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1-21 蝦蛄にメイドは殺せない

 ――竜宮城・最上階。巨大な窓の外では、深い青の潮流が渦を巻き、ゆっくりと世界を撫で回していた。


 対峙するは、ホオジロザメを思わせる水色の肌の大男。分厚い胸板の上でオレンジ色のアロハが潮風に揺れ、(えら)張った頬がこちらを値踏みするように(わず)かに動く。


「――『氷雨(ひさめ)』ッ!」


 マルコの足が床を砕いた。跳躍。水を裂く鈍い音が、矢のような鋭さで耳を貫く。


 反射的に(てのひら)サイズのスリングショット――〈エフェメラリズム〉を引き絞る。弾帯が限界まで引き延ばされ、金属が悲鳴を上げた瞬間、放たれた弾丸とマルコの拳が、空中で真正面からぶつかり合った。


 ――爆ぜる圧力。衝突点を中心に、床石が放射状に砕け散る。濁った海流が一瞬だけ逆巻き、全身が後ろへと()り下がる。


「ぐっ……」


「軟弱な……」


 マルコは続け様に俺に拳を振るう。――が、俺の顔に至ろうとした時、その拳がぱっと開かれる。その(てのひら)の中央が割れ、現れたのは、鋭利な牙の生えた(あぎと)であった。


「――『叢雨(むらさめ)』」


「顎っ……!?」


 防御が間に合わない。右腕で受けた瞬間、骨ごと喰い千切られた。激痛。視界が白く弾け、赤い雨が花弁のように散る。


「い゛っ……!!」


 肉が(えぐ)れた右腕。血塗れの右腕を押さえながら思考する。マルコを打ち破れる、掟を――。


『掟:移動を禁ず。

 破れば、感電する。』


 雷鳴。天井の海水を伝って落ちた稲妻が、マルコの身体を貫く。竜宮城の天井から到来した青白い閃光は、激しくマルコを襲う。骨格の輪郭を浮かび上がらせる程の閃光。


 だが、その中から響いたのは、怯みとも悲鳴とも付かない、低く乾いた声だった。


「――効かねぇな」


 煙の向こうから、炎のような殺気。煙をぷすぷすと上げながら、俺に迫るマルコ。マルコが歩く度、床が沈む。〈エフェメラリズム〉を握り直し、次の掟に移る。


『掟:移動を禁ず。

 破れば、落石に遭う。』


 巨石が生まれ、マルコの影を覆う。しかしマルコは、拳一つでそれを粉砕し、飛散した(つぶて)を弾丸のように俺へ叩き返す。


 咄嗟に身を低くし、足元を(かす)めて跳ね上がった一つの(つぶて)を指先で摘み取る。空中で〈エフェメラリズム〉の弾帯に咬ませ、そのまま跳ねる勢いを殺さずに射出した。逆流する礫弾が、マルコの顎下を撃ち上げる。


「うおおおっ……!」


 反動を乗せ、続け様に二発、三発とマルコの鳩尾(みぞおち)と脇腹へ撃ち込む。だが、マルコは上体を反らし、浅く頬を裂かせただけで済ませた。次の瞬間――両肩を掴まれる。両(てのひら)の顎が再び開く。俺の両肩を激烈に噛み砕いた。


「『叢雨(むらさめ)』」


「ぐっ……!」


 肩が裂ける。赤が飛ぶ。蹴りを腹に叩き込み、間合いを取る。呼吸が荒い。血が滴る。


「はぁ……!はぁ……!」


 ――〈天衡(テミス)〉の掟は……両者間(・・・)に課される。俺も掟を破れば、その罰を受ける。


『掟:息切れを禁ず。

 破れば、火を噴く。』


 掟を刻んだ瞬間、肺が焼けるように悲鳴を上げる。乱れた呼吸――その度に、喉奥が灼熱に変わった。


「――っ!」


 口腔から、焔が噴き出す。火炎放射の奔流が轟音と共にマルコへ殺到し、広間の空気を一気に灼き尽くした。――だがマルコは、片手を掲げた。


「甘い」


 掲げられた掌の前に、濃密な水の壁が形成される。炎と水がぶつかり合い、爆ぜる水蒸気。白煙が視界を奪い、その中からアロハシャツの輪郭がゆらりと浮かび上がった。目は、狂気を孕んでいた。


「四年の歳月を掛けた今日の計画……貴様如きに邪魔されては困るんだ」


「四年もディーネのマネージャーやって、四年もこの海底都市アトランティスの市長をやって、情の欠片もねえのか?半魚野郎」


「……はっ、ねえな。何が悲しくて俺がアイドル女の御機嫌取りをしなきゃなんねえんだ。地獄だったぜ?若い自分にしか価値がないことを知らないガキの子守はよ……!」


「だから金のために利用して殺すってか」


「そうだ。俺の役に立てるんだから本望だろ?」


「凄いな。カスの数え役満だ」


「好きに言え。余所者が……この街の事情に首を突っ込むな」


 マルコの足元から水が噴き上がる。その姿はまさしく「海底都市の王」を自称するに足る暴力そのものだった。


 それでも、俺は口角を吊り上げる。


「悪いな。どうしても仲間にしたい奴が、この街にいるもんでね」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――竜宮城・城門前。夜風が流れ、海底の砂をさらさらと(さら)ってゆく。向かい合う二つの影。一人は紫肌のモンハナシャコの魚人族(マーフォーク)、もう一人は白黒のメイド服を(まと)う私――アマネシエル。


「あんた……どういうつもりだい?メイドさんが……この街の闘技場、最強のレスラーであるあたいに、どういう道理で勝てるってんだい?」


 姉御然とした口調とは裏腹に、その筋肉は岩盤のような厚みを持っていた。紫の肌に刻まれた筋線維が、(わず)かな動きでも波打つ。モンハナシャコ――水中最速の拳を持つ生物の名を冠するに相応しい肉体。


