1-6 メイド服のプレリュード
――翌朝。アマネシエル宅。
窓から差し込む朝日が白いカーテンを透かし、柔らかな光が室内を満たしていた。鳥の声と、何処かから微かに香るパンの匂い。目を覚ました俺は、ぼんやりと天井を見上げ――次いで、隣に視線を向ける。
そこには、俺の腕にしがみ付くようにして眠るアマネの姿があった。乱れたシーツに白い肌が覗く。血の滲んだ皺が、昨夜の出来事を静かに物語っている。
「ふわ……せつくん、おはようございます」
アマネが、まるで夢の続きを擦るような声で瞼を開けた。
「おはよう、アマネ」
「せつくん……夢じゃないんですね」
「俺はここにいるよ」
「初めてがせつくんで、私、とっても幸せです。まだ夢を見てるみたいです」
頬を紅潮させながら、恥ずかしそうに笑う。俺はその頭にそっと手を伸ばし、純白の髪を優しく撫でた。アマネは擽ったそうに目を細める。
――あの、快活でよく笑って、真っ直ぐに物を言う天音ちゃんが。今は、どんな卑劣な命令にも従うよう躾けられた「メイド」として、この世界に立っている。
全部、俺の所為だ――そんな感覚が、胸の奥底で錘のように沈んでいた。
「アマネ、取り敢えず服着な。風邪引くぞ」
「はい、せつくん」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
身支度を整え、食卓に着く。テーブルの上には、朝から場違いな程豪勢な料理が並んでいた。サラダ、スープ、焼きたてのパン、果物。彩りも盛り付けも丁寧で、料理本の紙面のようだ。
「……張り切ったな」
「ふふ。せつくんに喜んでいただけるように、料理の練習、頑張ったんですよ?」
アマネは嬉しそうに微笑む。その横で、俺は昨夜の戦闘で使ったスリングショットを手の中で弄んでいた。
スリングショット――Y字型の棹にゴム紐を張り、弾とゴム紐を引っ張って手を離すと、ゴムの反動を利用して弾が勢い良く射出される――所謂、パチンコだ。
「いただきます」
安全性の高い柔らかい弾を使用して玩具としても利用されるが、狩猟用の武器として用いられたり、大型のものは攻城兵器・カタパルトとして用いられたりする等、十二分に武器と呼べる代物だ。
「これ、使いやすかったな」
視線をスリングショットへ落とす。重さ、ゴムの張り具合、手に馴染むグリップ。昨夜の混戦の中でも、思った以上に意のままに扱えた。
「せつくん、よろしければ差し上げます」
「いいのか?」
「はい。元はせつくんに再会出来たらお渡ししようと思っていたものです。この新世界では、ユニークスキル発現の影響か、モンスターも各地に現れるようになりました。武器がなければ生きていけませんから」
「そうか、有難く貰っておくよ」
俺がそう答えると、アマネは安堵したように微笑んだ。
「せつくん」
「ん?」
「私、せつくんと――お付き合いしたいです」
「――ぶふっ!」
あまりにも直球な言葉に、飲んでいたスープを盛大に噎せた。アマネが慌てて立ち上がる。
「――す、すみません、せつくん!」
「い、いや、いいんだ、大丈夫」
胸を押さえながら咳き込み、何とか呼吸を整える。その間も、アマネの大きな瞳は一瞬足りとも俺から離れなかった。
「せつくん、私、本気でせつくんのことが好きなんです。お願いします。私を彼女にしてください」
真剣そのものの眼差し。冗談や憧れといった生易しい温度ではない。三百年以上の時間を掛けて凝縮された、重たい想いがそこにある。
――それに応える資格が、今の俺にあるのか。
「……ごめん、アマネ」
絞り出すように口を開く。
「俺にその資格はないよ」
アマネの表情が、一瞬止まった。目が大きく見開かれ――次の瞬間、ツー、と大粒の涙が頬を伝う。
「あっ……」
慌ててポケットからハンカチを取り出し、その涙を拭った。
「せつくん……私のこと、嫌いですか……?」
「そんなことはない。アマネのことは好きだよ」
それは紛れもない本心だった。だからこそ、簡単に頷ける話ではなかった。
「でも、ごめん。今の俺に、『彼氏』を名乗る資格はない」
「せつくん……」
「俺は――自殺したんだ」
「えっ」
アマネの肩が、びくりと震えた。
「本当は、そこで終わっていた。真冬の海の底で、全部、放り投げてきた筈だった。……気が付いたら、このエーデル村にいた」
「やはりそう……だったんですか。ニュースで知ってはいました。せつくんの白骨化遺体が、海底から見つかった、と」
アマネは椅子から立ち上がり、迷いなく歩み寄る。そして、そっと俺を抱き締めた。
「せつくん、辛かったですね」
耳元で、静かな声がする。
「大丈夫です。私はせつくんの味方ですから」
「理由……聞かないのか?」
「はい。せつくんが話してくださる時まで、お待ちします」
まるであの日、公園のベンチで「逃げてもいい」と言ってくれた少女のように、今度は俺の逃げ場を一つ用意してくれている。
「……ほんと、狡いな、アマネは」
力が抜けたように笑うと、アマネも目尻を少しだけ緩めた。
「ありがとうな、アマネ」
アマネは俺の隣に腰を下ろし、真っ直ぐ視線を合わせてきた。
