1-15 E級昇格戦
――再び、王都アルカグラの冒険者ギルド。俺達は糸目の受付嬢レシアに、九件のクエスト完了報告を届けていた。
「――以上、九つのクエストの完了を確認しました。お疲れ様でした」
採取クエストは現物納品、討伐クエストは指定部位の提出。レシアは一つ一つを手際良く検めると、カウンターの下から革袋を取り出し、丁寧に差し出した。
「こちらが報酬金となります」
手に取る。中身を揺らせば、金貨と銀貨、銅貨が重なり合う音が心地良いリズムを刻んだ。ざっと九千八百ゴールド。パン一つで八ゴールド、ビール一杯で三十ゴールドと考えれば、日当としては申し分ない。
「ありがとうございます」
「おにいたま、おうちかえる?」
「そうだな、フラン。帰ろうか、疲れたろ」
「うん、かえる」
革袋を握り、ギルドの扉に手を掛ける。外の空気を吸おうと一歩踏み出した――その瞬間だった。
右頬を掠める鋭い風。反射的に右脚を蹴り上げる。金属音、火花、交差した足の感触。視界の端で、革袋がふっと軽くなり――気付けば俺の手から、消えていた。
「おい、何をするんだ」
「あァ?こんな世の中で油断してる方が悪ィだろォがァ!」
――む、一理あるな。
目の前に立っていたのは、長い黒髪を風に靡かせた女。露出の多い、黒い軽装鎧が身体の線を拾い、靱やかな筋肉を際立たせている。丸出しの太腿は傷だらけで、頭には黄色い二本の角――竜人族特有のそれが突き出ていた。腰からは刺々しい竜の尾が揺れ、夕暮れの光がその輪郭を劇的に照らす。
「アタイの蹴りを受け止めるたァ……やるじゃァねェか……!」
女の両手には黒い鉤爪。金属の刃が西日を拾って、ぎらりと光る。頬に熱いものを感じて指で触れると、血が滲んでいた。俺の頬から血が滴り、石畳へとぴちゃ、と落ちる。
「――せつくん!」
駆け寄るアマネ。そんなアマネを横目に、黒髪の竜人族は、革袋を宙に放っては掴み、また放っては掴み、挑発的に笑った。
――相変わらず治安が終わってるな。
そう思った瞬間、俺のポケットからスマートフォンが飛び出した。手を離れて宙に浮かび上がり、くるりと一回転する。画面が自動で点灯し、淡い光を放った。
『――昇格戦のお知らせです。Eランク昇格を懸けた昇格戦を承諾しますか?』
機械的な女声が、その場の空気を震わせる。
「ガッハッハ!そうかァ!テメェがアタイの昇格戦の相手かァ!」
黒髪の女が高らかに笑う。
「なんだお前、スマホ持ってないのか」
「あァ?そんな難しいモン持ってねェ!」
ギルド前の通りでの騒ぎに気付き、周囲に人が集まってくる。野次馬達が、女――長髪のその顔を見て、露骨に顔を顰めた。
「なんだ?喧嘩か?」
「いや、昇格戦みたいだぞ」
「げっ、アイツ、迷惑者のリューカじゃねーか」
「関わらない方がいいぜ……」
「でもよ……」
リューカと呼ばれた長髪の女は、唇を少しだけ寂しそうに歪めてから、きっと周囲を睨み付けた。その視線だけで、野次馬達の肩がビクつく。
「なんだ、お前、有名人じゃないか」
「『お前』じゃねェ!アタイは竜人族のリューカだァ!」
「なんでもいい、金を返してくれ」
「ガッハッハ!アタイにも盗むだけの理由があンだよォ!文句があるならアタイに勝ちやがれェ!」
宙に浮いたスマホが、再び淡く光る。
『Eランク昇格を懸けた昇格戦を承諾しますか?』
「――よし、承諾しよう」
俺がそう告げると、画面に大きく文字が流れた。
『承諾を受け付けました。Eランク昇格戦を開始します』
「場所を移動しようか」
俺達は、野次馬の視線を背中に感じながら、郊外へと歩を移した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――王都郊外の平原。夕陽が沈み、空が橙と紫の境を成している。俺とリューカは、風の中で相対していた。少し離れた丘では、アマネとフランが見守っている。
「金は返してもらうぞ、大事な生活費だ」
「アタイは今年の〈極皇杯〉を優勝する女だァ!負ける気なんざねェ!」
