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1-38 失意のドラゴニュート

 リューカの背中が、プレハブ街の奥へと飲み込まれるように消えていく。ぽっかりと残された車道の真ん中には、俺達〈神威結社〉だけが取り残されていた。


 静寂――。その沈黙を破ったのは、アマネの静かな一言だった。


「せつくん……リューカさんは……」


「ああ、大体の事情はわかった。だが――推測じゃ動けねえ。確証が欲しい」


 俺は視線を巡らせる。プレハブの陰、家屋と家屋の隙間、屋根の影――。そこに、(わず)かに揺れる気配がある。怯え、隠れ、しかしこちらを窺っている、小さな気配。


「――おい、さっきから俺達を覗いてる奴、いるんだろ?気付いてるぞ」


 びくり、と空気が跳ねた。そろそろと物陰から顔を覗かせたのは――白い羊の着ぐるみ。いや、正確には、羊を模した着ぐるみから顔だけを露出した、金髪の少女だ。大きな瞳。怯えた子鹿みたいな挙動。少女は、周囲を何度も確認しながら、着ぐるみ姿のまま俺達の背後へ歩み寄ってきた。


「なんだ、ガキんちょか……」


「ガ、ガキんちょとはなんなのだ!こう見えても立派な十八歳なのだ!」


 少女は目を丸くして、地団駄を踏んで憤慨し始めた。その様子があまりにも滑稽(こっけい)で、逆に現実感が削がれる。


「はあ?ホントかよ」


「本当なのだ!もう成人なのだ!合法(ごうほう)ロリなのだ!ほら……お酒だって飲めるのだ!」


「――合法ロリでありますか!?」


 鼻を(ふく)らませながら目を輝かせる丸眼鏡の巨漢――タクオフと対照的に、可愛らしく憤慨(ふんがい)するその少女――改め成人女性は、胸元のファスナーを開け、懐から小瓶を取り出す。


 ――焼酎。


「お、おい」


 羊の着ぐるみの女は腰に手を当てると、焼酎を掲げ、そのまま口を付ける。ごくごくと、躊躇(ためら)いなく喉を鳴らし始めた。


 羊の着ぐるみを着た、どう見ても十歳程度にしか見えない少女が、こんな朝から焼酎をぐびぐびと飲み()す姿は、あまりにパンチが効き過ぎている。どう見てもヤバい()だ。絵面のパンチが強過ぎて、脳が状況を処理するのを拒否してくる。


「この画……大丈夫ですかな!?」


「なかなかショッキングですねっ!」


 少女はグラスなど介さず瓶から直飲みした焼酎を空にすると、その空き瓶を見せつけ、ドヤ顔で言い放った。


「ごく……ごく……ぷはぁ。どうなのだ、これでわかったのだ!?」


「焼酎をロックでイッキ飲みは大人とは言えねえよ、ガキんちょ」


「……なっ!?なんなのだこの無礼な歯ギザギザ色眼鏡男は!」


「おっ、『色眼鏡』か。上手いこと言うな」


 茶色のレンズが嵌められた金縁の眼鏡を、クイッと押し上げながら俺は言った。


「それにその中身、ただの水だろ」


「――なっ!なんでわかったのだ!?」


「バレバレだ、アホめ」


「ふふ、せつくん。揶揄(からか)うのもそこまでにしておきませんか?」


「はは、そうだな」


 俺が一旦引くと、アマネが少女の目線に合わせて膝を折り、柔らかく微笑む。


「あなたはリューカさんのお知り合いですか?」


 羊の着ぐるみの女は、エヘン、とでも言いたげに腰に両手を()え、胸を張って答えた。


「そうなのだ!ボクはテマリ……羊ヶ丘(ひつじがおか)手毬(てまり)。リューカの親友なのだ!」


「ほう、ジャストタイミングで事情を知ってそうな奴が来たな」


「……いや、『親友だった』と言った方が正確かもしれないのだ」


 その瞬間、テマリの声に(かす)かな陰が落ちる。


「テマリ、リューカの話を聞かせてくれ」


「わ、わかったのだ」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 案内されたプレハブは、街の無機質さと同じく、必要最低限のものしかない空間だった。白い壁。無個性な天井照明。簡素な冷蔵庫と敷布団、小さなテーブル。コンパネ仕上げが(ほどこ)されたグレーの床。


