1-22 豚と海豚の竜宮夜
「キャンサスおねえたま、おにいたまたちはどこ?」
海底都市アトランティス、幸運の街・マリンクリン。閑散とした夜の街を、フランは小さな足で駆けていた。隣を歩くのは、タスマニアンキングクラブの魚人族――キャンサス。紅の甲殻が光を反射し、硬い爪でフランの手をそっと握る。
「そのお兄さんというのは……誰を指しているのだ?子供」
「セツナおにいたまとアマネシエルおねえたま」
「……子供を夜に放置とは、随分と無責任だな。同じ大人として説教が必要だ」
「ちがうの。おにいたまたち、たたかってる。フラン、おるすばん」
「戦ってる……?誰とだ?」
「わるいひと」
「……?要領を得ないが……そうか。悪を成敗しているのだな。お兄さん達は何処に向かうか言っていなかったのか?」
「あ、りゅーぐーじょーっていってた!」
「竜宮城?しかし、あの場所は今――」
「りゅーぐーじょー、いく!おにいたまたち、いる!」
言うが早いか、フランは甲殻の手を振り解いて駆け出した。海底都市の中心――闇の中で青白く浮かび上がる竜宮城。その光に吸い寄せられるように、少女の影が海底の石畳を走る。
「ま、待ってくれ、子供!」
キャンサスが慌てて追い掛ける。その胸中に芽生えていたのは、不本意ながら否定しようのない感覚――「この子を見捨てられない」という、戦士の本能にも似た衝動だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――竜宮城・最上階。砕け散った床石、壁一面を走る亀裂。窓の外では潮流が荒れ狂い、海の闇が渦を巻いている。その中心で、セツナとマルコの激戦は、熾烈を極めていた。
水色の肌にオレンジのアロハ。ホオジロザメの魚人族――マルコは全身から「牙」を生やし、狂気の笑みを浮かべている。
「――『叢雨』ッ!」
「くっ……!」
「人間風情が……!笑わせるな……!」
拳が飛ぶ。牙が閃く。顎が開く。全身至るところに顎を持つ怪物に、完全な防御など存在しない。俺は跳躍とスライドでギリギリの間合いを保ちながら、〈エフェメラリズム〉で迎撃する。弾丸が連射される度、着弾点から生じる衝撃波が床を穿ち、石片と潮が一緒くたに舞い上がった。
「くっ……!」
掌一つで全身の顎に対抗できる道理もない。防ぎ切れぬ裂傷。柄シャツに血が滲む。
「死ぬのは怖いだろう?」
「いーや、一回自殺した身なんでね」
「抜かすな。もう一度死ね――」
引き絞った〈エフェメラリズム〉を横薙ぎに振り切り、弾丸をマルコの腹部へ叩き込む。
――その瞬間だった。マルコの腹が、ぱっくりと割れる。撃ち抜いた――のではない。水色の腹筋そのものが裂け、その内側から、牙をぎっしりと並べた巨大な顎が開いたのだ。
「『秋雨』」
――ガチン。歯が噛み合う轟音。身を捩じって回避しようとした、その一瞬の遅れを噛み取るように――小指が飛んだ。指先から脳へ直撃する痛覚。骨が軋む音と共に、視界が一瞬、白く塗り潰される。
「うぐっ……!」
「ゲロ不味いな……」
――コイツ……クソ強え……!
マルコが、態とらしく口の端を吊り上げる。
「俺の偉人級ユニークスキルは既に広く知られている。〈千歯〉――『全身を強靭な顎に変えるユニークスキル』だ」
「そうかい……」
赤いニット帽を深く冠り直す。荒れる思考。荒波のような思考の渦の中、〈エフェメラリズム〉を構え、マルコを見遣る。靡くオレンジのアロハは波のよう。その下の水色の筋肉もまた、水を打ったように波打っていた。
――落ち着け……!大丈夫……!
「喧嘩を売る相手を間違えたなら、そう謝ればいい」
「間違ってねえよ、雑魚が」
「その冗談は、魚人族である俺に向けてか?――『速雨』」
マルコが跳ねた。跳躍――からの、牙を生やした踵落とし。振り下ろされる瞬間、俺は〈エフェメラリズム〉のフレームを交差させて頭上に掲げ、そのままゼロ距離で弾丸を叩き込む。金属と骨と牙が同時に悲鳴を上げ、火花と飛沫が散った。
『掟:咀嚼を禁ず。
破れば、二万ボルトの電圧で感電する。』
「『叢雨』」
俺は薬指を立てる――その瞬間、マルコが大顎をがばりと開け、それを喰った。激痛と共に、青白い雷撃が炸裂。蒼白の稲妻が海を裂き、マルコの肉体を貫く。轟音が響き、潮が跳ねた。
「うぐっ……!指の一本くらい……くれてやるよ……!」
黒煙。焦げる肉の匂い。マルコは立ったまま、仰け反り、白目を剥く。――だが、それでも膝は折れない。ゆっくりと顔を戻した彼の瞳は、完全に血の色に染まっていた。
「……テメェ」
「来いよ、鮫野郎」
血と雷が交錯する。二人の足元で、潮が赤く染まった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――竜宮城・一階、歌姫の寝室。貝殻を象ったベッドと、波紋を描いたカーテン。夢のように可憐な部屋の中央で、タクオフとイルーガが対峙していた。
黒いライダースジャケットに白黒ツートンの髪。ギザ歯を見せて笑うイルーガの背では、シャチを思わせる尾鰭が不機嫌そうに揺れている。
「まあそんな逸んなよ、デブ。この音……外でも上でもバトってらぁ。お前一人で来たワケでもねーんだろ?」
「だ、だったらなんだと言うのですかな!?」
「――何でもねえよ」
「ごふっ……!」
一瞬。一瞬だった。イルーガの拳が、小生の腹を射抜いたのは。肺の空気が一気に押し出され、胃の内容物が逆流しそうになる。膝から崩れ落ちる感覚の方が、痛みより早く届いた。
「ディーネを助ければお前に惚れるとでも思ったか?図に乗んな、ありゃ上玉だ。お前なんか相手にしねーよ」
――立てない……。身体が、鉛みたいに重い……。力の差が……あり過ぎる……!
