1-41 韮組
――雨が、プレハブ街を灰色に沈めていた。その静寂を踏み締めるように、俺達〈神威結社〉は二車線の濡れた車道を進んでいた。
水溜まりを踏む度に、靴裏に冷たさが跳ね返る。街全体を覆う無機質な灰色は、単なる雨景色ではない。十三年分の怨嗟が、空にまで滲んでいるようだった。
「ヒナティ女史はどうなったんでしょうなぁ……」
「ヒナティさんって去年、『巨大隕石落下を拳一つで粉砕した』んですよっ!?そう簡単には負けませんよっ!」
「十傑か……」
――十傑――神話級ユニークスキルを持つ、この新世界における世界上位十名。「一振りの剣で空を割った」、「世界の大陸を一つ消滅させた」――何れも神話めいた逸話を持つ連中だと聞く。簡単に負けるとは思えないが……。
だが――〈韮組〉事務所のあるロータリーからは、戦闘音一つ聴こえてこない。不気味な静寂だけが、雨の帳と共に垂れ込めていた。
ロータリー中央に停まる黒塗りの高級車。その周囲では、スーツ姿の屈強な構成員達が倒れ伏し、雨に濡れながら呻いている。
そして、その前に――二つの影が立っていた。一人は黒髪オールバック、浴衣に眼鏡、割れた顎に筋肉質の大男。もう一人は若い女性で、男に包丁を突き付けていた。
「――夫の仇よ!」
「……いけませんねェ」
ねっとりとした口調で話す浴衣姿のケツアゴの巨漢。彼は、女性が突き付けた包丁を素手で叩き落とした。
「……あっ」
「反逆の目は摘まないといけませんよねェ……。今日の見せしめは貴女で決まりですねェ……」
次の瞬間、浴衣男の下半身が変形した。骨格も皮膚も無視した異様な変貌。人間だった下半身は、巨大なタイヤへと姿を変え、ブルンブルンとバイクを空吹かししたような音を響かせた。
「い、いやっ……!」
「轢き殺してあげましょうねェ……」
タイヤが急加速する――が、その瞬間。強烈な一蹴。その足が男の胸板を撃ち抜き、男の身体は白いプレハブ壁に叩き付けられた。
「……成程成程。貴女方が組長の仰っていた羽虫ですかァ……」
浴衣の巨漢は、壁に血を撒き散らしながらも立ち上がる。そしてその男に蹴りを喰らわせた張本人――メイド服姿の白いミディアムヘアの美女――アマネは、ニコッと微笑み、さらりと挑発した。
「一輪車の分際で車道を走るんですね」
「……フフフ……面白いですねェ!」
「今のうちに逃げてください」
「は、はい!ありがとうございます……っ!」
アマネが背後の腰を抜かした女に声を掛けると、女は涙に濡れた顔で礼を述べ、その場から走り去っていった。
「アマネシエル女史……あんなに強かったのですな……」
「アマネシエルさんっ!カッコいいですっ!」
――アマネは普通の女の子だ。ユニークスキルも回復特化。本来なら前線向きとは言い難い。……だが、やらなければならない。
「アマネ。作戦は〈アトランティス市議会〉戦と同じ、『各個撃破』だ。頼むぞ」
「かしこまりました。皆さんもご武運を」
アマネシエルが事務所へ向かう俺達を見送り――その直後。浴衣姿の巨漢が時速百二十キロの突進で追撃した。――だがアマネシエルは右足を軽く引き、上半身を傾けただけで、それを抜けていく。スカートの裾が雨風に揺れた。
「〈韮組〉・本部長――ゲントウです。街全体に敷かれた車道……私のフィールドの上で、轢き殺してあげましょうかァ……」
――――――――――――――――――――――――
「韮組 本部長」ゲントウ
7,800,000G
――――――――――――――――――――――――
アマネは、右足を斜めに引き、左足の膝を軽く曲げ、メイド服のスカートの裾を指で摘んで頭を下げた。所謂、カーテシーと呼ばれる貴族社会の挨拶法だ。
「〈神威結社〉のアマネシエルです。因みに、一輪車は歩道も走行禁止ですよ?」
軽やかな煽りと同時に、アマネは車道を全力疾走で駆け出した。ゲントウが、タイヤを軋ませながらそれを追う。エンジン音にも似た轟音が、雨のロータリーに響き渡った。
「――は?敵に背中を向けて逃亡ですかァ……!?逃がしませんよォ……!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――一方、セツナ・タクオフ・ハズレちゃんサイド。雨風に晒され、汚れたコンクリートの外壁。その二階建ての建物――〈韮組〉事務所の扉を押し開ける。
一階は乱雑な賭場だった。卓上には麻雀牌と金貨、散らばった点棒。つい先刻まで、賭け麻雀にでも興じていたのだろう。
窓際には、赤いチャイナ服の女が佇んでいた。白いシニヨンカバーを乗せたお団子頭。糸目。片脚を大胆に晒す深いスリット。全てが妙に妖しく、そして殺気を纏っている。