〈エフェメラリズム〉を構える俺。リューカもまた腰を落とし、牙を剥くように笑う。リューカの黒い軽装の鎧は、夕陽を受けて不気味な光沢を放ち、黒い鉤爪の隙間から覗く爪は、切っ先で光を反射して一層の鋭さを見せる。
「アタイのこの鉤爪――〈ヴァンガード〉がありゃァ、絶対に負けねェ!」
「言ってろ」
空気がぴんと張り詰めた。
「――『竜ノ両鉤爪』!」
――開戦。号令などない。咆哮。爆風のような踏み込み。両の爪が閃光を描き、俺の頬を掠める。火花と、血の条。
反射的に〈エフェメラリズム〉からパチンコ玉を撃ち出して受け流すが、衝撃の重さに指が痺れた。
「ガッハッハ!アタイの攻撃を受け止めるたァ、やるじゃねェかァ!」
「騒がしい奴だな……」
「止まんねェぞォ!」
連撃。攻撃の雨。斬撃が空を裂き、砂煙が渦を巻く。リューカの猛攻は止むどころか、興奮に呼応するように速度と重さを増していく。
「お前も運が悪ィヤツだァ……!残念だったなァ。アタイのユニークスキルは上位級ユニークスキル!『攻撃を受ければ受ける程怒りを力にするユニークスキル』――〈血醒〉の本気を見せてやるよォ!」
「アホなのか?自分のカードを晒すなんて……」
――上位級ユニークスキル――世界人口の上位十パーセントが持つ異能。この女……自ら武器である筈のユニークスキルを晒した時点で賢くはなさそうだが、彼女が「上位級」であることは納得だ。速さ、破壊力、反応、全てが常人離れしている。
「じゃあ攻撃しなきゃいいだけだろ」
「――っしゃァ!来ねェンならこっちから行くぞォ!」
リューカの姿が、ふっと視界から消える。直後、左頬に鋭い痛み。血飛沫が弧を描く。
「――『竜ノ鉤爪』!」
更に右肩。柄シャツが裂かれ、赤がじわりと滲む。
「――せつくん!」
「――どうしたァ!?ビビってんのかァ!?『竜ノ鉤爪』!」
「――おにいたま……!」
シャツが次々に裂かれ、皮膚に赤い線が走る。頬から、肩から、腕から、薄く流れ落ちる血。だが、不思議と焦りはなかった。
――自殺した時に比べれば、全然痛くないな。
そう呑気に考えている自分に、少しだけ苦笑する。
「――おらおらァ!ビビって反撃もしねェのかァ!?」
「お前な、そんなに金が欲しけりゃ単発の倉庫バイトでもしてろ。お前のその体力があるなら労基ガン無視の三十連勤も余裕だろ」
「――るせェ!真面目に働いてちゃァキリがねェんだよ!『竜ノ鉤爪』!」
切り裂く風。俺の身体は切り刻まれ、赤い線で埋まっていく。まるで妖怪・鎌鼬を彷彿とさせる程に。アマネは少し離れた場所で、その様子を心配そうに見守っている。
「――ずっと突っ立ったままで!何がしてェンだ、てめェ!」
「せつくん……っ!」
音速すら超える斬撃が、紙一重で急所を外しつつ、容赦なくシャツと身を裂いていく。アマネが思わず声を上げた。その視線に、リューカがにやりと笑う。
「ほら見ろォ!お前のメイドも心配そうにしてんじゃァねェかァ!」
「……あの、誤解していませんか?私が心配しているのはせつくんではありませんよ」
「なんだァ!?」
「――心配なのは貴女です」
「あァ!?」
――上位級ユニークスキルであることに誇りを持っているようだが悪いな。俺は三階級特進の神話級ユニークスキルだ。
昇格戦。俺が勝つだけでいい。殺す必要はないし、殺すべきでもない。だから、選ぶ罰は――最低限でいい。
『掟:攻撃を禁ず。
破れば、麻痺する。』
思考の中で静かに「法」を刻んだ瞬間も、リューカの攻撃は止まらない。俺の身体はまた新たな傷を創る。すると刹那、黒髪の女の猛攻が、ぴたりと止む。宙を裂く爪は、そのまま空を切り、女は地に崩れ落ちる。震える指先が、土を掴んだ。
「――なッ!?」
倒れ伏し、痙攣するリューカ。俺は〈エフェメラリズム〉を片手で弄びながら、もう片方の手をポケットに突っ込む。そして、地に伏せたリューカを無造作に見下ろした。
「勝負あったな。働けボケ」
「……くっそ……ッ!動……けねェ……!」
沈みゆく夕陽が、彼女の黒い鎧を柔らかく照らす。その光が、勝者と敗者の境界をあまりに鮮やかに浮かび上がらせていた。
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