいる。

 

 だが豊平川の氷は溶け、豪雪は止み、人の命を刈り取る北海道の冬はその終端を覗かせている。

 人の営みとは対照に、自然は何食わぬ顔で春への準備を始めていることに、どことなく小さな安堵を感じた。

 

 冬が終われば春が来る。

 腹いっぱいの米を食って温かい床につける。

 人としての尊厳を保ちながら死ぬことが出来る。

 そんな当たり前のことにさえ安心感と果てしない愛おしさを覚えるほど、大人が居なくなってからのこの一年は尊厳の破壊、そして死と隣り合わせの日々だった。



「……来たな」


 会議室のドアの向こうから微かな足音と共に騒々しさを感じ取る。

 

 さて、仕事の時間だ。

 

 ベージュの高校制服(ブレザー)の襟を再び正しながら、迷うことなくドアの元へと足早に向かう。

 これから行われるのは、委員会が喫した「敗戦」の終着点。

 東豊(とうほう)四〇〇〇人の(たみ)、ひいては十万を数えるであろう全ての札幌の人々の命を背負った大仕事だ。


 大きく深呼吸をし、覚悟を決めた直後。黒く重厚なドアがゆっくりと開く。

 姿を現したのは、俺と同じベージュの高校制服(ブレザー)に身を包み賓客を案内する東豊の職員と外交官たち。

 

 そしてその後ろに控える、身長二メートルはあろうかという巨体の青年。

 長く伸ばした焦茶色で癖の強い髪、隆々とした身体のラインが浮き出る使用感のある鼠色(ねずみいろ)のコート。

 その上から熊から直接剥いだ皮を、討伐のトロフィーを見せびらかすように羽織っている。

 

 噂に聞いた通りに、野蛮や勇壮という言葉をそのまま描き起こしたような容姿。

 こいつが皇帝、輝井(てるい)雄御(ゆうおう)か。

 

 だが臆している暇はない。

 入室した皇帝の前へ立つと同時に、頬に自信と意思を充填しながら口角を上げ、何度も繰り返した自己紹介を口にする。


「お初にお目にかかります、皇帝陛下。東豊(とうほう)学園自治委員会・委員長、藤原(ふじわら)英治(えいじ)と申します」


「――ふむ、お前があの神谷(かみや)圭介(けいすけ)の後任か。次期委員長は決めてあると言っていたが……人を見る目まであるとはな」


 雄御は自ら名乗り返すこともなく、顎へ手を当てながら俺と目を合わせる。

 その言葉が手ずから葬った故人への手向けの言葉なのか、それともただの世辞なのかは分からない。


「ハハハ、お気に召して頂けたようで何よりです」


「だがその(へりくだ)った口は気に入らん。お前自身の言葉で余と話せ。(もてな)されるのは悪い気はしないが、好きではない」

 

 ――そういうタイプか。

 仮にも国を名乗る組織の皇帝、下手(したて)から行くに越したことはないと思っていたが。

 常識が通じないとなると、これもまた皇帝の我儘(わがまま)だな。


「……分かった。これでいいか」


 毅然とした態度でそう返すと、雄御はそれで良いと言わんばかりに口の端を上げてみせた。

 

 読めない男だ。

 実際に対面して、その印象が確かになった。

 

 

「お話の最中失礼します、ではこちらの方で上着の方をお預かり――」


「触れるなッ!」


 東豊の職員の一人が雄御の熊皮へ不用意に手を伸ばすと、雄御がその顔面へ強く肘を打つ。


「大丈夫かっ!?」


 壁へもたれ、服を血で汚す職員へ反射的に駆け寄ろうとするも、その行く手を雄御に阻まれる。


「ふんっ、捨て置け」


「なっ!?」


 反射的にそう漏れ出る。

 「目の前で血を流し倒れる同胞を捨て置けとは何様だ」

 血管の沸き立つ感覚と共に、そんな言葉が喉まで出かかった。


「余は今日、藤原英治との会談のために訪れたのだ! 弱き者に構う(いとま)はない、これよりここは強き者の場とする! 余を含めた帝国の代表二人と藤原英治以外は今すぐこの部屋から去れ!」