 生活空間というより、「最低限の生命維持機能だけを残した収容所」と言った方が近い。ここで長く暮らしていれば、心の色まで白く脱色されていきそうだ。


「お茶すら出せずに申し訳ないのだ……」


「いや、構わない。ああ、申し遅れたな。俺は〈神威結社〉のセツナだ」


「アマネシエルと申します」


「タクオフですぞ!」


「はいはーいっ!事件あるところに私ありっ!キュートでラブリーなハズレちゃんですっ!」


「フラン!」


「俺はリューカとは……そうだな、殺し合った仲だ」


「……よくわからないのだ。知り合いなのだ?」


「まあそんなところだ。テマリ、それよりなんだこの街は。街全体がプレハブ住宅なのか?」


「……そうなのだ。昔はこんな『白い檻』じゃなかったのだ……。緑があって、笑い声があって……普通の街だったのだ。『あいつ』がこの街を支配するまでは……」


「あいつ……?リューカの兄って奴か」


「その通りなのだ。十三年前、あいつ――ニラカイザがこのアガラサキを支配し始めてから、ボク達の生活は変わってしまったのだ」


 テマリの声が震え、握られた拳が(わず)かに強張る。薄暗いプレハブの天井にその声が乾いて反響し、長年積み重ねられた恐怖の重さを、静かに告げていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――十三年前。その日までのアガラサキは、陽に照らされれば緑が香り、子供達の笑い声が空へと風船のように浮かんでいく、穏やかな土地だった。石畳は温かく、干したシーツは陽光の匂いを含み、どの家にも当たり前の「明日」があった。


「ホーライちゃん!次はホーライちゃんが鬼だよ!」


「隠れるのだ!リューカ!」


 ――当時五歳の竜ヶ崎(りゅうがさき)竜歌(りゅうか)――リューカは、今よりずっと背も低くて、声も細く、まだ角も小さく、子犬のように笑う少女だった。


 彼女の隣には、必ず二人の親友がいた。金髪の羊少女・テマリ。東国の血を引く、黒髪お団子頭のホーライ。三人は、三人だけの小さな世界が全てだと信じて、日が暮れるまで走り回っていた。


「ふふ、今日も遊んだね」


「遊んだアルネ。ねえ、リューカ、明日はお兄さんの誕生日アル?」


「うん!お兄ちゃんも明日で十歳、ユニークスキルが貰える日なの!」


「リューカのお兄さんはすごいから、街のみんなも上位級に違いないって言ってるアル」


「羨ましいのだ!ボクも早く十歳になりたいのだ!」


 無邪気で、疑うことを知らず――幸福は永遠に続くものだと信じていた。


 その頃のリューカには密かな自慢があった。兄・ニラカイザだ。ニラカイザは、近所でも評判の「賢い子」だった。読書家で、成績も良く、誰に対しても物静かで礼儀正しかった。いつも本を抱えて歩く姿は、近所の大人から「しっかりした子だ」と褒められ続けていた。


「ニラカイザ兄さんは賢いアル。きっと良い階級のユニークスキルが顕現するアルヨ」


「うん!だってお兄ちゃん、優しいし、頭もいいし……!」


 その夜、リューカは布団の中で、嬉しそうに何度も寝返りを打ったという。明日には、自慢のお兄ちゃんがもっと凄い人になる――そんな想像だけで胸が弾んだ。


 ――翌朝。幸福は、唐突に終わりを告げる。


 リューカが寝間着のまま居間へと降りると、両親はいつもと変わらず食事の支度をしていた。


「お父さん、お母さん、おはよう」


「おはよう、リューカ」


「今日は早起きなのね」


「うん!お兄ちゃんの誕生日だから――って、お兄ちゃんは?」


「ああ、それがニラカイザの奴……出掛けるって」


「私達、まだあの子のユニークスキルも知らないのよ」


 その瞬間、外から轟音が響いた。喧騒。絶叫。石を砕く重機のような、鈍く重い振動。


「何の音だ?工事でもやってるのか?」


「あの子が心配ね。リューカ、ちょっと探しに行って来てくれるかしら」


「うん!」


 しかし、外へ飛び出したリューカの目に映ったのは、「工事」などではなかった。――街の破壊。煉瓦(れんが)家屋が重機で無慈悲に破壊され、その傍らで巨大な城壁が建てられていく。まるで、街全体を丸ごと「檻」に変えるように。


