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1-5 法と掟の女神の名を冠する

「――天音(あまね)ちゃん!」


「……せつ……くん……?」


 天音――アマネシエルは、力の抜けた瞳のまま、こちらを振り向く。そして、目を見開いた。顔を真っ赤に染め、慌ててメイド服を胸元まで引き寄せる。


 その前に立つ男は、重厚な軍服に身を包んでいた。まるで戦場そのものが人の形を取ったかのようだった。肩章は黄金色に鈍く光り、無骨な階級章が沈黙の勲功を物語る。首元を覆う金属の拘束具は、彼の怒りを封じる楔のようでありながら、逆にその獣性を際立たせていた。


 鋭く刻まれた眉間の(しわ)、冷えた鉛のような眼差し。腕は大砲の砲身のように膨れ上がり、その呼吸すら戦意に変えている。


「クッソ……いいところだったのによォ!」


 軍服の大男は、舌打ち混じりに吐き捨てる。


「この陸軍大佐・バルボロ様に逆らうんじゃねえ!」


 男が肩に担ぐ斧の刃が、月光を受けたように鈍く光った。


「俺の女だ。お前みたいなカスが手出すんじゃねえ」


「せつ……くん……思い出して……くださったんですね……」


 アマネシエルはほろほろと涙を(こぼ)している。三百八十五年分の想いが、その瞳に溢れていた。


「殺してやる!」


 バルボロは吠えると同時に斧を振り下ろした。咄嗟に身を(ひるがえ)し、その軌道から飛び退く。直後、俺がさっきまでいた場所の床板が、容赦なく(えぐ)られた。木片が宙を舞い、部屋に木の粉塵が散る。


 ――あっぶ……!一歩間違えていたら死んでいた……!


「治安終わってんな……」


 足元に転がっていたマッチを掴む。箱の側面で擦ると、(てのひら)から炎が弾けた。火弾となったそれをバルボロへと放つ――が、斧の腹で叩き落とされ、煙を上げて霧散する。男が眉間に(しわ)を寄せ、歯を剥き出しにして、怒りを露わにした。


「クソがァ!図に乗るなァ!!!」


「――天音ちゃん!逃げろ!」


「ですが、せつくん……!」


「――男は死ねェ!」


 斧が暴れ狂う。家具が砕け、壁が裂け、日常が音を立てて崩壊していく。バルボロの「暴力」は、先程まであった(はず)の日常を一瞬にして奪い去った。


 (いず)れもすんでのところで回避しながら、小瓶の投擲(とうてき)で反撃を試みる。だが、全て斧に弾かれ、火花と破片を散らすだけ。攻撃は通らず、時間と体力だけが削られていく。バルボロは、俺をこの場で確実に殺すつもりだった。


「天音ちゃん!俺のことはいい!逃げろ!」


「出来ません!せつくんを置いて……!」


「なんでそこまで……!」


 ――何かないか……打開策は……!


 思考を叩き潰すように、斧が再び(うな)る。タイミングを図って高く跳躍――そして回避――。しかし、それすらもバルボロの想定内だった。


「――死ねやァ!」


 空いていたもう片方の拳が、容赦なく飛んでくる。横腹へと突き刺さるような衝撃。対処が追い付かない。


 視界が揺れた次の瞬間、壁に叩き付けられていた。肺の空気が一気に抜ける。背中から全身に激痛が走った。後頭部を強打したらしく、頭から流れた血が口内に広がる鉄錆の味となる。


「ぐっ……!」


「せつくん……!」


 (しり)から床に()り落ちる。霞む視界の先で、太い腕が、腰を抜かしたアマネシエルの胸元を乱暴に掴んだ。


「こうなったら無理矢理にでも犯してやる!」


「っ……!」


 バルボロの手が、アマネシエルの胸を鷲掴みにする。アマネシエルは怯えた様子のまま、苦痛と羞恥に表情を歪めた。腰に巻いたベルトへと、ゆっくりと男の手が伸びていく。その仕草一つで、胸の奥で何かが爆ぜた。


