1-16 海の底への誘い
『Eランク昇格戦の勝利を確認しました。セツナ様の冒険者ランクはEランクへ昇格となります』
宙に浮かぶスマートフォンの光が、薄暮の平原を照らした。這い蹲ったリューカが、まだ諦められないとばかりに地を掻く。爪先が土を抉り、小さな溝が幾つも刻まれていく。
「クソ……ッ!まだだァ!まだ……負けてねェ!」
その傍らに落ちていた革袋を拾い上げる。中で硬貨同士が触れ合い、澄んだ音を立てた。さっきまでの戦いが嘘のように、夕風が涼しい。
「お前の負けだ」
「負けてねェっつってんだろォ!」
喉を裂く叫び。だが、痺れた四肢は彼女の気迫とは裏腹に一ミリも動かない。顔に張り付く土埃と汗が、悔しさをより一層惨めに見せていた。
「どうしてそこまで勝利に固執する?」
「うるせェ!」
言葉は荒く、風は静かだった。踵を返す。夕暮れが平原を橙に染め、二つの影を長く引き伸ばしていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――せつくん!」
――夜。オクタゴンの玄関を開けた瞬間、メイド服姿のアマネが飛び込んできた。その瞳は涙で潤み、声は震えていた。
「おかえり、アマネ」
「会いたかったです、せつくん」
「たった一時間だろ……。仕方ないな、アマネは」
苦笑すると、背後から小さな声が覗いた。
「おねえたま、らんく、あがった?」
「はい、私も昇格戦に勝利し、Eランクの冒険者になりました」
「そうか、良かったな」
「おねえたま、おめでとう、です」
「ありがとうございます。すみません、お待たせして。お食事にしましょうか」
――食卓に並ぶのは、とろりとしたクリームシチュー、肉厚のハンバーグ、瑞々しいロメインレタスが山と盛られたシーザーサラダ。バターの香りとソースの匂いが、暖かな灯りと混ざり合って部屋を満たす。テレビの音声は、少しだけボリュームを絞られていた。
「おねえたま、おかわり、ほしい」
「はい。よく噛んで食べてくださいね」
「うん」
スプーンを握る小さな手が、一生懸命シチューを掬って口に運んでいる。
「フランは四歳にしてはいい子だよなあ。言うことも聞くし我儘も言わない」
「そうですね。せつくんがお勉強も見てくださってますし、きっと素敵な大人に成長しますよ」
「もうちょっと我儘でも文句ないけどな。フラン、欲しいものとかないか?今日はちょっと稼げたし、何でも買ってやるぞ」
フランはスプーンを口から離し、少しだけ考えるように首を傾げた。そして、当たり前のことを言うみたいに、ぽつりと口を開く。
「おにいたまと、おねえたまといっしょだから、それでじゅうぶん。フラン、しあわせ」
胸の奥が、きゅっと縮まる。
「おー、よしよし。フランは可愛いな。今度おもちゃ買ってあげような」
「えへへ」
フランの笑顔に、アマネもふわりと笑みを浮かべた。その頬が、ランプの橙に温かく染まっている。
ふと、テレビの画面が切り替わる。海底に聳える巨大なドーム、その内側を埋め尽くす光の街。発光する魚の群れが揺れながら通り過ぎる。珊瑚で出来た街灯が薄く輝き、泡のような光の粒が街並みに降り注いでいた。
「……きれい」
フランがスプーンを止め、画面に釘付けになる。
「海底都市アトランティスですね。陸地との交易とアイドル文化で栄えた、魚人族と人魚族の国です」
「まーめいど……!おにいたま、いってみたい」
純粋な憧れの光が、その瞳に宿っていた。
「フランが行きたいって言うなら仕方ねえな。行ってみるか」
「そうですね。もしかしたら〈神威結社〉の仲間も集まるかもしれませんし」
アマネが、楽しげに目を細める。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――話は一週間前に遡る。
海底都市アトランティス。巨大なドームの内側に広がる中心街は、青白い揺らぎに包まれていた。海の向こうを、光を宿した魚群が流星群のように横切っていく。珊瑚を模した建物の壁面にはホログラム広告が踊り、通りを行き交う魚人族や人魚族が、その前で足を止めては歓声を上げていた。
その中心――特設ステージ前の広場で、三人組のトップアイドルユニット・〈Triple Crown〉、通称トリクラのセンター――歌姫ディーネの握手会が、熱気を帯びて進行していた。
「ディーネ様ー!!応援してますー!!」
「キャー!!!ディーネ様ー!!!」
「トリクラのシングルも買いましたー!!」
水飛沫のような歓声が四方から飛ぶ。
光の渦の中心にいるのは、一人の人魚族だった。向日葵色の髪をサイドテール風に纏め、そのサイドに大きな編み込みを作って右肩に垂らしている。編み込みに沿うように、淡い青のメッシュが螺旋を描き、動く度に水面の反射のような煌めきを見せた。
「みんなっ☆今日はボクのためにありがとうっ☆みんなの思い出に残る、最っ高の時間にしようねっ☆」
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」
前髪には大きな貝殻のバレッタ――髪飾り。トップスは水色のビキニの上から、白いモコモコとした縁取りが施された、短い丈の綺麗な海色のケープを羽織っている。ボトムスは海色のショートパンツに、青と水色の縞模様のニーソックスという露出度の高い、全体的に青や水色を基調としたファッション。その瞳は、夜空に瞬く星が宿っているかのように、燦然と輝きを放っていた。