 その言葉を耳にすると共に、外で待っていた見慣れた顔の外交官や警備兵たちがぎょっとした表情を浮かべる。

 廊下へ目を向ける雄御の表情は見えないが、彼らの表情から鋭い眼光を向けているだろうことは分かる。


(隣で待っていろ)


 あえて言葉にせず、その中で俺が最も見知っている外交官を取りまとめる男へ顎で指示を出す。

 彼らは一瞬戸惑った表情を浮かべるも、倒れた職員を担ぎ、ゆっくりとドアを閉めて渋々去っていった。


「……すまない、職員へ事前に伝えておくべきだった。これは(ほか)でもない俺の落ち度だ」


 苦く不本意な言葉を口にすると共に、雄御は俺へ期待の籠もった視線を向ける。

 さっきの職員へ向けていた徹底的なまでに蔑む目とは、根底から異なるもの。

 職員への非礼を詫びるよう伝えたいが……それは勝者と敗者という間柄においてはあまりにも立場を弁えていない願いになってしまうだろう。


 「しかし……帝国の代表二人とはいったい? 最後の一人はどこに?」


 同時に、さっきの言葉への疑問が湧いてきた。

 想定していたのはお互いの組織の元首(リーダー)である俺と雄御、そして外交官を含めた十名ほどの会談。

 二対一ともなれば、予備知識などの差で俺が極端に不利になりかねないのだが……。

 

 雄御の我儘によって崩れたプランを振り返っていると、雄御は何かに気がついたように眉をピクッと動かした。


「そうだ、紹介を忘れていたな」


 横へ一歩ずれ、その巨躯に隠れていたものを明かす雄御。

 そこに隠れていたのは透き通るほど薄く青い髪を持った、色白かつ小柄な少女。


「……!?」

 

 だが耳や口元に付いた夥しいほどの数のピアスが、その可憐な印象を覆す。

 雄御を凌駕するほど鋭利で冷徹な(まなこ)が視界に飛び込んでくると同時に実感する途方もない息苦しさ。

 彼女と同じ空気を吸うだけで、肺が凍てついたのではないかと錯覚するほど。

 

 その雰囲気を例えるならば。

 雄御は、血で汚れつつも飾られた剣。

 殺しや暴力を是とするも、その根底には確かな熱がある。

 

 対してこの女はギロチンやアイスピックのような、人を殺すためだけの形をした凶器。

 

 経験則上、向き合えばなんとなくその人間性というものは見えてくる。

 だがこの女の大きく黒い瞳の奥にあるのは……底知れない、虚無だ。

 

「紹介しよう、彼女は輝井(てるい)青花(せいか)だ」


 雄御の言葉ではっと我に返る。

 呼吸を再開し、虚無に吸い寄せられていた目線を二人の間へ向け直す。


「輝井青花です、よろしくお願いします」


 頭をペコリと下げる小柄な見た目とは反対に、青花の声色は据わっていて想像よりも歳上の印象を受ける。

 

 しかし――テルイ、か。

 雄御の苗字と同じだ。

 であればこの二人は夫婦、もしくは兄妹の間柄なのか。


「……紹介も済んだことだ。時間はたっぷりあるが、無限ではない」


 探りもほどほどに、その言葉で俺たちは席へと向かう。

 雄御がまだ名乗っていないことに気が付いたが「それは言わずとも知っているだろう」ということを、無言のルールとして受け取った。

  

 机の上に置かれるのは、二本の油性万年筆と大きな蝋燭。

 その間にある冷えた椅子へ一対二で向かい合う形で席に着き、皇帝の側には煌々と光る石油ストーブが鎮座している。

 

 窓から差し込む弱い陽の光が、二人の顔右半分を不気味に照らす。

 そして雄御は、僅かに前のめりになり開会の言葉を発した。


「さあ、始めよう。この戦争の終着点となる講和会議を……!」


 

