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1-20 アトランティス市議会

「セツナ氏……!アマネシエル女史……!フラン殿……!小生に……力を貸してくださるのですかな!?」


「さっきから足が震えてるぞ」


「こ、怖くはありませんぞ……!打倒マルコは……小生の悲願ですぞ……!」


 タクオフは自分の太腿(ふともも)を叩き、震えを止めようとする。だが、震えは止まらない。皮膚の下で脈が暴れ、血だけが熱を帯びていく。


「くそっ……!くそっ……!」


 それでも、目だけは揺らがなかった。臆病な肉体を叱咤するように、心だけが前へ進んでいる。その不器用な真っ直ぐさに、俺は思わず口元を緩めた。


「タクオフおにいたま、こわいの?」


「くっ……こ、怖いものは怖いですぞ!敵はあの千歯のマルコ……この海底都市アトランティスを守り続けてきた精鋭中の精鋭ですぞ!」


 俺はそんなタクオフの肩にぽん、と手を置いた。


「やっぱ正直者じゃねーか。いいね、それでこそ仲間に欲しい」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――タクオフ宅の古い掛け時計が、午前零時を告げた。湿った秒針の音。卓袱(ちゃぶ)台の上に広げた竜宮城の見取り図。窓の外で海月(くらげ)が淡く揺れ、部屋の空気に深海の青さを染み込ませている。


「フラン、眠くないか?」


「さっきおひるねしたから、だいじょぶ」


「そうか」


 小さな欠伸(あくび)を噛み殺しながらも、フランは俺の袖を握ったまま離さない。タクオフが震える指で地図の一点を差し示した。


「〈アトランティス市議会〉が攻めてくるのは丑三つ時――午前二時から午前二時半ですぞ。場所は、ディーネ女史が住む竜宮城ですな」


「竜宮城か。警備は?」


「その時間は丁度(ちょうど)交代直後で手薄。マルコ氏はその隙を狙ったのでしょうな」


 地図上、竜宮城周辺の警備配置に赤いバツ印が幾つも書き込まれている。タクオフが何度もシミュレーションした跡だ。


「今思えば、マルコからすれば、ディーネに詳しいタクオフは計画の邪魔に成り得る存在だ。だからこそ、暴力でタクオフがディーネに近付かないようにしたんだろうな」


「常人ならその時点でディーネさんに関わるのはやめるでしょうからね」


 タクオフは唇を噛み、拳を握り締めた。短く太い指がぷるぷると震える。


「小生は挫けませんぞ!ディーネ女史から勇気を貰ったのですぞ!」


「その意気だ。さて、問題は……勢力差だな」


 俺がそう言うと、タクオフは喉を鳴らし、唾を飲み込んだ。


「……そうですな。〈アトランティス市議会〉が全員グルなのだとすれば、総員五十名は優に超えますぞ。それにセツナ氏とアマネシエル女史と、ユニークスキルのない小生の三人で挑むのは……無謀にも程がありますな……」


