1-17 海底都市アトランティス
――深海。俺達三人を乗せた潜水艦は、暗い水の層をゆっくりと潜っていた。舷窓の外では、幽かに光る魚影が無数の星座のように浮かび、深い藍の静寂を縫うように泳いでいる。
「おにいたま、おさかな!」
フランが小さな手を窓に押し当て、目を輝かせた。その純粋な声が、重たい潜水艦の空気を柔らかく揺らした。俺は彼女の銀髪を撫でながら、思わず頬を緩める。
「はは、そうだな。お魚だな」
「おにいたま、おねえたま、つれてきてくれて、ありがと、です」
――かわいい~。
「ああっ!フランちゃんが可愛過ぎます!」
堪え切れなくなったのか、アマネが座席から身を乗り出し、そのままフランをぎゅっと抱き締めた。ふわりと石鹸の香りが漂い、豊かな胸元がフランの小さな身体を包み込む。
「むぎゅ、おねえたま、くるしい」
「ご、ごめんなさい、フランちゃん。痛くありませんでしたか?」
「うん、いたくない。――あっ、おにいたま、おねえたま、みて」
フランの指差す先。海の底に――巨大な光のドームが、暗闇に浮かび上がっていた。その内側では無数の都市の灯が星雲のように連なり、闘技場、カジノ、劇場のネオンが、深海の闇に幻想的な色を散らしている。
「見えてきましたね。海底都市アトランティス……」
「海底でここまでの文明を築けるのか……。凄まじいな……」
「市長が有能だったみたいですね。カジノとアイドル産業で都市を興したとか」
「おにいたま、あたらしいおともだち、いるかな?」
「ああ、仲間な。きっといるさ」
フランの期待に、俺は静かに頷いた。――この旅の先に、また新しい運命が待っている気がした。
「せつくん、仲間といっても私達は、戦えないフランちゃんを除けばまだ二人。どのような人物を探すのがよろしいでしょうか?ご命令いただければ、私が探して参りますが」
「命令ってな……。でもまあそうだな、足りないポジションが多過ぎる。差し当たっては商人と戦闘員か」
「戦闘員はわかりますが……商人ですか?」
「ちまちま冒険者ギルドのクエストを熟して日銭を稼いでも埒が明かねえ。有望な商人がいれば生活は担保されるだろ?」
「……なるほど。理に適っています」
「――お客様、間もなく海底都市アトランティスに浮上します」
潜航士の声。窓の外、暗い深海の闇に、一筋の光が差し込んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
鉄の扉が、重たい音を響かせて横に滑った。湿り気を帯びた空気がどっと流れ込み、鼻腔を鉄と潮の匂いが満たす。視界の先には、深い青の水面が静かに揺れていた。
「到着しました。海底都市アトランティスの中心地――幸運の街・マリンクリンです」
「ありがとうございました」
ゆっくりと赤い潜航艇が、潜水艦ドックに浮上する。水面を割る音が反響し、閉ざされた空間に低く響いた。壁面に並ぶ無機質な照明が、潜航艇の濡れた装甲を鈍く照らし出す。光が波に揺れ、赤の艶が水面越しに歪んで揺らめいた。
やがてポンプの唸りと共に水門が閉じ、足元の水位がゆっくりと下がっていく。水面の代わりに金属床が姿を現し、排水の音と共に白い蒸気がふわりと立ち上る。金属の足場が軋む低い音が、妙に耳に心地良かった。
「フラン、着いたぞ。足下、滑らないように気を付けろよ」
「うん」
「ここが海底都市アトランティスですか……」
鋼鉄の扉が完全に閉じた瞬間、世界は再び静寂を取り戻した。人工照明の白光の中で、ドック中央の赤い潜航艇だけが、一際鮮やかな色を保ち続けている。
「呼吸も出来るみたいだな」
「そのようですね」
通路の先、開かれたゲートを抜けた瞬間――視界は一気に光で満たされた。ネオンの群れ。揺らめく泡の粒。寒色を基調とした街並み。そして、耳を打つ人々の騒めき。
「うわぁ……」
フランが息を呑む。そこは確かに「海底都市」だった。紫と青の光が霧のように混ざり合い、建物の輪郭を歪める。濡れた舗道は鏡のように反射し、歩く度に水音が柔らかく響いた。
行き交う人々の大半は、鱗を纏った人魚族や、水色の肌と鰓を持つ魚人族だ。俺達のような人間族は珍しいのか、時折好奇の視線が突き刺さる。