「せつくん、突然未来に飛ばされて、混乱されていますよね?これからどうされるかは、決めておられるのですか?」
「さあな、何がなんやらだしな……」
少しだけ肩を竦める。
「十傑でも目指してみるか……?」
「はい、せつくんならきっと大丈夫です」
「……アマネ、その敬語、何とかならないのか?昔みたいに話したいんだが」
「ふふ、すみません。私もそうしたいところなのですが癖付いてしまいまして」
「まあ……慣れればいいか」
無理に変えろと言うより、その言葉遣いごと今の彼女なのだろう。
「アマネ、一週間くらいここで世話になってもいいか?新世界のこと、ユニークスキルのこと、出来る限り勉強してから旅立ちたい」
「もちろんです。私も、せつくんのことをエーデル村の皆さんにご紹介したいですし。……そうしましょう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「アマネシエルちゃん、良かったわね。会いたかった人に会えたのね」
「ふふっ。はい」
村の広場。朝の柔らかな光の中、村人達が集まっていた。アマネは俺の腕にぴたりと寄り添い、嬉しそうに笑っている。あの日以来、彼女は本当に――笑ってしまうくらい、俺から離れようとしなかった。
「セツナ兄ちゃん!バルボロ様倒したってほんと?」
「セツナお兄ちゃん!鬼ごっこしよー!」
子供達が無邪気に駆け寄って来る。
後で聞いた話だが、バルボロは「陸軍大佐」という肩書きに胡座を掻き、この村でやりたい放題していたらしい。金品の強奪から女への強要まで、枚挙に暇がない。そんな男を叩き潰したことで、俺は図らずも「英雄」扱いされていた。
「セツナさんが来てくれて、本当に助かりましたぞ」
村長が、深々と頭を下げる。
「……いや、俺はただ、ムカついたから殴っただけですよ」
そう返すと、村人達は声を立てて笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それからの一週間。俺はアマネと共に、エーデル村周辺の森で只管戦い続けた。
茂みを掻き分け、モンスターの気配を探る。飛び出してきた緑色の豚頭――オークの眉間に、スリングショットで一撃を叩き込む。鈍い音を立てて、巨体が前倒りに倒れ込んだ。
「〈エフェメラリズム〉……手に馴染んできたな」
アマネから貰ったスリングショットには、〈エフェメラリズム〉と名付けた。日本語で「刹那主義」や「享楽主義」を意味する言葉だ。今を切り取って撃ち抜くような感覚が、妙にしっくりきたのだ。
足許には、スライムにゴブリン、オークと多種多様なモンスターの亡骸が転がっている。数えていなかったがこの一週間でざっと四十は倒しただろうか。スライムにゴブリン、オーク――異世界モノの定番どころは粗方倒しただろう。
紙煙草にオイルライターで火を点け、フィルターを通して肺に煙を送る。そして思いっ切り煙を吐き出した。
「お疲れ様でした、せつくん」
茂みの陰から、アマネが顔を覗かせる。いつものメイド服の裾を押さえながら、森の様子を窺っていた。
「ああ、アマネ。そろそろ行くか」
「はい、せつくん」
俺達が森を抜けると、視界の先にエーデルワイスの白い海が広がる。その手前に――村人達が、びっしりと並んでいた。
「「――セツナー!!アマネちゃーん!!」」
笑顔と涙が入り混じった声が、一斉に上がる。
「セツナー!!アマネシエルちゃんを泣かすんじゃないぞー!!」
「セツナさーん!アマネシエルちゃんをよろしくなー!!」
「セツナ兄ちゃーん!必ず十傑に名を連ねてエーデル村の名前を売ってくれよ!」
「いつでも帰って来いよー!!」
「アマネ姉ちゃーん!!いつも遊んでくれてありがとー!!!」
子供達が全力で手を振る。老人達は目尻を下げ、女達は涙を拭き、男達は笑いながらも何処か名残惜しげに目を細めている。笑い声と嗚咽が混ざり合い、澄んだ空へと溶けていった。
アマネは袖口で涙を拭い、それでも笑っていた。その笑顔は、あの春、公園で見せていたものと同じ色だった。その笑顔を見て、胸の奥がじんわりと熱くなる。前世ではこんな風に、旅の門出を祝ってくれる人が果たしていただろうか。
「せつくん……私、この村、大好きです」
アマネが、エーデルワイスの海を振り返るようにして呟く。
「そうだな……。またいつか、帰って来よう」
約束するように言葉を返す。
こうして俺とアマネは、旅に出た。当てもなく。ただ、心の赴くままに。
この世界を、自分の足で確かめるために。そして、いつか――本当に笑って、最期を迎えるために。
「アマネ」
「はい、なんでしょう。せつくん」
「俺は……次こそ後悔しない人生を送りたい。最期に笑って死にたい」
「はい、せつくん」
「そのために、本気で生きてみるよ」
「はい、せつくん」
アマネの返事は、いつもと同じ。けれど、その「はい」の一つ一つが、これからの日々を支えてくれる礎になる気がしていた。
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