 ――講和会議。

 これが史書なら「豊平講和会議」とでも名付けられるのだろうか。

 手始めに、脇に置かれたカバンから一枚の書類を出す。


「まず、こちらをご覧いただきたい。内容は会議の進行についてです」


 この講和会議では、東豊が議場の準備から会議の進行を進める手筈になっていた。

 運びの手順は開会宣言から相互の調印権限確認、秘密の公開非公開の確認。

 そこから草案のすり合わせ、議事録の作成、そして条文の整理と清書。

 もっとも、その進行を担う議長はこの皇帝によって追い出されてしまった訳だが……。


「煩雑な手順ですが、正式な手順に則って行うと、このような手順になります」


 書類を雄御へ差し出すも、彼はそれを手に取らない。

 代わりに、青花が手にしてサラッと読み込む。


「この運びなら、開会宣言、調印権限確認、秘密の公開非公開に関する確認は飛ばし、議事録の作成も簡素なもので良いでしょう」


 彼女はかなりの文量に素早く目を通し、はっきりとした声で返してみせた。

 なるほど、彼女が雄御を補佐する帝国の頭脳(ブレイン)ということか。

 それならば話は早い。


「であれば、早速草案の擦り合わせから入るということでよろしいですか」


「はい、それで構いません」


 そうか。であれば、どちらが先に草案を示すかという話になってくる。

 勝者と敗者の間柄、どちらが先に条件を示すべきかは明白だ。

 だが、それで問題ない。俺の出す「草案」は、後手からでも通ると確信している。


「では差し支えなければそちら側から草案の提示を――」


「待った」


 そこへ雄御が待ったを掛ける。

 青花へ向けていた視線を皇帝へ戻すと、テーブルへ両手を突いて大きく前のめりになっていた。


「余は先に、東豊の草案を聞きたい」


「……理由をお聞きしても」


「単に興味があるからだ」


「興味……?」

 

 俺が頭の上に疑問符を浮かべていると、雄御は童心さえも覗かせるような表情でこちらへ語りかけ始めた。


「今日は三月七日。大人が(みな)突然と消えて俺達子供たちの世となり、もう一年が過ぎようとしている」

 

 その目には企みや策謀といった合理性はなんら受け取れない。

 草案提示の先手を譲るのだ、そこに合理性などあるはずがない。

 

 しかし……そうか、三月七日か。

 確かに、来月の十日であの「消失」から一年が経つ。

 

「あれ以来、我ら千歳(ちとせ)帝国は多くの者を蹂躙し、奪い、支配してきた! だが、その過程で一つだけ個人的な悔いがあったのだ」


 ……この男はいったい何を言っているのだ。

 蹂躙し、奪い、支配しておいて。それとは余所事へ悔いだと?

 

 奇遇なことに、その熱く語る男を冷ややかな目で見るのは、俺だけでなくその隣の青花も同じであった。


「それは……敗者の声を聞けなかったことだ。特に導く者でありながら命を張った者の声は惜しかった。そして――神谷(かみや)圭介(けいすけ)もその一人だった」


 その名に、思わず全身が跳ねる。

 あいつと過ごした学園生活、この過酷な一年を右腕として過ごした日々、そして自ら帝国へ投降するのを見送ったあの夜。

 数々の記憶が瞬く間に脳内を駆け巡ると共に、心の奥底へ封じていた真っ赤な何かが迫り上がってくる。


「彼は銃殺刑に処される最期の瞬間までほとんど口を聞かなかった!」


 耐えろ。

 机の下に隠した握りこぶしの中、親指の爪を中指へ立てる。


「唯一聞けたのは『後任は俺を凌駕する』の一言だけ」


 錯乱してはダメだ。

 下唇の内側を、摘むように噛み締める。


「惜しい、男だった!」

 

 ――殺しておいて……惜しい男……だと?

 瞬間、脳の血管が音を立てて膨張する。

 

 だが――大きく息を吸い込むと共に、圭介の言葉を思い出す。


『お前のやり方でいい。俺の死んだあと、委員会を頼む』


 そうだ。

 もう俺はただの藤原英治じゃない。

 東豊学園自治委員会委員長の藤原英治だ。

 俺の判断一つで、四〇〇〇の命の足場が揺らぐのだ。


「……なるほど、だからその後任である俺の『声』を聞きたい、と」


 トーンが崩れていないか心配になりながらも、その言葉をなんとか捻り出す。

 

「そうだ、純粋なお前の提案を聞かせてくれ!」


 雄御からの反応は上々。

 ――ひとまず、感情的になるのは避けられた。


 

