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1-45 バッドスメルが踊る雨

 小生自身の声が、死に掛けていた戦意に最後の火花を灯した。その言葉に、糸目のチャイナドレス――ホーライが、ゆっくりと振り返る。


「まだ……やるアルカ?」


 冷ややかな問い。だが小生は、血の混じった唾を吐き捨て、壁を支えにしながら立ち上がった。痛みは全身を焼くようだ。それでも――脚の震えは、不思議と止まっていた。


「これじゃあ仲間に顔向け出来ませんからな!」


「結構しぶといアルネ。ならば――」


 ホーライの片脚がふわりと上がる。両手が鳥の羽のように開き、再び功夫(クンフー)の構えを執った。


 ――上位級ユニークスキル、〈香薫(フレグランス)〉。百キロメートル先の線香の香りすら探り当てる程の、鋭敏(えいびん)で特異な嗅覚を得るユニークスキル。勝つ方法は……。


「――死ねアル」


 空気を裂き、眼前にホーライが迫る。振り抜かれた拳が視界一杯に膨らんだ瞬間、小生は虚空から「ある兵器」を引き抜いた。


「はあぁぁっ!!」


 その手に握られたのは――黒いボディの充電式コードレス高圧洗浄機。そのノズルを迷いなくホーライの整った顔面へ向け、トリガーを引く。中に詰め込んだ黄土色の液体が、凄まじい勢いで噴射された。


 ――すると、ホーライの顔が、狂ったように苦痛に(ゆが)む。ホーライはその場に(うずくま)るようにして、鼻を(つま)んだ。


「――くせぇアル!くせぇアルぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」


 鼻を突くような、途轍(とてつ)もない悪臭が室内を満たしている。高圧洗浄機から噴射された液体は――ただの液体ではなかった。思わず小生の目も潤む。


「おえっ……何を……したアルカ……?」


 嗚咽(おえつ)混じりの問い。小生は、それに応じることなく続け様に、トリガーを引き続けた。ホーライのチャイナドレスは瞬く間に悪臭の染みを広げていく。


「――くっさ……!くせぇアル!鼻が曲がるアル!」


「――『シュールストレミング』はご存知ですかな?」


「おえっ……!しゅーる……すとれみんぐ……アルカ?」


「世界一臭い食べ物と言われる、塩水漬けのニシンの缶詰ですぞ!」


「豚サン……!まさか……!」


「ご名答!この高圧洗浄機にぶち込んだ液体は、シュールストレミングの汁ですぞ!名付けて、必殺!『シュールストレミングジェット噴射』ですな!」


 誇らしげな名乗りと共に、高圧洗浄機を虚空へ戻す。代わりに取り出したのは――トランポリン。


「――ああっ!くせぇアル!」


「至って普通の嗅覚の小生ですら気を失う程臭いですからな……。鼻が利くホーライ女史には効果抜群ですな……!」


「――やめるアル!ワタシが悪かったアル!負けたら殺されるアル!」


 両手で鼻を塞ぎ、床の上で身を(よじ)るホーライ。〈香薫(フレグランス)〉のユニークスキルを持つホーライには効果は覿面(てきめん)だ。


「油断してユニークスキルをバラしたことが貴殿の敗因でしたな……!」


 床に置いたトランポリンへ飛び乗り、弾む。天井に届かんばかりの跳躍。散乱する全自動麻雀卓、床に捨てられたスパイクシールドやマジックハンド、淀んだ色の液体で濡れた床に、その上で(うずくま)る赤いチャイナドレスの糸目の女――その光景が、その戦闘の経過を雄弁に物語っていた。


 ――それと同時に、小生の勝利すらも。


「勝負ありましたな!」


 急降下――。臀部(でんぶ)――尻餅を()くような体勢で、ホーライの頭上に急速に落下する。


「――死ぬのは嫌アル!死ぬのは嫌アル!」


 糸目の女―――小生を見上げる彼女は、敗北を悟っていた。ただただ、意味のない命乞いだけが、悪臭と共に室内に響き渡る。直後――。


 ドスーン――。


 地鳴りのような衝撃。小生の重量がホーライの頭部を直撃し、床に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。


「…………ッ……!」


 ホーライは白目を剥き、その場で気絶していた。


「フフン!小生のケツは鉄のように硬いですぞ!」


 反動でそのまま床に座り込み、悪臭に顔を(しか)めながらも、安堵の溜息を()く。そして、遅れて込み上げてくる実感を噛み締めるように、片手でガッツポーズを作った。


「――やりましたぞ!小生が……〈韮組(にらぐみ)〉の幹部を討ち取りましたぞ!」


 こうして、〈神威結社〉・タクオフと〈韮組(にらぐみ)〉・舎弟頭――ホーライの戦いは、タクオフの逆転勝利にて幕を閉じた。


 床に散らばったスパイクシールド、マジックハンド、トランポリンを淡々と片付ける――と言っても亜空間に戻すだけなのだが。満身創痍(まんしんそうい)の身体に(むち)を打つ。