「私もせつくんのお役に立てることを証明しなければ、せつくんのお傍にいられませんから」


「恋する乙女ってワケかい!欠伸(あくび)が出ちまうね!」


 ――瞬間。シャスコの姿が掻き消えた。直後、衝撃。腹に鉄塊を叩き込まれたような衝撃が走り、私の身体が宙を舞う。


「ぐっ……!」


 視界が回転する中、無理矢理に身体を捻り、受け身を取る。片膝を突き、シャスコへ向き直った。


 ――私は、遠くせつくんには及ばない。それでも、やるしかない。


 シャスコが割れたタイルの一片を(つま)み上げ、指先で軽く弾くように空へ放る。一つ、二つと打ち上げるそれは、(やが)て竜宮城上空のドームへ届き――薄い膜を破った。外界の海水が、雨のように一気に降り注ぐ。


「弱いねえ。欠伸(あくび)が出ちまうよ」


 降り注ぐ(いく)つもの水弾はシャスコを激しく濡らす。しかし、濡れた彼女の身体が(わず)かに光を帯びた。


 ――次の瞬間、拳。音速に近い一撃が頬を(かす)め、視界が揺らぐ。続け様に打撃の雨。肋骨が(きし)む。呼吸が追い付かない。


「おらぁ!」


「がっ!」


 ――最初より……威力が増している……!?


 痛みが脳を焼く。笑う声。濡れた肌が輝き、筋肉が膨張していた。


「おらぁ!」


「ぐはッ……!」


 拳が鳩尾(みぞおち)に突き刺さる。肺から空気が音もなく抜け、世界が黒く縁取られる。全身に刻まれた打撲と裂傷。既に満身創痍――それでも、膝だけは折らなかった。


「はぁ……!はぁ……!私の役割は……せつくんがマルコを倒すまでの時間稼ぎです。私はあなたを殺すつもりはありません」


「はっ!強がりかい!?生意気だねえ!」


 降り(しき)る雨。ザー、ザーと雨粒がタイルを穿(うが)ち、飛沫が渦を巻く。


 猛攻。的確に急所だけを(えぐ)る、プロレスラーとは桁の違う殺意を帯びた打撃――その手数と速度は、もはや「攻撃」というより、砲撃だった。


「うらぁ!」


 笑い声と共に、渾身のアッパー。下から突き上げられるような鋭い一撃に顎を撃ち抜かれ、視界が白く弾ける。昏倒寸前――それでも私は、歯を食い縛って立っていた。


「あんたに一つ、いいことを教えといてやるよ。あたいの上級ユニークスキル・〈海衣(マゼラン)〉は――『体表が水に濡れると、筋力を倍加させるユニークスキル』さ」


「ふふ、それで雨ですか……」


 地に這い(つくば)ったまま、シャスコを見上げる。シャスコは口角を吊り上げ、躊躇なく私の背を踏み付けた。


「うぐっ……!」


「バカだねえ。あたいに勝てるワケがないじゃないか」


 蹴りが飛ぶ。肋骨に(ひび)が入り、内臓が悲鳴を上げるのを感じながら、私は両手を組んだ。祈るように、しかし確信を込めて。――光が(こぼ)れる。


「……なんだい?」


 私の全身を覆っていた傷が、焼き戻すように塞がっていく。裂けた皮膚が繋がり、血が引き、汚れたメイド服ですら、糸を巻き戻すように修繕されていく。


「私の中位級ユニークスキル・〈癒光(ヒール)〉です」


「回復系のユニークスキルかい。まあいいさ、また殴るだけだよ」


 シャスコが拳を構えた瞬間――私は、そこで初めて、心からの微笑みを浮かべた。


「……何故(なぜ)、私が、被弾を甘んじて受け入れていたかわかりますか?」


「……どういうことだい?」


「――こういうことですよ」


 空間が、静かに揺れた。私の背後に、弧を描くように四つの水色の水瓶が現れる。硝子(がらす)細工を思わせる透明な装飾。揺らめく蒼の光。〈アクアリアス〉――四位一体(よんみいったい)の、私の武器である。四つの水瓶は、私を惑星とした衛星のように、軌道を描いてくるくると周囲を回り始めた。


「なっ……!」


 〈アクアリアス〉の注ぎ口が、一斉にシャスコへ向けられる。次の瞬間、光を帯びた水が放たれた。流線が幾重にも絡み合い、一つの太い奔流へと束ねられていく。(きら)めく流線状の聖水が、くねくねと(うね)りながらシャスコへ迫り――その胸部を、真正面から貫いた。


「ぐはッ……!!」


「私のユニークスキルの真価は回復ではありません。この四位一体(よんみいったい)の武器――〈アクアリアス〉には、私がこれまで回復した分のダメージが蓄積されています」


 シャスコの身体がぐらりと揺れる。胸に空いた穴から、赤い血と共に光が漏れた。


「この聖水は、その蓄積されたダメージの具象化です。回復すれば回復するほど――私は強くなる、ということですね」


「あんた……何……者……」


「お陰様でまあまあ貯金が出来ました。これでまた、せつくんのお役に立てます」


 シャスコの身体がずるりと崩れ落ちた。血が青いタイルを染め、じわじわと波紋を広げていく。


 私は静かにスカートの裾を摘み、倒れ伏したシャスコに一礼した。


「さて、せつくんをお迎えに参りましょうか」


 水瓶の光が尾を引き、私の後ろ姿を照らす。その姿は、深海に咲いた白い祈りの花のように、静かで――揺るぎなかった。

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