1-43 外れ籤
「いててっ!もうっ!二階から突き落とされるなんて、ハズレちゃんじゃなかったら怪我してますよっ!」
雨が叩き付けるロータリー。アスファルトは黒く濡れ、倒れた構成員達の間を、雨水が細い川になって流れていく。
その水面を、重い足音が踏み割った。スキンヘッド、筋肉でスーツが軋む大男が静かに降り立つ。太い眉の下の眼光は鋭く、私を値踏みするように見下ろした。
「二階から突き落とされて無事とはな。運が良いのか?」
「ハズレちゃん、こう見えて鍛えてますからっ!中位級ユニークスキル・〈怪力〉で、このキュートボディには常人の五倍の筋肉が詰まってるんですよっ!」
私は胸を張ってウインクしてみせた。胸はあんまりないけど、そこは見逃してほしい。
「……これまでも〈韮組〉に楯突いたアガラサキの有志団体はあったが、全員、幹部で血祭りに上げてきた。お前達も同じ末路を辿る」
私は制服の裾の泥をぱんぱんと払い、立ち上がる。警察帽を滑り落ちる雨粒が頬を冷たく撫でた。
「わかんないですよっ?〈神威結社〉、みんな強いですからっ!」
「……立ち向かう度胸には敬意を表そう。その上で、全力で殺すがな」
「いいですよっ!ハズレちゃんも負けませんっ!」
「〈韮組〉・若頭――ヘッドロアだ」
――――――――――――――――――――――――
「韮組 若頭」ヘッドロア
5,600,000G
――――――――――――――――――――――――
「はいはーいっ!事件あるところに私ありっ!キュートでラブリーなハズレちゃんですっ!」
「……なんだ、そのふざけた名乗りは」
「お決まりの挨拶ですよーっ!ノリが悪いですねーっ!」
「そうか。それは悪かったな――」
声が途切れた瞬間、ヘッドロアの姿が掻き消えた。次にそれを認識した時、拳は既に目の前まで迫っていた。弾丸のような直線。雨粒が追い付けず、白い軌跡だけが残る。
――それを、私は片手で受け止めた。
「あれっ?蚊が止まりましたっ?」
「――なっ!」
「言ったじゃないですかっ?私、ちょっとだけ力持ちなんですよっ?」
握り締めた小さな手が、猛獣じみた拳を完全に封じている。私はそのまま、ひょいと腕を持ち上げた。ヘッドロアの巨躯が、あっさり宙に浮く。
「よっとっ!」
振り抜くように路面へ叩き付ける。鈍い衝撃音と共に、水飛沫が弾け、男の口から血反吐が跳ねた。
「……ふむ。生身にしては中々だな」
即座に立ち上がったヘッドロアの表情に、動揺はない。代わりに、獲物を見つけた獣の光が宿っていた。
「今のを耐えて立つのは、やりますねっ!」
「違うな。『耐えた』のではない――『通っていない』だけだ」
胸元の泥を払う。スーツの下の肌には、傷一つ付いていない。
「上位級ユニークスキル・〈鉄身〉。この身を鉄と同等の硬度に変える。刃も弾も打撃も、俺の前では無意味だ」
「鉄……ですかっ?」
「そうだ。人は俺を『鉄胴のヘッドロア』と呼ぶ。筋肉で殴るだけの猿力では、鉄は砕けん」
「へぇーっ!じゃあ、この拳を通すのも大変そうですねっ!」
私は肩をぐるぐる回し、拳を握り直した。
「試してみろ」
地鳴りのような踏み込みと共に、ヘッドロアの全身が質量そのものになって飛び込んでくる。路面の水が衝撃波のように周囲へ散った。
「――『パワフル・ストレート』っ!」
中位級ユニークスキル・〈怪力〉を全開にした右ストレート。拳と胸板がぶつかり合い、耳を刺す金属音が響く。