「おにいたま、おんぶ」
「よし……」
フランを背に乗せ、ネオンの川の中を進む。紫の光とネオンの看板が滲む通りでは、舗道が常に薄く濡れており、その水膜が街灯の色をより滲ませていた。何処か潮と酒の匂いが入り交じる。
遥か先から、カジノの歓声と電子音が混ざったような喧騒が押し寄せてくる。ピンク、青、橙――幾色もの光が空気の層を歪ませ、海底にいるのだという現実を視界の端で主張していた。
「俺もカジノで人生逆転だー!!」
「お前の所為ですっからかんじゃないか!どうしてくれるんだ!」
「なんだと!」
口論する声が直ぐ脇を通り過ぎる。金と運と破滅に踊らされる連中が、ここには山程いるらしい。
「騒がしい街だな……」
「幸運の街・マリンクリン――人生一発逆転を求めて、世界中から人が集まる場所ですからね」
「おにいたま、かじのってなに?」
「……お金を賭けてゲームをする場所なんだが……フランにはちょっと早いな」
その時、人の波が騒めいた。十字路の先――群衆の中心に、一際大きな影。ホオジロザメを想起させる程に鰓張った強面の、水色の肌の大男。上裸の上にオレンジのアロハを羽織り、胸板は岩のように厚い。
「――マルコ様!今日も逞しいお姿です!」
「海底都市アトランティスの偉大なる市長にしてディーネ様の守り人!」
「千歯のマルコ様、万歳!」
「あぁ……マルコ様……今日もカッコイイわ……」
偉く持て囃される彼を中心に、人魚族や魚人族が取り巻いている。歓声と拍手。マルコと呼ばれた男は、人々の中心で不動の存在感を放っていた。四人の護衛が周囲を固め、群衆の熱気が渦を巻く。
「ふーん、あれが市長か……」
「そのようですね。せつくんの方がカッコいいと思いますが」
「張り合うな……」
取り巻きの一人が、マルコに尋ねる。
「マルコ様、ディーネ様のライブを明日に控えておりますが、いかがでしょうか?」
マルコが声を張る。その声は、重く海を震わせるようだった。
「ディーネ様がいらっしゃらなければ今の俺はない。だから、明日のディーネ様のライブは必ず成功させなければならない!」
「流石マルコ様!」
「そしてディーネ様さえいらっしゃれば、この海底都市アトランティスは未来永劫、平和が齎される!」
「おお!そうだそうだ!」
「マルコ様、カッコいいー!!」
「全ては海底都市アトランティスのために!」
「「「海底都市アトランティスのために!」」」
マルコは大量の金貨を一掴みし、空へ散蒔いた。金の雨が舞い、群衆が歓声と共に群がる。その間を悠然と歩み去る彼の姿は、まるで王の行進だった。この街そのものが、自分の庭であると言わんばかりに。
「なんだありゃ……」
「げひん」
「ですが人望だけは厚いようですね。海底都市アトランティスの歌姫・ディーネ、彼がディーネさんのマネージャーにして海底都市アトランティスの市長・マルコのようです」
「取り敢えずマルコに会いに行ってみるか。優秀な商人を探すなら、街のトップに聞くのが早い」
「かしこまりました、せつくん。マルコさんはあの奥に聳える竜宮城に向かったようですね」
視線の先には、周囲の雑多なネオン街とは明らかに一線を画す巨大建築――竜宮城が聳え立っていた。珊瑚と貝殻を編んで築かれた城壁は、光を受けて静かに煌めいている。波の揺らぎを透かしたような柔らかな青白い光が、竜宮城を包んでいた。
真っ直ぐ大通りを進む。正面の大階段は真珠の粉を敷き詰めたかのように白く輝き、その両脇を流れる水流には金魚の群れが舞う。彼らは警備兵のように列を成し、侵入者を見張るかのように眼を光らせている。
「おにいたま、おっきい」
「御伽噺かよ……」
城門の前。警備の魚人族が二人、槍を交差させる。
「お待ちください、関係者以外の立入は禁止しております」
「む……」
――〈天衡〉の掟によって警備兵を強引に気絶させ、中に押し入ることも出来るが……面倒事は起こすべきではないだろう。
「お引き取り願います」
きっぱりとした声。こちらを一切客人として扱う気配はない。――その時、澄んだ声がそれを遮った。
「――待ってっ☆」
