1-44 ワンサイドゲーム
――時は少し遡る。
その階下では、〈神威結社〉所属の商人――小生、タクオフと〈韮組〉・舎弟頭――ホーライによる戦闘の火蓋が切られようとしていた。
「主人を逃がす男気……好ネ」
小生は、階段を駆け昇る師匠とハズレ女史を視界の端で見届け、赤いチャイナドレスに身を包む〈韮組〉の幹部――ホーライと全自動麻雀卓を挟んで対峙していた。
スリットから覗く白い脚。揺れるたびにきらりと光を返すシニヨンカバー。赤いチャイナドレスが揺れる度、部屋の空気がぴん、と張り詰める。
「す、すんなり逃がしてくれましたな……?」
「無問題アル。ボスが負けるは有り得ないアルヨ。理論上、『最強のユニークスキル』アルネ」
脚がガクガクと震える。脳が「逃げろ」と喚き続け、その信号がそのまま膝に伝わっているかのようだった。震えを必死で押さえるも、止まる気配はない。
細い糸目で笑うホーライは、その震えすら戦いの肴にしているかのように見えた。
「止まってくだされ!止まってくだされ!」
――怖い。逃げたい。小生は飽くまで商人。本来、戦闘は専門外ですぞ……。
「怖いアルカ?逃げたいアルカ?」
「…………っ!」
「豚一人逃がしたところで何ら影響はないアルが……ボスの命令アル」
――そう、逃げる口実はいくらでもある。それでも。小生に手を差し伸べてくれた師匠やアマネシエル女史の役に立つと決めましたぞ。腹括って、やるしかありませんぞ。
ホーライが、すっと片脚を天に伸ばした。両手が舞うように広がり、身体のラインが靱やかに弧を描く。中国拳法・功夫の構え。形だけで圧倒される、そんな密度の気迫だった。
「――死ねアル」
次の瞬間、開戦の合図かのように麻雀卓が蹴り飛ばされ、視界が裏返った。
「ぐふぅ……っ!」
鋭いボディブローが腹を抉り、息が漏れる。間髪入れず踵落とし。空気を裂く唸りと共に、左脚が頭部へ叩き込まれる。白い閃光。全身を痺れが走る。
――痛い。痛過ぎる。
追い打ちのように、ホーライは小生の頭を狙って回転蹴りを放った。視界の端で丸い軌跡が唸り、次の瞬間には衝撃だけがあった。抗うことも出来ず、壁に向かって投げ捨てられる。背中から打ち付けられ、骨が一本一本軋むような音を立てる。
「ぐわぁ……っ!」
崩れ落ちる身体を、壁だけが辛うじて支えていた。視界が大きく揺れ、その向こうでホーライが余裕綽々と歩み寄ってくる。窓の外の雷光が、赤いチャイナと細い糸目を妖しく照らし出した。
「来いヨ、豚サン。準備運動にもならないアルネ」
「ま、まだですぞ……」
恐怖で震える身体を無理矢理持ち上げる。あらゆる痛みと恐怖を押し殺しながら、小生は必死に頭を回した。
――組長は……師匠が必ず倒してくれる筈ですぞ……!であれば小生は……勝てなくとも……時間稼ぎを!
虚空から一つの黒い、掌サイズの筒を引き摺り出す。そのピンを抜き、足下へ投げ捨てた。小生とホーライの間の床に着弾したその筒――発煙弾が、モクモクと白い煙幕を張る。
「――!?煙幕……アルカ!」
――この隙に!