「你好」
「わあっ!綺麗な人ですねっ!」
「師匠……恐らく、幹部ですぞ……」
「……だろうな」
「挨拶を無視する。良くないアルネ」
女はゆっくりと歩み出る。その女の所作には、何処か軽やかさが感じられた。しかし、刃の気配を孕んでいた。
「ゲントウサンから聞いてるアル。羽虫アルネ。〈韮組〉に楯突く。阿呆アルカ?」
柔らかな声音とは裏腹に、その一歩ごとに圧が増していく。
「――師匠!ここは……ここは……小生が……!」
タクオフの脚はガクガクと震えていた。恐怖するのも無理はない。彼女からは、只者ではない圧が漂っている。
「タクオフさんっ!その調子で大丈夫ですかっ?」
「……ハズレちゃん、タクオフはやる時はやる男だ。タクオフ、任せるぞ」
「早く行ってくだされ!ニラカイザを討てるのは、師匠だけですぞ!」
タクオフの言葉に小さく頷き、俺は手に握ったものをポケットに滑り込ませる。そして俺とハズレちゃんは階段を駆け上がった。
タクオフとチャイナ服の女だけが残された一階。赤いチャイナ服の糸目の女は、感心したように小さく笑った。
「その勇気……好ネ」
「お褒めに預かり光栄ですな……」
「〈韮組〉・舎弟頭――李蓬莱アル」
――――――――――――――――――――――――
「韮組 舎弟頭」ホーライ
4,960,000G
――――――――――――――――――――――――
「〈神威結社〉所属!商人のタクオフですぞ!必ず!勝ちますぞ!」
震える足で、それでもタクオフは一歩を踏み出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――二階は血の匂いに満ちていた。壁には血飛沫。床にはスーツ姿の遺体が転がり、日本刀が仰々しく飾られている。何れも「飾り物」ではなく、実際に人を斬った重みを帯びていた。
その奥のデスクに腰掛けているのは、インテリヤクザ風の長身の男――ニラカイザ。傍らには、スキンヘッドの巨漢が控えている。ニラカイザは紙煙草を咥えたまま、面倒そうに言った。
「今日は羽虫がよく湧く日やんな……」
「わーっ!めちゃくちゃ悪そうですねっ!」
ハズレちゃんが無邪気に口を滑らせる。
「組長さんか?」
「せやで?〈韮組〉・組長のニラカイザ――竜ヶ崎龍帝や」
――――――――――――――――――――――――
「韮組 組長」ニラカイザ
18,000,000G
――――――――――――――――――――――――
「そうか、俺は〈神威結社〉の雪村雪渚だ。お前を潰しに来た」
チクタク、チクタク――時計の針の音が耳を劈く程に聴こえた。雨音と針の音が絡み合う中、ニラカイザが眉間に皺を寄せた。
「『お前』……?お前……誰に口利いてんねん」
「お前だよ、お前」
「イキがり過ぎや、小僧」
「……ううっ」
背後から呻き声が聴こえた。振り返ると、ヒナティが乱雑に投げ出されている。腹を押さえ、壁に凭れながら、弱々しい呼吸を繰り返していた。
「なんだ、十傑じゃないか。やられたのか」
「わっ!ヒナティさんっ!大丈夫ですかっ!」
ヒナティの隣には、首から上がぐちゃぐちゃに潰された、顔のない遺体。スーツ姿からして、構成員の一人なのだろう。
「……情けないとこ見せちゃったわね」
「世界上位十名の一角が負けるか……。まあ事情があったんだろ。深追いはしねーよ」
「……そう」
その時――ニラカイザの傍らに控えていたスキンヘッドの男が前に一歩。踏み出したかと思えば――突然、加速した。ハズレちゃんの華奢な身体を掴み、硝子窓に叩き付ける。
「――うぐっ!」
「――ハズレちゃん!」
「わぁっ!」
硝子が砕け散り、悲鳴と共に彼女は外へ落下していく。スキンヘッドの巨漢はニラカイザを一瞥し、低く言った。
「……組長、このヘッドロアに雑魚はお任せください」
「おう、頼んだで」
ヘッドロアと名乗る男が去ったのち、その場には俺とヒナティ、ニラカイザだけが残された。
――ハズレちゃん……頼むぞ……。
「ヒナティ、体、大丈夫か?傷だらけじゃないか」
「うっ……大丈夫よ、鍛えてるから。――って後ろ!」
俺は反射で振り返る。ニラカイザの拳が目の前に迫っていた。足を絡め、崩し、顎へアッパーを叩き込む。
――轟音。ニラカイザの身体が真上へ跳ね上がり、天井に大穴が開いた。天井の罅が雨音を吸い込み、静かに軋む。
「……なんだ。敵じゃなさそうだ」
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