 怒りを抑え込むことと代償に先手を譲ってもらえるのであれば、やりやすいことこの上ない。

 今だけは彼の幼さに感謝だな。


「分かりました。なら最初にこれを」


 カバンから二枚の書類……東豊側の草案を纏めたものを取り出し、一枚を差し出す。

 もう一枚は控え兼カンペだ。


「講和においてまず始めに確かにしておきたいことがあります」


 俺がそう告げた直後、青花へ目配せをする雄御。


「……なんでしょうか」


 不気味な笑みを浮かべながらそうこぼす青花。

 ……交渉はあくまでこの女が執り行うということか。

 予想もほどほどに提案へと戻る。


「それは、帝国の持続性についてです。正直なところを申し上げると、奴隷の徴発と略奪を基軸としたやり方には持続性が無いと言わざるを得ません」


「……なるほど」


 黙って話を聞く雄御の横で、目を細めながら口角を上げる青花。

 ――何かが刺さった。確かな手応えを感じつつ、その続きを語る。


「消失から一年、旧文明の食料はとうの昔に底を突きました。これからはもう旧文明時代の食糧品に依存することは出来ません」


「つまりですが、略奪によって生計を立てる方針から、安定した農業生産で食料を供給する体制に移行しなければ、帝国に未来はないということでよろしいですか?」


「はい、そうです」


「――であれば、それは我々とて望むところです」


「……!」


 書類へ目を通し終わったのか、俺の語ったことの結論を先に述べ、それを追認する青花。

 理性的な対話が出来ないと思っていたわけではないが……ここまで話の核心を素早く共有できるとは考えてもいなかった。

 だがそれとは対照的に提案が気に入らないのか。

 その横に座る男は黙り込んだまま表情を曇らせている。


(もしやこの二人、事前に方向性を調整できていない……?)


 そんな可能性が脳裏に浮かんだが、ここで考えても仕方がない。一旦は他所へ置いておこう。


「ご納得いただけたようで何よりです。そしてですがもちろん――」


 次に紡ごうとする言葉に、僅かに躊躇する。

 これを口にすれば、俺は札幌の裏切り者になるのではないか。

 だが――今の帝国と札幌の力量差では、こちらから提案するしかない。

 全ては機を熟し、友へ、愛校へ、故郷へ報いるため。

 意を決して口にする。


「もちろん、貴国の奴隷制についても尊重します。安定のために人数制限は行いたいですが、帝国による奴隷徴発権も約束致しましょう」


「良いでしょう。どちらにしろ、帝国側も奴隷の管理には限界があります。ですが、徴発する奴隷の制限については――」


「東豊としては、札幌全土から月間八〇(はちじゅう)を制限とするのが望ましいです」


 先んじて打ったその言葉に、眉をピクつかせる青花。


「帝国側から提案できるのは百二〇(ひゃくにじゅう)です」


「では九〇(きゅうじゅう)で」


一一〇(ひゃくじゅう)


九十五(きゅうじゅうご)が限界です」


(ひゃく)。これ以上の譲歩はできません」


「……良いでしょう。札幌全土から月間百の徴発を約束します」


 おそらくだが、互いに過大要求の交渉を行っていたのだろう。

 奇しくもその着地先が、元より想定していた月間百人へ着地したことにどことない安心感を覚える。


「分かりました。であれば帝国としても制限を遵守すると約束できます」 


 その言葉に胸を撫で下ろす。

 ひとまず第一段階。

 破滅的な略奪や徴発の継続だけは避けることができそうだが……見知らぬ誰かの人生を天秤に乗せたことが、俺の心臓に確かに棘を残す。


 しかし、一つだけ懸念というか、疑念のようなものが浮かんでいる。

 さっきから横の皇帝が黙り込み、何も口にしないのだ。

 

 会議の全権をこの女に譲っているのだろうということはなんとなく察せるが、それにしたって不満があるのならば口にすれば良いだろうに。

 まあ、実質青花との一対一になっているのはやりやすいことこの上ないが。


「ですが……一つだけ質問が」


 そんな洞察もほどほどに、ハッとした表情を浮かべた青花が軽く手を上げてそう問い返してきた。

 その表情は、興味や好奇心といったものが満ちている。

 横の男がさっきまであった熱意を失っているだけに、それが乗り移ったんじゃないかとすら思えてしまう。

 

「何でしょうか」


「『札幌全土からの徴発を約束する』とは一体どういうことですか?」


「……」


 よりによってそこを突かれたか。勘の鋭い女だ。

 事実、札幌の一組織でしかない東豊が札幌全土からの奴隷徴発を行う約束を結ぶのは甚だしいにもほどがある。

 