――が、ヘッドロアの身体は一歩も退かなかった。
「うおっ!?腕がビリビリしますっ!」
感触は鉄柱そのもの。拳に伝わるのは「減り込んだ」感覚ではなく、「弾かれた」軋みだ。
「これが〈鉄身〉だ。筋肉の塊が殴ろうと、鉄は鉄だ」
「説教が硬いですねっ!鉄だけにっ☆」
「褒め言葉として受け取っておこう」
ヘッドロアの拳が唸る。構えた両腕ごと弾き飛ばされ、私の身体は軽々と空を舞った。近くに停められていた高級車のボンネットに叩き付けられ、金属が凹み、フロントガラスが罅割れる。
「――ぐふっ!?」
「どうした、中位級。立て」
「はー……っ、なかなか痛いですねっ……」
胸の奥で何かが軋む感覚を、軽口で誤魔化しながら、私はボンネットを蹴って飛び降りた。
「中位級ユニークスキル程度で、幹部を倒せると思ったか?」
「思ってますよっ?」
「根拠のない自信程、砕き甲斐がある」
ヘッドロアの皮膚がじわじわと色を変える。濡れた肌が灰色に変色し、光を鋭く跳ね返す。腕から胸元へ、首筋へ――鉄板が人の形を取ったような質感だ。
「部分鉄化ですねっ?」
「全身を鉄に変えれば動きが鈍る。だからこそ、必要な箇所だけを瞬間的に鉄化する。それが〈鉄身〉の本領だ」
返答より早く、鉄化した拳が頬を打った。視界が白く飛ぶ。口の中に鉄錆の味が広がり、歯がグラつく。
「――っぶぁ!?」
「鉄の拳で殴られた感想はどうだ」
「星一つですっ!レビュー低評価ですっ!」
「では次は肋骨に入れる」
踏み込み。私は咄嗟に足を振り上げた。
「――『パワフル・ハイキック』っ!」
ハイキックが側頭部を薙ぐ。だが鉄化した前腕がそれを受け止め、またも金属音が鳴り響いた。
「悪くない。だが、届かん」
ヘッドロアは掴んだ足を、そのまま地面へ叩き付ける。路面が砕け、私の背骨が跳ねる。
「痛いっ、痛いっ、痛ぁいっ!」
肺が押し潰されるような感覚。〈怪力〉がなければ、今ので脊椎が折れていた。
「情けは不要だろう。ここで終わらせてやる」
ヘッドロアが首元に足を乗せる。鉄に変わりつつある踵が喉に減り込み、呼吸が細くなった。
「ぐ……っ、くるし……」
「俺の〈鉄身〉は硬度だけではない。鉄は重い。重さは、そのまま圧殺力だ」
踵に、更に力が掛かる。視界の端が黒く滲み、耳鳴りが雨音と混ざっていく。
――ここで退いたら、セツナセンパイ達の足を引っ張る。それだけは嫌だ。
――私は、笑った。
「……ふふっ」
「何がおかしい」
「そんな……単純な力なら……」
首を踏まれたまま、両手が踵を掴む。骨が悲鳴を上げているのが自分でもわかる。それでも握力を緩めない。〈怪力〉のリミッターを、更に一段階外す。
「――力でひっくり返すだけですっ!」
全身を捻る。鉄の重さごと、支点を引っ繰り返す。ヘッドロアの身体が、支えを失って宙に浮いた。
「っ、この……!」
「起き上がるの、遅いですねっ!」
私はその巨体に馬乗りになると、容赦なく拳を振り下ろした。
「――『パワフル・ラッシュ』っ!!」
頬、顎、顳顬、喉元。鉄化した肌に拳が叩き込まれる度、火花のような痛みが手の骨を焼く。拳の皮が裂け、血が雨に混じって飛び散った。
「効かんと言ったはずだ」
「じゃあ――効くまで殴るだけですっ!」
けれど、拳は徐々に鈍くなっていく。〈怪力〉で補強された腕でも、鉄を殴り続ければ限界が来る。息が上がり、視界の端が滲み始めた。
――正面からじゃ、やっぱり無理……っ!