「――汚ねえ手で俺の女に触るんじゃねえ!」


 パリン、と鋭い破砕音が室内に木霊(こだま)する。バルボロの後頭部に叩き付けられたのは――俺の右手に握られていた酒瓶だった。さっき殴り飛ばされた時、偶然手に触れた酒瓶だ。


「クソがァ……!」


 バルボロの身体がぐらりと揺らぐ。


 ――そうだ、思い出せ……!俺は前世では仮にも天才と世間に持て囃された男だぞ……!この程度の逆境、跳ね除けられなくて何が天才だ……!


「せつくん……!」


「お前、そんな手段じゃないと女を抱けないのか?可哀想な奴だな」


 挑発混じりに吐き捨てる。


 ――ブラフでも何でもいい……!()(かく)、この男の脅威から二人無事に生還出来る策を……!


「まだ生きてやがったか……!いいだろう、先にお前を冥土に送ってやる……!」


「メイドだけにってか?死ねよ、クソつまんねーな」


 ――それでいい……!ヘイトを俺に向けろ……!


「砕け死ねッ!!」


 バルボロが怒り任せに斧を振り下ろす。だが、我を忘れたその攻撃は、先刻よりも単調になっていた。軌道の癖さえ掴んでしまえば、避けるのは難しくない。


「いいのか?そんなにチンタラしてて。俺のユニークスキル、神話級なんだぜ?」


 男の喉がごくりと鳴った。焦りが、その巨体をじわじわと包み始める。


「大ボラ吹きが……!十傑でもあるまいし……そんな嘘で俺を言い(くる)められると思うのか……!?」


 (わず)かだが、バルボロの口調が早くなっていた。それは他でもない、バルボロが、本気で焦り始めている証拠だ。


「嘘じゃない。俺のユニークスキルを使ってしまえばこの家ごと消し飛んでしまうんでね。使うのを躊躇(ためら)っていただけだ」


 ――その心理を利用する。今の焦ったコイツには……嘘が通る……!


「くっ……!」


 バルボロは眉間に(しわ)を寄せ、そっと右手に掴んでいた斧に左手で触れた。すると驚くべきことに、その斧が、左手にも握られた。とどのつまり、斧が二(ちょう)に増えたのだ。


「俺のユニークスキルは中位級!〈複製(ペースト)〉!見ての通り一時的に武器を複製出来る!俺はこのユニークスキルで何人もの弱者を(ほふ)ってきた!」


 誇示するような声。しかし、焦燥に駆られた技は粗い。動きに迷いがある。


「一時的にか。成程(なるほど)。中位級だ」


「三下が……侮るな……!」


「終わらせようか、クソ野郎……!」


「貴様……まさか本当に……!」


 神の名を冠する神話級ユニークスキル・〈天衡(テミス)〉。テミスとは法と掟の女神。言い換えれば、法と掟の女神の名を冠するユニークスキル――そう考えればこの〈天衡(テミス)〉がどんな能力なのかは、想像に難くない。


 気付いてはいたのだ。しかし、空を一振りの剣で割ったり、大陸を一つ消滅させたりする十傑と同じ階級のユニークスキルと言われ、迂闊に試す気にならなかったのは本心。だが、こんなクズ相手になら、出し惜しみをする理由は――何処(どこ)にもない。