「フランも、いる」


 フランが胸を張って名乗り出る。タクオフがはっとして、慌てて頭を下げた。


「はは、失礼しましたぞ。そうでしたな」


 俺はフランの肩をそっと抱いた。フランは親指を(くわ)えながら、真っ直ぐ俺を見上げてくる。


「――フラン。フランはこの家にいろ」


「……?おにいたま、なんで?」


「危険過ぎる。フランに殺し合いをさせる訳にはいかない」


「そうですな……。子供だからといって見逃してくれる程、甘くはないでしょうからな……」


 フランは唇を尖らせ、ぷくっと頬を膨らませた。そのジト目に、幼いながらも確かな意志が宿る。


「やだ。おにいたまたちがたたかうのに、フランだけおるすばん、だめ」


 その抗議は、幼い我儘(わがまま)ではなく「仲間でいたい」という宣言のようだった。俺はフランの頭をそっと撫でる。


「フラン、気持ちは嬉しいがそれでもダメだ。俺達はフランには元気でいてほしいんだよ」


 アマネも優しく言葉を添える。


「フランちゃん、せつくんを心配させてはダメですよ。せつくんはフランちゃんのことが大好きだからこそ、フランちゃんに戦ってほしくないんです」


「……わかった」


 フランが小さく頷く。視線はまだ不満げだが、納得だけはしてくれたようだった。海月(くらげ)の光が、その横顔を淡く縁取る。


「さて、セツナ氏。問題は勢力差だけではありませんぞ。小生達が勝利するために障壁になってくるのは、矢張(やは)り、マルコ氏と、マルコ氏に仕える三人の幹部の存在ですな」


 アマネが目を細める。


「竜宮城にいた、あの三人ですね」


「イルーガ氏もいたなら、そうでしょうな」


 蟹の鎧を纏う女、白黒ツートンの男、そして紫肌の筋肉女――三つの影が頭に浮かぶ。(いず)れも一目でわかる「強者」だった。


「確かにアイツらは他の魚人族(マーフォーク)とは格が違ったな」


「イルーガ氏がその上級ユニークスキル・〈洗脳(ブレインウォッシュ)〉でディーネ女史に遺書を書かせると言っていましたな。で、でしたら小生が、何とかイルーガ氏を止めてみせますぞ!」


 タクオフの声は震え、握り拳は汗で濡れている。


「声震えてるけど大丈夫か……?」


「ディーネ女史の寝室の場所を知っているのは小生だけですからな!」


「詳し過ぎてキモいな……。マルコも警戒するワケだ……」


「キモいですね」


「――ぶひっ!?」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――丑三つ時。竜宮城前。海月(くらげ)の灯りが青のタイルにぼんやりと影を揺らしている。人の気配は薄い(はず)の時間帯に、濃密な殺気だけがこの場所に満ちていた。


「なんだい?お客さんかい?困るねえ、今からマルコ様の大事な用件があるんだけどねえ」


 金髪のモヒカンに厚い唇、紫色の肌。長い睫毛(まつげ)の下でギョロギョロと目が動く。赤いビキニの隙間から溢れる筋肉は、鋼というより岩盤に近い。


 城門前に立ち塞がるその巨体を前に、アマネが一歩前へ出た。潮の流れが、一瞬だけ変わる。海底に、女同士の殺気が音もなく咲いた。


「――せつくん、ここは私が引き受けます」


 白いメイド服の裾がふわりと揺れる。穏やかな笑みの奥で、アマネの瞳だけが獣のように細くなっていた。


「――頼むぞ!アマネ!」


「アマネシエル女史!ご健闘を祈りますぞ!」


 俺とタクオフが竜宮城の内部へと駆け込む背後で、残された二人が短く挨拶を交わす。


「あたいは〈アトランティス市議会〉の三幹部が一人、モンハナシャコの魚人族(マーフォーク)――シャスコだよ」


「〈神威結社〉のアマネシエル、参ります」


「面白い。壊し甲斐があるねえ、嬢ちゃん!」


 瞬間――水流が弾け飛んだ。膨大な水圧がぶつかり合い、海底に鈍く、重たい衝突音が響き渡る。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「――セツナ氏!小生はディーネ女史の下に!マルコは恐らく最上階ですぞ!」


「わかった!俺はマルコの下へ向かう!」


 竜宮城内部。貝殻を削って造られた壁、金魚や鯛、(ひらめ)が泳ぎ回る水槽の間を、二つの影が駆け抜ける。床のタイルには波紋の紋様が刻まれ、踏み締める度に淡い光が浮かんでは消える。


 セツナ氏と別れた小生は、幻想的な光景を振り払うようにして、踏鞴(たたら)を踏みながらディーネ女史の寝室へと向かう。


 恐怖は重い鎖のように足に絡み付く。だが――止まらない。一階・玉座の間の奥――巨大な扉が半開きになっている。そこからは冷たい水流と、嗅ぎ慣れた嫌な匂いが漏れていた。


