1-39 十三年戦争
「十三年……。それから……リューカは十三年もニラカイザと戦い続けてるのだ。それでもリューカは毎回、必死に金貨五枚を集めて、挑んでは大怪我を負い……挑んでは臓器を潰され……もう見ていられないのだ……」
その言葉は、テマリの喉から零れ出るたびに震えていた。声というより、十三年分の悲鳴が形を変えたものに近い。
俺達〈神威結社〉は息を呑み、ただ黙ってその震えに耳を傾けるしかなかった。
窓の外は、つい先程まで晴れていたはずなのに嘘のように暗転していた。黒雲に、押し潰されたかのように。
「もう、誰も助けに来ないまま、十三年が経ってるのだ」
テマリの表情は、あまりに静かだった。静か過ぎて、逆に胸が詰まる。怒りと悲しみが混ざり過ぎると、人は涙を流すことも出来なくなるのかもしれない。――前世の俺も、最後はそうだった。
「そんなことがあったのか……」
「知らないのも無理はないのだ。あの城壁のせいでボク達は逃げ出したくても逃げられないのだ。情報機器を持つことも許されず……外に情報が漏れることはないのだ」
この十三年、アガラサキという街は世界から切り離された。――否、世界から「切り捨てられた」と言うべきだろう。
「その城壁は壊れただろ?」
「無駄なのだ。あいつら――〈韮組〉は地獄の底まで追ってくるのだ。逃げ出したとしても、いずれ殺されるということに一生怯えなければならないのだ」
その声は、逃げ出す未来を一度は想像し、そして絶対に叶わないと知った者だけが持つ、何処までも深い絶望の色をしていた。
――正に、「陸の孤島」という訳か。
「ニラカイザ……聞いたことはありますっ!アガラサキの外でもその残忍性は有名で、警察も手出しできないんですっ!ニラカイザさんには千八百万ゴールドの懸賞金が懸けられていますっ!」
「そうか……。テマリ。逆らったら殺される、ということ以外に〈韮組〉からの実害はあったのか?」
「もちろんなのだ……。あいつらは……あいつらは……っ!」
テマリは唇を噛み、血の味で喉の震えを誤魔化すように、言葉を絞り出した。
「遊び感覚で、見せしめとして毎日住民の一人を殺すのだ……っ!それで、上納金を払えなかったボクの両親も……っ!」
――成程。それで「支配」、か……。
テマリは悲痛の涙を浮かべた。下唇を強く噛み締め、じわりと滲む赤。テマリが――いや、アガラサキの住民達が、ニラカイザをどれ程までに憎んでいるのかが、痛い程に伝わってきた。
「テマリ、リューカは村の住民達の代わりに戦ってるんだろ?」
「そうなのだ。〈韮組〉の構成員を除けば、このアガラサキで戦えるのは、上位級ユニークスキルを持つリューカだけなのだ……」
「だとすれば、どうして住民達はリューカに冷たいんだ?」
その瞬間、テマリの表情が僅かに揺らいだ。胸の奥を針で刺されたような、一瞬の痛みが影となって滲む。
「それは……ごめんなのだ。言えないのだ……」
「そうか……」
――自殺という手段で「降りた」俺と、十三年間もの間、兄に支配され続けても尚、戦うことを止めないリューカ。
――前世の俺にはなかった「生きる意志」。リューカにはそれがある。
「テマリおねえたまも、リューカおねえたまも、たいへん」
フランが小さな声でぽつりと呟いた。その一言に、テマリは堪らず目を伏せる。震える口元で、それでも笑おうとしながら。
「……フランちゃんは小さいのにいい子なのだ。フランちゃんは、ボク達みたいに、支配に怯えて生きちゃダメなのだ。セツナ達が守ってあげてほしいのだ」
「ああ……」
窓の外の空は完全に黒雲に覆われていた。このプレハブの一室には、陽光の欠片すら差し込まない。
その暗闇に――最初の雨粒が、ぽつり、と窓を叩いた。直ぐに雨は強さを増し、プレハブの屋根に叩き付ける雨音が、逆に「静寂」を増幅させる。
「――オギャー!オギャー!」