私は拳を止めた。割れた拳から滴る血が、ヘッドロアの胸板に赤い斑点を作る。
「どうした。折れたか」
「折れてませんっ。ちょっと考え事してただけですっ」
周囲を素早く見渡す。雨に濡れたロータリー。ひしゃげた車。倒れた構成員。そして、自分の直ぐ横に転がる、小さな鉄の円盤。
直径三十センチ程のマンホールの蓋。雨水で黒光りしている。
「ねえ、ヘッドロアさん」
「なんだ」
「鉄って、叩かれ続けるとどうなります?」
「変形するだけだ。砕けはしない」
「ですよねっ!」
私は蓋を両手で掴んだ。ずしりとした重さが掌に乗るが、〈怪力〉には軽い。
「鉄で鉄を殴ったら、どうなるんでしょうねっ!」
全身の筋肉を総動員し、蓋を構える。足を大きく開き、腰を落とし――一点、ヘッドロアの胸板を狙う。
「――『パワフル・クラッシュ』っ!!」
鉄の円盤が、鉄の胸板に叩き付けられた。金属同士がぶつかる音が雨空に響く。衝撃は一点に集中し、〈鉄身〉の表面を僅かに凹ませた。
「……チッ」
「おぉっ、へこみましたっ!」
「それだけだ。鉄は砕けんと言った」
「じゃあ、もっと叩きますっ!」
二撃目、三撃目。狙いは同じ一点。雨で滑る手に力を込める度、掌の皮が剥けていく。それでも握るのを止めない。
「鉄は強いですけどっ!一点集中なら、そこそこ脆いんですよねっ!」
「いい加減に――」
ヘッドロアが腕を振り上げる。鉄化した拳が、蓋ごと私を粉砕しようと迫った。――その軌道を、私は読んでいた。
「遅いですっ!」
自分の身体を軸に、半歩だけ摺れる。拳と蓋と胸板――三つの鉄が、同じ線上に並ぶように。
「知ってますかっ?鍛冶屋さんは、鉄で鉄を研ぐんですよっ?」
次の瞬間、ヘッドロアの拳は、私ではなく、自分の胸板を殴り付けていた。――自身の〈鉄身〉を、自身の拳で叩き潰す形だ。
「がっ……!?」
内部から鈍い音が響く。鉄の殻は傷付かない。だが、その内側にある肉と骨と臓器は、その衝撃をモロに受ける。
「言いましたよねっ!鉄に拳で勝てないなら――鉄に殴らせればいいんですっ!」
ヘッドロアの呼吸が乱れ始める。
「クソ女……!」
「まだまだぁっ!」
私は再び蓋を構えた。先程凹ませた一点に狙いを絞り――渾身の力で振り抜く。
「これで終わりですっ!!」
鉄の悲鳴が聞こえた。凹んでいた箇所が、ばきり、と派手な音を立てて内側へ陥没する。缶詰の蓋を押し込んだように、鉄の胸板が不自然な形に沈み込んだ。
「――っ……!」
ヘッドロアの口から血が噴き出した。鉄の喉の隙間から赤黒い液が溢れ、雨に混じって路面を染めていく。
「……バカな……〈鉄身〉が……」
「鉄は強いですけどっ!中身が潰れたら終わりなんですよっ!」
全身を覆っていた鉄の色が、じわじわと抜けていく。〈鉄身〉の維持が出来ない。解除した瞬間、押し潰された内臓と折れた骨の痛みが、一気にヘッドロアの意識を攫った。
「見事だ……」
ヘッドロアは辛うじてそう呟く。仰向けのまま、全身の力が抜けた。巨体が地面に倒れ込み、ロータリーに新たな水飛沫が上がる。
「っ、はぁ……はぁ……!」
私も、同時に膝を突いた。マンホールの蓋が手から滑り落ち、カラン、と乾いた音を立てて転がる。掌は真っ赤に腫れ上がり、指先の感覚が薄い。
「……勝った、んですかねっ……?」
目の前には、胸板を凹ませ、仰向けに倒れたヘッドロア。雨がその胴を叩き、流れた血をゆっくりと薄めていく。
私は顔を上げた。黒い雲の向こう――〈韮組〉事務所の二階で、セツナセンパイ達の戦いが続いている。
「セツナセンパイ……みんな……」
腫れた頬をぽん、と軽く叩き、いつもの笑顔を無理矢理作る。
「ハズレちゃんも……がんばりましたよっ!」
そう小さく呟き、ふらつく足取りで立ち上がった。びしょ濡れの警察帽を冠り直し、鉄の蓋を足で端に寄せる。
雨音の中、小さな警察官の足音が、再びロータリーに響き始めた。
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