「なんだよこれ……」


「どういうことだ……?」


 アガラサキを取り囲むように、高さ五十メートルはあろう分厚い城壁がぐるりと立ち上がっていく。住民達はそれを見上げながら、困惑と不安の声を上げていた。


「――リューカ!どうなってるのだ!?」


「突然、家が壊されたアル!」


「――テマリちゃん!ホーライちゃん!」


 その時、リューカの背筋を冷たく撫でる気配が現れた。ゆっくりと近付いてきたのは――ニラカイザだった。眼鏡を掛け、眉間に(しわ)を寄せ、薄ら笑いを浮かべる。だが、その瞳の奥に宿っているのは、十歳の子供が持つにはあまりに歪んだ「計算」と「支配欲」だった。


「おー、おー、騒いどるなぁ。どうしたんや?皆さんポカンとして……」


「ニラカイザ……」


「おい、ニラカイザ……お前が主導だと聞いたぞ。どうなってるんだ?」


 兄の傍らには、筋骨隆々のスーツ姿の男が控えていた。


「お兄ちゃん……?何を……やってるの……?」


「どうもこうもないやろ。下位級や中位級のユニークスキルの皆さんには荷が重いやろ?やから、英雄級ユニークスキルのオレが代わりにみんなを導いてやる言うてんねん」


「な、何を言ってるんだ?」


「おい!何でもいいから工事も取り壊しも()めろ!」


「うるっさいなぁ。――ゲントウ」


「はい。組長」


 パンッ、と軽い音がした。ゲントウと呼ばれた男がまるで宙を舞う蚊でも叩き潰すかのように、手を叩いた――ように見えた、次の瞬間。


 潰されたのは、蚊ではなく、人の頭だった。


 頭部が破裂し、遅れて血が噴き出す。遅れて悲鳴が街を覆い尽くした。


「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!主人が!主人が!!」


「お兄ちゃ……」


 リューカの身体が硬直する。兄は、笑ったままだ。


「リューカのお兄さん!?何してるのだ!?」


「ひどい……アル」


「せやな、街を治めてやるのも大変なんや。住民税や。お前ら、住民は子供一人につき毎月五万ゴールド、大人一人につき十万ゴールド治めろや」


「そんな額……払わえるワケないだろう!」


「生活が……ただでさえ苦しいのに……!」


「ええんやで?払いたくなきゃ。こうなりたいんか?」


 ニラカイザは、さっき殺した男の死体を掴み上げ、見せしめに掲げた。住民達の喉がひゅっと鳴る。誰も、何も言えなかった。


「今この瞬間から、アガラサキから出た者は反逆者と見做(みな)して殺すで。さあ、オレらの手で良い街にしようや」


 ――その日から、アガラサキから自由が消えた。


 城壁が完成し、街は完全に閉じられた。逃げ道が断たれたその日の夜。瓦礫と化した自宅跡へ戻ったリューカは、静か過ぎる空気に違和感を抱く。


「……お父さん……?お母さん……?」


 返事はない。胸騒ぎがした。


 瓦礫を搔き分ける――そこに、父と母が寄り添うように倒れていた。冷たく。静かに。


 机の上には、震える字で書かれた紙切れが置かれていた。


――――――――――――――――――――――――

リューカ、ごめん

私達はあの子を止められなかった

それが、親としての罪です

――――――――――――――――――――――――


 涙が、言葉より先に落ちた。


「……お父……さん……?お母……さん……?」


 リューカの喉から()れた声は、言葉にならない(うめ)きだった。


「あ……ああ……」


 兄が、直接手を下した訳ではない。だが、兄が生み出した「地獄」が、両親を死へ追い込んだ。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 ――その事実の方が、余程残酷だった。