『掟:懐疑を禁ず。

 破れば、全身を骨折する。』


 思考と同時に、世界の何処(どこ)かで何かが「定義」される感覚があった。見えない書類に、見えない法文が刻まれていくような、不思議な手応え。


 直後――バキバキバキッ、と、骨が折れる音が室内に響き渡る。悲鳴を上げたのは、バルボロだった。


「ぎァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!?」


 全身を見えない力で締め付けられたかのように顔を歪め、その場に崩れ落ちる。両手両脚、肋骨、肩、無数の骨が同時に折られていく。皮膚の下で、不自然な角度に骨が動いた。


「な、な、な……何しやがった……!」


 手足は不自然な方向へ曲がり、立ち上がることすら出来ない。


「――せつくん!」


 アマネシエルが、慌てて何かを俺に投げて寄越す。キャッチすると、それは鉄製のスリングショット――所謂(いわゆる)、パチンコだった。


「ナイス!」


 床に転がっていたコルク栓を拾い上げ、ゴム紐と共にぐいと引き絞る。ゴムが(きし)む音が、静まり返った室内にやけに大きく響いた。


「ま、待ってくれ……!」


 バルボロが、骨折した身体を引き()りながら命乞いを始める。その狼狽が、逆に冷静さを取り戻させた。


「相手が悪かったな」


 ゴムを解放する。凄まじい衝撃音と共に、コルクは一直線に飛び、バルボロの眉間を正確に撃ち抜いた。巨体が、糸が切れた操り人形のように後方へ倒れ込む。


 ――静寂。


 (しば)しの沈黙を挟んで、俺は大きく息を吐いた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――数十分後。陸軍大佐・バルボロは椅子に縛り付けられ、両手首を後ろで縛られた状態で、妙に愛想のいい笑みを浮かべていた。


「いやぁ、ははは……すみませんねえ、セツナさん。いやほんと、まさかアンタが本物の神話級ユニークスキル持ちだとは……いててて」


 さっきまでの威圧感はどこへやら。へらへらと媚び(へつら)うその顔は、さっきまで斧を振るっていた男と同一人物だとは信じ難い。


 その傍らで、メイド服姿のアマネシエルが祈るように両手を組む。淡い光が彼女の(てのひら)から溢れ、バルボロの全身を包み込んでいく。骨の(きし)む音が逆再生されるように静まっていき、歪んでいた四肢が、元の形へと戻っていった。


「私の中位級ユニークスキル・〈癒光(ヒール)〉です。単なる回復系ユニークスキルですが……骨折も、もう治ったはずです」


「あはは、す、すみません。助かりました。……そ、それじゃあ、俺はこれで――」


 バルボロは怯えた目付きのまま、椅子から転がり落ちる勢いで立ち上がり、逃げるように玄関へ向かっていった。振り返ることもなく、音を立てて扉を閉める。


 静寂だけが残る。


「せつくん、その……本当に、ありがとうございました……」


 アマネシエルが、胸の前でぎゅっと手を握り締める。潤んだ瞳で、俺を見上げていた。


「天音ちゃん、散歩に行こうか」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 エーデルワイスが一面に咲き誇る花畑。その中央で、俺とアマネシエルは肩を並べて立っていた。冷たい風の(はず)なのに、妙に温かく感じる。アマネシエルは、そっと俺の腕に自分の腕を絡めた。


「せつくん……またお会い出来て嬉しいです。私……もう、せつくんに忘れられてしまったのだと思っていましたから……」


 滲んだ涙が、白い頬を伝って落ちていき、そのままエーデルワイスの花弁を濡らす。


「天音ちゃん……いや、アマネ」


 呼び名を少しだけ変える。三百八十五年という時間の重みを、その一音に込めるように。


「ごめんな、何も言わずにいなくなっちゃって。俺に会うために、何百年も待ち続けてくれてたんだよな」


「いえ、いいんです。せつくんにまたお会い出来ただけで、私はもう十分……幸せ者です」


 西日を受けたエーデルワイスが、柔らかく揺れる。白銀の波が、俺達二人を包み込むように(きら)めいた。


「せつくん、覚えていますか?エーデルワイスの花言葉……」


「ああ……」


 忘れられる(はず)がない。あの小さな公園の隅で、幼い彼女が笑いながら言った言葉を。


「――『大切な思い出』、です」


 アマネシエルがそう(ささや)いた瞬間、風が花畑を駆け抜けた。エーデルワイスの群れが、一斉に風に(そよ)ぎ、白い花弁が(さざなみ)のように揺れた。まるで、遠い昔の約束に、この世界そのものが応えているかのように。

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