握手会は、ディーネの神対応により、熱狂の中、順調に進んだ。軈て、ある青年の番が来る。重量感のある大柄な肥満体に、おかっぱ頭――毛先が同じ長さに切り揃えられた黒髪のボウルカットの男。彼は丸眼鏡のブリッジに指を添える。
「来ましたな……!ディーネ女史のTOたる、このタクオフの出番が……!」
丸々と太り上げた巨漢で、言葉を選ばずに言うならばデフォルメの効いた体格。黒縁の丸眼鏡。厚い上唇が「ω」の字を描いている。上はアニメの萌えキャラがプリントされたTシャツに下は茶色のスラックス、といった珍妙な出で立ちだ。
だが本人は、そのことを欠片も気にしていない様子で、眼鏡のブリッジをくいと上げた。
「あっ☆タクオフくんっ☆今日も来てくれたんだねっ☆ありがとーっ☆」
「ぶひっ!今日もディーネ女史はお美し――」
「――おい」
低く鋭い声が、その言葉を断ち切った。握手台に近付こうとしたタクオフの前に、鰭付きの手が横から割り込む。
ホオジロザメを想起させる、鰓張った顔の魚人族の大男だ。腕には場違いな程に輝く高級腕時計。彼のオレンジ色のアロハシャツが潮風に靡いた。
「ちょっとこっちに来い」
「――ぶひっ!?で、ですが握手会の途中――」
「いいから来い」
有無を言わせぬ声音。大男はタクオフの腕をがっちりと掴むと、人波を割って裏路地へと引き摺っていく。華やかな光から一歩外れたそこは、急に人気が途絶える薄暗い場所だった。水滴の落ちる音だけが、壁と壁の間に反響している。
「ディーネ女史のマネージャーの……マルコ氏ですな?小生に何の用ですかな?」
「…………チッ」
「ははーん、さてはディーネ女史のTOたる小生に教えを乞お――」
「――お前のような汚い醜男がディーネ様に近付くな」
「ぶひっ!?で、ですが小生は……CDを十枚購入し、正当な手続きを踏んで――」
「――黙れ」
「――ぐふっ!?」
鳩尾に叩き込まれた蹴りが、空気ごと内臓を掻き回す。肺から絞り出された悲鳴は声にならず、濁った空気だけが喉から漏れた。タクオフはその場に崩れ落ち、両手で腹を押さえる。
「貴様のようなゴミが、ディーネ様に触れていい訳がないだろう」
マルコは淡々と、靴で何度も踏み付けた。湿ったタイルに、鈍い音が規則正しく打ち付けられていく。
「……や、やめてくだされ……っ!」
懇願は聞き入れられない。最後の一撃が顎を捉え、タクオフの身体が跳ねる。口の端から血と涎が混ざった液体が飛び散り、壁に汚い弧を描いた。
動かなくなった彼を見下ろし、マルコは冷え切った目で言い放つ。
「――巣に帰れ、ゴミが」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「くそっ……!くそっ……!なんで小生がこんな目に……!」
――夜。狭い部屋の中。
唯一の光源であるモニターが、タクオフの歪んだ顔を青白く照らしていた。壁にはトリクラのポスターが何枚も貼られ、床には開封済みのCDケースが散乱している。
タクオフは脂汗を拭うことも忘れ、ネット掲示板に噛り付いていた。
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Triple Crown応援スレ part.285(799)
>ディーネ様今日も可愛過ぎ
>トリクラの新曲最高だな
>それな
>握手会の会場臭かったな
>オマイラ風呂入れしwww
>ディーネ様に迷惑かけんな
>マルコ様のお陰でディーネ様に会える!
>マルコ様有能過ぎな
>マネージャーのマルコはファンを問答無用で殴り付ける暴漢
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「ぶひひ……これでマルコの株は急降下ですぞ……!――って、ぶひっ!?」
安堵と興奮の笑みが貼り付いたまま、リロードボタンをクリックする。ページが一瞬白くなり、直ぐに新しいレスが流れ込んできた。
――――――――――――――――――――――――
Triple Crown応援スレ part.285(799)
>マネージャーのマルコはファンを問答無用で殴り付ける暴漢
>嘘つき乙
>マルコ様への嫉妬キモ
>こいつ痛過ぎだろ
>デマ流して楽しい?
>死ねよ
>誰が信じるんだwww
>マルコ様がそんなことする訳なくて草
>はい特定
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「ど……どうして……!」
視界が滲む。タクオフは慌てて別のスレッドも開くが、状況は変わらない。「痛い奴」「嫉妬」「キモい」「死ね」――文字列だけが画面狭しと踊り、彼の書き込みは「嘘つき」の一言で塗り潰されていく。
マウスを握る手が震え、クリックする度にカーソルが頼りなく揺れた。
「……誰も、信じて……くれないのですな……」
掠れ声が、誰もいない部屋に消える。モニターを閉じた瞬間、部屋は闇に沈んだ。静寂が耳を締め付ける。
タクオフは布団に包まり、膝を抱き締める。さっきまでの熱狂も、光も、人の気配もない。あるのは、自分の荒い呼吸と心臓の音だけだった。
「ううっ……ううっ……!」
嗚咽が、狭い部屋に反響する。スクリーン越しに見上げてきた「大好きなもの」に踏み躙られ、匿名の海に石を投げ返しても、返ってくるのは嘲笑だけ。
タクオフは喉を震わせた。嗚咽が部屋を満たし、軈てその声さえ、闇に呑まれて消えた。
「ううっ……」
世界の何処にも、自分の味方はいない――。そう信じ込んでしまうには、十分過ぎる夜だった。
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