「おいおい……なんでいねえんだ?ディーネの奴は……」


「――そ、そこまでですぞ!」


「あぁ?」


 扉を()じ開け、その男の眼前に立つ。震える脚を必死に押さえ、恐怖を頭から追い払うのに必死だった。


 眼前の――白と黒のツートンカラーの無造作な髪に、黒のライダースジャケット、ギザ歯の人相の悪い男。イルカのような尾鰭(おびれ)が床を叩き、水飛沫が散った。


 その男は、ニヤリと口角を上げ、獲物を見つけた肉食獣のように目を細めた。


「おいおい、テメェ、マルコ様が警戒してたタクオフって野郎だろ?クッソ……邪魔されると困るんだよ、オレらがマルコ様に殺されちまう」


「そ、そうですぞ!しょ、小生こそがディーネ女史のTO(トップオタ)――タクオフですぞ……!」


「〈アトランティス市議会〉の三幹部が一人、シャチの魚人族(マーフォーク)――イルーガだ」


「絶対に止めますぞ……!」


「やってみろよ?豚野郎」


 再び尾鰭(おびれ)が床を打つ。衝撃波のような水流が玉座の間を左右に揺らし、壁の水槽の魚が散り散りに逃げ惑った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――竜宮城・最上階。螺旋階段を駆け上がった先に広がるのは、天井まで届く巨大な水のカーテンに囲まれた大広間だった。その中心に、一人の男が立っている。


 ディーネのマネージャーにして、海底都市アトランティスの市長。ホオジロザメの魚人族(マーフォーク)――マルコ。金色の鯉が泳ぐ水のカーテンが、彼の(えら)張った頬を青白く照らす。


「……ったく、邪魔が入ったか」


 俺は赤いニット帽を押さえ、マルコの言葉に応じる。


「ようよう市長様」


「貴様は追い返した(はず)なんだがな。計画が狂うだろ」


「その計画、お邪魔させてもらうぜ」


人間族(ヒューマン)如きに俺を止められると?」


「ああ、止めるさ」


 〈エフェメラリズム〉を構える。水の中で、光が爆ぜる。海底の夜が、戦火の色に染まった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――一方その頃。タクオフ宅。


 布団で眠っていたフランが、もぞもぞと身体を丸め、ゆっくりと目を開けた。窓の外には月の代わりに、ゆらゆらと漂う海月(くらげ)の灯りだけが浮かんでいる。


「……おにいたま?」


 フランは周囲を見渡し、不安そうに眉を寄せた。静寂が、不安をじわじわと増幅させる。


「フランだけおるすばん、やっぱりだめ。おにいたま、きけん」


 小さな足で床に降り、そっと玄関へ向かう。背伸びして鍵に手を伸ばし、何度か失敗しながらも、かちゃりと解錠する音を鳴らした。


 片手には――いつものピコピコハンマー。フランはそれをぎゅっと握り締め、光の乏しい海底の夜へ踏み出した。湿った風が頬を撫でる。


「おにいたま、おねえたま、どこ?」


 心細げな声が、誰もいない路地に溶けていく。その声に、影が応じた。


 巨大な蟹のような多脚の赤い装甲。水色のロングヘア。冷たい金の瞳。


「どうした?子供。こんな時間に。迷子か?」


「おにいたまとおねえたまとはぐれちゃった」


「そうか。私も任務の最中だが……仕方ない。探すのを手伝ってやろう」


「おねえたまはだれ?」


「私か?私は〈アトランティス市議会〉の三幹部が一人、タスマニアンキングクラブの魚人族(マーフォーク)――キャンサスだ」


 海月(くらげ)の灯りが、二人の影を青白く包み込む。その光は儚くも美しく――そして何処(どこ)か、不吉な予感を含んで揺れていた。海底の「正義」が静かに(きし)みを上げていることを、まだ誰も知らない。

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