 ……まあ良い、提案の順番が多少前後するだけだ。

 

「それについては、裏面を御覧ください」


「裏面……」


 数行ほど読んだところで、彼女の目が大きく見開かれる。

 同時に紐を結ぶようにキュッと締めていた口の端を上げながら、その表情を歪ませていった。


「これは……なるほど……フフフ……! ハハハハハッ!」


 裏面を読み込んだ青花は、目の端に涙粒を浮かべながら、この講和会議という場に似つかわしくない高らかな笑い声を上げる。


「はー……あなた、藤原英治でしたっけ? 悪魔にでもなるつもりですか?」


「悪魔……」


 札幌を焼き、奪い、支配しようとしている人間らにそれを言われたくはないが……何も知らない札幌の民衆から見たら、俺は悪魔に見えるに違いない。

 だが、それが故郷札幌の未来のためになるのならば。


 なってやろうじゃないか、悪魔に。


「簡潔に言いましょう。我ら東豊が、札幌の間接統治を担う大役を願い出たい」


「間接統治!?」


 雄御が眉を寄せながら疑問を口にする。


「……要は帝国に代わって東豊が札幌を治め、そこから得られる利潤を帝国へ献上しようということです」


「なんだとッ!?」


 その言葉に、真っ先に反対を示したのは雄御だった。

 両腕を机に勢いよく突き立て、俺へ責めかかる。


「なぜそんなことをする必要があるッ!? 我ら帝国は今に至るまで千歳、恵庭、北広島を征服してきたッ! なのになぜ――」


「……雄御」


 俺を責め立てる雄御の(そば)

 青花が不敵な笑みを浮かべ、蝋燭の炎をじっと見つめながら冷たく囁いた。


「だが姉さん! それではあまりにも――」


「雄御」


 再び、ゆっくりと、しかし威圧的に名を呼ぶ青花。

 

 まだ意見を口にしようとしたのか。

 雄御は僅かに口を開くも、最後には口を閉じ、顔に諦念を浮かべながら席に着いた。

 

 ……今、俺は何を見た?

 姉さんと言ったか?

 この二人は姉弟だったのか?

 

 いや違う。そこじゃない。

 今この勇壮な皇帝と、何の肩書を持つかも分からない女の間に、確かな力量差を見たのだ。


 まさか。

 帝国の真の支配者は――


「どうされましたか? 続きを」

 

 蝋燭からこちらへ目線を戻し、まるで皇帝の戯言など無かったかのように続きを促す青花。

 外見は何も変わっていない。

 にも関わらず、その瞳の奥に潜む冷徹さに先にも増して慄いてしまう。

 僅かに足が震え、靴底がカタカタと音を鳴らす。


 だが臆すな。

 仮にそれで意見を出し渋るようなことがあったら、それは終生の恥だと思え。


「……提案の理由を話しましょう。理由は主に人口、面積、そして帝国の統治能力の三つが挙げられます」


「詳しく」


「これはあくまで推測の話にはなりますが、札幌の人口は消失、そして社会の崩壊を経ても、十万から十二万が残っている見込みが強いです。対して、帝国側の人口はどれほどでしょうか」


「……奴隷含めて一万五〇〇〇といったところでしょうか」


「加えてここに、活発な反帝国活動が起こる見込みと、広大な面積まで加わります。更に……忌憚のない意見を申し上げるのならば、帝国の統治機構も東豊の目線からすると不安定と言わざるを得ません」


 事実として、帝国は「拡大」こそしてきたものの「統治」は行っていないと聞く。

 征服地にいる人間を奴隷化する「支配」だ。

 しかし帝国の人口を考えると、既存の奴隷や領土に加えて札幌まで武力占領を継続するのは不可能に近い。


「それだけではありません。東豊は農耕技術者の派遣という形で既に札幌各地へネットワークを築いており、それを維持できるだけの行政機構をも保持しています。仮に間接統治を行うとした場合、東豊を同盟先として選ばない理由は無いでしょう」

 

 事実、東豊を始めとした一部の自治組織以外は、まともな組織を持ち合わせちゃいない。

 技術者派遣の制度を政治利用することを圭介は望まないかもしれないが――死者の理念を叶えることと実務はまた別ということだ。

 