何処かの家の赤子の泣き声が、雨の中に微かに溶けた。テマリは俯き、小さく呟く。
「隣の家の子なのだ……。あの子も……殺されるために生まれた訳じゃないはずなのだ……」
雨足が強くなる。ザーザーと降り頻る雨の中、無機質なプレハブの中の空間は、五月蝿い程の静寂で満たされていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――同時刻、アガラサキの中心地。
ロータリーの中央に、〈韮組〉の二階建ての事務所が建っている。瀕死の構成員が、ロータリーの車道上に大勢倒れていた。黒いスーツを、叩き付ける雨が容赦なく濡らしていく。
二階建ての組事務所――ブラインド越しに雨を見下ろす、一本の黒い影。ニラカイザ。切り揃えられた黒髪は濡れた油膜のように光を反射し、金縁眼鏡の奥の瞳は、温度という概念を拒絶していた。
整い過ぎたスリーピース。グラスコードは金の双鎖。過剰にも思える装飾ですら、彼の異常な「支配欲」を際立たせるための舞台装置に見えた。
「土砂降りやなぁ……」
「――組長!」
扉が乱暴に開き、びしょ濡れの構成員が駆け込む。男は息を切らし、切羽詰まった表情を浮かべていた。
「……なんやねん、そない慌てて」
「く、組長!十傑です!十傑のヒナティが!」
「ヒナティやて?それで?ヒナティは今どこにおるん?」
「ヒナティは現在この事務所の遥か上空にいます!組長を誘い出す気かと!」
「問題あらへんで。住民共に危害は加えられへんハズや。派手なことはできひんやろ」
「で、ですが組長!痺れを切らしてこちらに来るのも時間の問題かと!」
「ん?なんや?お前、オレを舐めとるんか?」
ニラカイザの声色が一段落ちた瞬間、室内の温度が数度下がったような錯覚を覚える。
「い、いえ!そんなつもりは――」
ドシュッ。
構成員の頭が、拳一発で爆ぜた。血飛沫が散る。倒れた身体は抵抗することもなく雨の音に掻き消された。
ニラカイザは一切表情を変えない。ポケットからスマートフォンを取り出し、何事もなかったかのように発信ボタンを押した。
『――組長、お疲れ様です』
「ゲントウ。悪いねんけど今すぐ戻ってや。羽虫が城壁ブッ壊して紛れ込んどんねん」
『かしこまりましたよォ』
「ゲントウ、李とヘッドロアの奴にもすぐ戻るよう伝えといてや。どうも他にも羽虫が入り込んでいるみたいやねん。お前ら幹部はそいつらを始末しろや。害虫駆除や」
『かしこまりました。瞬で戻りますよォ』
通話を終えたニラカイザがスマートフォンを仕舞うと、またも扉が開いた。
濡れた靴底が床を打つ音。荒い呼吸。怒りで濁った赤い瞳。長く艶のある黒髪、その頭から二本の黄色い角を生やし、黒光りする軽装の鎧に身を包んだ女が立っていた。女の表情は、憤怒に歪んでいる。
「よォ、クソ兄貴……ぶっ殺しに来たぞォ!」
「誰かと思えば可愛い妹やんけ。十三年も毎日通い詰めて、優秀やでほんま。金は持って来たんやろな?」
黒髪の女は床に倒れた顔のない遺体を見て、苦悶の表情を浮かべる。直ぐに兄へと向き直り、唸るように吐き捨てた。
「クソが……ッ!今日こそは終わらせてやるからなァ……!」
「早く出せや、十万ゴールドやで。二、三回身体売れば稼げる額やろ?出せへんって言うんならわかっとるやんな?今日の犠牲となる住民が更に一人増えることになるで――」
「――クッソが……ァ!」
バン、とデスクの上に叩き付けられた十枚の白金貨。プラチナが光る。その光が、どれ程の屈辱と絶望の象徴か。ニラカイザは立ち上がり、ポキポキと指を鳴らした。
「いい子や。『お兄ちゃん』が相手してやろか」
外で雷鳴が轟いた。それと同時に室内の明かりが一瞬だけ揺らぎ、ニラカイザの輪郭を雷光が擦る。男の金縁眼鏡の奥の目は最早、妹を見てはいなかった。
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