「この身体では……師匠の援護に行っても足手(まと)いですな……」


 上階――二階から伝わる振動は、(なお)激しさを増している。師匠と〈韮組(にらぐみ)〉・組長――ニラカイザの戦闘が激化していることは明らかだった。


「この調子だと……建物が倒壊するかもしれませんな……」


 ふと、気絶したホーライへ目を向ける。びしょ濡れのその身体を背負い上げ、蹌踉(よろ)めきながら扉へ向かった。


 外へ出て、プレハブ住宅の外壁を背に座り込む。冷たい雨が血と汗と、最悪の悪臭を少しずつ洗い流していく。


「……師匠やアマネシエル女史、ハズレ女史は大丈夫ですかな」


 空を覆う暗雲は、一層濃く黒さを増していた。何処(どこ)か不吉な予感を胸に抱えながら、小生はただ、仲間の無事を祈るしかなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――アガラサキの外周、城壁へと続く雨の車道。空の黒さと雨の激しさが、まるで街全体を喪服で包むようだった。


「――何処(どこ)まで逃げるおつもりなんですかねェ!?」


 バイクのエンジン音にも似た駆動音が背後から迫る。〈韮組(にらぐみ)〉・本部長、ゲントウ――下半身の機械車輪が狂気じみた速度で回転していた。路面の水飛沫が弾丸のように飛び散り、雨の帳を裂く。


 だが、逃げる女の足取りには焦りがない。ただ静かに、雨の線を縫うように、軽く身体を傾けながら走る。濡れて重くなった(はず)のスカートも、その動きを鈍らせることはなかった。


「全く……執拗(しつこ)いですね」


「逃がしませんよォ!?」


 ゲントウの車輪が、雷鳴のような音を伴って加速する。だが、アマネシエルは城壁の寸前――人影の少ない外周部に辿り着いたところで、ふと足を止めた。滲む雨霧の中、彼女はゆっくり振り返った。


「……ここまで来れば、人の目もありませんね」


「諦めましたかァ!?賢明というものですねェ!?」

 

 ゲントウの嘲笑が雨に紛れる。その最中、アマネシエルの瞳が、すっと細められた。振り返ったその瞳は、静謐(せいひつ)で、凪いでいて、ただ「終わり」だけを見据えている。雨脚が更に強まる。


「――さようなら」


「――ッ!?」


 白光。ゲントウの視界が、一瞬だけ真昼のように白く染まった。次にその光が消えた時、彼の首から上は、跡形もなく消えていた。雨はただ無言で、血も肉片もない車道を叩き続けていた。


 アマネシエルはそっと目を閉じ、一つだけ祈りを捧げた。


「戻らなきゃ……せつくんの下へ」


 (きびす)を返し、再び雨の闇へと走り出す。その背中を、冷たい雨が押していた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――再び、セツナサイド。


 〈韮組(にらぐみ)〉・事務所、二階。大雨が天井の穴から流れ込み、部屋の血と破片を洗い流している。


 雪村(ゆきむら)雪渚(せつな)――セツナと竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)――ニラカイザ。両者は既に人外の領域に踏み込んだ殴り合いを続けていた。


 拳がぶつかる度に、骨が(きし)む音が室内に響く。敵も自分も、限界の遥か手前で踏み(とど)まり続けている。


 〈韮組(にらぐみ)〉・組長――ニラカイザ。十三年間、暴力と恐怖でアガラサキを支配し続けてきた男。男の左腕と背中を覆うように彫られた龍の刺青が不気味な光沢を放っていた。


「お前……リューカを救う気なんか?」


「そんな大層なモンじゃねーよ。単にあんたが気に食わないだけだ」


「抜かすなや……!嫌よ嫌よで世が渡れるかい……ッ!」


 拳の衝突が、壁を揺らす程の衝撃を生む。雨に濡れた床に、二人分の血が混ざり合って滲んでいく。


「支配される痛みは良く知っているからな……!反吐が出るんだよあんたは……!」


 セツナの拳がニラカイザの腹に沈む。体躯が揺れ、背中から壁に叩き付けられた――その瞬間、階下から鼻を刺す悪臭が這い上がってきた。


「……なんかくせーな。ああ、お前の小物臭(こものしゅう)か」


 何かが腐ったような、鼻が曲がる強烈な臭い。それは、床板の隙間から微かに立ち上ってくる。


 ――この臭い……シュールストレミングか?タクオフの奴、何しやがったんだ……?