 ――翌日の夕暮れ。瓦礫となった自宅跡に、リューカ、テマリ、ホーライは(たたず)んでいた。


「私の生まれ育った家が……壊されちゃったアル……」


「ひどいのだ!なんでお兄さんはこんなことするのだ!」


「わかんない……!わかんないよ……!」


「私達の生まれ育った街の……原型もないアル……」


 リューカは涙を拭い――ゆっくりと立ち上がった。


「――私……お兄ちゃんを止めてくる」


 街の中央――張られたばかりの道路と、そのロータリーの中央に(そび)える真新しい組事務所を見遣(みや)る。


「――む、無茶なのだ!相手は英雄級ユニークスキルなのだ!」


「それにリューカはまだ五歳……ユニークスキルもないアル!」


「でも……私が止めなきゃ……」


 テマリやホーライの手を振り解き、組事務所へと向かう。震える足で、それでも前へ進む。その足取りは幼いなりに重く、しかし確かな決意が宿っていた。


 ――〈韮組(にらぐみ)〉・組事務所。ドアを(くぐ)ると、スーツ姿の大人達が整列し、十歳のニラカイザを「組長」として迎えていた。


 兄は、その二階の椅子に()()り返っていた。十歳とは思えぬ冷えた眼差しで、スーツ姿の部下を背に従えて。


「……お兄ちゃん、こんなことは……やめて……」


「なんや?リューカ、昔はオレによう懐いとったのに、えらい反抗するようになったなぁ」


「こんなのは……ダメ。お兄ちゃんの力は……そんな使い方をするものじゃない」


「せやかてお前も子供なんやから、毎月五万ゴールド払わな死ぬんやで?身体でも売れば稼げるやろ」


「…………払えないよ。お父さんもお母さんも、死んじゃったから」


「はは。せやったな、実質オレが殺したんやったわ!」


「……っ!」


 心臓を素手で握り潰されたような感覚。呼吸が乱れ、視界が揺らぐ。


「……せやな。やめたってもええで?」


「ほんと!?」


「お兄ちゃん、嘘は()かへんで?」


 薄暗い照明の下で、兄はにやりと笑う。


「……簡単や。オレを殺せばええ」


「……えっ?」


「オレを殺せば止められるやろ?簡単な話や」


 幼い妹の心を、弄ぶように。


「……で、でも」


「さあ、こっちから行くで?――」


 次の瞬間、ニラカイザの姿が「消えた」。――そしてリューカの腹に回し蹴りが()り込む。


「ッ――!?」


「遅いわ、リューカぁ。そんなんでオレ殺せる思たんか?」


 床を転がるリューカ。思考より先に涙が(あふ)れる。この人は、唯一の肉親である五歳の妹を殴ることに、何の躊躇もない。


 それでも兄は、追撃はしなかった。愉悦に濡れた笑みを浮かべる。


「よし、今日のところは五万払え。ほなな」


 兄は椅子に戻ると、興味を失ったように机を指でトントンと叩いた。


 リューカの戦いは――始まった瞬間、終わっていた。


 ――数刻後。夜も更けた頃、組事務所から、ボロボロのリューカが姿を現す。その姿を見て、心配そうに帰りを待っていたテマリとホーライの二人が駆け寄った。


「――リューカ!血まみれなのだ!」


「大丈夫アル!?」


「うん……。でも、お兄ちゃんに戦いを挑む度に、五万ゴールド払えって……」


「そんな……!お兄さんは、リューカを利用して搾り取る気アル!だから……殺さなかったアル!」


「あんまりなのだ!それじゃ、抜け出せないのだ!」


「でも……お兄ちゃんを殺さないと……街のみんなが……」


 震える声でそう言ったリューカの前で、ホーライが拳を固く握った。


「……リューカだけには手を出さないよう……言ってくるアル」


「……ホーライちゃん?」


「心配ないアル。ちょっと話をしてくるだけアル」


 そうして、ホーライの姿は闇に消えた。その背中は決意に満ちていた。しかし――その「ちょっと」が、何を意味するのか。幼いリューカは、まだ知る由もなかった。

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