姿を現したのは、海色のケープを纏う、十代後半らしき女。向日葵色のサイドテールに青の螺旋メッシュ、星のように輝く瞳。その笑顔は、水底に射す一条の光そのものだった。
――可愛い。
第一印象は、その一言に尽きた。女は星のような瞳をきらきらと輝かせて笑顔を向ける。
「何か竜宮城に用があるんだよねっ☆歓迎するよっ☆」
「――ディーネ様!しかし!」
「いいからいいからっ☆」
衛兵の制止を軽く往なすと、彼女――ディーネは俺達に向き直った。
「こっちだよっ☆」
ディーネに案内されるがままに城門を潜れば、天井から吊るされた無数の海月の灯が、黄金よりも繊細な光を放っていた。灯りがゆらりと揺れる度、床のタイルに描かれた波紋模様が生きた水面のように煌めく。足を踏み出す度に、足元から小さな泡がふわりと浮かび上がり、軈て空気に溶けていった。
「君達冒険者だよねっ☆」
「なんでそれを……?」
「見ればわかるよっ☆」
奥へ進むにつれ、空気は何処か潮の甘い香りを帯び、遠くで竜宮の楽団が奏でる竪琴の音が響いてくる。音は水の膜を通り、耳に届く頃にはまるで夢の中の旋律のように柔らかく歪む。
広間に至れば、そこには巨大な貝殻を削り出した玉座が鎮座していた。玉座の背後では金色の鯉が泳ぐ水のカーテンが流れ落ち、光を反射して壁一面に七色の模様を描いている。そこに――マルコは立っていた。
「ディーネ様……どちらに行かれたかと思えば」
「ごめんごめんっ☆」
マルコの傍には、一際目立つ三人の魚人が控えていた。
蟹を想起させる巨大な多脚の赤い甲冑に身を包んだ、水色のロングヘアの女。
黒と白のツートンカラーの髪にギザ歯、黒いライダースジャケットを羽織り、腰からイルカの尾鰭を覗かせる男。
紫の肌に金髪モヒカン、厚い唇、筋骨隆々の肉体――その上から赤いビキニとメンズ用ラッシュパンツを着込んだ、女子プロレスラーのような女。
マルコの鋭い視線が、こちらに向けられた。
「そちらの者達は?」
「お客様だよっ☆マルコに用があるみたいっ☆」
「左様ですか。……それで、俺に何の用だ?」
厳ついマルコの眼光に気圧されそうになるも、しっかりとマルコの目を見据え、俺は答える。フランはマルコが怖いのか、背中で俺の服にしがみ付いている。
「俺達は冒険者で……優秀な商人を探しています。市長であられるあなたなら何かご存知かと」
「――知らないな。用は済んだか?帰れ」
「――なっ!」
マルコはそれだけ言い捨てると、咋に興味を失った顔で外方を向いた。ディーネが慌てて一歩、前に出る。
「ちょっと待ってよっ☆マルコっ☆それはあんまりだよっ☆」
「しかしディーネ様、明日は世界中が待ち望んでいるライブの日です。このような何処の馬の骨かも知らない客人に構っている暇はございません」
「でもっ☆話くらい聞いてもっ☆」
――この野郎。人が下手に出てやれば。
その言葉に、アマネが前へ出た。白い髪を掻き上げ、丁寧な所作ながらも苛立ちを露わにする。
「あなた、何なのですか?せつくんに向かって失礼ではありませんか?」
「フラン、このひと、きらい。おにいたま、いじめる、だめ」
「――好きに言えばいい。用は済んだだろう。帰れ。ここはお前らのような下等な人間族が来る場所じゃない」
露骨な蔑視に、喉の奥が熱くなる。だがここで戦り合っても、得られるものは少ない。
「ちっ……時間の無駄だった。帰るぞ」
踵を返そうとしたその時、ディーネが再び呼び止めた。
「――待ってっ☆」
「…………?」
ディーネの声に足を止める。
「商人ならボクのファンで優秀な人を知ってるんだっ☆名前は――タクオフくんっ☆」
「ディーネ様……!」
マルコが眉を顰めるが、ディーネは一歩も引かなかった。
「先週の握手会は途中で体調不良で帰っちゃったみたいだから、ボクが心配してるって伝えてっ☆」
「……ディーネさん、ありがとう」
短く礼を告げ、竜宮城を後にする。
外に出ると、珊瑚の樹々が静かに揺れていた。枝に群れる小魚達が淡く光り、海底の庭を月光のように照らしている。海の底なのに――何処か、蒼い満月の下にいるようだった。
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