「デブ、お前、人間族の中でも下等だろ。だから実力差も測れねえでオレに楯突いて来やがる」
――小生は……どうして立てない……?ここまで言われて……何故腹も立たない?
「オレはお前みてーなウジウジしてる奴見ると腹が立つんだよ。死にてーなら殺してやるぜ?」
――そうか。慣れてしまったんだ。罵詈雑言に。蔑みに。嘲りに。だからもう、何も感じないんだ。
それでも、耳の奥で――誰かの声がする。
『タクオフおにいたま、げんきだして』
『キモいですね』
『やっぱ正直者じゃねーか。いいね、それでこそ仲間に欲しい』
「そーだそーだ、殺しちまおう。どうせこの海底都市も海の藻屑だしな」
イルーガが懐から拳銃を取り出す。黒い鉄の塊が、短く鈍い光を放つ。そして、それを小生の顳顬に突き付けた。
――セツナ氏……アマネシエル女史……フラン殿……!
「遺言はあるか?ハハ、オレって優しーだろ?」
――嬉しかった。初めて、こんな小生に、手を差し伸べてくれた人達。
「遺言なら……ありますぞ……!」
――絶対に……負ける訳には……いかない……!
「おう、聞かせてみろよ、デブ」
――死んでも……勝つ……!
「小生が……!勝ちますぞ……!」
「はぁ?ハハ、何言って――」
閃光。小生は身体を翻すように滑らせ、手を伸ばして「何か」を掴んだ。ひらりと視界を塞ぐ紙。イルーガが目を細める。
「なっ……!」
イルーガの目眩しとなったそれは――ディーネ女史のポスターであった。小生の部屋にあったものと、全く同じもの。
「おいおい……どういうユニークスキルだァ?」
ディーネ女史のポスター――その隅が、若干折れてしまっている。小生は覚えている。このポスターを買った当日、喜びのあまり、手を滑らせて、誤って角を折ってしまったのだ。つまりこれは――。
「小生の……!」
――小生の部屋と小生の手の先――一瞬だけ、亜空間が繋がった……!
「意味わかんねえんだよ!」
――だったら……!
思いっ切り、指に力を込め、全力で「それ」を引き抜く。銃口が火を噴く。放たれた弾丸は――現れた「それ」に阻まれた。銃撃の先に現れたのは――卓袱台だった。
「卓袱台だぁ!?」
「はは……上手くいきましたぞ……!」
銃声。盾のように構えた卓袱台に、銃弾が次々と着弾し、乾いた音を立てて弾かれる。木の表面を抉るものの、貫通はしない。跳ね返った弾丸が無気力に床を転がり、イルーガの目が大きく見開かれた。
「ふざけんな……ッ!このッ――」
続け様に放たれる銃弾。小生はそれらをすべて、卓袱台一つで受け止めてみせる。
「テメェ……!……っ!ちっ、弾切れか……!」
――今ですぞ……!
小生は卓袱台を構えたまま、腹の底から声を絞り出した。
「勝ちますぞ!勝ちますぞおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
小生は卓袱台を構えたまま、勢い良く突進した。巨体が弾丸のように突き進み、イルーガを押し倒す。
「――うおっ!?テメ……!」
「散々デブ扱いしてくれましたな……!」
卓袱台を押し当て、全体重を乗せる。床が悲鳴を上げるように軋み、イルーガが圧迫に呻いた。
「が……はッ……!」
「貴殿は知らないんですぞ!体重も、立派な武器になると……!」
「ま、『待て』……!」
跳ぶ。卓袱台ごと、縦に跳躍。そのまま――落下。衝撃を一瞬に込める。
鈍い衝撃音。骨と内臓が同時に潰れる、嫌な手応え。イルーガの声が潰れた。
「ぐえ……」
「何か言いましたかな?」
耳から「それ」を外す。耳孔を塞いでいた、安っぽいゴムの耳栓。ゴム状のそれを、潰れたイルーガの横に放る。
「貴殿のユニークスキルは〈洗脳〉――当然、途中から耳栓をしておりましたぞ」
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