1-42 インファイト
「……雪村……アンタ……何者なの……?」
「……さあな」
背後で蹲るヒナティが、驚愕と戦慄の入り混じった視線をこちらへ向けていた。
天井の罅が遂に堪え切れず崩れ落ち、黒い雲を背景に瓦礫が雨のように降り注ぐ。瓦礫の山を押し退けるようにして、ニラカイザがゆっくりと立ち上がった。雨が事務所内部にまで吹き込み、濃密な鉄臭さが薄闇に満ちていく。
男は肩を大きく上下させながら、床へ血混じりの痰を吐き捨てた。金縁眼鏡の奥、血走った瞳が獲物を引き裂く獣のようにこちらを見据えている。
「猪口才な……っ!オレが誰だか理解した上での狼藉なんか?」
ニラカイザはスリーピースのジャケットを脱ぎ捨てた。筋肉の盛り上がる左腕と背中に刻まれた龍の刺青が照明の僅かな光を受けて妖しく輝く。
「箱庭の王気取りの癌だろ?」
俺は黒のスキニーパンツのポケットから〈エフェメラリズム〉を引き抜き、もう片方の手でパチンコ玉を掴む。ゴム紐を最大まで引き絞り、脳天目掛けて射出。――と思われた瞬間。
乾いた音を立て、パチンコ玉は空中で止まり、ニラカイザの指の間で簡単に砕かれた。銀片が、虚無の雪のように床へ舞い落ちてゆく。
「こんな軟弱な攻撃でオレを殺せる思うとるんか?」
「プレス機か?お前の指……」
「意識の内にある攻撃は通用せーへん思といてや」
「俺のアッパー喰らって血反吐吐いてたのってお前じゃなかったっけ?」
「アホか。『喰らってやった』ンやろうが」
「お前程はアホじゃねえよ」
「……っ!お前はオレの逆鱗に触れたみたいやな……ッ!」
刹那、瞬間移動したかのように集中線と共に眼前に迫り来る男。男が振り抜いたその拳に、拳を合わせる。衝撃音と共に、全身に軋むような痛みが走る。
雨が降る。ザーザーと、ザーザーと、容赦なく。その雨は止む気配を一向に見せない。血で濡れた床に更に雨水が滲み、二人分の血がゆっくりとグラデーションを作っていく。
「舐めるなよガキが!お前如きに何が為せるんや!?」
「――害虫駆除?」
「――ッ!抜かすなや……ッ!!」
頬に叩き込まれる拳。視界が僅かに揺れる。その痛みに歯を食い縛りながら、俺も男の頬をフックで殴り返す。
パンチにキックの応酬、肘、膝。攻防はゼロ距離の殴り合い――超絶怒涛のインファイト。両者、一歩も退かない。そんな互角の戦いだった。
――俺は、特別喧嘩が強い訳ではない。だから拳を打ち出す角度、タイミング、有効部位――あらゆる要素を瞬時に計算して、ただ最善手となる攻撃を繰り出し続けるだけだ。
「――ガキが……!オレに楯突くなんざ百年早いねん!」
「くっ……!英雄級ユニークスキル貰って支配者気取りか、痛過ぎるぞお前」
「傷んどるのはお前の肉体やろが……ッ!」
ニラカイザは額に青筋を立て、凄まじい勢いで猛攻を畳み掛けてくる。俺も負けじと拳を繰り出す。俺の背後で蹲る金髪ツインテールの女、十傑・第七席――ヒナティは息を呑んでその様子を見守っていた。
傷だらけのニラカイザを視界に収め、俺は脳内で静かに掟を刻む。
『掟:攻撃を禁ず。
破れば、全身が石化する。』
――無力化して、この男に、住民達へ頭を下げさせる。
掟を定めるのと同時に、俺は拳を引き、両手をぱっと開いた。完全に無抵抗の姿勢となる。ニラカイザは一瞬、怪訝そうな表情を浮かべるも、繰り出す拳を止めることはない。拳が胸を穿つ。心臓が破裂したかと錯覚する衝撃。
――次の瞬間、ニラカイザの身体が、メデューサに魅せられたかのように静止した。皮膚が鉛色に変色し、色が褪せ、石へと変わってゆく。全身が、文字通り石像と化していく。
「……終わったか」
「……石化……したの?」
ヒナティが赤く腫れた腹部を摩りながら、ゆっくりと立ち上がった。その表情には困惑の色が滲んでいる。すると、ヒナティが目を丸くして、驚きの声を上げた。
「――雪村っ!後ろ!」
ヒナティの悲鳴。――車に轢かれたのような、衝撃。身体が後方に吹っ飛ばされ、壁に激突した。ぱらぱらと、壁が毀れる。壁に大きな罅が入る。
「石化……?だったらなんやねん?舐めんなや、ガキが……!」
――痛え。マジかコイツ。石化を解いただと……?