 さて、これだけメリットを示した。

 あとは向こう次第だが――。


「東豊側の草案提案、しかと受け取りました――――では、帝国側からも草案の提出を行わせてもらいます」


「……!」


 来た。帝国側の草案。

 もっとも、二つ返事で承諾してもらえるとは最初から思ってはいない。

 幾らか草案の擦り合せは必要だろうが、一体どんな屈辱的な条文を――。


「……嘘だろ」


 ()()()()()()()()()()()に、思わず声を洩らす。

 基軸となる条項は「東豊学園辺境統政府」の設立。

 そしてそこの下部には、俺が提案ほぼそのままの間接統治案が記されていた。


「フフフ、驚かれましたか。帝国としても、間接統治は元々考えておりました。もちろん、間接統治の実行を担う適役が東豊であることも見定めてのことです」


 悪魔と悪魔、まさか思考まで似通っているとは……。

 思考が似通う者同士、今後先を読まれる可能性もあるが……それは向こうとて同じ。

 

 似た者同士の騙し合いに発展する未来までをも自然に予測できてしまう。

 一歩間違えた未来が怖くもあるが……これは面白くなりそうだ。

 

 口元を手で軽く覆い、その下で小さく苦笑した。


「しかし、帝国としてはその下部の条項。軍備制限と、食料の上納だけは受け入れていただきたい」


 だが、当然俺の案がそのまま通るはずはない。

 手を書類へ戻し、続きを読み込む。

 

 条文には軍備は常備人員五〇〇名以下に制限、必要に応じて上限拡大という旨。

 そして設定されたノルマに応じ、食料を税として上納を行う旨が記されていた。


「……軍備制限についてはそのまま呑みましょう。ですが、食料の上納量についてはどのような基準で数量を決定するのかお聞きしてもよろしいですか」


 軍備については、むしろ現在の東豊の軍事組織――東豊自警団の団員数は五〇〇名の定員を割り込んでいる。

 しかも必要に応じて上限拡大という条項付き。

 そこまで粘る必要もないだろう。


 だが、食料は事情が違う。

 ここの基準を厳密にしなければ、最悪の場合東豊という組織が、文明が滅びかねない。

 軍備制限をそのまま呑んででも交渉しなければ。


「基準は場合によりけりです。帝国側の不作や東豊側の収穫見込みにより、上納額を決定する方針です」


 ……上手く濁したつもりかもしれないが、要は分からないということか。

 安全保障に関することを浮いたままにするとは、帝国の傲慢さここに極まれりだな。


「お言葉ですが、東豊からの奴隷の徴発数によっては収穫見込みなど簡単に上下します。せめて生産高の割合などでの上納を検討いただけないでしょうか」


「ふむ……」


 顎に手を当て、相互の草案を見比べ合う青花。

 さすがに、そこまでは考えていなかったのか。十数秒ほど無音の時が流れた。

 

「――では、このような条項はいかがでしょうか」


 青花はあちら側の草案の控えに何かを書き込むと、テーブルを滑らせるようにこちらへ差し出した。

 目を通すと、第三条に追加の条項が記されていた。


「なるほど。東豊直轄領からの奴隷徴発の禁止――」


 ……待て、今何と書いてあった?

 あまりにも衝撃的な条項に、思わず思考が止まる。

 だが何度読み込んでも「東豊直轄領からの奴隷徴発の禁止」とそこに記されている。

 

「札幌は広大です。東豊から奴隷を徴発できなくとも、我々としては何の問題もありません。もちろんノルマ制は維持の前提になります」


 ――ほう、なるほど。なるほど。なるほど。

 「東豊直轄領からの奴隷徴発の禁止」を、奴らは何の影響もないと踏んでいるのか。

 なるほどな。

 

 だが、それは――()()()()()()()だ。

 

 心臓が素早く鐘を打ち、机の下で握った左の掌から手汗が滲む。

 故郷が焼かれ、友を殺され、今こうして屈辱的な和平に調印しようとしているにも関わらず。

 俺は今、かつてない程に興奮している。

 

 奴らが今目の前で犯した失敗を楔に、一泡吹かせる方法を思いついてしまったのだから。


「――分かりました、であればノルマ制及びその他条文をそのままお受けいたしましょう」


 だが、あくまで平常心だ。

 過度に態度を変えては、腹の内を探られてしまう。


「では分かりました。最終調整に移りましょう」


 最後、青花が互いの草案を元に条約の清書を行った。

 