肺を焼くような白煙の中、足音を殺してホーライの背後と思しき位置へ回り込む。そのまま、全体重を乗せたタックルに移ろうとした――しかし。
「――考えが浅いアル」
「……ぐふ……ッ!」
煙の中から、正確無比のボディブロー。悶絶し、膝から崩れ落ちる。煙が晴れた先で、糸目の女がこちらを見下ろしていた。
「ど……どうして……位置がわかったんですかな?」
「ワタシは生まれつき目が見えないアルヨ。目眩しなど、何ら問題ではないアル」
「ユニークスキル……という訳ですかな?」
「豚サンの力は見切ったアルから言ってもいいアルネ。ワタシのユニークスキル――上位級ユニークスキル、〈香薫〉……百キロメートル先の微かな線香の匂いすら嗅ぎ分けるアル」
「上位級ユニークスキル……ですとな……」
――小生は階級が一つ高い偉人級ユニークスキルでありますが……ユニークスキルの階級が強さに直結する訳ではありませんな。小生の〈霧箱〉は『亜空間に物を収納して持ち運ぶユニークスキル』……商売にはこれ以上ない程有用でありますが……決して戦闘向きではありませんぞ……。
「案外驚いてないアルネ。豚サンは上位級か……偉人級か……否、関係ないアルネ」
――人は本来、得る情報の八割を視覚から得ている。しかし、盲目の人は、その視覚情報を他の聴覚情報や嗅覚情報に頼る分、その感覚が鋭敏になることも珍しくない。
――盲目のホーライ女史は更に嗅覚特化のユニークスキル……。鼻腔に纏わり付くような嫌な白煙の中から、動き回る小生の匂いを的確に探り当てた……。この人に対して……逃げ隠れは通用しませんな……。
「底も知れたアル。終わらせるアルヨ」
ホーライの声が落ちるのと同時に、小生は虚空からスパイクシールド――複数の棘が生えた円形の盾を取り出した。腕に通し、その重みで自分を強引に落ち着かせる。
功夫の構えから、ホーライは滑るように踏み込む。的確無比な拳と蹴りが次々と襲い掛かる。小生は必死に盾を合わせるが、ホーライはそれを読んでいるかのように角度を変え、僅かな隙間から急所を撃ち抜いてきた。
「そこアル」
「ぐっ……は……!」
「次……ここアルネ」
鳩尾。
「次ハそこ……」
肋。
「そしてそこアル」
膝。
淡々と宣告されると同時に、宣告通りに痛みが走る。彼女は嗅覚で、血の濃い部位、筋肉の損傷度合い――「身体の弱っている部分」すら嗅ぎ分けているのだ。
「どのタイミングでどの部位に攻撃すれば勝てるか……そういう『弱点』すら嗅ぎ分けられるアル。防御しても無駄アル」
「うぐっ……!うっ……!」
――強過ぎる。「弱点」すら嗅ぎ分ける程の嗅覚に、洗練された武術のセンス。戦うことを生業とする女……小生如きでは、勝てる筈もありませんな……。
「その盾……邪魔アルネ」
振るわれた掌底が、スパイクシールドの縁を正確に捉えた。盾はあっさりと弾き飛ばされ、カラン、と虚しく床に転がる。
その直後、風を切って一歩踏み込んだホーライの拳が、左胸を的確に捉えた。心臓に直接指を差し込まれたかのような痛みが走り、その場に崩れ落ちる。
「が……は……ッ!ああっ……痛い……痛いですぞ!」
「惨めアル。結局、弱者は強者に支配されるだけアル」
――身体が動かない。次元が違う。勝機が見つからない……。
ワンサイドゲーム。こちらの攻撃は何一つ通らず、一方的に点を積み重ねられていく横綱相撲。完膚なきまでの敗北……。
呼吸は荒く、視界の端が滲んでいる。それでも、頭だけは何故か冷静だった。それは、諦めにも似ていた。
「ワタシに立ち向かってきた勇姿に免じて、命だけは助けてやるアル」
その時、上階から凄まじい衝撃音が響き渡った。天井か、壁か――何か大きなものが崩れた音。建物全体が僅かに揺れ、天井から石膏がぱらぱらと降ってくる。
――師匠、申し訳ありませんな……。小生、手も足も出ず、勝てませんでしたぞ……。
「ボスの援護に行くアル」
ホーライは踵を返し、赤いチャイナをひらりと揺らして階段へ向かう。小生が敗北を喫した空間に、白いハイヒールのコツ、コツという音だけが冷たく響いた。
――小生は商人。元より戦闘は専門外。それにしてはよくやった方ですな……。師匠も、アマネシエル女史も、ハズレ女史も、フラン殿も……きっと慰めてくれますな……。
だから――ここで諦めれば、楽だ。
「再見」
「さようなら」を意味する言葉を、傷だらけで仰向けになっている小生に、ホーライは吐き捨てた。そこには一片の情もなく、ただ役目を終えたゴミを見るような冷たさだけがあった。
その言葉が、小生の胸の奥深くに突き刺さる。小生は――下唇を噛み締めた。
――情けない。小生は……それで師匠に「仲間」だと、胸を張って言えるのですかな……!?
小生は最後の力を振り絞り、虚空から玩具のマジックハンドを取り出した。伸ばした先で、階段へ向かうホーライのチャイナドレスの裾を、がしりと掴む。
ぴたりと足音が止まる。振り返った女の糸目が、ほんの僅かに驚きで細められた。
小生は震えながらも、しかしはっきりと告げた。自分自身を鼓舞するように、物語の続きのページを捲るように、勇気を振り絞って――告げた。
「ここからが……王道逆転展開ですぞ……!」
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