壁に凭れ掛かったまま、背後の罅割れた壁を肘で小突く。すると、壁がガラガラと崩れ、プレハブの街並みが覗いた。
再び〈エフェメラリズム〉とパチンコ玉を握り直し、その空いた穴の向こう――ニラカイザとは真逆の方向へ、思い切り射出する。パチンコ玉は当然のようにプレハブ街へ、明後日の方向へと勢い良く飛び去っていった。
「……ちょ!雪村、アンタ……どこに撃って……!」
「はっ、頭を打って錯乱したんか?何処に撃っとんねん!」
雨が映画のワンシーンのように激しく降るロータリー。その喧騒の中で、俺はヒナティにだけ聞こえる声量で告げる。
「……ヒナティ。逃げてろ」
「逃げないわよ。なんでアンタの指図なんか――」
「――表現が悪かった。邪魔だ」
「……っ!……わかったわ」
ヒナティの表情が引き締まる。ヒナティは素直に壁の穴から飛び降りていく。
「他人の女を勝手に逃がすとはどういう了見や?」
「お前じゃ釣り合わねーだろ」
「抜かすなや……ッ!どないな女もオレへの恐怖には抗えへん!」
――何故掟が通用しない……?コイツのユニークスキルか?……いや、断定するにはデータの母数が足りない。もう一度試すか。
『掟:怒声を禁ず。
破れば、全身を骨折する。』
「学生時代モテなかったのか?恐怖で支配しなければ女を抱けないか」
「随分と回る口やなァ!?」
怒号。直後、バキバキバキ――雨音すら掻き消す、骨が砕ける音。
「ぐっ……!」
全身の複雑骨折――到底立っていることすら困難な筈。だが、ニラカイザは僅かに苦痛に顔を歪めただけで、直ぐに何かを確信したように、にやりと口角を上げた。
「はっ……理解したわ。お前のユニークスキル……戦闘中のルール……規則……掟を定める。――そんなとこやろ?」
「どうだかな」
――当てるか……!コイツ……!
「――死ねや」
――刹那、急速に俺との距離を詰めたニラカイザ。複雑骨折した身体でありながら、火花を散らす速度で繰り出された膝蹴りが腹を貫く。
「が……はッ……!」
――コイツ……全身の骨が折れた状態で……!
俺の呼吸が乱れ、視界が白く弾ける。身体が床へと崩れ落ちる。見上げた先で、ニラカイザは右手に大量のパチンコ玉を掴み、掌の上でコロコロと転がしていた。
――膝蹴りと同時に抜き取ったのか……。
ニラカイザは、沢山のパチンコ玉を床に散蒔き、その上にそっと足を乗せた。次の瞬間、銀色の球がその圧力で粉々に砕け散った。足を退けると、そこには金属の粉末だけが残っている。
――パチンコ玉を踏み潰す。炭素鋼やステンレス鋼で作られ、球形故に力が均等に分散される筈のそれを。通常の人間には、まず不可能な芸当だ。……化物か。
立ち上がろうとした瞬間、的確な回し蹴りが側頭部を捉える。視界が弾け飛び、再び壁へ叩き付けられた。全身を凄まじい衝撃が貫く。
「弱い。話にならんで……!その程度でよくオレに刃向かったモンやな……!反吐が出るわ」
――何故掟が通用しない?複雑骨折した状態でのこの身の熟し……これは気力で補っていると考えるしかない。
――だとすれば石化の罰も気合いで解いた?馬鹿言うな……。
「事務所の玄関にお前の首を飾ってやるわ……!覚悟しろや……!」
――いや、違う。俺が温かった。
透かさず、転がった〈エフェメラリズム〉を手に取り、ポケットに仕舞っていた「モノ」と共にゴム紐を引き絞る。弾ける音。ニラカイザの金縁眼鏡が片側だけ砕け散った。破片が右眼に突き立つ。
「……なっ!?」
その隙に立ち上がり、後ろ回し蹴りで後頭部を狙う。ニラカイザの身体が重力に引き倒されるように前方へ倒れ込んだ。
「お前……ッ!」
ニラカイザは即座に立ち上がった。その右の眼からは、どくどくと血が流れている。お互いの身体は、既にボロボロだった。短い静寂の中、ニラカイザが低く問う。
「お前のパチンコ玉は全て破壊した筈や……!何処に隠し持っとんたんや……!?」
「パチンコ玉じゃねーぞ、それ」
床に転がっている、血が付着した「それ」に目を向ける。「それ」は――赤字で「中」と彫られた、一枚の麻雀牌であった。
「成程なぁ、お前……下の階で拾って隠し持っとったんか」
『掟:攻撃を禁ず。
破れば、自らも同じ傷を負う。』
――掟は両者に課される。半端な罰はもう通用しない。なら――互いの肉を削り合うしかない。
「――和了らせてもらうぞ」
踏み込み。互いの拳が、再び火花のようにぶつかる。殴れば殴る程、俺自身にも同じ傷が刻まれていく。
雨と血煙が混ざる中、二人の肉体がぶつかり合う。インファイトは、加速する。
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