「――三下が……ッ!オレは英雄級ユニークスキルやで!お前に勝ち目はあらへんで……ッ!」


 怒号と同時に蹴りが迫る。俺は上体を反らし、壁へと蹴りの軌道を逸らす。壁を貫いた衝撃で、事務所の構造が悲鳴を上げた。


「……手こずってんじゃねーか」


 ――クッソ。コイツ……全身骨折している(はず)だろ……。なんてタフネスだ……。


「英雄級ユニークスキル、〈帝威(カエサル)〉――このユニークスキルによって、オレの拳はお前より『一だけ』重いんや!オレの頭脳はお前より『一だけ』賢いんや!オレのスピードはお前より『一だけ』速いんや!それが!お前が絶対オレに勝てへん理由や!」


 ――英雄級ユニークスキル、〈帝威(カエサル)〉――全てにおいて相手のステータスを『一だけ』上回るユニークスキル……。(すなわ)ち、事実上、相手の完全上位互換になるユニークスキルという訳か。


 ――リューカが「誰も兄貴には絶対に勝てない」と言っていたのはこれが理由か。


 雨が、天井の穴から滝のように流れ込む。冷たい水を浴びながら、俺は吐き捨てた。


「小物にピッタリのユニークスキルだな」


戯言(ざれごと)を……ッ!」


 殺意を乗せたニラカイザの蹴りが飛ぶ。紙一重で(かわ)し、蹴りが背後の柱を粉砕した瞬間――建物全体が悲鳴のような(きし)みを上げ、天井が大きく崩落した。二階は一気に雨晒あまざらしとなり、豪雨が床へと叩き付けられる。


 崩れ落ちた外壁の向こう――雨のロータリーに、見慣れた顔触れが見えた。アマネシエル、タクオフ、ハズレちゃん、フラン、ヒナティ、そしてテマリに支えられるリューカの姿。皆、満身創痍のままこちらを見上げていた。


「――せつくん!」


「――師匠!こっちは全員無事ですぞ!」


「セツナセンパイっ!センパイの大好きなハズレちゃんは元気ですっ!」


「おにいたま!」


 ――みんなは勝ったか。


 それだけで、俺の胸中に熱が灯る。


 座り込むタクオフの傍らには赤いチャイナドレスに身を包む女――〈韮組(にらぐみ)〉・舎弟頭のホーライが立っており、俺達の戦闘を静かに見守っていた。何かに期待するような、そんな目で。


「――セツナァ……」


「――セツナ!頼むのだ!」


「「――やっちまってくれ!!セツナさん!!」」


「「――組長を倒してくれ!!!」」


 雨に濡れたロータリーに、雄叫びが響き渡った。声の主は、倒れていた〈韮組(にらぐみ)〉の構成員達。本来は敵である彼らが、俺を鼓舞するように叫んでいる。


 恐怖と支配に縛られ続けた十三年間。その(くさび)を断ち切る者だと信じて。


「裏切り者共が!弱者の分際で……ッ!」


 相対するニラカイザが(あからさま)に怒りを露わにする。振り抜かれた拳を右腕のガードで受け止め、セツナもまた渾身の一撃を返した。


「……ぐは……ッ!」


 ――ニラカイザの物言いからもわかる。この男は、アガラサキに住む住民達を十三年間もの間、恐怖で支配していた。


 ニラカイザが拳を突き出す。俺の頬が弾け飛ぶように揺れる。


 ――だが、それだけではない。部下達すらも、同様に恐怖で支配していた。誰もニラカイザに勝てない。その絶望の中で、従う以外の選択肢を奪われていたのだ。


 更に一撃が、頭蓋を激しく揺さぶる。視界が揺れ、世界が(きし)む。


「オレはこのユニークスキルと暴力で全てを支配してきたんや!妹も!親も!住民も!部下もだ!オレの思い通りにならない人間に生きる価値等あらへんわッ!!」


 雨が一層激しさを増す。リューカの赤い瞳が、(かつ)てない程揺れている。その十三年の地獄が、今、兄の口から吐き出されている。


 アガラサキの人々を救うため、兄に挑み続けた彼女の十三年間が、想像を絶する地獄であったことは、想像に(かた)くない。


「全部あんたの所有物じゃねーよ。(クズ)が……クソ親を思い出す」


「所有物や!お前すらもなッ!」


「見りゃわかんだろ。誰もあんたの所有物のつもりはないってさ」


「抜かすなや……!」


「リューカ……!待ってろよ……!」


 稲妻のような拳が交差する。雨水と血が跳ね、瓦礫が砕ける。


 ――セツナとニラカイザの激戦は熾烈を極める。それは、最終局面を迎えていた。

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