 字を書く仕事でもしていたのだろうか。素早く、そして丁寧な文字。

 経歴は分からないが、一年に渡って圭介の右腕として努めて来た俺に並ぶだろう政治能力。

 全く底が知れない女だ。


「――清書が出来ました、ご確認ください」


 清書は四枚。互いが二枚ずつ預かる算段だろう。

 全て一字一句違わなく、また互いの草案に記されていた条文や口頭で擦り合わせた意見などが余すことなく記されている。

 そしてもちろん、東豊直轄領からの奴隷徴発の禁止の条項もきっちりと全ての清書に記されていた。


「内容がよろしければサインを」


 全ての文書へ油性の万年筆でサインを行う。

 帝国側でペンを持っている人間は……やはり青花か。

 しかも、文書にはきちんと「雄御」の名が刻まれている。

 もはや、俺の前では実態を隠す気も無いらしい。


「……では、本日の交渉はここまでということで」


 席から立ち上がる青花。

 それに伴い、俺と雄御もその場から立ち上がる。


「最後に……これから良い関係を築いていきましょう、藤原英治閣下」


「……」


 青花は俺へ机を挟んで右手を差し出した。

 ……侵略者との握手など、いよいよ悪魔と間違われても文句は言えないだろう。


 だが、それで良いのだ。

 悪魔になり、力を蓄え、楔を打ち――そして復讐する、徹底的に。

 友を、東豊を、札幌を弄んだ罪を償わせるのだ。


「それはこちらとしても望むところです、輝井青花殿」


 固い決意のもと、青花の冷たく、細い掌と握手を交わした。


――――――――――――――――――――――――――


【豊平講和条約】

※設定資料なので読まなくてもヨシ!


二〇二六年三月七日、札幌市豊平区にて署名

二〇二六年四月十日を以て発効するものとする


前文

前人未聞の大災害たる「消失」以来、千歳帝国の努力によって石狩平野南部の秩序は確立された。

札幌諸政府には、その秩序の維持と繁栄のために帝国へ従属することを求め、

また本条約は、北伐の正当な報酬として帝国が札幌を支配下に置く旨を定めたものであることをここに確認する。


全文

第一条(統治)

東豊は「東豊学園辺境統政府」として帝国に従属し、帝国に代わって札幌全域の統治を代行する。

一、統治に関する具体的な施策は、別途制定される統治基本法に基づいて行うものとする。

第二条(貢納)

東豊を含む全札幌は、生産した食料品を帝国へ貢納する義務を負う。貢納は毎年六月及び十二月の二度とする。

一、具体的な貢納高は、帝国が貢納期限日の二ヶ月前までに指定するものとする。

二、芋、麦、雑穀等の主食類は貢納高をカロリー単位で指定し、魚介類、野菜類等はキログラム単位で指定するものとする。

三、帝国が指定した保存の効かない食品については、二度の貢納によらず、別途締結する通商条約の定めるところにより通商路を拓くものとする。

第三条(奴隷徴発)

帝国はその奴隷制を維持するため、毎月一定数の奴隷を札幌より徴発する権利を有する。

一、奴隷の徴発数は、男女を問わず毎月百人を上限とする。

二、奴隷の徴発に関する実務は、帝国の氏族軍が執り行うものとする。

三、東豊直轄領からの奴隷徴発は、これを一切禁ずる。

第四条(従属諸政府)

以下の十一の札幌主要構成政府は東豊の統治下に入るものとする。

中央区、手稲、石狩、江別、豊平、厚別、白石、北区=琴似、西部連盟、清田、石山

一、上記政府に帝国もしくは東豊への反抗の兆しがあった場合、東豊は速やかにこれを鎮圧する義務を負う。

第五条(軍備制限)

東豊学園辺境統政府の常備兵力は五百名を上限とする。

一、治安維持その他やむを得ない事由により増員が必要な場合は、帝国の承認を得た上で上限を拡大することができるものとする。

第六条(発効)

本条約の各条項について、東豊及び千歳帝国の外交団による最終調整と合意を経た上で、豊平講和条約は二〇二六年四月十日より発効するものとする。

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